とりあえず処置をしましょう

 サンプルの採取が終わると、僕も急いでパラクセノス先生の研究室に戻った。


 幸いなことに、エステルの様子はだいぶ落ち着いてきたように見える。先ほどは神のように白かった顔色にも少しだけ血の気が戻ってきている。

 対照的にピオーネ嬢の顔色は真っ青だ。コニーの表情も硬い。


「まずはクリシュナン嬢を医務室で医師に診せてくる。お前が天人朝顔か瘋癲茄子ふうてんなすびと判断した理由は?」


「前回使われていたのが天人朝顔でしたし、散瞳さんとうが著しく、目の焦点が合ってないように感じました。幻聴も聞こえる様子が見られ、強い暗示にかかっていたのでその辺りの影響かな? と」


「なるほど。いずれにせよ何らかのトロパンアルカロイドが使われている可能性が高いな。クリシュナン嬢、異常にまぶしく感じたり、何かおかしなものが聞こえたりしないか?」


 やはり先生も同じ毒物を疑っているらしい。症状が特徴的だし昔からよく使われてるからね。


「何が起きたのかよくわかっていなくて、まだちょっとドキドキしてますが、他は大丈夫です」


「なるほど。動悸と血圧上昇はまだおさまっておらんのだな」


「やはり神明豆を使った方が良さそうですか?」


「とりあえず胃洗浄だけして明朝まで様子を見よう。意識も清明で普通に食事もできそうだから、おそらくもう大丈夫だろうが」


 神明豆は天人朝顔や瘋癲茄子ふうてんなすびの解毒剤として使えるものの、それ自体がとても危険な神経毒だ。もともとは不貞や宗教的な疑いをかけられた人が自らの潔白を証明するために毒を飲んで神の加護を示す、「神明裁判」に用いられていた。

 きわめて扱いが難しく、本音を言うと僕自身も厳密に扱いきる自信がないので、使わずに済ませられるならそれに越したことはない。


「のど乾いてない? 口の中が乾いて気持ち悪かったりするじゃないかな?」


「あ、そういえばお水欲しいです。いただけますか?」


「はい、これどうぞ」


 ぬるめの香草茶を渡して飲んでもらう。


「おいしい。口の中がねばついて気持ち悪かったのがすっきりしました」


 美味しそうにお代わりをするエステル。そのまま三杯もお茶を飲み干して、ようやく人心地ついたようだ。

 すぐに処置したつもりだけど、動悸や分泌抑制などの症状がまだ残っているのだろう。咽頭の粘膜から多少は吸収されてしまったのだろうか。


 それもこれも、安易に敵の近くに連れて行ってしまったせいだと思うと本当に申し訳ない。


「それじゃ医務室に行ってくるぞ。分析するからサンプルの用意をしておいてくれ」


「かしこまりました。お大事にね、クリシュナン嬢」


「先生、クリシュナン嬢をよろしくお願いします」


 水分を補給したエステルを連れてパラクセノス師が生徒会準備室を出ると、僕もさっそく試料作りにとりかかった。


 まず乳鉢を用意してサンプルを入れ、ペースト状になるまですり潰してからメチルアルコールを加えて成分を抽出する。

 これで一晩放置するとさまざまな成分がアルコール中に抽出されるので、それをクロマトグラフィにかけて細かく分析するのだ。


「随分と手慣れてますのね」


 黙々と作業を進める僕を見てパブリカ嬢がぽつりと言った。


「僕の本職は犯罪捜査ですから。時間が巻き戻ってるので、かなり現場にも出てますしね」


「……本当の事でしたのね。わたくしお二人がふざけているものとばかり……」


「怖い思いをさせましたよね。僕がうかつでした。本当に申し訳ありません」


 毒を盛られて拉致され危険に晒されたエステル自身も怖かったはずだけど、ピオーネ嬢も目の前で友人が消えたかと思うとぐったりした状態で連れ戻され、挙句の果てに自分が持参したお茶に毒が入っていたなんて言われたんだもの。かなりショックだったはず。


「わたくしのお渡ししたお茶に毒が入っていたんでしょうか」


「分析してみないとわかりませんが、その可能性はあります。お友達からいただいたそうですが、どなたから受け取ったか覚えておられますか?」


「それが全く。いつ受け取ったかも思い出せなくて。本当に申し訳ありません」


 しょんぼりした様子はまるで捨てられた子犬だ。

 きっとエステルが災難に遭ったのが自分のせいだと思って責任を感じているのだろう。


 うまく話を引き出しつつ、彼女のせいではないときちんと伝えなければ。


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