教室はどこ?

 電車が目的の駅に到着すると、僕達は走って学校に向かった。


「早いよー」


 甘えたように、後ろで走る少女は言った。待つつもりはない。名も知らぬ人に構ってはいられない。


「え、本当に置いていくの?」


「ああ。頑張れ」


「ちょっとー」と声が聞こえたが、それすら無視ししたり顔で僕は校舎に入った。まだ始業までは時間が少しある。


「……あ」


 ここで、僕は気付いた。スマホで学校の位置とか駅とか調べが着いていたが、自分の下駄箱の位置も教室も僕は知らないではないか。


「酷い。置いていくなんて」


 丁度その時、後ろから少女が追いつく。


「一緒に登校するなんて、恥ずかしいだろ?」


 取ってつけたように、僕は嘘をついた。


「だから、ここで待ってた」


 少女が不満げな顔は崩さなかった。でも、言い争っている時間がないことを思い出したのか、慌てた顔で下駄箱の方に小走りで向かっていった。


「え、ヒロちゃんこっちじゃないでしょ」


 少女に着いていくと、そんなことを指摘された。


「あれ、そうだったか」


「ヒロちゃん、三組だから隣だよ」


「そうだったかなー、アハハ」


 うまく聞き出せたことにホッとしながら、僕は隣の下駄箱を探した。

 ここで、この少年の名前すら僕は知らないことを思い出した。下駄箱にはネームプレートが付いているのだが、これでは探しようもない。スマホを見ると、始業まで残り三分。ひたすら下駄箱を開けている時間はなさそうだ。

 そういえば、この少年の母らしき人物が、この体に向かって『タカヒロ』と名乗っていた。


「タカヒロ……タカヒロ」


 ネームプレートを一つずつ確認した。

 あった。


『鈴木 高広』


 これか?

 恐る恐る下駄箱の戸を開けると、上履きが二つ入っていた。上履きをとりだして、履いてみると、サイズはぴったりだった。


「ヒロちゃん、まだ?」


 安堵するのも束の間、少女に呼ばれた。声は少し慌てている。


「ごめんごめん」


 戸を閉めて、僕は少女の元へ向かった。


「なんか今日、おかしいよね」


 ビクリとした。早速、中身が変わったことに気付かれたか?


「そんなことないよ」


 少女は尚不審そうにこちらを見ていた。

 背中に汗が伝った。


「ほら、走るぞ」


 少女の気を逸らすため、教師数人とすれ違いながら、僕達は廊下を走った。怒られないのは、時代背景が関係しているのだろうか。


「じゃ、あたし二組だから」


 そう言って、少女は一年二組のプレートが掲げられた教室に入っていった。

 えぇと、あの少女曰く、僕は三組らしいが、三組はどこにあるだろう?


「あ」


 どうやら一つ向こうが三組らしい。

 丁度その時、チャイムが鳴った。


「やべ」


 慌てて教室内に入った。教壇には誰もいない。教師はまだ来ていないようだ。


「えっと」


 そしてまた、気付く。

 自分の座席がどこかわからない。


「早く座って」


「あ、はい」


 チャイムが鳴り終わり、騒いでいた皆が座り終わったにも関わらず、僕だけが立ちぼうけを食っていると、冷ややかな声で怒られた。声の主は、一番後ろの窓際の席に座る少女。なんだかお堅い空気を感じた。


「えぇと」


 見れば、空席はただ一つしかなかった。あそこが僕の席なのだろう。丁度前から三列目、真ん中の列だ。


「遅かったね、遅刻?」


 席に座ると、隣に座っていた気安い口調の少女に話しかけられた。


「寝坊だよ、寝坊。いやあ、やらかした」


 失笑気味に言うと、少女は目を丸くした。軽口を叩いたのがそんなに不可思議だったのか。それとも、今時の子供には古い感性だったのだろうか。

 

「おはよう」


 気が気じゃない気分であったが、先生の出現によって少しだけ気を紛らわせた。これから授業が始まるだろう。そうなれば、当分はここにいる子供達と話す必要はなくなるのだから。


********************************************************************************


 昼休み。

 僕は一人教室を出て、一人になれる場所を探した。現状の整理をしたかった。とにかく、突然起きたことが多すぎて、混乱し続けている。


「お、ここなんていいな」


 見つけたのは、校舎の外に設置された階段。三階建ての建物の、屋上手前まで階段を上がると、もう人気はなかった。屋上への入り口は閉鎖されている。


「よっこいせ」

 

 階段に腰掛けながら、僕は物思いに耽った。自らの状況を、ようやく振り返れる。

 まず、日時。今日は四月七日。昨日は、先ほど一緒に登校した少女や、この肉体の少年にとっては入学式にあたる日だったらしい。そして、僕が自殺志願者の学生を助けようとして、電車に轢かれそうになった日。


「あの子は、助かったのだろうか」


 ふと、あの少年の生死が気になった。どうにか確かめる術はないのだろうか。

 直前、確かに少年の顔を見たはずなのに、モヤがかかったかのように思い出せない。事故のショックで直前の記憶がなくなるというのはよくある話らしい。この記憶障害も、その一種なのだろうか。

 いいや、よく考えればあの時轢かれそうになった時刻は、僕がこの体になって目覚めた時間と同じではないのか?

 だとすれば、タイムスリップした上でこの体に取り憑いたということか?


「わけわからん」


 思わず頭を抱えた。混乱する頭を整理するために、こんなに物思いに耽ったのに、余計混乱してしまった。

 ぼんやり、空を眺めた。考えていてもしょうがない。わからないのだから。

 

「タバコでも吸うか」


 ブレザーの胸ポケットなどを叩いて、心当たりの物が見つからず、思い出した。


「あ、今高校生なのか」


 どうやら相当混乱しているようだ。


「思えば、別に学校には来なくてもよかったんだよな」


 ふと、気づいた。この少年の母親に促されて、何も疑問に思わず駅まで走り、電車に飛び乗ったわけだが、本来僕は社会人。いつか元の体に戻れると信じて、この少年の部屋で篭城を決め込んでもよかったのではないか。

 今こうして学校に訪れてしまっているのは、社会に出て身についた状況対応力とでも言おうか。文句も言わず、説明も求めず、ただ言われたことをこなす姿とか、まさしく社会の歯車になりたがる就活生みたいなものだ。


「そんな邪なことばかり考えて、あなた結構な不良学生みたいね」


「うわあ!」


 突然、上から声がした。見上げると屋上に少女がいて、僕は飛び上がった。

  

「タバコにサボりだなんて、碌な人じゃない」


 どうやら全て聞かれていたらしい。


「そういう君も、屋上は出入り禁止だろう」


 僕は反論した。立ち入り禁止の屋上にもぐりこむだなんて、向こうも大概碌な学生ではない。


「あら、扉にもどこにも、屋上は出入り禁止だなんて書いてなかったわ」


「いや、書いてなくても鍵かかって封鎖されていたんだからわかるだろ。そもそもどうやって入ったんだよ」


「手摺をよじ登ったの」


 意外とアクティブな少女らしい。


「怪我してからじゃ遅いぞ」


「あなたが言うと重みが違うわね」


 気遣うために言ったのに、何だか皮肉めいたことを言われた。

 意味もわからず、少女の方を再び見ると、彼女は屋上に不法侵入した時と同じ要領で、屋上から降りようとしていた。


「……あ」


 白。

 少女の履くスカートの下の、布切れが見えた。


「どうかした?」

 

 少女が階段に降り立った。

 僕はまともに目を合わせることができなかった。


「頬赤いけど、熱でもあるの?」


「いや、別に」


 眼福だっただけで、特に何もなかった。眼福だっただけで。


「そろそろ戻りましょ、教室に」


 手の平側に文字盤が見えるようつけている腕時計を見ながら、少女は言った。


「あ、君って」


 ようやく彼女の顔を見て、気づいた。

 この少女、始業の時に早く僕に席につくよう叱りつけてきた少女ではないか。


「ほら、行きましょ」


「うわあ」


 手を引かれて、僕達は階段を駆け下りた。

 訳のわからない状況が続くのに、またわからないことばかりが増えていく。

 辟易とした気分を抱えながら、僕は昼からの授業に備えた。

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