狂信者

 翌日、辟易な気持ちで登校すると、今日から勉強会のパートナーとなる両少女は、既に教室で談笑をしていた。


「あ、鈴木君」


 まるで宴でもしているかのようなハイテンションで、安藤さんは見かけた僕に声をかけた。


「ありがとう。おかげでうまくいったよ!」


「ああ、役に立ったなら良かったよ」


 僕の気も知らず、安藤さんは嬉しそうに感嘆の声をあげていた。


「おはよう、鈴木君」


「白石さん、おはよう」


「ええ、今日も清清しい朝ね。あなたもそう思うでしょう?」


「白々しい」


 そう言うと、白石さんはこれまで見せたことがないような笑顔で僕を迎えた。こんな時にそんな笑顔、見たくなかった。


「ねえ、やっぱり僕は不参加に出来ないかな?」


「ええ、駄目だよ。お父さんもお母さんも凄い楽しみにしてたのに」


「そ、そう。楽しみにしているんだ」


 きっと、娘に寄り付く悪い虫を、煮るなり焼くなり出来ることが楽しみなのだろう。クレイジーな親である。


「でもさあ。さすがに女の子の家に上がるのは……」


「駄目よ、鈴木君。せっかく安藤さんが、あたしと、あなたと勉強していいよってご両親と約束を取り付けてくれたのよ? その気持ち、無下に出来るの?」


 白石さん、絶好調だな。


「わかったよ。骨は拾ってくれよ?」


「勿論。あたしがお墓に入るまで、ずっと傍にいてあげるわ」


「うわあ、白石さん情熱的だね」


 自分の言ったことを理解して、白石さんは頬を染めた。


「ち、違うからね」


 何自爆しているんだか。白石さん、こう見えて結構抜けているよな。


「違うからね! 本当、違うから!」


 必死に弁明する白石さんに、僕は苦笑を見せた。こういう時、何て言ってあげていいかわからない。


********************************************************************************


 放課後、僕達は安藤さんの家に向かった。ここまでくると、先ほどまでの辟易とした感情も、僕の中から消え去っていた。あるのは、ヤケクソ。それだけだ。


「はい、ここが我が家です」


 安藤さんの家は、高校から電車で二駅乗り継ぎ、そこから北に一キロくらい歩いた先にあった。この辺、結構な新興住宅街みたいだ。綺麗に整った並木道を抜けると、築たった数年だろう一軒屋が所狭しと並んでいる。道路も舗装されたばかりみたいだ。


「いい所住んでいるんだね」


 安藤さんの家は、その住宅街の真ん中らへんに位置していた。二階建ての一軒屋だった。

 ふと、元の僕の体なら、このくらいの立地、家に住むのにどれくらい貯蓄が必要だったかと考えた。


「財形貯蓄組んでも二十年位かかったろうか」


「突然、何ブツブツ言っているのかしら」


 二十年。その時には四十五歳かあ。だとしたら、一軒家を建てようなんてもう考えなくなっているだろうなあ。

 

「ちょっと、本当にどうしたの?」


 白石さんは不安そうに僕の顔を覗き見た。


「え、何が?」


「だって、急に上の空になるんだもん。そんなに緊張しているのかなって」


「ああ、違う違う。緊張なんて、もうしてないよ。今はヤケクソだよ」


「さっきまではしてたんだ」


 白石さんは呆れたようにため息を吐いた。

 そら、緊張するだろう。事実上の最後通告だぞ?


