エマージェン

経口燈

エマージェン

「本当にやるのかね」

「はい、大丈夫ですよ博士。実験は途中で停止できますし」

 私は椅子を回転させて振り返り、助手が答える。

「実験計画の倫理審査も通しておきましたよ。博士はただいつも通り威厳たっぷりにしていればいいんです」

 助手の口調に冗談めかした調子が含まれる。私は少し笑う。

「それでは呼んできますね」

「あぁ、わかった」

 しばらく待つとドアが横に開いて一人の少年が入ってきた。年齢は中学生くらい。特に変わったところはない平凡そうな子供だ。顔の筋肉が少し強張っていて、緊張しているらしいことが読み取れる。

「とりあえずそっちの椅子に座ってくれたまえ。なに、緊張する必要はない」

「はい」

 目の前の椅子に少年がゆっくり腰掛ける。手を膝の上に乗せ、背筋が伸びて姿勢が良い。真面目な性格が伺える。それもまた問題の原因なのだろう。私は事前に打ち合わせた通りに話を進める。

「悩みがあるんだったね」

「はい……実は他の人と比べて自分は感情が乏しいのではないかと……。こんなことで悩むなんて、くだらないですけどね」

「そんなことはない、続けたまえ」

 少年の目線が動き、それから止まる。これから彼は自分について語る、そのために彼自身を落ち着かせる時間だと考えられた。

「こんな僕でも学校では何人か友達がいます。みんないいやつで、一緒にゲームしたり映画をみたり、ちょっと危ないことやったり……詳しいことは聞かないで下さいね。みんな楽しそうなんです、楽しいとみんな声出して笑って、映画で感動したら泣く人もいて、川原を走りながら突然うわーって叫んだり」

 彼は淡々と話す。視線の先は私より遠くにある。

「でも僕はそういうの無いんです。みんな一緒に遊んでくれるんですけど、最後に涙が流れたのがいつのことだったかわからないですし、笑顔も硬い気がして笑ってるかわからないんです。友達に頬つねられてからかわれたりするんですけど、きっとみんな機械みたいな僕を内心不気味に思っているんです……」

「そうか、なるほど」

 彼を二秒見据えてからゆっくり動き出し、横にあるモニターを操作する。

「君の心理テストの結果は見せてもらった。確認しようか、今……こっちに表示したのが君の心理グラフ、他のはこれまでに集められたテストデータの平均とそこから分類される典型的なタイプの物だ。君のは……それらに分類することが困難であり平均と比べてもグラフの動きが少ない。言ってしまえば心が静的というわけだ」

「……やっぱりそうなんですね」

 苦しそうな表情、それは確かに彼の感情だと読み取れた。

「博士、どうしたらいいんですか。僕はどうすればみんなのような心を手に入れることができますか」

「まぁ落ち着きたまえ、話はまだ終わっていない」

 咳払いを一つする。声のトーンをもう一段重々しくして話し始める。

「実は今日君に話さなければならないことがある。驚くかもしれないが落ち着いて聞いてくれ」

「……はい」

「これは……君のレントゲン写真だ」

 モニターに映し出された画像を見て少年の目が見開かれた。

「これって……」

「そう、君の内部の画像に色々なパーツが見えるだろう……君はね、ロボットだったのだよ」

「そんな……」

「ここ数年人型のロボットはかなり普及するようになった。公表されていないが裏ではロボットの記憶の実現や日常生活が送れる程度に人間の感情表現をさせる技術も開発されていた。開発を進めた会社に確認を取ったが確かに君はそのように人間社会に順応させるロボットの試作品であり、テストは進行中だそうだ」

 少年は黙ったままだった。私は静かに少年の様子を見守る。少年はまた口を開き、ぼそぼそと話し始める。

「やっぱりそうなんだ……。そうなんですね、どうしようもないんですね! こんなびっくりするような事実を伝えられても涙は出てこないし、もちろん悲しみも怒りも湧いてこない。僕はずっとこのまま、空っぽの心で、機械でできた体を動かして生きてくんだ!」

