毒舌イケメン吹奏楽部顧問のワガママなお願い!
「駄目かー」
病む。
まさか、あんな若造一人に言い包められてしまうとは。元二十五歳サラリーマンの立場がない。
まあ僕は大卒だったので、所詮三年目社員のペーペーだったのだが。
それに、若造と言っても、鳳先生。多分僕より年上だったろうな。それであれだけ若く見えるのだから、イケメンとは羨ましいものだ。
「仕方ない。やるかあ」
僕は鳳先生とのやり取りを反芻しながら、教室に戻っていた。そして、反芻していく内に、どんどんと気が沈んでいく。どうやら、僕がやるしかないようだ。
「まったく。教師の癖に"あんな言い方"しやがって」
思わず恨み節が漏れた。何様なつもりだよと本心から思った。
とりあえず、早く博美さんと約束を取り付けてしまおう。
『今日、放課後いいかい?』
返事は、すぐに来た。
『わかった』
多分彼女、僕が無事鳳先生との二者面談の場を設けられたと思っているだろう。
「うわあ、言い出しづらい」
メッセージを送る手が止まった。素直に、『ごめん、無理だった』とは書けなかった。そんなことを今書いては、放課後まで彼女はショックで放心してしまうかもしれない。
何と言えばいいのか。少し頭を捻っても、妙案は浮かんでこなかった。
『じゃあ、校門の前で集合で』
『どうして?』
「そういうよなー」
鳳先生との対談の場を設けられませんでした、とは言えない。致し方なし。
『帰り、ゆっくり話すよ』
その場しのぎのメッセージに、既読はつかなかった。
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放課後。
僕は一人校門の前で博美さんを待った。帰る時、白石さんと安藤さんに鬼の形相で睨まれていたが、気がつかなかったことにしよう。
「おまたせー」
手を振って、おどけた様子で博美さんが現れた。
「待った?」
「ん。全然」
校門にもたれていた体を立たせて、僕は博美さんと並んで歩いた。帰路は同じ方向。頃合を見て、話を出そう。タイミング、こういう時はタイミングが何よりも大事だ。
「そ、それでさ。ヒロちゃん。どうだった?」
うん。そりゃ聞くよな。昨日の今日の呼び出しだものな。僕が今日、鳳先生に会うことも彼女には伝えていたし。
緊張気味に上目遣いにこちらを覗く彼女に、僕は目を合わせることが出来なかった。
「えっと、とりあえず、マックでも行かない? おごるよ。バイトしているしさ」
ゲーム機の資金確保のために始めたバイトが、こんな形で役に立つとは。
博美さんは言いたいことがあるようだったが、ひとまずは納得してくれて、僕達はジャンクフード店に向かうことにした。
道中、僕達の会話はさしてなかった。
今の彼女に談笑なんて元気はなかったし、僕も僕で彼女になんと説明しようかまとまらずにいた。もう少しゆっくり着いてくれ、待ってくれ。心の中で念仏のように唱えたのだが、こういう時に限って目的地にはさっさと着いてしまった。信号、一度も赤にならなかった。こういう強運は遅刻スレスレの日とかに使いたい。
「何か食べる?」
「じゃあ、ポテトとオレンジジュース」
「お、オレンジジュースとはわかってるね」
そう言いながら僕は、ポテトのLサイズ一つとコーヒー、オレンジジュースを注文した。いや、お前オレンジジュース飲まないのかい。
二つ後ろの列の人に突っ込まれたような気がしたが、気のせいだろうか?
商品を受け取って、空いている二階の席に隣同士に腰掛けた。
「ヒロちゃん?」
「へい」
「そろそろ、教えてよ」
泣きそうな声で博美さんが言った。
ああ、もう限界だ。言い訳を何とか探したが、結局最後まで何も浮かばなかった。
「ごめん。駄目だった」
彼女の方に向き直って、僕は両手を合わせて謝った。
「そっか」
博美さんは俯いてしまった。
やばい。本当に泣かれてしまう。
おのれ、鳳先生め。面倒ごとを押し付けやがって。
面倒ごと、と今僕が思ったこと、人によれば最低な男め、と思うかもしれない。でも、そうじゃない。最低なのは、あの先生だ。
『彼女は、天才です』
こんなことをのたまった時点で、僕は鳳先生に不信感すら抱いていた。
この発言、本来は博美さんの病む原因を作った彼が言ってはいけない台詞ではなかろうか。
だって、この台詞ってつまり、あれだけ辛い目に合わせておいて、鳳先生自身は博美さんを失いたくはない、まだ育てたいと思っているってことだろう?
