人生相談
昼休み。
僕は安藤さんと共に食堂に訪れていた。僕はカレー。彼女は持参していたお弁当を広げ、向かい合って食事を取っていた。
「鈴木君は、よくこの食堂使うの?」
「いや、今日が初めてだよ。おかげで買うのに手間取った」
「へえ、じゃあいつもは何を食べているの?」
「惣菜パン買ってきてるんだ」
えー、と安藤さんが嘆く。
「そんなんじゃ栄養偏るよ」
どうやら僕の身を案じてくれているらしい。
「まあ、それはいいじゃない。それよりも、ずっと気になっていたんだけど」
と僕は前フリをして、彼女のスマホに付いているストラップを指差した。ストラップは、青色のストライプのユニフォームの形をしていた。
「それって、横浜の?」
「ああ、そうだよ」
「へえ、横浜ファンなんだ。僕も一緒だよ」
「え、鈴木君そうだったの?」
安藤さんが目を丸くして答えた。
僕は、身近に同じチームを贔屓にしていることが嬉しくて、景気よく何度も頷いた。
「へえ、好きな選手は誰なの?」
「今年はタイラーを推してるよ。いやあ、あいつはヤバい」
「あ、いつでも全力プレイだし、見ていて気持ちいいよね」
「ちょっと怪我がちなのがたまに傷だけどね」
おお、話が通じている。少女が野球好き、それも横浜ファンなんて、それだけで結構珍しいのに、その上結構な通だとは。
「いやあ、若い頃からずっと応援してきたけど、最近は強くなってきたから観ていて本当楽しくてね」
「若い頃って、今も充分若いじゃない」
やべ。
何かの洒落と思ってくれたのか、安藤さんは笑っていた。危なかった。危うく実年齢がばれるところだった。自分の趣味が語れる相手がいるからって、年甲斐もなく興奮してしまった。
「でも、残念だなー。もし鈴木君が怪我してなかったら、いつか横浜のエースになってくれたかもしれないのに」
「え」
「あ、ごめん」
「ああ、いいよ」
失言を、安藤さんは謝った。まあ、僕は鈴木君本人でないしそんなに気にしてはいない。
ただ、彼女は結構気にしているみたいだ。しおらしくなってしまった。
「本当、気にしなくていいよ」
「でも……」
意外と本当に嫌がりそうなことに触れるのは悪いと思っているようだ。心底凹んでしまった。
「じゃあ、今度同じチームを贔屓にしているよしみで一緒に野球観戦に行こうよ」
「え?」
このままじゃ埒が明かないと思った僕は、適当な折衷案を提示した。
「そんなことでいいの?」
「いいよ」
「うん。わかった」
微笑んで、安藤さんは快諾してくれた。僕も顔には出さないが、少しだけ安堵を覚えた。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
僕は仕切り直すようにそう言った。
「本題?」
「そ、最近気になってたんだよ。君、ずっと元気がないだろう」
「うっ」
核心を付かれ、安藤さんは苦々しい顔をした。
「それで、隣の席に座っているよしみで何か相談に乗れないかと思ってさ」
「えー、そんな、悪いよ」
悪い、か。
まあ確かに。隣の席に座っていると言うだけで、突然相談に乗ろうと思って、とは、中々なお節介行為だったかも。
僕自身、今更ながら随分珍しく自発的に行動をしている気がした。いつもなら、頼まれるまでは絶対に後ろで黙っているのに。
「何だかほっとけないんだよね、君のこと」
「うえっ!?」
安藤さんが頬を染めた。
何だか彼女の態度が、元サラリーマン時代に僕に初めて出来た後輩の態度に重なって見えてしまっただけなのだ。あの時も仕事上の間柄とはいえ、結構たくさんお節介を焼いた。多分、先輩風を吹かせたかったのだと思う。
だから、その後輩に似ている彼女にお節介を焼いてしまったのだ。それ以外の他意はなかった。でも確かに、誤解を招くような言い方だった。
「ああいや……なんというか、君、他人に愚痴を話さずにストレス溜め込むタイプだろう?」
「そうかな?」
「間違いないよ。だからさっきのそれだけで他意はないんだ」
こっちも恥ずかしくなってきて、断言した。
「もしかしたら、人に話してみたらあっさり解決するような問題かもしれないだろう? だから、相談してみたらどうかな」
安藤さんは、まだ頬を染めたまま、俯きながら物思いに耽っていた。
「じゃあ、相談してみようかな」
しばらくして、彼女は不承不承といった感じに応じてくれた。本当、助かる。このまま無下にされたら、僕の独り相撲になるところだった。二十五歳が高校生相手に独り相撲、中々に痛い。
「じゃあ、話すね」
そう前置きして、彼女は最近自身が抱える問題を口に出した。
まあ、おおよその見当はついていた。授業中の態度を見るに、恐らく勉強絡みのことだ。
そして、僕の見当は当たっていた。
「とすると、安藤さんの最近の悩みは、テストの結果が伸び悩んでいることってことだよね」
要約して伝えると、安藤さんは黙って頷いた。
