休日と違和感と贈り物

 次の日曜日。ヴィゴーレの休みに合わせてまた一緒に遊びに行くことになった。今回も図書館に行って、そのあとマーケットを回ることにする。


 正直、アーベリッシュ卿に言われたことに納得したわけではないし、ただの十三歳の子供にすぎない俺に何ができるのかは全くわからない。

 それでも彼にとって特別な存在だと言われたような気がして、できる限りのことはしてやりたいと思っていた。


 待ち合わせの広場に着くと、今日は藍色の勤務服姿で待っていた。今まで見た時は勤務中に焦げたり破けたりしたままやって来たので、まっさらなものをきちんと着込んでいる姿を見るのは初めてだ。

 前だけ丈が短くなっているジャケットの裾からシャツが見えている最新流行のデザインで、剣帯が腰の細さを強調している。銀糸刺繍の階級章が目に眩しい。

 やはり王都の治安維持部隊だけあって、機能性と見た目の美しさを重視した意匠となっているようだ。


「コニー、今日はつきあってくれてありがとう!」


「こちらこそ。北部から戻ったばかりでまだやらねばならぬ事だらけだろうに」


 キラキラとした笑顔で駆け寄ってくる彼の背後で長い三つ編みが尻尾のように揺れる。相変わらずとても軍人とは思えぬ姿だが、こんなに全身で喜びをあらわにされると悪い気はしない。

 馬車に招き入れて向き合って座ると、距離の近さが少々照れくさくなった。


「ううん。あっちでは大きな戦闘もなかったし、対処しなければならない事案はあっちにいる間に対応できたからそれほどでもないよ。あとは報告書をまとめるだけ」


「その書類仕事が大変そうだが」


「確かにちょっとめんどくさいことはめんどくさいんだけどね。お出かけするのが楽しみで頑張れたから、もう終わっちゃった」


 ぺろりと舌を出して悪戯っぽく笑う。無邪気で微笑ましいが、あまり貴族らしくはない仕草だ。こういった表情も、入学してしまうと次第に見られなくなるのだろうと思うと少し寂しい。


「あ、それ。この間のお守り?」


「ああ、俺は編み込めるほど髪が長くないからとりあえずクラヴァットと一緒に巻いてみたんだが」


 ふと俺の胸元に目をやったヴィゴーレが嬉しそうに目を瞬かせた。


「よく似合ってるし、身に着けてくれてて嬉しいよ。でも、できれば素肌に触れるところにつけてくれる? 君に何かあって血液が付着した時、距離と方角が分かるようになってるからすぐ駆け付けられるんだ」


「……血液が付着?」


 思わず怪訝な顔になると、彼ははっとした表情になった。


「あ……君はそういう心配はないんだったね。ごめん」


「いや、万が一という事もある。良かったらつけてくれないか?」


 明るかった笑顔が曇りそうになるのを見て慌てて口をはさんだ。

 クラヴァットを解いて外した飾り紐を渡すと、手首に巻いてもらおうと左手のシャツの袖をまくって差し出す。

 彼は手早くブレスレットのように紐を巻き付けると、結ぼうとして俺の肌に触れた指先を一瞬だけぴくりと縮こまらせた。

 かすかな違和感が意識の隅をかすめる。もしかして、他人の肌に触れるのを怖がっている?

 以前のように距離が近すぎるよりは良い気もするが、何かあったのではないかと少し気にかかった。


「どうしたの?」


「あ、ああ。何でもない。ありがとう」


 不思議そうに見上げられた時にはもうその違和感は消えていて、俺が慌てて打ち消すと、彼は首をひねりながらも身を離す。


「あと十日で入学式なんて、ちょっと信じられないや」


「ああ、まったく。殿下たちのこともあるし、先が思いやられるな」


「うん。僕も貴族の子弟としての立ち居振る舞いとか、いまいちわからないから迷惑かけないか心配」


 目を伏せて少しだけ不安げに瞳を揺らす姿は北部に向かう前の傷だらけの姿と変わらない。やはり強いトラウマを封じても、心に刻まれた深い傷そのものが消えてなくなった訳ではないのだ。


「まだ部隊の外は怖いか?」


「正直言うと少しね。でも、いつまでも逃げていられないから」


 無理をして微笑む姿が痛々しい。

 アーベリッシュ卿に言われるまでもなく、こんな顔を見せられたら放っておけるはずがない。


「大丈夫だろう。俺もフォローできるときはフォローするし、困った時にはパラクセノス先生にご相談すれば良いんじゃないか?」


「それもそうだね」


「ああ、ちゃんと味方になる人はいるんだから。絶対に一人で抱え込むなよ」


 しっかりと目を合わせてできるだけ力強く言い切ると、彼の表情がふっと緩んだ。


「ふふ、本当に君って優しいよね。心配してくれてありがとう」


「いや、それほどでもないが。これから長い付き合いになるんだし、だいたい俺たちは友達だろう? 少しは頼りにしてくれても罰は当たらんだろう」


 嬉しそうにくすくすと笑われるのには閉口するが、彼の不安が取り除けたならそれはそれで良い。


「うん。教室では君が一緒だし、学生の手に負えない事があればパラクセノス先生に相談できるし、怖がらなくても大丈夫そう」


 納得したようにうなずいて、今度こそ肩の力を抜いたヴィゴーレに、「頼りにしてるよ」と悪戯っぽく顔を覗き込まれて、つい照れて目をそらしてしまった。


「ああ、そうだ。パラクセノス先生で思い出した。これ、良かったら受け取ってくれ」


「わあ、グローティウスの戦時国際法概要。読んでみたかったんだよね。わざわざ写してくれたの?」


 写本を取り出すと彼は目をぱっと輝かせた。


「ああ、本当は自分で書き写そうと思ったんだが、なかなか能率が悪くて。パラクセノス先生と魔力で操作できるインクで一気に印刷できないかと試してみたんだが、どうにもうまくいかなくてな。少ししか写せなかったんだ」


「ありがとう。僕が読みたがってたの覚えてくれてたのも嬉しいし、こうやって手間をかけてくれたのも本当に嬉しい」


 がっかりされるかと思いきや、ヴィゴーレは瞳をキラキラさせながら身を乗り出してきた。

 やはり彼は高価な贈り物よりは、かけた手間やこめられた心遣いを喜ぶ人間のようだ。


「ね、その実験の話、もっと聞かせて」


「ああ。魔力に反応するインクを使って視覚情報をそのまま紙の上に転写しようと思ったんだが、インクそのものを魔力で細かく動かさないといけなくて、自動化ができなかったんだ」


「ふ~ん。逆に言うと魔力でこんなに細かくインクを操作できるんだね?」


「ああ。インクに聖樹の炭の粉を混ぜているとおっしゃっていた」


「すごいよ。こんなに細やかに操作できて、しかも書いたものにも微弱な魔力が残ってる。これ、使い方次第ではすごい発明になるよ」


 何かが彼の琴線に触れたようだ。うっすらと潤んだ瞳に星が一個中隊ほど鎮座していて、頬も桜色に上気している。

 こんなに喜ぶなら、一度実験にも立ち会ってもらうのも良いかもしれない。


「そうなのか?入学までパラクセノス先生に魔術の基礎を教えていただいてるんだ。良かったら一緒に来るか?」


「うん! 先生にお許しをいただけても勤務の方も調整しなきゃいけないからすぐお邪魔できるかわからないけど、絶対にお話うかがいたいな」

 

 うきうきと弾んだ声にこちらまで嬉しくなってくる。

 学校が始まったら毎日こうして一緒に過ごせるのだと思うと、あれほど憂鬱だった入学式が待ち遠しくなるのだから不思議なものだ。


 この日、俺は生まれて初めて「時間が経つのが早すぎる」という経験をした。

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