写本と父と勉学と

 ヴィゴーレが辺境伯領に向かったのは図書館に行った三日後だった。

 次に会えるのは来月の終わり。もう入学も間近となる。

 その時にはお守りを作っておいてくれると言っていたが、お返しをどうしよう?


 なんとなくだが、高価な品を小遣いで買って渡しても、さほど喜ばない気がする。少なくとも彼が手ずから編んで贈ってくれるというお守りには釣り合わないのではないか。

 俺自身が用意したものの方が、たとえつたないものでもきっと喜んでくれる。


 まだ関わり始めてから間がないにもかかわらず、なぜか確信があった。

 とは言え、俺は彼のように器用に何でもできるわけでもなし。何をしたら良いだろう。


 ふと、大量の本を積み上げていた姿が頭をよぎる。あの中には我が家の書庫にもある稀覯本きこうぼんの法学書もいくつかあった。戦時の国際法に特化したものなので、需要が限られていて発行部数が極端に少ないのだ。

 結局、今回は時間がないとあきらめていたようだが……


 父上に頼んで書庫の物を貸し出しても喜ぶような気はする。しかし、俺自身が書き写したものを贈ったら、もっと喜んでくれるのではなかろうか。


 さっそく書庫から引っ張り出してきて、空いている時間にせっせと書き写してみて、数日で行き詰った。

 ただ書き写すだけだと思っていたのだが、それでも内容を理解しているのと理解していないのでは、能率が全く違うのだ。そして専門性が高すぎて、俺ではちょっと理解しきれていない。

 こんな調子では彼が戻ってくるまでに書き写し終わらないのではないか。


 そんな焦りを抱えていると、父上が夕食後に話しかけてこられた。


「最近グローティウスの戦時国際法概要を熱心に書写しているそうだな。勉強熱心なのは結構だが、内容を理解できているのか? もっと基礎からしっかり学ばないと、背伸びをしたところで活きた知識として身につかんぞ」


「いえ、実は友人がこちらを読みたがっていたようなので、書き写して贈ったら喜んでくれるかと思いまして」


「なるほど。それで、その友人もこれをいきなり読んで理解できるのかな?」


 そういえば、その可能性はすっかり忘れていた。

 なにしろ医学も魔術も大人顔負けの技術と知識があるのだ。法学に通じていても俺は驚かない。


「軍人としてすでに働いているので、同じ年頃の子供に比べれば知識はあると思います。どの程度かはわかりませんが」


「なるほど、ポテスタース家の三男坊か。たしかに医学と魔術に造詣が深いとは聞くが、法学はどうだろう? 正直、さすがにそこまではまだ手が回っていないと思うのだが」


「それはわかりませんが……このあいだ一緒に図書館に行った時に読みたがっていたので」


 理解できるものとばかり思っていたと言うと、父上もなるほど、とうなずかれた。


「それで、お前はなぜ新しいものを購入するのではなく、自ら写本して贈ろうとしているんだ? 小遣いには不自由していないだろう」


 確かに俺は無駄遣いする方ではないので、渡された小遣いは基本的に貯めている。高価で貴重な本ではあるが、何とか買えない値段ではない。


「彼が次に会う時までに手ずからお守りを作ってくれると言ってくれまして。俺もお返しに自分の手で何かしたかったんです」


「なるほど、張り合いたくなったか。ご令嬢なら刺繍の一つもできただろうが、さしものお前もやったことがないだろう」


 父上は愉快そうにくすくすと笑いながらおっしゃった。

 俺は彼に対抗意識を抱いて写本を思い立ったのだろうか? 何となく違う気がしたが、ではなぜかと訊かれたらまともに答えられそうにないので黙ってうなずいた。


「たしかお前にも魔術の素養があっただろう。今はごく初歩の基礎知識を学んでいるようだが、少し本格的にやってみないか? いろいろと学ぶうちに、その友人の役に立てる場面も出てくるだろう」


 俺は来月彼に会う時に渡すものを用意したいので、少々目的から外れる気がするのだが、父上の中では決定事項となっているようだ。

 それに、せっかくの機会だ。魔術を学ぶことで俺自身の可能性を広げるのは悪くない。法学とは全く関係のなさそうにも思えるが、学ぶうちに何か両方の知識を結び付けて役立てることができるかもしれない。