「うちの親、基本的に九十点以上取らないと勉強が足りない、なまけるな、て怒るんだー。でも、進学していく度に問題もどんどん難しくなっていくじゃない? でも怒る水準はずっと一定だから、ついにお母さんの要求に対処しきれなくなってきちゃってて」
「八十五点もそんなに悪い点じゃないと思うんだけどねえ」
率直な意見を口にすると、
「あたしもそう思うー」
と苦々しく言って、机にうつ伏せになってしまった。
「でも、お母さんの言っていることも理解出来るんだー。良い大学に行くには、それだけ勉強も頑張らないといけないわけだし」
結構、将来のことをきっちりと考えているらしい。彼女を見ていると、十年前の自分がいかに何も考えず高校生をしていたか目の当たりにされてしまう。少しだけ恥ずかしい気分だった。
ネガティブな思考に支配されそうになるが、僕は気を引き締めなおした。こちら側から相談に乗るとか言っておいて、成果なしじゃ目も当てられない。
「つまり、安藤さんとしては、何とか成績を上げられるようにしたいと言うわけだね」
「うん。でも今のやり方じゃ駄目な気がするんだ」
「へえ、それは何故?」
お、何か心当たりがあるのか。なら話は早い。
「うーん。なんとなくだけど。どうして?」
あらま。確信はないのか。まあ、いいや。
「君、ビジネス本とか読むかい?」
気を取り直して、僕は尋ねた。
「ううん。読まないよ?」
「なら、覚えておくといいよ。ま、僕も受け売りなんだけどね」
得意げに、僕は続けた。
「仕事が成功するかどうかって、準備で八割が決まるんだよ。準備の段取りがうまくいくほど、起こったアクションに対してのフォローがうまく進むんだ」
「へえ、そうなんだ」
「そ。で、それってつまり、勉強も同じことなんだよ」
安藤さんは顔を上げて、小首を傾げた。
「だってそうでしょ。前日に試験範囲をガーっと脳内に詰め込むやり方と、一月前から計画的に勉強するの、どっちの方が点数が良くなると思う?」
うーん、と安藤さんは唸った。
「まあ、点数が良くなるのは時の運もあるから難しいか。言い方を変えよう。無計画に前日ガーッと詰め込むやり方と、一月前から計画的に勉強するやり方、どっちの方が要領がいいと思う?」
「そりゃまあ、後者」
安藤さんはそう言って、頬杖を付いた。
「まあ、そう言われれば確かに後者のほうが点数高くなるのって当然な気もするね。要領良い方がその分的確に詰め込めるんでしょうし」
「でしょう? 要領が良いやり方の方が、点数は高くなる。だから、まず安藤さんがすべきことは、キチンと計画することだよ」
「計画すること、か」
安藤さんは言葉を反芻して、しばらくしてまた唸った。
「何を計画すればいいんだろう」
渋面を作って、彼女は悩んだ。
「まずは、自分がどうして点数が伸び悩んでいるかを明確にすることだと思うよ。それがわかれば、テストまでにどういう対策を取って、どう進めればいいかわかるだろう?」
「なるほど」
「で、具体的にどういう理由で点数が伸び悩んでいるか、見当は付いているの?」
彼女が僕の話に納得したのも束の間、僕は具体的な話を持ちかけた。
彼女は、再び唸った。眉間に皺が寄っていた。
「あたし、基本的に夜に勉強をするんだけど、何だか集中が続かないんだよね」
「何故?」
「何でだろう。モチベーションなのかなあ。それで結局、作業用BGM流しながら勉強するんだけど、いつの間にかBGMに気を取られてたりするんだよねー」
そこまで聞いて、
「なら、スマホを親に預けるとか?」
と僕は提案した。
「えー、それだけは無理」
安藤さんは僕の提案に強い難色を示した。まあ、現代っ子からスマホを取り上げるのは中々に酷だろう。彼、彼女らにとって、スマホはライフラインみたいなものだし。
「じゃあ、どうするか」
彼女に倣い、僕も唸った。
すると、
「ねえ、一つ思いついたことがあるの」
「へえ、何?」
「えっとね。勉強の時、あたしのモチベーションが下がる理由って、多分わかんない問題に直面した時が多いと思うんだ」
「ああ、なるほど」
確かに、難しいことに直面すると人はやる気を失うよね。僕も何度も経験がある。難しい仕事とか、それだけで会社辞めたくなっていたもの。
「だから、あたしがわからない問題があった時、教えてくれる人がいればモチベーションもあがると思うの」
「へえ、なら親に隣で見ていてもらうとか?」
まあ、親ならきっとわかるのではと思って言ったのだが、安藤さんは再び渋面を作っていた。
「お父さんやお母さんは……ちょっと」
「ああ、そう」
まあ思春期だしね。親を煙たがってもしょうがないだろう。
「なら、家庭教師とか、塾とか?」
「うーん。経済的に苦しいかな」
「そっか」
うーん。
遂には、二人して唸った。
「あ、そうだ」
その時、安藤さんが何か思いついたらしい。
「そうだ。そうだよ。一人いたよ」
妙案が思いついたように喜んだのも束の間、安藤さんは僕に向かって両手を合わせていた。
「お願いがあります」
「はい?」
まさか、僕に勉強を見てとでも言うのか?
