呼び出しと疑問と預かりもの

 アッファーリの来訪から数日は特に何事もなく過ぎて行った。


 もうこのまま側近候補を辞退しようかと思っていたある日のこと。

 マリウス殿下から登城するようにとのお言葉が届けられた。


「ああ、忙しいだろうに来てもらってすまないね。すぐに片付けてしまうから楽にしていてくれ」


 執務室に通された俺を殿下はやたらと力強い笑顔で迎えて下さった。うれしそうというよりはむしろ異様な迫力があって、よく見ると目の下にうっすらとクマがある。だいぶ疲れがたまっておられるようだ。

 大量の書類をすさまじい勢いで処理しておられて大変にお忙しそうだが、こんな時に俺をお呼びになるとはいったいどういったご用件だろうか?



「こちらから呼んで来てもらったのに、待たせてしまって悪かったね。なんだかセルセがだいぶ失礼な扱いをしているようで気になってね」


「いえ、殿下のご不興を買うような事をしてしまった私が悪いのです。コンタビリタ令息も協力してくれるそうですし、学校が始まったらじっくり関係改善につとめます」


 なるほど。

 あれ以来クセルクセス殿下の不興を買ってしまった俺のことをご心配くださったのか。

 ただでさえご多忙だというのに、俺の気が利かないばかりに申し訳のないことをしてしまった。

 アッファーリも協力してくれることだ。学校が始まったらしっかりと信頼関係を築けるようにしなければ。


「そうか。側近候補を降りようと考えていないか少し心配だったのだけれど、それを聞いて安心したよ。君はだいぶ目端が利くようだから、これからもセルセのことを見てやってほしい」


「かしこまりました。及ばずながら精一杯努めます」


 どうやら俺がクセルクセス殿下を見放すとでも思われていたらしい。

 ふと今までの言動を振り返り、そう思われても仕方がないと苦笑する。


「心強いね。ところで白薔薇ちゃんとは連絡を取っているかい?」


「いいえ。気にかかってはいるのですが、任務で忙しいだろうと思うと押しかけるのも憚られて」


「そうか。あの子の事だから色々とみんな自分のせいだって思い込んでるんじゃないかと気になってね」


 なるほど、こちらが本命か。

 最後に見た小さな背中が脳裏に浮かぶ。たしかにあんな姿を見せられては気にするなという方が無理だろう。

 責任感の強い彼のことだ。事件が起きたのは己の不用意な言動のせいだと自責の念にかられて身を削るような真似をしていそうだ。


「そうですね。だいぶ思い詰めていたようですし、心配です」


「それでね、セルセが誘拐されかかったことは表に出せないから大っぴらに褒章が出せないんだけど、あの時白薔薇ちゃんがいなかったら逃げられてたかもしれないからね。俺からの個人的なお礼の品を届けてほしいんだ」


「かしこまりました。謹んで承ります」


 たしかに立太子を数年後に控えた第一王子が乳母と乳兄弟に洗脳されて不適切な言動を繰り返した挙句、誘拐……というよりは自ら反逆者のもとへ行こうとしていたなどという醜聞はとても表沙汰にはできないだろう。

 それでも功のあったヴィゴーレに非公式にでも報いたいというお気持ちはもっともだ。そのついでに様子を見てきてほしいということなのだろう。俺も彼と会うきっかけが欲しかったので引き受けること自体はやぶさかではない。


 ただ、お引き受けするにあたって一つはっきりさせておきたいことがある。


「ところで、クセルクセス殿下のご様子はいかがでしょう?  かなり傷ついておられるようなので心配ですが、呼ばれていないのでお伺いするわけにも行かず。王弟殿下は見舞いにいらっしゃいましたか?」


