一生の価値。駄菓子の価値

 コンビニバイトを始めて一週間が経とうとしている。

 週三日シフト、四時間勤務。ゲーム機を買うための目標金額は、随分とあっさりと賄えそうだ。

 ただ、どうせだしバイトをすぐに辞めるつもりはない。なんだかんだ、ブラック会社に勤めた経験が活きている。こうして仕事をしている時間は、前までの生活と違って、生産性がある。


 そんなやる気に満ちた僕と違って、今日の岡野さんは少し暗い。というか、疲労がたまっているように見えた。


「どしたの、岡野さん」


 頭を抱える彼女は、明らかに様子がおかしかった。商品を陳列する手も時々止めていた。


「アハハ、先輩なのにサボっててごめん」


「サボっているわけじゃないだろう。具合悪いの?」


 気遣うように声をかけると、岡野さんは体を重そうにして立ち上がった。尚も頭を抱えていた。


「うーん。何か貧血気味?」


「早退する?」


「うーん。でもバイト代減っちゃうし」


 無理をしてまでお金を稼がなければならない彼女の状態に涙を禁じえない。


「なら、時間まで裏で休んでいなよ」


「え、でも」


「大丈夫。この時間店長はいないし、お客だってそんなに来ない。一人で回せる」


 岡野さんはこちらに悪いと言いたげな顔をしていた。


「いいよ、倒れられたりする方が困るだろう? 日頃、仕事の仕方を教えてもらっているお礼さ。ほら、休んできな」


「ありがとう」


 ここまで言って、岡野さんはようやく僕の言葉に従った。まったく、やる気、根気が伴っているというのも困り者である。まあ、義務感からブラック会社に勤め続けた僕が言えたことではないのだが。


「何かあったら呼んでね」


「うん」


 そして、僕は一人で仕事を続けた。たまに客が来ればレジを通し、たまに商品を陳列して、少し欠伸をしたりして、二時間くらい時間が流れた。


 今日のお勤めも、一時間も残っていない。時刻は九時過ぎ。外はもう真っ暗で、先ほどまでたくさんいた帰宅ラッシュのサラリーマンの姿はだいぶ減った。

 僕はといえば、飲み物が減ったことを確認して、裏手に回っていた。ダンボールを開封しながら、少し冷えたドリンクコーナーの棚に飲み物を滑らせていく。裏手で店員が飲み物を補充している時に、丁度ドリンクコーナーの扉を開けると、ビクっとするよね。まだ何も知らない小さな頃は、幽霊のいたずらかと思ったものだ。


 そんな他愛事を考えながら、一人薄暗い部屋でほくそ笑んでいると、来店を告げるベルが響いた。

 いらっしゃいませ、とは言わなかった。ドリンクコーナーの裏手から突然声がすれば、相手も驚くだろう。それに、今入店したばかりの客ならば、すぐにレジに向かうこともあるまい。


 飲み物の補充を終えると、僕は表に戻った。


 惣菜コーナーの横手から出たが、こちらに客の姿はなかった。恐らく、お菓子コーナーでつまみの物色か、雑誌コーナーで立ち読みでもしているのだろう。


 僕は入り口近くのレジに入った。ここからなら、客の姿も見えるだろう。


「……あ」


「あ」


 丁度その時だった。鈴木高広君の幼馴染、明智博美が、鞄にお菓子を入れようとしていたのは。

 こちらに気付いた途端、彼女は心底焦ったように視線を泳がせ、俯いた。


 僕はといえば、ため息を吐きながら、レジを出た。


「何してるの」


 彼女は、鞄の半分に駄菓子を詰める姿勢のまま、動けなくなっていた。僕の問いかけにも返事はない。


「よくやるの?」


 僕への問いに、彼女は涙ながらに首を横に振った。どうやら、初犯らしい。

 僕は再びため息を吐いた。彼女は、体をビクリと揺らした。


「あ、あのね、ヒロちゃん」


 彼女は懇願するような眼差しでこちらを見た。ただ僕は話も聞かずに、彼女の手首を力強く握り締めた。


「ヒロちゃん……」


 諦めたように、博美さんは呟いた。僕は彼女の言葉も聞かず、ずんずんと歩いた。

 

「置いて」


 レジの前に彼女を立たすと、呆然とする彼女に、僕はそう指示をした。

 彼女は初め微動だにしなかったが、しばらくして商品を机に置いた。


「お金がなかったの?」


 レジに入りながら、僕は彼女に聞いた。

 彼女は、再び何も言う事をせず、ただ首を横に振った。

 まあ、この駄菓子たかだか十円だし、そんな金も持っていない学生がいるとは到底思えない。


「なら、魔でも差した?」


 彼女は俯いて、頷くことも首を横に振ることもしなかった。沈黙は何とやら。どうやらそれが理由らしい。


「もっと良く考えて行動しなよ」


 バーコードを読ますと、レジからピッと電子音が響いた。


「この駄菓子の値段はたった十円だろう。ここのバイトの時給が八百円。こんなもの、たったの一分の対価にも満たない物なんだぞ。君は自分の一生を、その程度の物で捨てようしていたんだぞ」


「ごめんなさい」


 遂に涙を流した博美さんを横目に、僕はズボンの後ろポケットに入れていた小銭入れを取り出し、レジに十円玉を投げ入れた。


「もうすぐ、今日のバイト終わりなんだ」


「え?」


「僕のバイトが終わるまで、それまでこのコンビニで待っててくれる?」


 博美さんは無言になった。僕の意図を図りかねているように見えた。


「一緒に帰ろう。で、何でこんなことをしたのか教えてくれ」


 レジを閉めて、僕は続けた。


「今入れた十円が、君からその話を聞く対価だ」

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