魔導回路と入学式

 いなくなったポントスについて平然と語るクセルクセス殿下。強い違和感を不気味に感じていたが、フレベリャノ母子に対する異様な執着を思い出さないように暗示をかけた結果らしい。それから彼らを拘束したマリウス殿下や、彼らを処分するとおっしゃった国王陛下への反感も薄れさせたのだとか。


 確かにフレベリャノ母子の洗脳の影響は深刻で、あのまま放置しておいては間違いなく後々何らかの禍根となるような問題行動に及ぶだろう。

 しかし、それをただ暗示をかけて認知を歪めるだけで誤魔化し切れるものなのだろうか?


 ヴィゴーレは時間経過とともに暗示が薄れていくことを案じていた。パラクセノス師は元々が強烈な感情なので暗示が解けやすいのでは無いかと懸念を語られた。

 そんな事態が起きるまでに、殿下が精神的に事実を受け止め切れるほど成長できるだろうか?

 いざ暗示が解けてしまった時にすぐに大人たちに助けてもらえるよう、影に日向にフォローして欲しい、と頼まれたが、果たして俺の手に負えるのだろうか?


「あまり難しく考えるな。少しだけ時間稼ぎをしたのだから、その間にゆっくり色々な経験をして、そこから学んでいけば良い」


 不安に押し黙ってしまうと、師がポンポンと頭を撫でて下さった。見上げると、眼鏡の奥の瞳が優しく微笑んでおられる。

 何だか子供扱いされたような気もするが、手に余る責任を負ってしまった今、頼っても良いのだと態度に表してくれる大人の存在は少し心強い。

 

「ありがとうございます。そうですね、焦っても何もはじまりません」


「その通りだ。焦って動けば事態を悪化させかねない。何か危ないと思ったらすぐに私に知らせてくれ。それがお前の役目だ」


「先生に知らせるだけで良いのですか?」


「ああ。責任を負うのが大人の役目だからな。お前が果たすべき役割は、大人の助けが必要な事態を見極めてすぐに知らせること。大切な役割だしなかなか難しいが、お前なら大丈夫だと信じている」


「かしこまりました。危ないと思ったらすぐお知らせします」


「すまんな。本当はお前たちみたいな子供に背負わせるようなものではないんだが。学園の自治を盾に取られると強引なこともできん」


 何か口実をつけてヴィゴーレを退学処分にして、そのまま取り込まれるのだけな避けたい。そうおっしゃられれば、俺もできるだけの事をするしかない。


「さて、そろそろヴィゴーレが不審に思う頃だろう。いったん戻らないと」


 師の言葉に素直に頷いて研究室に戻ると、ヴィゴーレは目を爛々と光らせながら一心不乱に資料を読んでいた。

 ちょっとだけ気迫が怖い。


「どうだ? 何か使えそうか?」


「ええもう、これは素晴らしいですよ! さすがパラクセノス先生、やはり天才ですね!」


 師が声をかけるとがばりと顔を上げ、瞳をキラキラ……と言うよりはギラギラと輝かせて早口でまくしたてた。

 こんなに興奮を露わにする姿は初めて見るかも知れない。


「どうしたんだ、いきなり」


「これ、腐食性の酸と組み合わせて使えば魔導具に回路を書き込むのがぐっと楽になりますよ!」


 いささか引き気味に師が尋ねると、彼は噛み付くような勢いで言った。


「どういうことだ?」


「今は回路を魔石や銀に彫刻刀で直接刻み込んでいるじゃないですか。これだけ細やかに魔力で操作できるなら、銀細工に直接このインクと腐食性薬品を混ぜたもので回路を描きこんで、溝が出来たところでよく洗浄すればそのまま魔石を組み込むだけで魔導具になりますよ」


 一息に言い切ると、今度はパラクセノス師の目の色が変わった。


「なるほど!視覚情報を転写することばかり考えていてその発想はなかった」


 そのまま二人でああでもない、こうでもないと言い合いながら凄まじい勢いで研究ノートに何事か書き込んでいる。

 鬼気迫る勢いで、かなり怖い。


「これで魔導具作成が一気に楽になるな。お前たちのおかげだ」


 ひとしきり語り合って落ち着いたのか、パラクセノス師が満足げにありがとうとおっしゃった。


「とんでもない。僕はデータを見せていただいただけです。素晴らしいものを見せていただいてこちらこそありがとうございます」


「私など実験を見せていただいていただけで、何もお役に立てませんでした。過分なお言葉です」


「いや、ヴィゴーレが思いついてくれなければこんな発想は出てこなかったと思うし、そもそもコノシェンツァが写本したいと言い出さなければ実際にインクを操作してみる機会もなかなかできなかったと思う。それに、コノシェンツァが細かく記録してくれたおかげでヴィゴーレが色々な可能性に気付いてくれたんだ。二人ともよくやってくれた」


 眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせながら心から嬉しそうにおっしゃられると、少しは自分でもお役に立てたような気がしてくるのだから不思議なものだ。

 入学後、魔術の指導を受けながら先生の研究を二人で手伝うとお約束してこの日はおいとますることとなった。


 そして入学式。

 西大陸オクシデントではあまり行われない儀式だが、我が国の貴族学園では大々的に行われる。

 正直、早く授業に取り掛かるなりオリエンテーションで学校内の様子を知るなりした方がよほど建設的だと思うのだが、節目節目の行事で愛校心と仲間意識を育てるとか、大義名分を並べられた。

 今は延々と役に立ちそうにない学園長の挨拶を聞き流している。

 次は新入生総代の挨拶。通常は入学前の学力テストで首位だったものが行うのだが、今回は王族がいるので特例としてクセルクス殿下がスピーチする。

 王族にもかかわらず主席どころか上位十名に入れなかったことが極めて異例なのは公然の秘密だ。


「……で、あるからして。諸君らはこの栄光あるシュチパリアの次期国王であるこの俺と共に学べることを光栄に思い、勉学に励むように」


 我が国がいかに古来から栄えている優れた国なのか、シュチパリア人がいかに優秀な民族かを延々と並べていた殿下は、傲慢極まりない言葉でスピーチを締めくくった。

 誰か原稿を下読みして訂正しなかったのか。殿下が受けていた洗脳は認知を歪めて思い出せなくしたはずなのに、なぜ選民意識が残ったままなのか。

 聞いているそばから次々と疑問が湧きあがってくる。

 小国がひしめき合う地域の、観光以外に大した資源のない多民族国家であるシュチパリアにとって、王族がこのような差別的な意識に凝り固まっていては命取りだろうに。

 不安材料しかないスピーチに頭が痛くなったところでようやく式の終了を告げられた。


「やっと終わった。さっさと授業してくれればいいのにね」


 隣ではすっかり退屈しきった顔でヴィゴーレがぼやきながら首を回している。声を潜めてはいるが、他の連中に聞こえたらどうする気だ。


「これから五年、この調子だと先が思いやられるね」


 俺の心配を知ってか知らずか、困ったように笑っているが、困っているのは俺の方だと言いたい。


「二人で何をこそこそ話してるんだ?」


「いえ、早く授業を受けたいなと思いまして」


 険しい顔で問う殿下にヴィゴーレが笑顔で答えると、不愉快そうに鼻を鳴らして横を向いてしまわれた。何やら強い敵意を感じさせる態度にますます先が不安になる。

 そう言えばマリウス殿下や国王陛下への反感は認知できなくしたけれども、ヴィゴーレへの逆恨みを消したという話は聞いていない。

 その事実に気付いた瞬間、とてつもなく嫌な予感がしてきた。


「どうした、難しい顔して」


 思わず顔がこわばりそうになったところで後ろからぽん、と頭を叩かれた。パラクセノス師だ。


「スキエンティアにポテスタース、二人とも今日はお役御免だろう? 帰りに研究室に寄っていきなさい」


「よろしいのですか?」


「ああ、昨日の話の続きがしたいんだ。一刻も早く実験に取り掛かりたい」


「かしこまりました」


 先生の後ろに付き従いながら、ちらりと殿下を見やると苦虫を噛み潰したような顔でこちらをにらみ据えていた。

 やれやれ。この先いったいどうなる事だろう。


「あまり気にするな。困った時はすぐに俺に言え」


 俺たちの不安を察して下さったのだろう。廊下を曲がって殿下たちが見えなくなったところで歩を緩めて振り返った。


「スキエンティアもポテスタースも絶対に一人で悩むなよ。俺はいつでも研究室にいるからな」


 くしゃりと俺たちの頭を撫でると優しく微笑みかけて下さるパラクセノス師。在学中、困った時は少なくともこの人だけは頼っても良い気がする。


「困った時は一人で抱え込まずに必ず言ってくれ。子供だけにリスクも責任も持たせるような大人にはなりたくない」


「子供って……僕はもう軍人ですよ」


「そうだな。だが年齢的にはまだ子供なのも事実だろう? 学内では頼りになる部隊の仲間はいないんだ。学校の中だけでも子供らしく教師に守られておけ」


「……はい」


「俺だけじゃない。マリウス殿下もマッテオ様も、お前たちの事を心配している。何かあったらあてにしてくれ」


 この先何が待ち構えているかわからないが、決して自分たちだけで抱え込むことはしないよう、肝に銘じておこう。


「さ、実験を始めよう。うまくいったらすごい発明になるぞ」


 再びきびすを返して弾んだ声をあげる師の後を追いながら、俺はすっと心が軽くなったと感じた。

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