魔術教師と複写魔法
ご多忙なパラクセノス師のご都合に合わせるため、授業は屋敷に来ていただくのではなく、学園にある先生の研究室にお邪魔することになった。
「すまんな、せっかく来てもらったのだがまだ少し手が離せなくてな。そちらで待っていてくれるか?」
研究室にお邪魔した時、師はやたらと忙しそうに何かの実験をしておられた。先日お目にかかった時のように、あわただしく試験管やフラスコに何かの試薬を垂らしては振って色を確かめたり、バーナーで加熱して様子を見たり。
「お構いなく。早く来すぎてしまっただけですので」
俺は待っている間に写本の続きをすることにして、指示された机に本と紙を広げた。できるだけ手早く、それでも読みやすいように書き写しているつもりなのだが、やはり内容を理解しきれていないせいか能率が悪い。
「ずいぶん熱心だな。国際法か?」
思うように進まずいらだちが募ってきたところで、いつの間にかすぐ近くに立っておられた師に声をかけられ仰天した。
「申し訳ありません。夢中になっていたようです」
「いやいや、集中力があるのは良いことだよ。そういう生徒こそ教え甲斐がある。それにしても熱心だな。今からこの調子ならお父上もさぞやご安心だろう」
「いえ、自分の勉強にもなるとは思うのですが、こちらは人に贈ろうかと思いまして」
師が感心したようにおっしゃったのがいささか面映ゆく、あわてて真意をお話しすると驚いたように目を丸くされた。
「ほう? 贈り物ならわざわざ手ずから書き写さなくても新しいものを買い求めれば良い気もするが……っと、これは簡単には手に入らんやつか」
「はい。先日一緒に図書館に行った時に友人が読みたがっていたのでぜひ渡したいと思いまして。今度お守りを作ってくれると言っていたので」
「ああ、なるほど。手をかけてくれた贈り物には自分で手をかけたものを返したいわけか」
「はい。おかしいでしょうか?」
やはり高位貴族の男性がこのようなものに手をかけることは少ない。今は印刷技術が発達して本の入手も昔に比べてずっと楽になったし、どうしても写本が必要な貴重な書物だって家臣や部下に書写させるのが普通だ。
「いや、俺はそういう感覚は大事にした方が良いと思うぞ。とはいえ、それを一冊丸ごと書き写すのは大変すぎるだろう」
「それはそうですが」
「ちょうど良い。少々試したい魔術があるので一緒に実験してみないか?」
呆れられるかと恐る恐るお尋ねしたのだが、案に相違して師は柔らかく微笑んで思いがけない提案をしてくださった。
「実験ですか?」
「ああ。古い論文で面白いものを見つけてな。それを使って試してみたいことがあるんだ。うまく行けば、魔術で本を複写できるようになる」
「そんな方法が?」
「まだ思い付きの段階だから、確実にできると約束はできないが、一緒に試してみよう。お前が実験を手伝うならばお前自身が手をかけたことにはなるだろう?」
「よろしいのですか?」
「ああ。俺も実験は少しでも多くやった方が良いからな。一石二鳥だ」
「ありがとうございます。ぜひお手伝いさせてください」
師の実験というのは書物の複写を魔法でできないかというものだった。
聖樹の炭の粉と銀を反応させて作った特殊なインクを魔力に反応させ、元の書類と同じ文字や図を複写することができないかと考えておられるのだそう。
聖樹というのは「マナ」と呼ばれる自然エネルギーから魔力を抽出した後に発生する汚染物質の「
「マナ」を使いすぎると魔術が使えなくなるだけではない。「瘴気」が増えすぎてしまって、それが周囲の生物の生命力を吸い取ったり「魔獣」と呼ばれる異常な生物が発生するいわゆる「
その聖樹を育てるにあたっては定期的に茂りすぎた枝を伐採しなければならないのだが、その伐った枝で作った木炭は瘴気を吸着したり、魔力に反応する性質がある。その木炭を粉にして、魔力に反応するインクを作ろうという試みなのだ。
