どうやら同類のようです。
月虹亭で
月蝕の闇で空間を切り裂き脱出するつもりだったのだが、いきなり背後から抱きついてきた人物によって、術が発動寸前で霧散してしまった。
「うふふ。だぁれだ?」
声は間違いなく「エステル・クリシュナン男爵令嬢」だが、この粘つくような喋り方は「前回のエステル」でも「今回のエステル」でもない。
可憐なはずのその声に隠しようもない悪意が溢れていて、肌が粟立つのを抑えられない。
エステルたちはコニーが連れて帰ってくれたはずなのになぜ?
いや、店の近くまで連れてきた時点で間違いだったのだ。自分の認識の甘さが情けない。
甘ったるい香りに頭がクラクラするのをこらえ、しがみついてくるソレを振りほどきながら後ろを向くと、ピンク髪に蜂蜜色の瞳の少女の姿をしたモノがニタリと嗤った。とっさにソレの手首をつかんで今度こそ月蝕の闇を呼び出すことに成功する。
次の瞬間、僕たちは元の店の前にいた。
「痛いわね。レディの手首をつかむなんて騎士の風上にもおけないわ」
「これは失敬を。わたくし第二騎兵連隊のヴィゴーレ・ポテスタースと申します。こちらのレディはどちら様でしょう?」
「うふふ、ご存じのくせに。腐れ女神の眷属さん」
冗談めかして訊ねるが、あっさりかわされてしまった。さっきから冷汗が止まらない。
「なるほど。僕と同類ということですか、根性悪女神の眷属さん?」
「創世と豊穣の女神に不敬でしてよ。あたしこそが創世神イシュチェルに選ばれた真のヒロイン、癒しと救世の聖女。わかったらひれ伏しなさい、この駄犬」
傲慢な表情で上からものを言い慣れている様子と聖女の名乗りに、ふと思い当たった。
「もしかしてあなたはカロリング王国のリリア・アピリスティア?」
三十年ほど前。
大陸西方のカロリング王国で、平民育ちの少女が自ら聖女と称して王太子をはじめ高位貴族の子息を次々と篭絡した。そして大虐殺と森の大伐採を行ってとんでもない災害を引き起こしたのだ。
その少女こそ『亡国の偽聖女』リリア・アピリスティア。
それがきっかけでかの国では革命が起こり、共和制国家が成立したものの長続きせず、その後は内戦を繰り返しながら暫定政府が数年おきに入れ替わる状態が続いている。
そう言えば彼女も平民として生まれ育ったものが男爵家に引き取られ、貴族の通う学園に入学して王太子らと出会ったのだった。そして高位貴族の子弟に擦り寄りつつ、彼らの婚約者を貶めて処刑場に次々と送り込んだ。
僕の知っている前回の「エステル・クリシュナン」とはスケールが全く違うものの、生い立ちや行動原理、根底にある価値観がどこか似通っているように思う。
「あら、随分と懐かしい名前でお呼びですこと。でもあたしはただの女伯爵じゃなくて王妃よ。その名で呼ぶならリリア・イリス・ローランドとお呼び……っ」
「仰せのままに、傾国の王妃殿下」
嘲りを隠そうともしない彼女は血のように赤い唇を歪めて艶めかしく微笑んだ。
「ご主人様ったらたまには趣向を変えたいとか言い出して、十一歳とは思えない悪意と承認欲求にまみれた子供を見つけて使ってみたんだけど……やっぱりガキは頭が悪すぎてダメね」
どうやら前回の「エステル・クリシュナン」の中身のことらしい。精神年齢が幼いとは感じていたが、まさか本当に子供だったとは。
「仕方ないから巻き戻してババアにしたら、今度はゲームと現実は違うとか言ってイベント回避しようとするし。最初からあたしを使っていれば、ちゃんと因業を重ねてたくさんの魂を刈り取り、創世神イシュチェル様の糧として捧げられたのに」
さんざんな言いようだが、つまりは今回のエステルも彼女たちの思い通りにはならなかったのだろう。そこでこのリリア・ローランドの魂を引っ張り出して憑依させたのかもしれない。
月虹亭はあの女神の本拠地なんだから、安易に踏み込めばこんな事態になるのは想定できたはずなのに。
今回エステル・クリシュナンにされてしまった女性は少々おっちょこちょいではあるが、生真面目で良識的な好感の持てる人物だった。もし不用意に店に近寄ったせいで魂を消されてしまったのであれば申し訳なさすぎる。
僕が自分のうかつさに歯噛みしていると、「エステル・クリシュナン」が急に表情をこわばらせて大きな瞳からぽろぽろと涙を零しはじめた。
「嫌……破滅するのも破滅させるのも嫌……私の身体を返して……」
弱々しく首を振りながら何事か呟くが、またすぐにあの傲慢な表情の「エステル・クリシュナン」に戻ってしまう。かと思えば次の瞬間また涙を流し始め……不安定なことこの上ない。
もしや、暗示をかけられて自分を別人だと思い込んでいるだけ?
たしかあの毒物は強い暗示をかける効果もあったはず。それならばまだ処置によっては助かる可能性がある。
多少乱暴ではあるが、試してみる価値はあるだろう。
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