違和感と遊牧民と相談事
北部から戻ったばかりのヴィゴーレから、相談したいことがあるのでできるだけ早く会いたいと知らせをもらった俺は、その日のうちに訪ねることにした。
また赴任先でのっぴきならない事態が起きたのではないか。
顔を見るまで不安でならない。
俺が連隊本部を訪れると、見覚えのある士官が応接室に通してくれた。
三十代半ばだろうか? いかにも実直な軍人らしい彼のつけている肩章は中尉のもので、部隊でもそれなりの地位のはず。恐縮する俺に「ヴィゴーレの友人の顔を一度見ておきたくて」と微笑まれ、背筋が伸びた。
ヴィゴーレは自分が思っているよりもずっと大事にされている。
「コニー、ありがとう!! こんなに早く来てくれると思ってなかったよ」
待つことしばし、ヴィゴーレが弾むような足取りで入って来た。後ろで子犬のしっぽのように長い三つ編みがぱたぱたと揺れる。
屈託のない笑顔が俺との再会を心から喜んでくれていることを率直に伝えてくるが、同時に強烈な違和感が湧いてくる。
「ああ、元気そうで安心した。北部はどうだった?」
「うん、すごく勉強になったよ。チュルカの子と友達になったんだ。君が色々と教えてくれたおかげだよ。本当にありがとう!」
瞳をキラキラと輝かせ勢い込んで話す彼には、北部に行く前に常にまとっていたうっそりとした陰がどこにもない。
真っすぐな曇りのない笑顔を見たいと願っていたのに、いざ目にすると妙に落ち着かない。
「何かあったのか?」
「うん、いろいろあったよ! バージルがね……あ、バージルって今年従騎士になったばかりのチュルカの子なんだけどね、マスターと折り合い悪くって。ちょっとした事でマスター怒らせては折檻されてるんだ。でも、マスターの怒り方がちょっと変でさ……」
立て板に水とばかりに姿は実に嬉しそうで、新しくできたチュルカの友人との仲睦まじい様子がうかがえる。
彼が気を許せる相手が増えたのは喜ばしいはずなのに、少々面白くないのはなぜだろう。
「そうなのか?マスターとそんなにぶつかるならば、従騎士としての適性に問題があるから早めに辞めた方が良さそうなものだが」
「う~ん。バージルは半分人質みたいなものだから、そうもいかないよ」
「人質?」
ついひねた事を言ってしまうと、思いがけず不穏当な言葉が返ってきた。
「バージルはクレシュニク氏の族長の末弟なんだ。だから本人の希望とか関係なしに、人質として軍に所属してもらうことになったんだ。ほら、ダルマチアとの小競り合いが二月に終わったばかりでしょ? 北部のチュルカたちがあっちに呼応して反乱起こしたら大変だから」
「なるほど……」
北部山岳地帯に住む遊牧民族のチュルカたちは卓越した乗馬技術や弓術を誇る。険しい夜の山々も自由自在に駆け回る彼らは、敵に回せばとんでもない脅威となるだろう。
どうやら先日の小競り合いの余波はあちこちに広がっているようで、殿下の身勝手な振舞の罪深さを改めて痛感する。
「急な話だったそうだし、まだ十一になったばかりで何の前準備もなしにいきなり常識も習慣も全く違う社会に放り込まれたんだもの。こちらの価値観に慣れるだけでも大変だと思うよ」
「そうか。それでは本人も師匠も苦労が多そうだな」
ヴィゴーレはそのチュルカの少年にずいぶんと肩入れしているようだが、急に異文化で育った少年を受け容れなければならなかった師匠もかなり大変ではなかろうか。
「うん、たしかに周りもチュルカの風習とかわかってない人が多くてお互い大変なんだけどさ……」
「他にも何かあるのか?」
「師匠が差別意識の強い人みたいで変なところで怒るんだよね。ちょっとした立ち居振る舞いやものの言い方が自分の弟子にふさわしくないって。急に軍に入ることになったんだもの、全く違う文化で育ったのに、物心つく前からの癖が一朝一夕に変わるとは思えない」
「それはそうだが、郷に入っては郷に従えと言うだろう。どのような事情にせよ、軍に入ることになった以上は軍のやり方を覚えなければ」
呆れたように言い捨てる口調が彼らしくない。よほどその師匠とやらに腹を立てているらしいが、いささか肩入れが過ぎるのではないだろうか。
「それはそうなんだけど……バージルはさ、軍での決まりはちゃんと守ってるんだよ。はっきりしたルールになってないような、部隊の中だけのお約束みたいなものだって、少しずつだけど覚えようとしてる。部隊の他の人たちはみんな認めてるんだよ。正直、バージルが優秀すぎて気に食わなくて八つ当たりしてるとしか思えない」
「何なんだそれは」