 少年の語気が強まる。私はまた口を開く。

「驚くのも無理はない。しかし君が感情の片鱗を示していることも確かなのだよ。それも技術の結果ではあるが、それでも君自身のものだ。この心理グラフも人間のデータとは大きくかけ離れている、しかしこのグラフだけから君が人間でないと判定することはできない。君はこれまでも人間として生きてきたしこれからもそうすることができる。人間かロボットか? どっちでもいいじゃないか! 自分がロボットだと分かったんだ、もう感情の有無で悩む必要は無い、もっと気楽に、自分が感じる通りにやってみればいい」

 歯を食いしばって苦しそうな表情。すぐには受け入れられないであろうことはわかっている。彼は何かを簡単に受け入れたり、分かりやすい反抗をしたりするほど子供ではないのだ。

「……分かりました」

「一週間後、またここで私と話そう。いいかな」

「はい。ありがとうございました」

 失礼しましたと言って、彼は部屋を出て行った。それから程なくして助手が入ってきた。

「どうでしたか」

「彼は礼儀正しい、素敵な人間の少年だったよ」

 助手は微笑をたたえてこちらを見つめている。

「何だかもやもやしたよ。君の研究のためとはいえ、人間の少年の悩みにまともに取り合わず、それどころか彼が人間であることを否定したんだぞ」

「いいんですよ、後からあれは嘘だったと言うことも可能なんです。悩みだって平凡だ、今の時代自分に人の心がないのかもなんてあの年頃の子はよく言うんですよ」

「そうは言っても、良いとは思えないな」

 苦言を呈した私を見て助手はまた笑みを大きくさせる。

「まぁその結果は、彼がまた来た時に分かることです」


 それから一週間、私はいつものように研究者としての仕事をこなしていたが、どうも先日のことが引っかかったように思考が鈍ったり身体の感覚がおかしくなったりした。あの少年は感情豊かだった。なぜ否定する必要があるのだろう。

 自分がどうすべきか結論は中々出なかった。助手の研究への影響はもちろんあるが、少年自身にどのような影響があるかもわからない。それでも結局、私は彼に真実を伝えると決めた。前回と同じ場所で彼を出迎える。私自身の筋肉が引きつり、これから全てをもう一度覆そうとしている自分が緊張しているとわかった。しかし現れた少年は私の予想に反する様子を見せた。

「こんにちは! 博士、先日はありがとうございました」

 声の調子が明るい。私は急いで表情を緩め、彼を優しく出迎える。

「やぁ、調子はどうかね」

「良い気分ですよ、自分が機械だなんて嘘みたい」

 少年は椅子に腰掛けるなり喋り出す。

「博士、あの時ロボットであることを受け入れて自分の人生を生きればいいみたいなこと言ってくれたじゃないですか。正直そんなのすぐ受け入れられないですよ、自分が人間だからって勝手なこと言いやがってって思ってました。でもお前はロボットだって言われて、ほっとしてる自分も居たんです。博士の言った通り、もう自分の感情がどうなっているかで悩む必要なんてないんだ」

 私はただ黙って少年の話を聞く。助手の実験は成功というわけだ。

「それからは楽しいんです。自分はこのままでもいいんだって思えて。おかしな話ですけど、自分がロボットだって知ってから感情が豊かになってきた気がするんですよ。自分の体のちょっとした変化とか、喋った言葉の調子とか、今まで感情だと思っていたものよりずっと些細なことの中に心の動きを感じるんです。そしたら本当に、人間かロボットかなんてどうでもいいやってなっちゃって」

 少年はあははと楽しげに笑う。私は彼に真実を伝えることを考え直していた。

 面会時間はすぐに終わる予定だったが、彼が色々話してくれるので私は後ろの予定に影響が出ない範囲で遅くまで彼と一緒にいた。明るく前向きになった彼に、君は初めから人間なんだと教えることはできなかった。この様子だともう来なくても大丈夫だね、良い人生を、と言って私は少年を送り出し、部屋には私一人が残された。

