後日談
「……ここは」
知っている天井だ。
「起きた?」
「あ」
目の前にいたのは、鈴木高広君の母親だった。
「うん。おはよう」
「まったく、心配かけさせないで」
「心配?」
「あなた、小学校で三十九度五分の熱出して倒れたの」
「あらま」
「あらまじゃないの」
「あいた」
コツン、と軽めに頭を殴られた。実際の母親ではないが、彼女は本当に出来た母親だと思う。
この家庭には父親がいない。彼女が一人で生計を切り盛りしているみたいだ。
正直、どうして父親がいないのかはいずれ知りたいことである。知る術は思いつかない。元サラリーマンである僕にとっては、父親の不在の理由は不明だが、鈴木高広君にとっては、父親のいない理由は常識だから。突然、どうして父親がいないのなんて言い出したら、最悪泣かれるのではないだろうか。
「さっきまで女の子がお見舞いに来てたわよ」
「ああ、博美?」
博美とは、いつか一緒に登校した一年二組の女子だ。聞くところによると、鈴木君と彼女は幼馴染らしい。
「違う。美人な子」
「それじゃわかんないなあ」
「そう。なんかPTA総会の件でお礼がしたいって言ってたけど」
「ああ、じゃあ白石さんだ」
布団から体を起こして、僕は言った。
「まったく、いつの間にか女の子誑かしちゃって。マセガキ」
失礼な。
「誑かしてなんかない。一緒に仕事をしただけさ」
「仕事、ねえ」
「え、何その反応?」
「何でも」
立ち上がって、母はキッチンへ向かった。
「女の子、泣かせたら駄目だからね」
「はあ」
曖昧な返事しかすることは出来なかった。正直に言って、この体に取り憑いて以降、一番気を使って話しているのは彼女だ。鈴木高広君がどんな態度をしていたかは知らないが、あまり齟齬があると別人ということがバレる気がしてならない。
まあそういっても、かの鈴木高広君と会ったことがないのだから、それも比べようがないのだが。
そう考えると、横断歩道の一件然り、高校生の範疇を超えた対応をしすぎたのでは、という気さえしてくる。というか、多分してた。
もしかして、今更そんなことを気にするのって、野暮?
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「お、鈴木君じゃん」
久しぶりの登校。隣の席の安藤さんは盛大に僕の快復を祝ってくれた。
「おはよう」
「いやあ、随分休んだね」
「そうっすね。意図せず一週間以上も休みを作ってしまったよ」
肩痛や熱が下がらなかったこともあり、PTA総会翌日の土曜日から翌々週の火曜までずっと僕は部屋で寝たきりの生活を送った。本当、ねばっちこい風邪だった。
「聞いたよ? 小学校で悪さしてきたんだって?」
「え、そんな風に伝わってるの?」
冗談でもそんな風に言われると普通に泣ける。横断歩道の一件、一番の功労者って僕じゃね、と正直思っている。企業勤めをした人間は、波風を立てないように取り計らいもするが、とにかく成果が関わることで謙遜などしないのだ。翌期の収入にかかわるからね、しょうがないね。
「嘘嘘。皆驚いてたよ。あの鈴木君が大胆な立ち回りをしたのか、とか、大人を言い負かしたのか、とか、執行猶予はどれくらいだろうな、とか」
「やっぱり悪評扱いされてんじゃん」
近頃の高校生怖すぎだろ。人を犯罪者扱いかよ。
「冗談冗談」
憎らしい目で安藤さんを睨む。気さくな人だと思っていたが、少々悪乗りしすぎでは?