「さ、入ろうか」


「そうだね。そうしよう」


 悪いことはさっさと終わらせよう。清清しいまでのヤケクソで、僕は間髪いれずに答えた。そんな僕に、白石さんは哀れみの目を向けていた。


「ただいまー」


「お邪魔します」


「お邪魔しま……す」


「きゃー、帰ってきたー!」


 僕が挨拶をするより先に、家の奥から悲鳴が轟いた。

 何事かと、僕と白石さんは目を丸くしていたと思う。安藤さんはといえば、少々恥ずかしそうに乾いた笑みを浮かべていた。


「きゃー、本物の鈴木君よ。鈴木君! SNSにあげなきゃ!」


「あのね、お母さんとお父さん、あたしと同じように野球が好きでね。というか、あたしの方は両親の遺伝というか」


 おお、そういうことか。最後まで聞かずして、僕は全てを察した。

 安藤さんの親らしき女性の興奮ぶり。これはまだこの体に取り憑きたてホヤホヤの頃。学校でもよく目にした態度であった。


「で、あたしはまだプロ野球好きで健全なんだけど、両親はちょっと捻じ曲がっててさ。高校球児ファンなの」


「高校球児?」


「つまりあれだろう。甲子園好き」


 スマホのカメラのフラッシュが眩しい。


「ウチの親はそれより熱心な方々と言うか。地方の有望な選手を見るために、わざわざ地方大会に観戦に行ったりするくらいでさ」


「きゃー!」


「そんな親が、すぐ近所の有望な中学生を応援していないはずがなくってね? しかも鈴木君、テレビに出るような有名人だったし」 


「皆まで言わずとも、理解しました」


 困惑気味に白石さんを覗くと、彼女はまるで珍妙な生物を見るように、安藤さんの母親を見ていた。


「鈴木君、握手! 握手!」


「はあ」


 左手を差し出すと、両手で掴まれてブンブンと振り回された。


「もうっ。本当にいい選手だったのに! 肩の怪我、辛かったわよね。でも、こうして会えて本当に嬉しいわ。何かサポート出来ることがあったらどんどん言って! 何なら茜だってあげちゃう!」


「ちょ、お母さん!」


 珍しく、安藤さんが頬を染めて反論していた。

 というか、安藤母よ。これじゃ、イケメンアイドルの熱心なファンと何も変わらんぞ。まあ、狂信的なファンはきっとこんな感じでジャンル問わず似通ってくるのだろうな。ただ、そこまで一つのことに熱くなれるバイタリティは正直尊敬すら覚える。


「もう、行こう。二人とも」


「うわわっ」


 安藤さんに安藤母の手を無理矢理振りほどかれると、未だ放心気味の白石さんと二人して、無理矢理玄関前の階段を上がらされた。多分、二階に彼女の部屋があるのだろう。


「後で色紙持って行くからサイン頂戴ね!」


 サインなんて書けないぞ。だって僕、当の本人じゃないし。そう考えると、鈴木君。試合の度にこういう熱心なファンに追われていたのかな。まだ中学生だったというのに、大変だったんだな。しみじみと思ってしまう。

 多分、安藤母って、取り憑いてまもない僕より、鈴木君のこと詳しいんだろうな。そう考えると、若干引いちゃうね。仕方ないね。


「ふう」


 部屋に入ると、安藤さんが大層疲れたようにため息を吐いた。


「あ、好きに座ってね。ちょっと飲み物もらって来るよ」


 安藤さんは、そう言って部屋を出て行った。


「白石さん、そこ座りなよ」


 促したのは、クッションの上だった。

 僕は地べたに腰を下ろした。


「強烈な親だったわね」


「同意します」


 まあ、最後通告でなくて良かったと思う気持ちが半分。これから数日間、毎日ここに通うことになるのか、という不安が半分だ。


「……ねえ、もしかしてなんだけど」


「ん?」


「今回、安藤さんのご両親が、私達との勉強会を認めてくれたのって、あなたが有名だったおかげなんじゃない?」


「アハハ」


 ありそう。

 もしかして、あの作戦会議って意味を成さなかったのかな。

 そう考えると、あれだけ得意げに熱弁したことがとても恥ずかしいことに思えてくる。まあでも、こうして当初の目的は完遂したわけだし。

 今回は良しとしよう。


「茜、鈴木君食べ盛りなんだから、これも持って行きなさい」


「お母さん、恥ずかしいからもう止めてよー」


 下の階から、安藤さんの泣き言が聞こえた。


********************************************************************************


 おまけ・安藤茜視点

 

 直談判当日は、お母さんもお父さんもあまり機嫌が良くなかった。前夜の横浜の左のエースの不調からの被ノーヒットノーラン。直談判当日はといえば、ここまでリーグ防御率トップだったピッチャーが今シーズン初の六失点。打線は粘るも、序盤の失点が大きく、結果三位のチームに連敗と相成ってしまった。迫りかけた首位のチームも連敗したため、ゲーム差に変動はないのだが。首位チームが連敗し、かつあの二人だからこそ、このカードを勝ち越しで終えたかったというのが正直なところ。

 首の皮一枚繋がったものの、大勢を見れば結果悔しさばかりが押し寄せる。それはあたしも同じである。でも、その日ばかりは勘弁してほしかった。終わってしまったものは仕方ないのだが。


