友情と隔意と劣等感

 ポントスの逮捕からしばらくはクセルクセス殿下から呼び出されることもなく、落ち着いた日々が続いた。

 ヴィゴーレの事が気になってはいたが、あれだけの大捕物の後だ。消耗もしただろうし、仕事も忙しいだろうと思うとおいそれと訪ねる訳にもいかず、俺は入学と家督相続のための勉強に明け暮れていた。


 アッファーリが会いたいと先触れをくれたのはあの逮捕劇から五日後の昼。

 夕方、王宮の帰りに立ち寄るとの知らせに俺は首をひねった。

 王宮の帰り、と言う事はアッファーリは殿下に呼び出されたのだろうか?

 家人に聞くと、俺に対しては殿下からお召しは全く来ていないという。

 アッファーリだけ呼び出されている?

 ……それとも、俺だけが呼ばれていない?


 落ち着かない時間が過ぎて、アッファーリの来訪が告げられたのは夏の日差しがやや傾き始めた頃だった。


「コノシェンツァ! どうしたの? ずっと来ないから心配したよ」


「何の話だ?」


 応接に通されるなり嬉しそうに駆け寄って来たアッファーリは、俺の向かい側のソファーにぽすん、と腰掛けながら少しだけ拗ねた口調で言った。


「アルティストと二人だと、殿下が無茶な事おっしゃってもどうにもならなくて。ヴィゴーレは仕事で忙しいから仕方ないとしても、君は来てくれないと困るよ。毎日呼び出されて気が重いのはわかるけど、明日はちゃんと来てね」


「すまん。話がよく見えないんだが? 少なくとも俺はずっと呼ばれていないぞ」


 どうやら俺が殿下の呼び出しを無視して登城していないと思われているらしい。


「え? そうなの? てっきり君の事だから、呼ばれても無視してるのかと思った」


「さすがにあり得ないだろう、それは」


「なんか口実を作って断ったりしてない? 君ならやりそうだけど」


「いくらなんでも王族からの呼び出しを無視するなんて、畏れ多い」


 いったい俺の事をどんな奴だと思っているんだろう。


「でも君ってクセルクス殿下どころか、あのマリウス殿下にまではっきり言いたい事を言うよね。よく怖くないな」


「そりゃ怖くないと言えば嘘になるが……我が身可愛さにどうしても言うべき事を言わずにいるなら、側近候補として選ばれた意味がないだろう?」


 ただその場にいるだけなら、案山子にだってできるだろう。むしろ余計な事をしないだけ案山子の方がましかもしれない。


「すごいよね。君もヴィゴーレも。俺なんかとりたてて特技もないし、殿下の様子がおかしいなんて全然気がつかなかったし、マリウス殿下が怖くて何も言えなかった。それ以前に何を言ったらいいかもわからなかったけど」


「いや、王弟殿下にもの申したのは頭に血が上っていただけだ。後から怖さがこみあげてきたが今さら引っ込みはつかないし、やはりクセルクセス殿下もあのままにしておけないし」