「鈴木君」
「はいっ」
そんな薬にも毒にもならない久々の会話をしていると、背後から声をかけられた。
「あ、白石さん。おはよう」
「……うん」
背後にいたのは、白石さんだった。罰が悪そうに、そっぽを向いていた。
「えっと」
「何?」
「昼休み、いつもの場所で」
それだけ言うと、彼女はさっさと自席に戻っていった。
「え、何々。二人ってそういう関係だったの?」
戻った後、隣で何故か盛り上がっている少女が一人いた。
これはあれだな。
また余計な噂が広まるな。
まあ、こうなってしまっては後の祭り。今更弁明しても無駄だろう。黙って傍観するほかない。
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今日は雨は降っていない。そんな日にこうして屋上手前の階段に来ることに、多少の新鮮さを覚えていた。
「遅かったわね」
白石さんは、いつものように屋上に不法侵入はしていなかった。僕の定位置、屋上封鎖用の扉の一段手前で腰掛けて、本を読んでいた。
「いや、探してたんだよ」
「探してた?」
「先に行っていると思ってなかったから。目的地一緒だし、一緒に行くのかと」
「そんなことするはずないじゃない」
頬を染めながらそっぽを向かれた。
「とりあえず、座ったら」
「ああ、はい」
僕は手頃な場所に腰掛けようとした。
「ここに座って」
白石さんは、わざと端に寄って隣に座るよう要求してきた。
「なして?」
「顔を見ながら話せないって、何だか怖いじゃない」
「どういうこっちゃ」
まあ、そう望むのであれば従うのだが。
ただ、いざ腰掛けてみると、肩と肩が触れそうな程近い距離に、正直照れる。
こういうの、最近の子はエモいっていうんだろうな。
でも、精神年齢二十五歳がやっていると知られたら、エモいから、犯罪に早変わりするんだよな。向こうから要求されたことでも通じないとは世知辛い世の中だ。
「肩、まだ痛むの?」
「うん。でも、あの日よりは落ち着いたよ」
「そう」
多分、鈴木君はこの肩痛と一生付き合って生きなければならないのだろうな。
「えっと。まずPTA総会の件だけど、安心して。若干一名倒れた生徒がいて、その後少々場が混乱したりしたけど、岡野さんのお父さんの迅速な対応もあって、無事終わらせることが出来たわ」
「そりゃ良かった」
少々恨み節も混じっていたが、スルーしよう。とりあえず、無事に終わったのならば問題なし。
「それでね。これからが本題なの」
「はい。何でしょう」
「えっと……」
頬杖をついて、彼女の言葉を僕は待った。
それにしても、不思議だ。いつもは酷いことも結構スパスパ言える白石さんなのに、何でこうも口を噤む。
……まさか。
鈴木君、青い春でも到来するのだろうか。
ハハハ。ないな。
「えっとね?」
……。
チラリと、白石さんの顔を覗いた。頬を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに伏し目がちで俯いていた。
え、マジ?
ええ、まずいでしょう。僕、精神年齢二十五歳だし。
「えっと……」
いや、ないな。
少し考えて、僕は落ち着いた。
出会って数週間、それで青い春だなんて、少々話しがうますぎる。
「どうして小学校にアンケートの依頼を持ちかけたか、教えて欲しいの」
やっぱりね。
はいはい。わかってた。わかってた。
「あなたの語った内容でトントン拍子に進んだから深く聞かなかったけど、教えて」
至って真面目そうに、白石さんは尋ねてきた。
なるほど。日ごろ、他人の行いに疑問を抱くことなど、彼女はなかったのだろう。だからこうして、いざとなってそれを聞くのが恥ずかしくなったと。
さて、と。
僕は頬を掻いた。どこから話すべきだろう。
「順序立てて話すよ。まず、本来僕達がすべきことは何だったのかってことから」
「本来はって、それは『横断歩道を設置する』ことじゃないの?」
「違うよ」
僕は首を横に振った。
「僕達がすることは、『横断歩道の設置』じゃない。総会の中でも話したけどね。横断歩道の設置是非は僕達が決められることじゃないんだから。それは公安委員会の仕事なんだ。
じゃあ、僕達が真に全うしなければならない仕事はなんだったのか。
それは、『横断歩道の設置の申請』だよ」
「それって、何が違うの?」
「全然違うよ。例えば、責任区とかね。PTA総会の中でオオヌマさんが突っかかってきたことだけど、彼女、横断歩道が設置出来ないのはまるで僕達が悪いと言ってきてたよね」
白石さんは黙って頷いた。
「でも、仮に横断歩道が設置出来ないとして、本来は責められるべきは僕等じゃない。それは、設置の是非を握る公安委員会ってわけ。
さて、責任区がはっきりしたところで、じゃあ僕達は一体何をする必要があったのか、ということだ。
それは、公安委員会の担当職員が横断歩道を設置するにあたって、横断歩道を設置していいよって上司に承認をもらいやすくすること。でも、これが結構大変だ。何故なら、横断歩道設置には金がかかる。こういうことってね、金が動く内容ほど簡単に承認は降りないんだよ。
ここから、君の疑問に繋がるね。僕がどうして小学校にアンケートの依頼を持ちかけたのか、だ。ま、結局それも公安委員会の承認を取りやすくするためってことなんだけど。
考えてごらんよ。
突然僕達が、慈善活動で危険な道を調査したから、ここに横断歩道を設置してくれ、と言うのと。
近隣の小学校でアンケートを取り、実際にその道路を通学路にしている子の親に尋ねた結果、ここが危ないから横断歩道を設置してくれ、と言うの。
自分が承認をする立場として、どっちが承認印を押しやすい?」
「断然後者ね」
「そ。何の知見もない子供達の熱意よりも、実際にその道を使っている人の意見。かつ、データも付いてくれば尚良しだったってわけさ」
「そんな意図があったのね」
ぺらりと彼女が取り出したのは、アンケート結果の用紙みたいだ。そういえば、昨日が小学校からの提出日になっていたな。
「今度は予定通り届いたんだね」
「うん。向こうの提案は三箇所だけだったわ」
白石さんは紙を僕に手渡した。
その結果を見て、僕は思い出したかのように彼女に言った。
「そういえば、僕も事前に決めることをすっかり忘れていて申し訳なかったんだけど。アンケートの集計結果のまとめ、君こちら側でやろうとしただろう」
「うん。まずかった?」
「うん。良くない」
「なぜ?」
「小学校から届いた横断歩道の設置候補先は三箇所だったよね?」
白石さんは黙って頷いた。
「じゃあ、担任達が親御さんからもらったアンケート結果は、総計三箇所だけだったと思う?」
「え?」
「そんなわけないんだよ。親ってのは我が子に対して過敏になるもんだ。特に昨今は顕著にね。そんな親が寄って集って集まって。住んでいる場所も点々としているのに、果たして初めから三ケ所だけなんてまとまった意見だっと思うかい? 馬鹿な親なんか、子供達のため、と目的を言っているのに、自分の通勤までの道で危険な場所にマークをしているかもしれない」
例えば、オオヌマさんとか。
「そんなのあるわけない。バラバラに決まっている」
「そういうわけだ。そして、その意見を僕達にまとめられたと思うかい? 誰からの批判もなく、キチンと精査してまとめられたか。間違いなく無理だったろうね。何故なら、僕達はただの高校生。他所の小学校の通学路事情を何一つ知らないんだから。だから、その辺に詳しい向こうの教師陣にそこをまとめてもらうために、僕は彼らを頼ったんだ」
白石さんは言葉を失っていた。僕も饒舌に話しすぎて、息を整えていた。
「あなた、もしかしてそういう諸々を考えて、小学校に依頼を持ちかけたの?」
「勿論。まあ向こうにとっても悪い話ではなかったはずだよ。仮に児童が通学路で交通事故に遭ったとなった時、マスコミは小学校に対してバッシングを行う。その時、過去に事故を未然に防げるようにPTAからアンケートをとり、横断歩道を設置する申請をしていた、と言えれば、批判の声も減るだろう?」
「そこまで考えていたかしら」
「だから、そこまで考えるように仕向けるべく資料を作ったり、直談判しながら怒鳴ったりしたんだよ。
逆の場合も想定してごらん。今回、僕達の話を無下にして、通学路で事故が起こったら、どうなると思う?」
「え……」
白石さんは考えるように唸った。
「……過去に近隣高校から地域活動で横断歩道設置の協力を求められたのに、協力せずに事故を起こしてしまったんだから、通常よりも余計にマスコミからバッシングされるようになった」
「間違いなくそうなる。だから、あの場で担任を怒鳴って、教頭が出てきた時点で勝ちも同然だったのさ。所詮担任教師なんて平社員と変わらない。何か起きた時責任問題は発生しづらい。今話したような事故が仮に起きたとして、あの担任には何も責任は発生しなかっただろうね。だからまともに取り合ってくれなかったんだ。でも、教頭はもう学校側の人間だ。何か起こった時、批判の矢面に真っ先に立つ彼にしてみれば、そんなリスクとるはずがない」
饒舌に語る僕を見て、白石さんは呆気に取られてしまっていた。
「あなた、本当に高校生?」
仕舞にはそんな疑問を投げかけてきた。全うな疑問だ。
「どう思う?」
そう返すと、白石さんは再び考えに耽った。
「正直、不気味」
たどり着いた答えは、やはりとても褒めているような言葉ではなかった。
「そうかい」
「でも、ありがとう」
突然の感謝の意に、僕は白石さんを凝視した。
彼女は、今まで見せたことがないとびきりな笑顔をしていて、胸の鼓動が早くなっていくのがわかった。
まさか、十歳も離れた少女の笑顔に見惚れるなんて、情けない限りである。
「また、頼ってもいいかしら」
照れくさそうに少女は言った。
「……あ」
そして、あの時の言葉を思い出す。
『あなたが、あたしを信用させてみてよ』
あの時の少女の姿が脳裏によぎった。挑戦的な瞳で、僕にその言葉を告げた少女の姿を。
「勝負は僕の勝ちってことでいいかい?」
「今回はね」
不敵な笑みを浮かべる少女に、僕は微笑んだ。
あれだけ他人を信用していなかった少女に、心を開いてもらえたのならば、肩痛の一つや二つ文句なんかありはしない。
「なら、面倒なことじゃなければ手伝うよ」
そう言うと、少女は「生意気っ」と言って、大きな声で笑った。
後日、横断歩道は無事に設置の申請が降りた。
早ければ来月には工事が始まると、とても嬉しそうに公安委員会の担当職員は電話で教えてくれた。
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