地域活動に参加させられてしまった。

地域活動

 大きな欠伸をひとつして、目を覚ました。外はまだ暗い。スマホを起動してみたら、時刻はまだ深夜三時。


「起きちゃったよ、くそ」


 頭を掻き毟った。目を覚ましたのには理由があった。


「あいたたたた」


 僕が乗り移ったこの少年、鈴木高広君の右肩の怪我である。

 この体に乗り移って早一週間。どうしてよいかもわからず、結局惰性的に学校に通い続ける今日この頃。最近の僕の一番の悩みは、この肩痛であった。

 この少年の肩は、随分と危険な状況であると思われた。本来の僕の体に生じていた、加齢、運動不足による三十肩とはまた違った痛み。いや、あれよりも強烈で、いっそ右腕ごと無くなってくれたほうがマシなのではないか、と思う痛みが、度々僕を襲っている。とりわけ、雨の日に痛みが走ることが多い。

 今も同じで、カーテンを開けると曇天模様の気持ちも沈むような空から、シトシトと雨が落ちてきていた。

 まったく、雨が降る度に満足に眠れもしない体だなんて、不自由なものだ。


 この前の水曜日、この少年の母親に連れられ、一緒に病院を訪れた。医者曰く、一番酷い時よりは回復しているそうだ。ただ、その時口を酸っぱく言われたのは、体育程度の運動はいいが、野球部としての激しい練習や運動はだめだ、とのこと。

 この肩の痛みも、きっとこの少年が自殺をしようと思ったきっかけの一端を担っていたのだろう。


「眠れん」


 肩がズキズキと痛み、もう眠れたものではない。仕方なく、部屋の電気を点けて、勉強机に向かった。開いたのは、国語の教科書だ。

 自分が学生だった時はあれほどつまらない、退屈だ、と思った勉強も、今は割と楽しく望めている。

 社会人を経験し、より強い時間的束縛、責任感の発生を目の当たりにして、当時ああして勉学に励むことだけで時間を費やすことが許されていたことが、とても貴重だったんだと知ることが出来た。


「山月記まだかな」


 当時、ただ意味がわからないと感想を抱いた、男が虎になる話。

 今読めば、僕はどんな反応を示すだろう。

 ……たぶん、笑いが止まらない。人が虎になるわけがないだろう、と。

 精神的に、高校生だった時から今まで、僕は成長できていないのかもしれない……。


********************************************************************************


 始業一時間前。

 結局あれから一睡も出来なかった僕は、随分と早く教室に入り、席についていた。こうでもしないとまた寝坊しそうだったから。

 正直、眠い。この体になってから、こうして寝不足で睡魔に襲われたことは早三度目。ブラック企業に勤めていた時よろしく、カフェインを摂取して眠気を我慢しているものの、今日はどうも我慢出来そうもない。

 雨はまだ止んでいない。朝天気予報を見てきたが、昼までには止むそうだ。まあ、それまではこの肩の痛みも引くことはないのだろう。そう思うと少し憂鬱だ。


 遠くでトランペットの音が響いた。吹奏楽の朝練だろう。今日は雨だから、グラウンドで騒々しく練習している野球部やサッカー部の罵詈雑音は聞こえてこない。

 チューニングでもしているのだろう。一定の音階で、多種の楽器の音が校舎に響いた。


「子守唄みたいだ」


 その音を聞きながら、ぼんやり外を眺めていたら、猛烈な眠気に襲われた。


「あら、早いのね」


 コクリコクリと頭を揺らしていると、前の扉から少女が現れた。いつかのツンツン女だ。


「ああ、おはよう」


「不良学生なのに、随分とまじめじゃない」


 大欠伸を欠いていると、朝一からボディブローを食らう。まったく、皮肉らないと喋れないタチなのだろうか。


「お互い様だろうに」


「ううん。あたしは優等生で通ってるから」


 まあそうなんだろうなと思っていた。黒髪長髪を垂らして、スカート丈だって校則の範囲内。おまけに、長いまつげに、大きな瞳に特徴される美人ときたもんだ。教師陣の心象は悪くないだろう。


「へえ、この前の試験そんなに点良かったの?」


「勿論。中学の振り返りの試験だなんて、百点以外取るわけないじゃない」


 そう言って、少女はクスリと笑った。


「あなたは散々だったみたいだけど」


「まあ勉強してなかったしな」


 僕は恥ずかしげもなく言葉を返した。中身が二十五歳の癖にそんな情けないこと言ってていいのか、という気持ちもあるが、過ぎたことは仕方がない。次どうするか。それだけ考えていれば何も問題ない。


「あんなに皆に弄られちゃって」


「うるさいなあ、もう」

 

