二十五歳のお願い

 翌日、僕と安藤さんは前日計画していた内容を進めるべく、まずは白石さんの了承を取り付けることに取り掛かった。といっても、白石さんの件で安藤さんが行動することは何もない。彼女の勧誘は、僕の一存に委ねられた。


「であるからしてー」


 白石さんは、昼休み未だに屋上に通っているようだ。いつも決まって、昼休みには教室から姿を消していた。これだけ通い詰めて、よく他の生徒や先生にばれないもんだと思いつつ、居場所がわかっているのは探す手間も省けて気楽だなとか、僕は呑気に考えていた。


 授業の終わりを告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。クラスの生徒達は、しばしの昼休みを大層嬉しそうに喜んだ。


 僕も、少しだけ遅れて座席を立った。後ろを見れば、もう白石さんはいなかった。


「早い」


「鈴木君」


 白石さんの行動の早さに感服していると、安藤さんが不安そうに話しかけてきた。


「大丈夫?」


「安心してよ。なんだかんだ、仲が悪いわけじゃないし」


「ならいいけど」


「うん。ちょっと行ってくるよ」


 そう言って手を振りながら、僕は教室を後にした。よく考えると、こうして雨の降っていない日にあの階段に向かうのは、いつか彼女に呼ばれたあの日以来だ。あれだって自発的ではなく、呼ばれたから行っただけだし。こうして自発的に晴れの日に彼女に会いに行くのは、初めてではなかろうか?


「なんか、緊張してきた」


 特別な行いをするわけでもないのに、何だか心臓が高鳴っていく。年甲斐もなく、こんなことに照れるだなんて、情けない限りだ。

 僕は学食で惣菜パンを二つ購入して、彼女のいるいつもの場所へ向かった。


「あれ、白石さん」


 階段を登っていって、僕は声を上げた。いつもなら屋上にいるはずの白石さんが、今日は何でか封鎖された扉の前で腰を下ろして昼ごはんを食していたらからだ。

 白石さんは、突然の僕の出現に、ごはんを喉に詰まらせてしまった。


「だ、大丈夫?」


「だ、大丈夫だから」


 背中を擦ろうとすると、手で制された。


「今日はどうしたの。いつもなら屋上に行っているのに」


 白石さんが落ち着いたのを確認すると、僕は尋ねた。

 白石さんは、少しだけ恨むような目で睨んできた。


「また誰かを怪我させるのも嫌だから、止めたのよ」


 頬を染め、ジトリと睨みながら白石さんは言った。


「ああ、それはまあ、自分の怪我を未然に防ぐためにもそうするべきだと思うけど」


 煮え切らない言葉を投げかけると、白石さんは一層不機嫌そうな顔をした。


「そっちこそ、いつもは雨の日にしか来ないじゃない」


「ああ、それは白石さんに話したいことがあったから」


「えっ……。えぇ?」


 単刀直入に伝えると、白石さんはわかりやすく取り乱した。顔はさっきよりも赤い。まるで茹蛸のようだ。


「ああいや、そういうわけではなくね」


 また要らぬ誤解をさせてしまったようだ。前置きをして、僕は続けた。


「えぇと、そろそろ中間テストが近いだろう?」


「うん。そうだね」


 中間テストという言葉を出したら、白石さんの顔が変わった。いぶかしむように、こちらを見ていた。


「白石さん、前回の実力テスト好成績だったんでしょ?」


「当たり前じゃない」


 そこでそう言い切れる彼女に感服してしまう。そういえば、いつだかあんなテスト百点以外取るわけないって豪語してたっけ。


「そんな君に、折り入ってお願いがあるんだ」


「何よ」


 未だいぶかしそうに眉をしかめる白石さんに、僕は頭を深々と下げた。


「お願いします。僕に勉強を教えてください」


 白石さんは、一瞬呆気に取られたようだったが、すぐにフフンと自慢げに微笑んだ。


「そういえば、あなた前回テスト散々だったんだものね」


「はい。そうです」


 今更ながら、二十五歳にもなって十五歳に勉強の教えを乞うのって、とても情けないのでは? まあ、安藤さんの不安解消の意味もこめているので仕方ないのだが。


「うん。ほら、安藤さんっていただろう? 二人して、次のテストが不安でさ。そこで、成績上位者の君に協力をして欲しいんだ」


「ちょっと待って」


「ん? 何か?」


 素直にすべてを打ち明けたのだが、白石さんはどこか不服だったようだ。顔を上げると、呆気に取られたように目を丸くしていた。


「……」


「どうかした?」


「あ、あなただけじゃなかったの?」


「うん。そうだけど」


 そう言うと、しばらくして白石さんの頬が赤く染まっていく。そして、不機嫌そうに下唇をかみ締めていた。僕を睨む視線も痛い。


「白石さん?」


「安藤さんって、この前の試験別に悪い点じゃなかったでしょう?」


「親が納得しなかったんだって。だから、中間テストでは五教科九十点以上が目標みたい」


「へえ、あなたと違って随分と殊勝な心がけね」


 余計なお世話である。

 それにしても、何だか言葉がやけに刺々しく感じて仕方がない。もしかして、怒っているのか?


「あの、もしかして怒っていらっしゃいますか?」


「別にっ!」


 そう言ってそっぽを向いてしまった。明らかに怒っている。何故だ。


「いいわよ。一緒にやりましょうっ!」


 怒らせてしまったようだが、ひとまず約束は取り付けられた。ホッと胸をなでおろした。


「私の指導はスパルタだからね。特に前回成績が悪かった人はビシバシしごいてあげるんだから。感謝してよねっ!」


「あ、はい」


 それってつまり、僕を徹底的にしごいてやるって意味だよな。うわあ、怖い。

 まあ何はともあれ、これで安藤さんに吉報を持ち帰れる。そのことにひとまず安堵した。


「ふん。何よ。全然期待なんてしてなかったんだから。本当にもう。このスケコマシ」


 ただ、白石さんの執拗な言葉攻めは昼休み中続いた。二十五歳のなけなしのプライドは、ゴリゴリと削られていった。

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