記憶操作と人身売買

 それからの日々はあっという間に過ぎた。

 結局、入学式前日までヴォーレの休みが取れず、次に会えたのは入学式前日のこと。打ち合わせと称してクセルクセス殿下から呼び出されたのだ。


「明日はいよいよ入学だ。お前たち、俺に恥をかかせぬようしっかり仕えるのだぞ」


 ふんぞり返るクセルクセス殿下に仏頂面のアルティストとにこにこしているアッファーリ。ヴィゴーレも困ったように微笑みながら殿下の言葉をおとなしく聞いている。


「第二学年に以前俺の侍従を務めていた優秀な男がいるのだが、あいにく先日の豪雨災害で行方不明になってな。不出来なお前たちを指導してもらうつもりだったのに残念だ」


 やや眉を曇らせながらもあっさりと言ってのけたクセルクセス殿下に驚いた。

 なるほど、彼の失踪の真相を隠すには、天災に巻き込まれて行方不明となったことにするのが最も無難ではあろうが……


「それは心配ですね」


「……」


 素直に気遣わしげな表情になるアッファーリや痛ましげな表情で押し黙ってしまったヴィゴーレと対照的に、殿下はさほど動じていないように見える。

 事件前ならば取り乱して「何を置いても今すぐ探し出せ」と怒鳴り散らしていそうなものだが。


「優れた先達の指導を受けられず不安ではあろうが、しっかり務めれば卒業後は安泰だからな。せいぜい励むように」


 ひとしきりどうでもいい自慢話を続けた殿下は珍しく三十分足らずで話を打ち切った。これならわざわざ前日に呼び出さなくても良いような気もするが、以前のように何時間も中身のない自慢に付き合わされるよりははるかにマシだろう。


 学長室を退出したのちも浮かない表情のヴィゴーレが気になって声をかけた。


「どうした? 何か気になることでも」


「あ、うん。……元侍従の方、イスコポルで行方不明になったって言うから……」


「ああ、そのようだな」


 実際は殿下を連れ去ろうとしてお前に捕縛されたんだが。


「大勢の人がエルダ山岳党クレプテインに連れ去られたから。もし殺されてないなら今頃は……」


 痛まし気に語尾を濁らせ目を伏せる。ああ、なるほど。


「人身売買か」


「うん。たぶん湖を経由してヴァルダリスに。あの大雨で山も湖もすぐには捜索できなかったから……」


 外国に売られた人々がどんな目に遭っているかは想像にかたくない。

 その主犯でもあるポントス・フレベリャノに対して新たに怒りが湧いた。


「僕、何も出来なかった。情けないや……」


 自嘲気味に微笑む姿に、あの惨劇の記憶が全て消えた訳では無いのだと悟る。

 そして投げつけられた心無い言葉は覚えていなくても、誰にも責められなくても、彼が無力さに歯噛みして自らを責めることは変わらないのだと。


「あの豪雨は尋常ではなかった。無理に捜索に出ていれば二次災害で被害が拡大しただけだ」


 実際、イスコポル近くのヴィスククの村は土砂崩れで甚大な被害を受けた。

 人的被害が少なくて済んだのは、雨の降り始めのうちに麓の村に避難した人が多かったからだ。


「しょせん、人間に出来ることなんて限りがあるんだ。何もかも救えたかも知れないと思うのは傲慢だ」


「うん、そうだよね」


 彼は少し哀し気に微笑むと小さく「ありがとう」とつぶやいた。こんな顔をさせたい訳ではないのだが。

 何か彼の気が晴れるような事はないだろうか。


「そうだ。せっかく来たんだからパラクセノス師の研究室に寄っていかないか?」


「え、急ぎの仕事でもないのにいきなりお邪魔して大丈夫かな?」


「どうせ明日からお世話になるんだ。今のうちにご挨拶しておいた方が良かろう」


 戸惑うヴィゴーレの手を取って研究室に向かう。いささか強引ではあるが、研究の話などを聞けばきっとすぐに夢中になるだろう。


「おお、二人ともよく来たな。ちょうど見せたいものがあるんだ」


 幸いなことにパラクセノス師はご在室で、快く俺たちを迎え入れてくれた。


「休暇中、こいつと色々実験してたんだ。今論文にまとめているところだから読んで行かないか? ついでにデータの整理を手伝ってくれ」


 ごちゃごちゃした研究室の一角にある大きな会議テーブルに案内されると、師は分厚い紙の束をヴィゴーレに手渡した。びっしりと何かが書き込まれた数冊のノートも一緒だ。


「え? 僕なんかが拝見しちゃってよろしいんですか?」


「ああ、お前の意見も聞きたい。ぜひ読んでくれ」


「わあ、ありがとうございます。拝読します」


 とたんに琥珀色の瞳が輝いた。

 師から受け取った論文を食い入るように読み始めると、キラキラと輝く瞳はもう紙面に釘付けて周囲の様子など全く意識にのぼらない模様。

 師はしばしの間その様子を微笑まし気に見守っていたが、ふと俺に目顔で合図して隣の準備室へといざなった。


「何か訊きたい事でもあるんじゃないのか?」


「え? しかし……」


「大丈夫だ。ヴィゴーレなら論文に夢中だからな。ああなると資料も含めて読み終わるまではよほどのことがない限り気付かんだろう」


 師はふっと微笑んで研究室の方を見やった。


「はい。久しぶりに殿下にお目通りしたのですが……その、ポントス・フレベリャノの不在を天災に巻き込まれての失踪だと思い込んでいるのは、やはり記憶操作によるものでしょうか?」


「ああ、事実をそのまま公表するわけにいかないからな。イスコポルの惨劇に関連して表の社会からは行方が知れなくなったのは嘘ではない」


「それはそうですが」


 かなりこじつけが過ぎるのではないだろうか。


「事件前の殿下なら、大騒ぎしてヴィゴーレに今すぐ探し出せとお命じになりそうなものですが」


「ああ、殿下のフレベリャノ母子への傾倒は尋常ではなかったからな。事件の全容を説明されても、ヴィゴーレや第二旅団の連中の陰謀で陥れられたと信じて疑わなかったようだ」


「そんな。無茶苦茶な」


 いくら何でも逆恨みが過ぎるというものではなかろうか。


「ああ。奴を逮捕したヴィゴーレと、身柄を拘束したマリウス殿下、処分を決めた国王陛下をいたく恨んでおられてな。このままでは間違いなくろくでもない事態を招くと、暗示をかけることになったんだ」


「なるほど、それで」


 ポントス・フレベリャノの失踪について語るときも平静を保っていたわけだ。


「ああ。陛下とマリウス殿下への反感やフレベリャノ母子への慕情を薄れさせた。もっとも、元の感情が強すぎるため徐々に暗示の影響が解けてしまうかもしれないが」


「それは危険では?」


 むしろ記憶が戻った時の反動が恐ろしい気がする。


「それまでに、殿下が事実を受け容れられるよう精神的に成長すれば問題ない、という陛下の判断だ。周囲は大変だろうが、事情をすべて覚えているのはお前だけだ。よろしく頼む」


「……かしこまりました」


 ヴィゴーレの懇願に負けてつい安請け合いしてしまったが、こんな大役俺につとまるのだろうか?

 今さら後には退けないところまで来てしまっているのはわかっていても、不安を覚えずにはいられない俺だった。

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