 はい。嘘です。

 試験返却時、隣に座る気さく少女に加えて、物珍しい物見たさに集まった野次馬共に散々笑われるという生き恥を晒しました。恥ずかしかったです。はい。

 だったらお前等はどうだったんだよって返したら、皆結構点数良いし。最近の子供は頭も良いのね。気さく少女、もとい答案用紙曰く、『安藤茜』なんて一際点数が良かった。全部八十五点以上。気さくな上に頭もいいとか非の打ち所がないね。困った困った。


 閑話休題。


「肩が痛くて、起きちゃったんだよ」


「そう」


 まるで初老の男のようにさび付いてしまった回らない肩を動かしながら言うと、意外としおらしい返事だった。


「肩が痛いから休ませてって保健室で言えば、たぶん通じるでしょう。あなた有名人だし」


「なるほど」


 意外な案を提案してくれた。確かに、それはあるかもしれない。この少年が有名だったのは、これまで一週間この体で過ごして嫌というほど理解した。特に教師陣からの期待の眼差しは少々行き過ぎているとすら感じる。


「なら、遠慮なくそうしようかな。須藤先生に伝えてもらえるか」


 須藤とは、このクラスの担任教師である。


「あ、でも」


「ん?」


「七時間目までには戻ったほうがいいかも」


「なんで」


「なんとなく」


「あ、そう」


 七時間目。ロングホームルームか。はて、何かあったかな。


********************************************************************************


「寝すぎた」


 保健室のベッドで体を起こし、スマホを起動し時間を見て、後悔した。

 ただいまの時刻、十七時。どうやら一日中寝ていたらしい。


「遅かったわね」


 教室に戻ると、帰りのショートホームルームも終えており、なにやら数人の生徒達が会議を開いていた。

 その中に一人。お誕生日席に、ツンツン女が陣取っている。


「ごめん、寝すぎた。荷物もってすぐ出るから」


「だめよ、何言っているのかしら」


 さっさと荷物を持って退散しようとしたのだが、ツンツン女に引き止められた。


「だめって、会議の邪魔していいのかよ」


「そうじゃない」


「そうじゃないって?」


 ツンツン女は、手前の空いている席を指差した。


「座って」


「なぜ」


「なぜって、あなたがこのクラスの副委員長になったから」


「副委員長?」


 クラス委員?

 そんなの今日まで決めた覚えがない。

 ……あ。


「あたし、七時間目までには帰ってくるよう言ったわよね」


「ああ、そういう」


 なるほど。今日の七時間目のロングホームルームでクラス委員決めがあったのか。それで、誰もやりたがらないクラス副委員長を、丁度その時席にいなかった僕に皆が押し付けた、と。


「なら仕方ないなあ」


 諦めて、席に座った。


「意外と物分りがいいのね」


 大層意外そうに、ツンツン女は言ってきた。


「え、だって決まったことなんだろ?」


 決まったことならしょうがない。文句はない。決まったことに波風立ててもしょうがないからね。

 これぞ社会に出て身についた状況対応力。文句も言わず、説明も求めず、ただ言われたことをこなす。カッコいいとは思わない。むしろ情けないと思いました。

 