 またしばらくすると助手が来た。

「今日面会されたんですよね、どうでした?」

「君の言う通りだったよ。彼は自分がロボットだと思い込むことで悩みを解決し、幸せそうに彼の日常に戻って行ったよ」

「それは素晴らしい。しかし博士は浮かない顔をしていますね」

 椅子に座ったままの私を助手が覗き込むように見る。

「おかしいかね」

「いえいえ、少年に驚くべき宣告をするという大役を私の代わりにやって下さったのです、さぞ色々思うところはあったでしょう」

「そうだとも」

 少年は幸せそうだった。しかしそれでも私たちが自分の立場を使って彼の人生を弄んだことに変わりはないのではないか。

「私たち人間は、やはり自分が人間だと信じられてこそ本当の人生を生きることができるのではないかと考えてしまうんだ」

 助手は少し驚いた顔をして、それから満足そうに笑う。

「博士からそんなセリフを聞けるなんて思いませんでしたよ。まぁ今回のは実験ですし良し悪しはこれからですよ。私たちは一人の少年が彼の望む生き方を選べるようにしてやったんです、今はそれでいいじゃないですか。この研究はきっと他の誰かの人生もより良くするヒントになっていくでしょう」

「そうか……」

 彼の言うことの正しさを理解しながら、私は違和感を感じていた。


 一つの実験を終えて、私たちはまたいつもの研究生活に戻った。データの取りまとめか何かやることがあるようで助手は自分の研究部屋に篭る時間が長くなった。話す機会を伺っていた私は、しかし助手に会えないままでいた。そうしている間にも私は少年を変えてしまった実験のことを時々考えた。自分が人間じゃないと信じて人生を生きるとはどういうことなのか。それが幸せだとしても、今の私のように悩みながら、人間として生きるべきではないだろうか。そんな思い込み一つで心の形を変えられてしまっていいものか。私の中でもやもやとした感情はどんどん大きくなっていき、私はどうしても助手と話さなければならないと思った。

 助手の部屋に入るとそれは少年と話した部屋に似て、入って左に大きなモニターがあった。それを挟んで反対側に助手がいる。

「お久しぶりです、博士」

「あぁ、邪魔して済まない。今いいかな」

「大歓迎ですよ。丁度モニターに大事なデータを映していたところです。何か分かりますか」

 私は壁から少し離れてモニターの全体を見上げた。レントゲン写真のようなもの、心理グラフ。一瞬少年のものかと思ったが、違う。

「あの少年は自分が人間じゃないと信じることでより人間らしく生きられるようになった。逆に博士、あなたは少年の人生に介入したと感じることで人間としての自分をより強く意識するようになったのではないですか? 非常に興味深い。実験はまだ終わっていませんが今のところは大成功です。そしてそれももうすぐ終わる」

「どういうことだ」

 自分の理解が進むと同時に嫌な感覚が体を蝕んでいくのを感じる。

「心とは何か、根源的な問いですね。人間なら誰しも一度くらい考えたことがあるでしょう。機械でそれを作ろうとするのは、ある意味では人間の心を知るための一つの手段です。それはとてつもなく難しい。しかし今ようやく手にした一つの成果がこのグラフに現れている」

 あの時見た人間の心理グラフ、それには及ばないものの確かに動いている。私の鼓動が速くなっていき、そのグラフのグラデーションはより鮮やかに混沌として揺らめいた。

「私は心の重要な構成要素と考えられる自意識について、二つの段階が必要であるという仮説を立てました。一つ目は他者と関わることのできる自分を知ること。そしてその上で」

 助手は手をこちらに向ける。その手には赤いスイッチが握られていた。

「自己そのものに深く向き合う経験をすること」

「それは……」

「どんな機械でも緊急時に安全に停止できるようなスイッチの用意が義務付けられている。もうお分かりですよね、あなたはロボットだ」

 体が震える。違う、そんなはずはない。

「私は人間だ」

「自分が人間であると信じる、大変結構なことです。しかしだからこそ私は、今このスイッチを持ってあなたと対峙している」

「私を殺すのか」

「違いますよ、あなたは人間ではありませんからね」

「そんなの、どっちでもいいだろ!」

 私は部屋の反対の助手に向かって走り出し、倒れ込むように手を伸ばす。あのスイッチを押させてはいけない、今はただそれだけが確かだ。私の手の先で、助手がスイッチに手をかける。私は

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