 そう思いいたって、ふとおかしくなった。


「何やら楽しそうだな。という事は、入学まで魔術の勉強にも本腰を入れるという事で良いな?」


「はい。以前はどうせ家を継ぐのだからと法学や領地経営くらいにしか興味を持てませんでしたが、今は学べるものは何でも学んで活かせる場を見つけたい気分です」


「なるほど。クセルクセス殿下のお守り役を引き受けさせられて、学園生活がいったいどうなることかと案じていたが、少なくとも他のご学友からは良い刺激を受けているようだな。この調子で切磋琢磨して励みなさい」


 満足げにうなずかれ、自分が意外なほどワクワクしていることに気が付いた。

 ああ、そうだ。今は学べば学ぶほど自分自身の幅が広がっていくような気がする。


「はい。まだアハシュロス公子とはあまりお話できていなくてよくわかりませんが、コンタビリタ令息は本当に心優しく思いやりのある人ですし、ポテスタース令息はご存じの通りの多才な人です。これから五年間ともに過ごすことで互いに学びあえればと思います」


「うむ。じっくり学びあい、良い関係を築きなさい。きっとそれがお前たちを、ひいてはこの国を助けてくれるだろう」


 この日は珍しく機嫌の良さを隠さない父上に能率の良い勉強法や信頼関係の築き方など、さまざまな話をしていただいて有意義に過ごすことができた。

 おかげで遅くまですっかり話し込んでしまって、執事に「もうさすがにお休みになりませんと」とたしなめられたのはご愛敬だ。


 翌朝、朝食の席でのこと。


「昨日の話だが、残念ながら私には魔術の才も知識もないゆえ指導してやれん。その代わり、魔導師団の若手でなかなかに見どころのある奴がいる。指導を受けられるよう手配しておこう」


「ありがとうございます」


 手早く食べ終わった父上が食後のコーヒーを味わいながらこう切り出した。どうやら昨日の話は本気だったらしい。


「学園でも教鞭を執る予定だそうだが、学生が多いとおちおち質問もできんかもしれないからな。今のうちに学べることは学んでおくと良い」


 おや、どこかで聞いたことがあるような、ないような。


「それはもしやパラクセノス師ではありませんか?」


「よく知っているな。今年から学園で教鞭を執るようになったばかりなのだが」


「先日クセルクセス殿下が身に着けていた魔導具を調べた際にお世話になったのです。ヴィゴーレ……ポテスタース令息が異常に気付いて、パラクセノス師が魔導具のからくりを看破したおかげで殿下の異常に気づけました。実に鮮やかなお手並みでした」


 あの時は本当にすごかった。

 寝ぼけまなこで現れたにもかかわらず、あっという間に魔導具のからくりと、その危険性について突き止めてしまったのだ。

 いきなり感覚的に決めつけるのではなく、自分の見解にきちんと試薬などで裏付けをとってから断定する姿勢も好ましい。


「ほう、さすがだな。既に顔見知りなら話は早い。できるだけ早めに話をつけておこう」


「ぜひお願いします。ご指導いただけるのが楽しみです」


 あの師からなら魔術以外にも様々なものを学べそうだ。

 俺が俄然がぜんやる気になっているのが父上にも伝わったようで、「任せておけ」と満足げに深くうなずくと、急いで支度を整えて登城した。


 法務大臣を務める父上はきわめて忙しいにもかかわらず、毎日一度は俺と食事を共にして会話する時間を確保するようにしてくださっている。

 俺が学びたいことがあるときも、こうやって労を惜しまず骨を折っていただいているのだからありがたいことだ。

 ……それもこれも、容姿が自身にそっくりな俺を自らの跡取りとして期待してのことだろうが。


 せっかく頂いた機会だ。パラクセノス師から学べるものは徹底して学ぶついでにヴィゴーレへの贈り物についても相談に乗っていただこう。

 俺は少々図々しいことをもくろみながら、新たな師との邂逅を心待ちにしていた。

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