「で、何をしているの。自己紹介?」


「そんなの入学式の日にしているでしょ」


 まだ僕がこの体に取り憑いてなかった頃の話か。


「じゃ、何しているの?」


「今日のロングホームルームで、一学期中のホームルームで何をするか、募ったの」


「ああ、なるほど」


 見れば、机の上に投票用紙とその投票結果が広がっている。


『・地域活動 十五票

 ・レクリエーション 八票

 ・課外授業 六票

 ・無効票 一票』


 三十人クラスだから、過半数は地域活動に入れたのか。殊勝な心持である。

 まあ投票に参加していない身からすると、面倒なことこの上ないが。


「開票結果をまとめた結果、一位は地域活動だったわ」


 見ての通りだな。

 今学期のロングホームルームは地域活動で何をするかを決めていくってところか。


「で、どんな地域活動をするかを今決めているの」


「ん?」


 そこまで決めるのか。次回ロングホームルームで決めればいいのではないのだろうか。


「で、どんな候補が挙がってるの」


 まあ決めるのであればそれもまた良し。ブラック企業勤めはこういう時、大勢に従うのだ。


「一つ目が老人ホームへの訪問」


「まあ鉄板だな」


「二つ目が特別支援学校との交流」


 ここまでは鉄板な内容だ。まあ、一学期中ということは、夏休みの始まる七月末までの三ヶ月。出来る事はかなり限られている。


「三つ目が、近隣小学校の通学路への横断歩道の設置」


「お?」


「何か?」


「ああ、いや。最後だけ奇をてらっていたというか。なんというか」


「岡野さんの提案なの」


 ツンツン女が言った。

 照れくさそうに、左向かいの少女が頭を掻いていた。


「うち、弟がまだ小学生でさ。たまに小学校に迎えに行ったりするんだけど。通学路の途中に横断歩道がなくて危ないところがあってさ」


「それで、横断歩道を設置出来ないか、と」


「そう。それであたし達で話している限り、その案を進めたいなとしていたところよ」


「え、マジ?」


「駄目かな?」


 岡野さんが泣きそうに声をつむぐ。こういう時の女子陣の同調圧力は本当に怖い。何だか皆の僕を見る目が敵視みたいに鋭くなった。ただただ怖い。


「いや、駄目というわけじゃないんだけどさ。横断歩道の設置の申請って、確か警察とかに話さないといけないはずだから、申請通すの結構大変そう、と思っただけだよ」


 言葉尻が弱くなる。僕が丁寧にその話の困難さを伝えただけなのに、今にも飛び掛られそうな目で睨まれる。


「まあ、それは明日皆で考えればいいでしょ」


 ツンツン女がそうまとめた。

 しかし、


「ごっめーん。あたし明日から部活の体験入部があってー。明日は会議参加出来なーい」


 先ほどまで睨んでいた女が、そんなことを抜かした。この翻し方、プロのなせる技である。

 こうなると後は早い。


「ああ、俺も」


「あたしもー」


 そして、


「……鈴木君。白石さん、ごめん。あたしも明日はどうしても……」


 発案者の岡野さんまでもそんなことを言い放った。


 おいおい、どうするんだ。

 そんな思いからツンツン女、もとい『白石さん』をチラリと見ると、


「そう。なら明日、鈴木君と二人で考えるわ」


 と白石さんは言った。

 愕然としたら、あの女にまた睨まれるだろうか。

 そんなことを考えて、なるべく飄々とした様子で、僕は頷いた。どうやら面倒ごとだけ押し付けられてしまったようだ。


「ね、これで話は終わり?」


「ええ、そうね。そうしましょう」


「よーし! ねえ仁美ちゃん、久美子ちゃん。近くのデパートに美味しいクレープ屋さんがあるの。一緒に行かない?」


「いいね、行こう」


 久美子ちゃんと呼ばれた女は、あのプロ女の誘いに快諾。


「ごめん、ミミちゃん。あたしこの後バイトがあって」


 ただ岡野さんは、断った。バイト、か。学生なのに大変なんだなあ。

 ちなみに、先ほどまでいた男子はいつの間にか姿を消していた。一声かけてくれてもいいのに。悲しい。


「えー、まあしょうがないか。行こう、久美子ちゃん」


「うん」


 ミミ、久美子は仲良く教室を後にした。

 にしても、会議終了直前にあんな爆弾仕込んでいったのに、気にする素振りもなく遊びの誘いに呼べるとは、なかなか肝が据わっている。あの手は将来毒親になるのだろう。


「ごめんね、二人とも。厄介ごと押し付けちゃったみたいで」


 岡野さんは顔の前で手を合わせて、申し訳なさそうに僕達に謝った。


「気にす――」


「気にしないで、仕事だから」


 言葉を取られた。少し睨んでみるが、白石さんは気にする素振りはない。

 そうして、白石さん以外の生徒が教室を後にした。


「で、策はあるんですか」


「ないわ」


 あっさり引き下がったものだから何かあると思って聞いたのだが、どうやら無策らしい。


「引き止めたってしょうがないでしょう。皆忙しいんだし」


「俺だって忙しいぞー」


「野球部にも入る気ないみたいなのに、本当かしら?」


 煽るようにクスクスと笑われた。

 ただ、言い返してやる言葉はなく、僕はその場で頬杖をついて黙った。


「明日までに考えておくわ」


「出来るのかい」


「……わからない。でもやるしかないじゃない?」


 下手に皆の前で宣言するからそうなるのだ。

 そういう時は、テキトーに誤魔化しておいて、ほとぼりが冷めた頃に『そんな話あったっけー』とでも言っておけばいいのに。これじゃ自分の首を絞めただけだ。


「僕も考えておくよ」


「ありがとう。まあ期待はしてないけど」


 そう言って、白石さんは教室を後にした。

 

「そこまで信用におけないか」


 誰もいなくなった教室で呟いた。少し腹が立ったが、落ち着かせた。あの様子じゃ、白石さん、一晩中この問題解決のために頭を悩ませそうだ。

 

「ま、そんなに難しい話でもないか」


 ただ、僕としては今回の話、そんなに難しい話だとは思っていない。

 だって、今回僕達がすべきことは、『横断歩道を設置する』ことではないからだ。

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