「バージルはこっちの流儀にに合わせたって剣も弓も師匠よりもずっと強いし、呑み込みも早くて砲術理論や魔術の基礎なんかもすぐものにしちゃうから。部隊の他の人たちがすごいすごいって可愛がるのが面白くないみたい」
「それではどちらが子供だかわからないな」
話を聞いていると、ずいぶんと幼稚な師匠のようだ。
「その師匠ね、二十三になってからやっと叙任された人なんだ。別に弟子入りが遅かったわけじゃないんだけど。そのせいか早く従騎士になった子にはもともと当たりが強かったみたい。今までもさんざん怪我をさせられたり、嫌がらせに耐え切れずに辞めたりした子がいたみたい」
「……もしかして、お前も何かされたか?」
早めに従騎士になれただけでやっかんで嫌がらせするなら、自分より十も年下で武勲を上げて正騎士に叙任されたヴィゴーレは目の上のたんこぶだろう。
自分も嫌がらせを受けたのであれば、彼のこの態度も納得がいく。
「さすがに所属が違うし階級も同じだから大っぴらに手を上げてくることはないんだけど、顔を見るたびに嫌味は言われたかな? あとは上官たちのいないところで稽古と称していきなりかかってきたりね」
苦笑しながら言うヴィゴーレ。もちろん返り討ちにしたけど、などと軽く話してはいるが、よほど嫌な思いをしたらしい。
「なんでそんな人に弟子入りさせたんだ? 下手すると相手の氏族との関係がこじれるだけだろう?」
「うん、そうなんだけど……あっちで弟子がいない人って他にいなくってさ。まだ弟子がいない……というか居つかなかった人が引き受けることになったみたい。人質だから、相性が悪いからって除隊して帰るわけにもいかないでしょ。バージルも我慢強くて意地っ張りだからよほどのことでも黙って耐えちゃうのが余計にカンに障るんだろうね。かなり理不尽な理由で折檻されているのを何度か止める羽目になったよ」
「なんだそれは。嫌がらせに耐えきれずに脱走して部族に戻られたら大ごとじゃないのか?」
生粋の遊牧民の戦士として育った少年が本気になって脱走をはかれば、その師匠とやらが止められるとはとても思えない。
「うん。さすがにまずいと思ったから上官にお願いして第四連隊の上の人に報告してもらったよ。他の部隊の監査も僕たちの本来の役目だしね。辺境伯ご自身が彼の後見人になったから、理不尽な体罰で怪我をさせるような真似はもうできないと思う」
なるほど。本来王都の治安を守るという、軍の中でも特殊な立ち位置にあるヴォーレたちの部隊が、わざわざ合同演習の名のもとに他の連隊の本拠地に赴くのはそういった理由があったようだ。
「それは良かったな。領主が後ろ盾になっているなら、一介の平騎士ではそうそう不当な真似にも及べまい」
「うん。こっちに戻る前にちゃんと手続きも終わって本当に安心したよ。また来年会えるのが楽しみ。すごくいい子なんだよ。その前に任務で会えるかもしれないけど、わざわざ北部まで赴任するような事件なんか起きない方が良いからね」
少し遠くを見るような目で嬉しそうに話すヴィゴーレは遠い辺境伯領に思いを馳せているのだろう。よほど楽しかったのだろうとは思うが、こんな話をするためにわざわざ呼び出したのかと思うと何だか自分でもよくわからな苛立ちのようなものが湧いてくる。
「それは良かったな。それで、その話をするために呼び出したのか?」
大人げないと思いつつ、つい不機嫌さが声ににじんでしまって内心ほぞを噛む。
それに気づいたのかどうか、ヴィゴーレが少しだけ気まずそうに目を逸らしたのがよけいにカンに障った。
「どうやらもう解決済みのようだし、そもそも軍の内部のことなら俺が力を貸せる余地もなさそうだ。これで失礼させてもらって良いか?」
「え、ちょっと待って。お願いだから」
つい冷たく言い放つと、彼は慌てて引き留めた。すがるような目で必死に言われると、さすがにこのまま立ち去るわけにもいかない。
俺は軽く
「ごめん……コニーの顔見たらほっとしちゃって。楽しいことから話したくなっちゃったんだ」
「相談というのは別にあるのか?」
「うん……」
話を促すが、目を伏せて口ごもってしまう。瞳がかすかに揺れていて、先ほどの輝くような笑顔がウソのようだ。
どうやら楽し気に話していたのは、気の重い本題に入るための現実逃避めいたものだったらしい。
苦悩している姿にちくりと胸が痛むが、それ以上に頼られたことが喜ばしい。俺もたいがい歪んでいる。
「どうした? 俺にできることなら力になるから、遠慮なく言ってくれないか」
そんな醜い内心が漏れてしまう前に、彼の顔を覗き込むようにして優しく言うと、返って来たのは思いがけない話だった。
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