転入させられてしまいました(現エステル視点)

 意識が戻ってしばらくは現状を把握するだけで手いっぱいだった。


 どうやらゲーム開始半年くらい前の時点に放り込まれたらしい。

 ゲーム内で伝染病で死ぬはずだった母をうがい手洗いを徹底して、なんとか病死だけは回避した。ついでに近所の人たちにも病気の予防について教えたため、ご近所での死者もだいぶ減らせたような気がするのはまた別の話。


 なぜかこの街ではとろっとした感触の液体せっけんが普及していて、庶民でも気楽に変えるような安価で販売されていた。

 まだ手洗いの習慣が徹底されているわけではないようだが、それでも想像していたよりもずっと清潔な街に戸惑いが隠せない。


 前世では「ファンタジー世界は中世ヨーロッパ風なんだから、実際にはものすごく不潔なはず」と思い込んでいた。実際に革命前のパリなんておまるの中身をみんなそこらの窓からポイ捨てするものだから、街中排泄物だらけで悪臭が漂い、病気が蔓延していたという。

 ところが、いざ本当に転生させられてみると実際のイリュリアの街は清掃も行き届いていて、街の要所要所に水洗の公衆トイレもある。

 庶民の家の汲み取り式トイレも定期的に業者が汲み取りに来てくれるので清潔だ。しかも費用は税金からねん出されているので私達は負担しなくても良い。


 不潔な街で生活するのはまっぴらごめんなのでありがたいとは思うけれども、ゲームの世界にこんな合理的な都市衛生管理システムがなぜ導入されている事にとてつもない違和感を覚える。

 てっきりゲームの中なんだから適当にふわっとぼかされているのか、逆に実際にはものすごく不衛生なんだけど都合の良いところしか描かれていないものだとばかり思っていたのに。


 もしかして、私の他にも転生者がいるのだろうか?


 とにもかくにも、ゲーム内で描かれていた母の死を回避できたことで、「これでゲームに突入しなくても済む」と胸をなでおろした矢先のこと。

 思いがけない馬車の事故に遭って、母はあっさり死んでしまった。


 正直、関わった時間はごくわずかなので、「肉親の死」としての実感はあまり湧いてこない。

 それでも貧しい中でも必死に頑張って「エステル」を育ててくれたであろう女性のあっけない最期にはなんともわびしい思いが込み上げてきた。

 たいして福祉も発達していないこの世界で、女手一つで子供を育てるのはものすごく大変だったはずだ。きちんと成人した姿を見せて親孝行してあげたかったのに。


 呆然としながら葬儀を済ませ、どこか住み込みで雇ってもらえそうなところを必死で探した。

 幸いなことに私は読み書きができるし、前世の記憶のおかげで複雑な計算も難なくこなせる。

 すぐにどこかの商家で働き口が見つかると思っていたのに、それより前に実父が迎えにきてしまった。

 結局、クリシュナン男爵家に引き取られて学園に入学する流れからは逃げられないらしい。


 このまま「物語の強制力」とやらにとらわれて高位貴族のご令嬢たちを陥れて地獄に落とすような所業に走ってしまうのだろうか。

 そう思うと恐ろしくてたまらない。


 この恐ろしい「ゲームの世界」からどうやって抜け出せば良いのだろうか?


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