 あたしの横浜贔屓は、両親のDNAから受け継いだものだ。都心に住む癖に、横浜スタジアムで偶然出会い、愛を育んだ二人の愛娘が、水道橋の某球団ファンになる可能性などびた一文もなかったのである。


 ただ、彼らとあたしとの間では決定的な違いがある。

 それは、プロ野球チームしか興味のないあたしと違い、両親は高校野球までその食指を伸ばしている、というところだ。何でも、あたしが生まれたその日から、子供がひたむきに、一つの目標に向かって戦う姿に二人揃って胸を打たれたらしい。


 さて、ここで話を戻そう。今回の白石さん達と勉強をしよう作戦。あの二人には内緒にしていたが、あたしには一つ、絶対にこの作戦に勝利することが出来る最強のピースがあった。


 それは、鈴木高広君。彼の存在に他ならない。

 

 当の本人には絶対に言えないが、両親は鈴木君の大ファンである。あたしと同級生の天才ピッチャー。かつ、家も近いと来たら、そんなのメロメロにならない方がおかしいと彼らは狂ったように教えてくれた。正直、引いた。


 でも、今はそれがあたしの最強の武器である。

 あたしの勉強のことになると何かと厳しい両親だが、恐らく鈴木君の名前を一つ出せば一瞬でこの談判は終わる。勿論、あたしの勝利で。


 ただし、あたしは今回彼の名前を出す気は更々ない。


 だって、よく考えてみて欲しい。友達の両親が自分の狂信的なファン。普通、身の危険を覚える。

 故に、あたしは今回鈴木君の名前を出さない。出さないで、両親を納得させてみせる。


 鈴木高広君と末永く友達でいるために。

 これはあたしに与えられた至上命題なのだ。


 そしてあたしは、その勝負に無事勝利をした。勝因はやはり、鈴木君や白石さんと事前に作戦を練ったことだった。特に鈴木君の考えは的中する場面が多かった。


 お母さんの口から、


「あなたがそんなに自信満々なら大丈夫ってことなんでしょうけど」


 とか、


「まあ、難しい問題の対処を間違えたら今後にも影響するものねえ」


 とか聞いた時には、彼の交渉術の高さに本当に驚かされた。彼の思惑通り、無事両親と中間テストまでの勉強会の開催を了承された時には、心の底から感謝をした。

 

 ただ一つ。あたしはミスを犯した。

 それは、長時間に渡る両親との交渉に勝利し、身を休めるためにお風呂に入って、あがってひと段落しながら二人に勝利宣言をしている時だった。


「こら、茜。スマホばかりいじってないで勉強しなさい」


「うん。メッセージ送ったらすぐやるよ」


 交渉の緊張から解き放たれ、お風呂で身を休め、この時のあたしは正直気が緩んでいた。


『本当、下衆な男』


 それは、メッセージの流れが鈴木君をいじるという面白い方向に移っていったことも相まってのことだった。


『うん。あ、ただ条件がついたよ』


 当初、この条件というものは、勉強の進捗具合を必ず毎晩報告する、というものだった。

 それをいざ噛み砕いて伝えようとしたところ、


「こら茜、いい加減勉強しなさい」


「本当、友達と勉強出来るのが嬉しいのはわかるけど、物には節度ってものがあるだろう」


 と、両親に怒られた。


「ごめんごめん。鈴木君と白石さんに、勉強会一緒に出来る事になったよって教えているだけだから、ちょっと待ってて」


 あたしは口走ってすぐに、


「あっ!」


 自分の犯したミスに気がついた。


「今なんて? 鈴木君ってもしかして、あの鈴木君!?」


「おいおい、茜。それは本当かい?」


 鈴木君の名前を聞いた瞬間、両親の目の色が変わったことには気がついていた。その後すぐに、両親は揃ってあたしを説得した。彼らを家に招いて勉強会をしなさいと。


 あたしは、それに従った。

 鈴木君への対応への不安もあったが、


『物には節度ってものがあるだろう』


 そういう父の言葉を信じた。両親だって節度ある態度で鈴木君と接してくれるだろう、と。だって両親は、あたしよりずっとこの世界で酸いも甘いも味わって生きてきた"大人"なのだから。

 ただ今は、その甘い考えを酷く後悔している。


 ダブルスタンダード。


 翌日、酷く疲れた顔をした鈴木君に教えてもらった言葉だ。

 あたしは、また一つ賢くなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る