 王弟殿下がヴィゴーレを気に留めるのはうなずける話ではあるが、不安定な状態にある甥のことも同じように気遣ってほしいとも思う。


「うん? セルセは相変わらず毎日アハシュロス令息とコンタビリタ令息を呼び出しては俺や白薔薇ちゃんの愚痴を言ってるようだね。俺は嫌がられそうだから遠慮している」


「その、できればお時間のある時に少しでも見舞ってさしあげていただけますか?」


 俺が意を決してお願いすると、殿下は意外そうに眼をみはられた。


「俺が?  もともと好かれてはいなかったが、今回の件ですっかり嫌われてしまってね。うっかり顔を見せたら逆効果になりそうなんだよ」


「その……国王陛下や王妃殿下がこまめに見舞っておられるならそれで良いのです。もしそうでないなら、王弟殿下が気にかけているそぶりだけでも示しておかれた方が良いかと。家族として」


「うむ……そう言えば兄上も義姉上も顔を出したって話は聞かないな。まったく、国王だの第一王子だのという以前に、たった一人のわが子だろうに」


 恐る恐る言うと、殿下も難しい顔で考えこまれる。

 ああ、やはり国王ご夫妻が殿下を見舞ったりされたということはないらしい。


「さすがにお寂しいのではないでしょうか。家族同然に思っていた人たちからあんな仕打ちを受けたばかりなのに」


「そうだね。.でも、そんな時だからこそ嫌われている俺が行ってもストレスがかかるだけじゃないかな?  コンタビリタ令息みたいに気を許せる子が近くにいる方が心が休まるような気がする」


 少し自嘲気味な王弟殿下。そうか、気にかけていない訳ではなく、自分は嫌われているから今はそっとしておいた方が良いとお考えだったのか。

 たしかに、それは他の「家族」が家族として彼に寄り添っているならば間違いではないのだろう。


「それでも家族の誰も自分を気に留めていないと思い込むのと、一人でも見守ってくれている人がいると思えるのでは全く違うと思います。たとえ今は疎ましくても、後から独りではなかったと思えるようになれば、わずかでも前を向ける力になるのではないでしょうか」


「なるほど。嫌いな家族でも全くの無関心よりマシってわけか。そうだね、一度顔を出してみよう」


「お願いします」


 吹っ切れたように微笑む王弟殿下に俺は頭を下げた。


「それにしても兄上には困ったものだ。ここまでセルセが嫌っているのに、頑なにあの子を側近にしたがっている。『無理に近くに置くのはどちらのためにもならないから、いい加減に白薔薇ちゃんを側近候補から外した方が良い』と再三言ったのだけれども、頑として首を縦に振らない。何が何でも貴重な治癒術師を取り込みたいんだろうね」


「そうですか……あんなことがあって傷ついているご子息よりもそちらが優先なんですね」


 自分の息子の気持ちよりも、ヴィゴーレを自分に道具にしたいという欲が先に立つ。

 それどころか自分が選んだ乳母や乳兄弟のせいで薬物中毒になりかけていたというのに、一度も見舞うこともいたわる手紙を出すこともない。


 王族だから個人の感情は振りかざすべきではないとはいえ、血を分けた息子を思いやるそぶりすらないとは。

 国王陛下はたった一人のわが子であるクセルクセス殿下のことすら、感情のある血の通った人間とは思っていないのだろうか?


「大丈夫、俺がうっとうしがられても見舞いに行ってやるから。そんな悲しそうな顔をしないで」 


「はい。お願いします」


「コンタビリタ令息といい君といい、セルセの側近候補は優しくて良い子だね。」 


「恐れ入ります。しかし、私自身もクセルクセス殿下の心を逆なでしてしまうような事をつい口にしてしまってご不興を買ってしまいました。この先お心を許していただけるかどうか自信がありません」


「大丈夫、あの子だって落ち着けば君の気遣いが理解できると思うよ。たしかに成人するまでにもう少し腹芸というものを覚えた方が良さそうな気もするが、今のあの子にはその思いやりが何より必要だと思う。君たちはまだ十三だ。焦らずに他のことはおいおい学んでいけば良いよ」


 いつもの腹の底が見えない笑みではなく、どこか温かみのある穏やかな表情でそうおっしゃった殿下に、俺はただ「かしこまりました」と頷いて執務室を辞した。

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