「むぅ。インクを自在に動かすのが予想以上に難しいな」
「視覚からから得た情報を魔力を通じてインクで再現する試みなんですよね?」
「ああ、そうなんだが……。複写元に合わせて自動的に動くようにしたいんだが、細々と魔力を操作して直接いじらないと動いてくれん」
師は眉間に寄せたシワを右手の指でもむようにしながら細かく魔力を操作してインクを動かしている。
「なんだかペンの代わりに魔力で書いてる感じですね」
「そうなんだ。術者の視覚情報をそのままインクで再現するようにしたいんだが、いちいち魔力で細かく操作せねばならんのなら手でペンを持って書いた方が速そうだ」
色々と炭の粉の量を加減したり、利用する魔力の量を調整したりと工夫するものの、なかなかうまく行かない。
長時間の集中でお疲れになったのか、パラクセノス師は眉間を指でもみながら忌々し気にそう吐き捨てた。
「先生、大丈夫ですか? もう二時間近く集中していらっしゃいましたが」
「それでようやく一ページだ。さすがに能率が悪すぎる」
長時間集中していたことよりも、思っていたような成果が出ていない事にお疲れのご様子だ。
「山茶を淹れましたので、とにかく一服しませんか? だいぶお疲れのご様子ですし」
きちんとした茶器が見当たらなかったので、手近なフラスコでハーブを煮だしただけだが、優しい香りがふわりと広がって師も実験の手を止められた。
手ごろなサイズのビーカーに注いで蜂蜜をひと垂らし。ガラス棒でゆっくり混ぜてから黄金色のお茶を口に含むと、蜜の甘みとハーブの香気がささくれだった神経を穏やかに鎮めてくれる。
「すまんな、なかなか進まなくて」
糖分を補給して人心地ついたのか、少し表情を緩めた師が苦笑まじりにおっしゃった。
「いえ、始まったばかりの研究をお手伝いさせていただいて嬉しいです。これから形になっていくのが楽しみですね」
どんな成果が出るか……いや、成果が出るかどうかもおぼつかない状態からの研究に参加させていただくのだ。おそらく大学の専門課程にでも進まない限り、こんな機会はそうそうないだろう。
それを思えば自分の目的が果たされていないことなど些細なものに思えてくる。この試行錯誤を通じて、俺はあっさり実験に成功するよりもはるかに多くを学べるはずだ。
「ぜひこの研究が一段落つくまで見届けたいです。学校が始まってからもお手伝いさせていただいてよろしいでしょうか?」
「この調子じゃお前の本の複写ができるかどうかもわからないぞ。それでも良いのか?」
「もちろん、複写に成功すれば嬉しいですが、それよりも思い付きの段階から研究が形になっていく過程を拝見するのがとても興味深いです。ご迷惑でしょうか?」
「いや、そう言ってくれると嬉しいな。いつでも好きな時に来なさい」
俺の申し出に師は少し怪訝な顔になられたが、重ねてお願いすると研究室への出入りを快諾して下さった。
それから三週間。ヴィゴーレが北から帰ってくる日が近づいてきた。
「やはり思うようにはいかんな。集中によってイメージ通りの形にインクが動くようにはなってきたが」
「長時間集中を続けないといけませんし、一度に動かせる量が限られますし……書物の丸写しには向きませんね」
「その分、小さなものでも精密に描けるようにはなったのだが……なかなか難しいな」
「これ、実験しているところをヴィゴーレに見せたら喜びそうですね。彼なら良い使い道を思いつきそうですし」
結局、魔術による写本はあきらめて、自分の手で書き写せたものだけを贈ることにした。続きはおいおい必要に応じて写すことにしよう。
そして数日後。
ヴィゴーレが北方から帰って来たとの便りが来た。相談したいことがあるから、できるだけ早めに会いたいという。
何か尋常ではない事態が起きたのかもしれない。
俺はその日のうちに連隊本部まで彼を訪れることにした。
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