それは無理だぞー。点数負けたんだぞ、僕。
「鈴木君、彼女さんに協力してもらえないか聞いてくれない?」
「彼女?」
え、彼女?
鈴木君、彼女なんていたのか? 初耳である。やばい。おおよそ一ヶ月くらい、その彼女さんに連絡を取っていないぞ。大丈夫なのか?
「え?」
僕が不安がっていると、安藤さんは目を丸くしていた。
「鈴木君、白石さんと付き合っているんじゃないの?」
「ああ、そういう」
そうだった。
彼女、僕が白石さんと付き合っていると思っているのだった。聞き慣れないワードに、ついつい混乱してしまったようだ。
「付き合ってないよ。全然」
普通に考えて、付き合えるはずがないだろう。
こっち二十五歳で、向こう十五歳だぞ? れっきとした犯罪だ。
「ああ、そうだったんだ。ごめんね」
彼女は、あまり悪びれた様子はなく、頭を掻いた。
「まあ、聞いてみるのはいいけど」
「本当!?」
「うん。その代わり、彼女と勉強会を開けた暁には、僕もそこに混ぜてほしいなーなんて」
自分より成績上位者二人に混じって勉強出来るなんて、そんなチャンス逃すのは惜しい。
「勿論。というか、鈴木君がいないとちょっと怖いかなーなんて」
うおお。白石さん、そんな風に思われていたのか。ちょっと意外……いやまあ、意外でもない気もしてきた。
「よし、じゃあ任せてくれ」
「うん。……うーん」
ようやく方針が固まったのだが、安藤さんがまた唸りだした。
「今度はどしたの」
「いや、これで本当に大丈夫なのかなーと心配になってきて」
「駄目だったら、次に向けて何が駄目だったかを考える。そして、フィードバックする。これも仕事の基本だよ」
不安げな彼女に、僕は続けた。
「一回失敗したって、何も殺されるわけじゃないんだ。次に向けての糧にすればいい」
白石さんにも似たようなことを言ったが、これは僕の金言である。
いや本当、命を伴う仕事なんてありはしない。怒られるだけで済むなら、楽なものじゃないか。
「殺されはしないけどさー」
ただ、どうやら安藤さんは怒られるのが嫌らしい。含みのある言い方から、僕はそれを察した。
「また九十点以下で、親に怒られたらどうしようってことだね」
安藤さんは黙って頷いた。
「まあ、怒られたくないなら、親に了承してもらった上でやるしかないよ」
「というと?」
「親に、友達に勉強を教えてもらいながら進めたいって話して、そのやり方を認めてもらうんだ。親も一度認めたら、その方法で点数が悪くても反論できないだろう?」
これは、仕事における上司への相談にあたる。
下っ端が単独で仕事を進め失敗すると、上司は自責でないが故、こっぴどく下っ端を叱る。ただし、事前に一言了承を取っておけば、それはもう上司も自責になるから、失敗しても叱ることは出来なくなるって寸法だ。
僕は今安藤さんに、家庭内の上司である親にそれをするように伝えていた。
「うーん。認めてもらえるかな」
まあ、当然の疑問である。
「認めてもらうために、準備も少ししようか。何も難しく考える必要はないよ。結局話すことって、どうしてそれをしようと思ったのか、それは本当に効果があるのか、てことだけだからね。そのストーリーに向けてちょっとばかし着色が必要だけど。まずは、白石さんの協力を取り付けなきゃね。これは僕が責任持ってどうにかしよう」
「……そう言われると、何だか簡単な気がしてきた」
「まあ、後一つ説明の時のアドバイスをするとしたら」
僕は微笑んだ。
「得意げに、自信満々に、はっきりと話すってことかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます