殴り込み
翌朝、僕は始業十分前に教室に入った。
何をするわけでもなく、ぼんやりとスマホを弄っていた。
「おはよう」
「あ、どうも」
珍しく、朝っぱらから白石さんに話かけられた。
「昨日の件、何か策は浮かんだかしら」
話はやはり昨日の件。白石さんは表情一つ変えなかった。これじゃ、彼女側に案があるかないかわからない。
「あるよ」
まあいいか。ヘタに駆け引きをしようとした僕だったが、どうせその内わかるのだから正直に告げることにした。
「本当?」
「うん。というか、もう仕込みも済んでる」
「仕込み?」
白石さんはキョトンと小首をかしげた。可愛らしい顔だけあって、様になっている。
「そ。まあ詳細は後で話すんだけど……。手伝ってほしいことがある」
「手伝ってほしいこと?」
「うん」
僕は頷いて、彼女を見た。
「資料作りだよ」
********************************************************************************
放課後。
岡野さん含め、本当に白石さん以外の生徒はさっさと退散していった。
そういえば、今回の件、須藤先生(担任)も協力してくれる気はないんだな。僕(元サラリーマン)とあんまり変わらないくらいの年に見えたが、ゆとり世代特有の我が道を往く性格をしているのだろうか。昨今の教師は皆あんな感じなのだろうか。あまり情熱も感じないし、嫌々教師にでもなったのかな。
「で、詳細を教えて欲しいんだけど」
物思いに耽っていると、白石さんに睨まれた。
少しだけ肝を冷やした。
「ああ、横断歩道の件だね」
「勿論そうよ。設置に向けて策を思いついたんでしょう、教えて」
「あー、まあ、そんな大層なものじゃないよ。一つ依頼をしたんだ」
「依頼?」
「そ、あの後岡野さんに連絡してね、弟さんが通っている小学校を教えてもらったんだ」
「へえ、電話番号教えてもらっているのね」
鈴木高広の名前目当てで結構欲しがる生徒がいただけである。名の知れている人間って、こういう時便利である。
「で、小学校を教えてもらってどうしたの?」
「ん。電話した」
「電話?」
「そ、地域活動ということで、近隣小学校の通学路事情を調べている。危険な場所があれば、公安委員会に申請をするから教えてくれってね」
内容を話すと、白石さんは呆気に取られたようにこちらを見ていた。
「何か?」
「電話したの。直接学校に?」
「したよ」
「怖気づいたりしないの」
「別に」
悪いことをするわけじゃない。何を怖気づく必要がある。
「まあ、いいわ。それで向こうさんはなんて?」
「調べるから一週間待ってくれって」
「うまくいったのね」
「あー、どうだろうね」
「?」
電話応対したのは若い男だったのだが、どうも声に覇気がなかった。あの手のタイプは、考えうる限り依頼するのに一番面倒なタイプだ。
「岡野さんの言っている場所だけでなく、他にも危険な場所があるなら一斉に申請してしまおうと思ってね。そうしたんだ」
「それもそうね」
「そ、で、ここからは朝話した件だ」
「資料作りとか言っていたわね」
「そ、作っておきたいんだ」
そう言って、カバンからパソコンを取り出した。
「家から持ってきたの?」
「うん」
驚嘆の眼差しを向ける少女に、僕は嬉々として頷いた。
「で、何の資料を作るの?」
気を取り直したように、彼女は聞いてきた。
「ああ、横断歩道設置をなぜしたいのかって資料だよ」
「え、どうして? 小学校の先生は対応してくれるって言ったんでしょう?」
「まあ、どっかで発表の場もあるかもしれないし、いいだろう?」
彼女への返事もそこそこに資料作り用のアプリケーションを開いた。いやはや、こうしてこのアプリを開くのもサラリーマン時代以来か。何だか感慨深いものがある。
「さて、作ろうか」
早速、僕達は資料作りに取り組んだ。
********************************************************************************
小学校に通学路調査の依頼をして、一週間が経った。
放課後、僕と白石さんは例によって集まっていた。
ちなみに、初日以降他の生徒がこの場に来たことは一度もない。
未だに参加出来ないことを詫びる者も、岡野さんただ一人。彼女、毎日のようにアルバイトを入れていた。家が自営業をしているようで、丁度今ごろが閑散期にあたり、アルバイト代も生活費の足しにしないといけない日々らしい。大変そう。
「連絡はあった?」
白石さんはこんな状況に何も言うことはない。いつも通り、冷淡そうに僕にそう尋ねてきた。
「いいや」
「え、ちょっと待ちなさい」
返事がない旨を伝えながら荷物をまとめる僕に、白石さんは驚きを隠せなかったようだ。
「もしかして、帰るの?」
少しだけ寂しそうにしながら、彼女は言った。
「違うよ」
「なら、なぜ荷物をまとめているの?」
「そりゃ、様子を見てくるからだよ」
「何の?」
「小学校の。もう向こうは放課後だし、依頼どうなってるんだって話に行くんだ」
「え……」
白石さんは目を丸くしていた。まさか僕が殴りこみに行くとは考えていなかったらしい。
「待って。今日一杯って可能性はないの?」
「ないよ。じゃあ今日の十八時までに連絡してって言っていたんだから」
「そうだったの」
「そ。もうとっくに過ぎている。だから様子を見に行くんだ」
僕は微笑を見せた。正直、少しだけ歪んでいたと思う。
「でも、乗り込むほどのことかしら?」
「もしかして怖気づいてる?」
「ち、違うもん」
違うもん、て……。
「いいかい。これは向こうにとって小学校の仕事の一環なんだよ。そんな仕事を反故にした。これは怒っていい内容だよ。向こうは仕事に対して学校から報酬をもらっているんだから」
「でも、今丁度送るところかも」
「何も喧嘩しにいくわけじゃない。道中連絡があれば良し。着いてみて、もう少しかかるのであれば納期を再設定すればよし。だろ?」
ま、それで済めばいいのだが。
「でも……」
「というか、何も君に着いてこいなんて言ってないよ。僕だけで様子を見てくるから」
そもそも事情は説明したが、初めから僕は一人で行くつもりだったのだ。さっさとカバンを背負い直して、教室を出ようとした。
「ま、待って」
しかし、白石さんにカバンを掴まれた。
「まだ何か?」
「し、心配だからあたしも行く……」
弱弱しくそう宣言する彼女に、僕は苦笑した。
********************************************************************************
岡野さんの弟の通う小学校は、高校から二キロほど北に位置していた。
グラウンドには誰もいなかった。もう陽も落ち、校舎に明かりが点いているのも職員室だけ。ただ、体育館では、丁度近所のママさん達がバレーの練習をしているようで、キュッキュッという靴が滑る音と、ママさん達の声がとどろいている。
「行こう」
「あ、待って」
すっかりしおらしくなった白石さんを制して、僕は目に付いていた通用口に足を踏み入れた。
来賓用のスリッパを二足揃えた。
「ありがとう」
おどおどする白石さんを他所に、僕はずかずかと廊下を闊歩した。別にやましいことをしに来たわけではないのだから、堂々としていればいいのだ。
「入るよ」
白石さんは頷いた。
僕は明かりが灯る部屋の前に立ち、ノックを三度した。
「失礼します」
突然の高校生の登場に、小学校の教師陣は呆気に取られていた。
「後藤先生はいますか。先週通学路調査を依頼した鈴木ですが」
ざわざわと職員室がざわめく。
「後藤先生、客だよ」
年配の教師が、猫背気味に職務に当たる教師を呼んだ。
「はあ」
面倒そうに丸眼鏡を揺らしながら、後藤さんは僕達の方を見やった。
「何か用事があるみたいだよ」
「え、知らないですよ」
「まあまあ、応接室準備しておくから。話してきなよ、せっかく来てくれたんだから」
年配教師の口ぞえもあり、後藤さんは面倒そうに腰を上げて、僕達のほうに歩み寄った。
「何か?」
「はい。先週の通学路調査を依頼した鈴木です。今日が約束の日だったんですが、何も返事がなかったので、どんな感じかなって様子を見に越させて頂きました」
「はあ?」
威圧気味に言うと、後藤さんは面倒そうに頭を掻いた。
「そんなの覚えてないよ」
「そうですか。ボイスレコーダーで録っているので聞きますか?」
予想通り。電話応対の時、気だるそうな態度を感じとった時から察していた。恐らく後藤さんは、こうして覚えてないと言い張って、引き受けた仕事を無下にするタイプだな、と。
まあそんなタイプであろうがなかろうが、依頼事項のエビデンスを残すのは鉄則だったので、メールを送れない今、過剰気味とも思ったが、ボイスレコーダーで録音をさせてもらった。どうやらその判断は間違いではなかったようだ。
「君ねえ」
後藤さんの顔が歪んだ。露骨な人だな。
「悪いけど――」
「後藤先生、応接室使っていいよ」
今更断ろうとする後藤さんの言葉を、年配教師が丁度さえぎった。
「さ、応接室行きましょうか」
後藤さんを見ながら、言った。
舌打ちをして、後藤さんはこちらに何も言わずにズカズカと歩き始めた。
僕も後に続こうとしたが、白石さんが固まっていることに気づき、
「大丈夫?」
と声をかけた。
「え、あ、……うん」
「大丈夫だよ」
微笑、彼女の手を握って、僕は後藤さんの後を歩いた。
「うまくやるから」
「逆に不安なんだけど」
清清しく言ったのに、面目丸つぶれである。
通された部屋は、応接室と呼ぶには名ばかりな部屋だった。敷居があるだけで、職員室に僕達の声は恐らく筒抜け出し、簡易的なテーブルとソファが置かれているだけだ。
何も言わず、上座のソファに後藤さんが腰を下ろした。
対面のソファに僕は詰めて座った。
「悪いんだけど、今忙しくて君達なんかの依頼に応じている時間はないんだ」
白石さんがまだ座っていないというのに、後藤さんは話を始めた。
「へえ、教師も大変と聞きますが、その通りなんですね。後藤先生も今回担任を持ったんですか?」
「持ったよ、一年の。手のかかる子ばかりで、本当疲れる」
「でも、そんな子達が六年になって卒業する頃には思わず泣いちゃうかもしれないですよ」
世間話から入ったが、意外と彼はピリピリしていたようだ。
「あのさあ! そんな話をしにきたんじゃないよね。時間ないんだってば」
職員室にも聞こえるような声で後藤さんは言った。
僕は構わないが、いいのだろうか。こういうことで評価を落とす例も少なくないのに。
「ええ、そうでしたね。先ほども話しましたが、通学路調査の件、進捗を教えて頂けませんか?」
「だから、忙しくてそれどころじゃないんだってば」
「忙しいことはわかりましたよ。で、進捗はどうなんですか?」
「あ?」
「忙しくても進めてくれているのか。忙しくて進んでいないのか、どっちなんです? 質問の答えになってない。曖昧な言葉だと誤解を生むかもしれないでしょう? だから、ちゃんと質問には答えてください」
僕の言い方が気に入らなかったのか、後藤さんはまた舌打ちをして、
「やってねえよ!」
と怒鳴った。
「なぜ、出来なかったんです?」
「だから、忙しかったんだよ」
「じゃあ、いつまで待てば出来ますか?」
「は?」
「今は忙しいから出来ない。だったら、いつまで待てば忙しくなくなりますか? いつまで待てば終わりますか?」
「うるせえな」
ソファの背もたれにもたれながら、億劫そうに後藤さんは言った。
「いつですか?」
「知らねえよ」
ドンッ!
「あんたそれでも人の子供を預かる教師かっ!」
呆気に取られている後藤さんを他所に、僕は続けた。
「いいか。これは子供達の命にかかわる調査だ。もし万が一のことが起きた時、先生がキチンと調査していれば未然に防げたかもしれないとなるかもしれないじゃないか。どうしてそういうことを考えられないんだ!
何も公安委員会との調整をしてくれと言っているわけじゃない。情報さえくれれば、後の処理は僕達がやると言っている。先生のやることはただ情報を集めることだけだろう。何でそれが出来ない!」
後藤さんが視線を泳がせている。えーと。あーととうだつのあがらない返事ばかりが続く。
そろそろかな?
「ちょっとどうしたの? 揉めてるみたいですけど」
よし来た。
先ほどの年配教師が、助け舟を出しに来た。
「いえ、後藤先生。お忙しいみたいで、先日受け持ってくれた調査が滞ってまして。少々取り乱してしまいました。ごめんなさい」
「まったく、あんまり揉め事起こすのは、そっちとしてもまずいんじゃないの? 内申響いちゃうよ」
「ごめんなさい。でも、どうしても協力して欲しい内容なんです」
白々しく謝って、カバンからパソコンを取り出した。開くのは、白石さんと作った資料だ。
ちなみに、内申に響くことなど絶対ない。そうならないよう上の人間を呼び出して、こうして談判の場を設けたからだ。後はうまく納得させるだけ。
「へえ、資料なんて作ったの」
「僕達のクラス、地域活動に力を入れようとしていて。たぶん、今後もそういう動きが強まっていくと思うんです。それで今回、手始めにまずは横断歩道の設置申請をしていこうと言う動きがあったのですが、でもそういうのって、こうやって資料に残しておかないと形骸化していってしまうと思って作ったんです。それを丁度いいから見て頂こうと思ったんです」
「へえ、よく考えているんだねえ」
「いいえ。それで、まずはこの小学校の通学路事情を調べたいと思っていまして。理由としては、僕達のクラスの生徒の弟さんがこの学校に通っていまして、その生徒曰く、一部危ないんじゃないかという通学路があるという話からそう考えました」
そういって僕は、表紙から二ページ目のスライドを見せた。ここには背景・目的を書いている。こういう資料の鉄則は、まず初めに何をしたいかを明記すること。そう思った背景もキチンと書かれていると尚良し。
今回の場合は、岡野さんに事前に危ないと思う道路の場所を聞き、現地に赴き写真を撮ってきていた。
「ここが件の道路の写真です」
「んー?」
「道幅が広い割に歩道が狭くて、通学の時間帯は出勤の車もかなり通って、事実過去には無理矢理道路を渡ろうとした人と車の接触事故が起きているみたいですね」
年配教師は相槌を打つ。
「そういった経緯から、今回こちらの小学校さんに通学路で危険な道がないかの調査を頂いて、もし危険な場所があった時には、横断歩道の設置を申請する動きを公安委員会にかけようと思っています」
「なるほど。それでまずは後藤先生に通学路調査の依頼をしたわけだね。で、結果は何もしていなかったと」
年配教師が後藤さんをチラリと覗いた。罰が悪そうに、後藤さんは目を逸らした。
「はい」
いいながら、僕は三ページ目のスライドを見せた。
「警視庁のサイトに載っていた情報ですが、ここ数年、子供の交通事故件数が上昇傾向にあります。その中でもやはり多いのは、小学生以下の児童という話でした。そういったことからも、子供達を守るため、やはり横断歩道設置の動きを進めていく必要があると考えています」
そして、四ページ目を見せた。
「やはり、横断歩道の有無で事故発生件数はかなり変わる傾向にあり、そのことからも先の内容を進めていきたいと考えています」
本当、今はスマホで何でも調べられていい時代なもんだ。この情報も全部、ネットから拾って作った。
ちなみに、今はいい時代だって白石さんに言ったら、高校生の癖に何言ってんだって白い目をされた。
「あ、そういえば聞き入ってしまって名乗ってなかったね。私の名前は戸塚。この学校の教頭だ」
「今後ともよろしくお願いします」
「よろしく」
互いに頭を下げあい、教頭は続けた。
「ううむ。確かにこの学校としても進めていきたい内容ではあるね。とはいっても、どうやって情報を集めていいものやら」
うむ。本当そう思う。無理難題を玉砕覚悟で吹っかけるつもりで電話したら、やってくれるとあっさり後藤さんが言ってくれたものだから、こうやって敵地に乗り込み責める構図を作れた。本当、ラッキー。
「あ、そうだ」
このまま進まなかったら責め損になるどうしようと肝を冷やしていると、どうやら戸塚さんが妙案を思いついたようだ。
「今週末、PTA総会があるからそこで親御さんに直接アンケートをとってみよう」
「あ、それいいですね」
僕は同意した。
「うん。せっかくだし、君達も出るかい?」
「えっ」
「はい。出ます!」
驚く白石さんを他所に、僕は二つ返事をかました。白石さんからの眼光が痛い。そんなに睨まないで欲しい。
「うん。ちょっと待っててね。プリントとってくるよ」
そう言って、戸塚さんは職員室に戻っていった。
「今日は遅い時間に失礼しました」
「……本当だよ」
後藤さんは呟いた。
まあ、気持ちはわかる。こんな仕事、面倒なことこの上ない。
きっと彼は、この後どんなことを自分がさせられるかわかっている。それも上司の監視つき。もう無下には出来ない状況下で、だ。
彼の失敗は、高校生相手だからと適当に応対したことだ。
あの時きっぱり出来ない。そういえばよかったのだ。ま、そう言われたとしたら、僕は彼よりも上司に直談判をした。それこそ、先ほどの戸塚さんを相手にしたかもしれない。
それでもきっぱり出来ないと言うべきだったのだ。そうすれば、少なくとも自責ではなく、他責には出来た。自分は一度出来ないと言ったではないか、と。
ま、こうなってしまっては後の祭り。とことん、手伝ってもらおう。
「はい。プリント」
「ありがとうございます」
プリントを受け取って、僕と白石さんは小学校を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます