箝口令と記憶操作
北部から戻って早々に相談があると俺を呼び出したヴィゴーレだが、心配して駆けつけても楽し気に新しくできた異民族の友人の話をするばかり。
さすがに気を悪くして帰ろうとすると、途端に表情を曇らせて口ごもってしまった。
「どうした? 俺にできることなら力になるから、遠慮なく言ってくれないか」
瞳を揺らして気まずそうにしている顔を覗き込むようにして言うと、彼は意を決したように切り出した。
「うん……その、先月の事件。覚えてるよね?」
事件とは、クセルクセス殿下が乳兄弟から麻薬効果のある魔導具で洗脳を受けていた件だろう。
山間部で虐殺が起きたり、薬物中毒の後遺症に苦しむ殿下を治療したり……側近候補になって早々に立て続けにあんな凄惨な場面に出くわすとは思っていなかった。
一連の事件については一生忘れることがないだろう。
「当たり前だろう。忘れたくても忘れようがない」
「……それは、そうだよね……」
困ったように言うヴィゴーレ。どう切り出したらよいか迷っているのか、それとも俺に話すことにためらいがあるのか。
俺と同い年とは言え、前線や虐殺の現場を目の当たりにしてきた彼が、なおも口ごもるだけの話題なのだろう。何を言われても動じることなく受け止めて、彼の力になってやらなければ。
「だから、みんなの記憶をいじることになった」
「なんだと?」
しばしの逡巡のあと、ヴィゴーレの口から出た言葉は俺のちっぽけな覚悟などあっさり吹き飛ばすほど衝撃的なものだった。
「逮捕にあたった騎士たちはともかく、僕たちはまだ子供だから。自分から話すことはなくても、ポントスさんと親しい人たちに質問攻めにされたらボロがでるかもしれないでしょ。だから陛下が……」
脳に直接働きかけて、記憶を消去するということだろうか。
かつて家庭教師から聞かされた魔導の失敗事例が脳裏に浮かんでぞっとする。くわしい仕組みが分かっておらず、繊細な脳をむやみにいじくったせいでごく当たり前の日常生活すらまともに送れなくなった被験者たち。
俺たちもそうなってしまうのだろうか?
「俺たちの記憶を消すのか?」
「それは無理だよ。人間の記憶はそんなに簡単なものじゃない。うまく行く可能性よりも、記憶が全部消えてしまったり、最悪の場合は心が壊れたり思考能力を失って廃人になる危険性の方が高い」
恐る恐る口にするときっぱりした口調で否定されてほっとすると同時に、新たな疑問がわいてくる。
「それでは、どうするんだ?」
「暗示をかけるんだ。思い出そうとすると別のものを連想してしまって思考がわき道にそれたり、頭痛がして思い出せなくなるように」
「なるほど。それならば他の記憶や元々の人格に悪影響を及ぼさずに都合の悪い事だけを思い出さずにすむというわけか」
「正確には全く思い出せなくなるわけじゃなくて、すごく思い出しにくくなるだけなんだけどね」
そこの違いを陛下がちゃんと把握していて下さってると良いけど、とヴィゴーレは少し困ったように微笑んだ。
どうやら大人たちは彼の説明を適当に聞き流してしまったようだ。
できないことはできないとはっきり申し上げたんだけど、とため息をつく姿に疲れがにじんでいる。
「それで、今日は俺の記憶を処理するために呼んだのか?」
「違うんだ。僕も含めて他の側近候補は暗示をかけるけれども、君だけは全部覚えていてほしい。その上で知らないふりをしてほしいんだ」
「どういうことだ?」
「暗示をかけていても、記憶そのものは消えたわけじゃない。時間が経つにつれて記憶が少しずつ薄れるのと同じように、暗示も薄くなっていくはずだ。そして、いつか暗示よりも強い刺激があった時にすべて思い出してしまうかもしれない。だから、そんな時に事情を全て把握している君にフォローして欲しい」
「……」
「無茶なお願いなのはわかっている。でも、何かあったらと思うと怖くてたまらないんだ。僕自身も肝心なことを思い出せなくなるのでは、殿下たちが予想外の行動に出た時に対処できないかもしれない。君ならそんな時でも何が問題の本質か見極めてくれると思うから」
不安げに揺れる瞳で「ね、お願い」と見上げられると強く断れるはずもなく。気が付いた時には俺は無言でうなずいてしまっていた。
「ほんと!?」
「ああ。俺に何ができるかはわからないが、できる限りのことはしよう」
「ありがとう!! これで安心できるよ」
ぱっと顔を輝かせて腰を浮かせ、テーブル越しに両手を握ってぶんぶんと勢いよく上下に振られたので面食らった。
よほどうれしかったらしい。声にも表情にも安堵感があふれていて、良かったなと思うと同時にいささか不安になる。
ヴィゴーレはこんなにはっきりと喜怒哀楽を出す人間だろうか? むしろ不安や悲しみは笑顔の仮面で押し隠してしまって、一人で抱え込んでいた気がするのだが。
短い付き合いだが、はっきりと違和感がある。
なんだか嫌な想像が頭をよぎって思わず口を開こうとしたところで、ノックと共にさっき案内してくれた士官が入って来た。
「ヴォーレ、エサドが夕方の巡回に出ると言っていたぞ。そろそろ行かなくて良いのか?」
どうやら勤務に戻らねばならない時間らしい。
慌ただしいことではあるが、勤務中にいきなり押し掛けたのに時間を取らせてもらったのだから、ここは感謝しなければならないところだろう。
「もうそんな時間ですか? ごめん、もう行かなきゃ。今日は来てくれて本当にありがとう」
上官に促されて、名残り惜しそうに席を立つヴィゴーレ。そのまま部屋を出ようとして、ふと何か思い出したように踵を返した。
「ごめん、これ最初に渡そうと思ってたのに忘れてた。おみやげ」
懐から出した小さな紙包みを取り出して、そっと俺の手に乗せてくる。
「ああ。これ、約束していた……」
開けてみると、鮮やかな紅の糸に色とりどりの小さなビーズを編み込んだ飾り紐だった。
「うん、お守り。駐屯地が聖樹の森の近くだったから、小さな魔石が手に入りやすくって。あっちにいる間に作ったんだ」
「ありがとう。大切にする」
友人が手ずから用意したものを贈られるのは初めてだ。
ささやかな手作りの品が、これほどまでに心を温めてくれるとは思わなかった。
「もう行かなきゃ。ね、次のお休みもどこかに行かない?」
「ああ、楽しみにしている。予定が分かったら手紙をくれ」
最後に次に会う約束をしてから慌ただしく去っていったヴィゴーレを見送った。
そろそろ俺もお暇しなければと腰を上げかけたところで、まだ室内に残っていた上官殿のもの言いたげな視線に気付いた。
「あの、私に何か?」
「いえ。むしろ私に何かお尋ねになりたいことがあるのではないかと思いまして」
さすがに大人の眼はごまかせないようだ。
きっとヴィゴーレの態度への違和感を見透かされているのだろう。
「それは伺っても良いという事でしょうか?」
「ええ、お答えできるかどうかはまた別ですが」
余裕たっぷりの笑みで頷かれ、俺も腹がすわった。
どうせなら事情をできるかぎり把握したうえで、ヴィゴーレが望むようなサポートをしてやろうではないか。
おそらく目の前の彼もそれを望んでいるはずだ。
「ではお言葉に甘えます。よろしければどうかお座りください」
「では遠慮なく」
俺は士官殿に礼を言って気になる点を切り出すことにした。
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