『だから尚のこと、正直な感情を彼女に吐露してあげて欲しい。彼女だって俄然やる気を出す』
『それは駄目です』
でも彼は、この発言からもわかるように、博美さんの精神的安定を図る行いを自分でやる気はなかった。失いたくない癖に、自分でどうにかする気は更々ない。これが最低でなくてなんなのだ。
『私は思いません。だから私は、自分の口から彼女へ指導についての説明をする気はありません』
そして、あの場を締めたこの台詞。
交渉決裂を印象つけるこの台詞だって何から何までおかしい。
そもそも一番納得いかないのが、それをわざわざ僕に言ったことだ。彼はあの時、僕にこう言わずとも交渉を決裂させることが出来たのだ。
僕がいくら説明を望んでも、博美さんへの対応と同じように、何も説明しなくてもよかったのだ。
じゃあ何故、わざわざ奴は僕に説明をしたのか。
理由は簡単だ。まとめると、鳳先生の言いたいことはこうである。
『博美さんが辛いことはわかってる。でも今の指導は辞める気はない。でも立場上自分の口からは真実を言えないし真実はばれないようにしないといけないけど、何とか博美さんが部活動を辞めない様取り計らってくれ。後は頼んだ。チャオ☆』
思わず握りこぶしを作ってしまった。完全なる丸投げだ。
本当に酷い男だ。優しい面の下に、こんなワガママな面を隠していたとは。
毒舌。イケメン。ワガママ。
おいおい、設定の宝庫かよ。
「やっぱり、辞めるしかないのかな」
そんな僕の怒りの感情も知らず、博美さんは一番誰も望まない方向への結論付けをしようとしていた。
「辞めるなよ」
「え?」
とりあえず、気持ちをぶつけてみることにした。
「僕、ずっと君のことライバルだと思っていた。畑違いだけどさ、ずっと競い合ってきたと思ってた。今はもう、僕は輝くことは出来ないけど。お前、きっと今よりもっと将来輝けるぞ。これくらいのことで諦めるなよ」
なるべく鈴木君らしい言葉で伝えたつもりだったが、配慮が足らなかったようだ。
「このくらいなんて、ヒロちゃんにはわからないよ!」
ついに、博美さんは大きな声で叫んでしまった。
店内が静まり返る。チラチラ見ると、まるで彼女を泣かした最低彼氏という目線が僕に注がれていた。不本意であるとともに、とても辛い。
「ごめん。言い方が悪かったよ」
くそ、鳳めっ!
「でもさ、僕、お前の音楽が好きなんだよ」
「え?」
「昔から、誰よりも綺麗な音色でさ。まるで向日葵畑で日向ぼっこしながら寝そべっているんじゃないかってくらい、辛い時に落ち着いたことだってあったんだ。正直、そんな音が出せる君を尊敬したことだってあった」
はったりをかました。悪い大人だな、僕も。
それもこれも鳳が悪い。
「だから、先生にいびられているくらいで辞めるだなんて言わないでくれ。これからもずっとその音を聞かせてくれよ」
「ヒロちゃん」
「それに、あの先生だってお前のことが嫌いだから辛く当たっているわけじゃないと思うんだ」
「え?」
どこまで言っていいのやら。
「だって、博美。自分でもあの部活動の部員の中で一番トランペットがうまい自信があるんだろ?」
黙って、博美さんは頷いた。
「だったら、全国常連までウチの高校を導いたあの顧問が気付かないわけないだろ? 腕は確かなわけだから」
「あ……」
「きっと期待されているんだよ。本当に私が望むレベルまで達してみろって。だから君にだけ辛く当たるんだ」
そう言うと、博美さんは心で葛藤しているかのように唇を噛んだ。
「僕にも、聞かせてくれよ。あの毒舌男が認めるレベルの音をさ」
僕は、優しく微笑んだ。
「うん。ならもう少し、頑張ってみようかな」
ハァァァァァ。
心の底から安堵したのは、随分久しい気がした。
「良かったー」
「なんで?」
「だって、本当。辞めて欲しくなかったんだよ。毎日聞きたいくらいなんだからさ、君の音」
安堵から机に突っ伏していると、隣の温度が上がっている気がして顔を上げた。
「ひ、ヒロちゃん。中々恥ずかしいこというね」
顔を真っ赤にした博美さんを見上げて、僕は乾いた笑みを浮かべていた。
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「彼女、部活に出るようになりましたよ」
ある日の休み時間、教室移動のため廊下を歩いていると、件の鳳先生、改め鳳が僕にそう声をかけた。
「そりゃー良かった」
白々しい。
思わず嫌味な顔を作って、僕は彼に言った。
「面白い顔だね」
「本性現しやがったよ」
鳳がクスクスと笑っているのを見ていると、なんだかムカムカしてきた。見た目で人の印象は変わるというが、内面を知ることでもそれは適用されるらしい。
「これ、貸しだから」
「はて、何のことでしょう?」
「なっ。こっちはあんだけ必死になったってのに」
「でも、それは彼女のため。私のためじゃないでしょう?」
再び微笑んで、彼は続けた。
「ま、私も教師の身。寛大な心で君に貸し一つ、つけてあげますよ」
「そりゃどうも」
頼ることなんて絶対にしないけどな。
心の中でそう悪態を付いて、僕は次の授業へ向かった。
この人、絶対碌な死に方しないだろうな、とか、そんなことを考えながら。
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