 しみじみと感心したように言うアッファーリ。

 しかし、彼にしては珍しく、言葉に微妙な棘があるような気がする。


「そうなの? すごく冷静に見えたけど」


「そんなわけあるか。それにアッファーリも充分にすごいだろう。フラッシュバックで苦しむ殿下を薬も魔法も使わずになだめるなんて。俺には絶対に無理だ」


 ヴィゴーレでさえ、薬と魔法を駆使して何とかしていたのに、アッファーリはただ殿下に寄り添って、その苦しみを労わるだけであの激しい発作をなだめていた。

 殿下がどれだけ涙や鼻水を垂れ流しにしていようが、全く動じることなくただただ労わり続けた、その優しさが殿下の心身を癒したのだろう。

 そうそう誰にでもできる事ではない。


「そんな事ないよ。何もできないから、ただお傍にいただけで」


「お前がお傍にいるだけで殿下のお心が安らぐならば、それだけで素晴らしいじゃないか。きっと余計な邪念がないからいたわりが真っすぐに心に届くんだ」


 ヴィゴーレも優しい奴だが、殿下に対してはどこか一線を引いているところが目につく。アルティストは殿下の機嫌を取りたいと言う意識が見え隠れしていて、時おり鼻につく。

 アッファーリはそういった打算も義務感もなく、ただ目の前の人の感情に寄り添う事ができる奴だ。

 それはあまり高位貴族として好ましい態度ではないのかもしれないが、今の心身ともに傷つきうちひしがれたクセルクセス殿下にとっては救いになっていることは間違いない。


「それ、俺が単純ってこと? ほめてないよね?」


「そうじゃなくて。何だろう? 心が綺麗なんだろうな、たぶん」


「やっぱりほめてない。高位貴族らしい腹芸ができないってことでしょ?」


「そうなるのか? それでもお前はそのままでいて欲しいけどな。一緒にいると穏やかな気分になれるんだ」


 かく言う俺も、彼と過ごす時間はほっとする。

 彼の飾らない人柄のおかげで、肩肘はって自分を偽る必要を感じないのだ。


「なんだか口説かれてるみたいだね。そういうのは女の子に言った方が良いよ」


「いや、そういう趣味もつもりも全くないんだが」


「わかってるよ、ただの冗談だって。それより、君は呼ばれてないって本当? 俺とアルティストはあれ以来毎日呼び出されてるけど」



 悪戯っぽく言われて、また誤解を招いたかと渋面になると、くすくすと笑いながら否定された。


「毎日は大変だな。朝から夕方までずっとなんだろう?」


「うん。あんなことがあったばかりだから一人でお過ごしになるのは良くないと思うけど、さすがにね。入学に備えて勉強もしておきたいし……」


 どうやらアッファーリはあれから日中は殿下につきっきりらしい。

 精神的に不安定なクセルクセス殿下は彼の優しさに依存してしまっているのかもしれない。

 確かに今の殿下の精神状態をかんがみるとお一人にしておくのは不安だが、アッファーリにもやるべきことがあるはずだ。


「いっそご一緒に予習でもしてみたらどうだ? 殿下も余計な事を考えずに済んで気がまぎれるかもしれん」


「気分転換に勉強? そういう発想はなかったな。さすがだね」


「いや、さすがと言われても。何かに集中していれば嫌な事を思い出さずに済むだろう?」


「俺たちだと嫌な事が気になっちゃってそもそも集中できない気もするけど。そういう所で俺たちとは差ができちゃうんだろうな」


 苦肉の策として、入学前の予習を殿下としてしまうことを提案したのだが、呆れと感心が半々になったような複雑な笑みで隔意を告げられた。

 正直、彼らを見下すつもりはなかったので心外だし、何より少し残念だ。


「そういうつもりではなかったんだが」


「わかってるよ、君が善意で言ってくれてるのも、見下すつもりが全然ないってのも。ただ、だからこそ差がはっきりわかっちゃうな、って思っただけ」


「その……嫌な気分にさせたならすまない」


 思わずぼやくと、アッファーリはとても柔らかく微笑んで、少しだけ寂し気に言った。

 ああ、やってしまった。きっと無自覚に彼を傷つけてしまって、優しい彼はそれでも怒るよりも我が身を責める方向に意識を向けてしまっているのだろう。


「大丈夫、君に悪気も悪意もないのはよくわかってるから。それより、君が殿下に呼ばれてないというのはちょっとまずいね」


「ああ。最初から気に入られてないのはわかっていたが、露骨に避けられているのはまずいな」


 思わず悄然としていると、彼が優しく宥めてくれてますます情けなくなる。

 しかし、続く言葉は俺に自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥っていて良い事態ではないと思い直させた。

 殿下が側近候補たちを呼びつける時に、俺やヴィゴーレを除外している。

 それは俺たちが殿下の不興を買ったと言う事でもあり、また殿下が国王陛下の人選に無言の抗議をしている事でもある。


「まぁ、気持ちはわからなくもないけど。君やヴィゴーレを見ていると時々自分が情けなくなるから」


「そんな……」


 アッファーリの自嘲気味の言葉が胸に刺さる。

 彼にはこういう哀し気な顔はあまりして欲しくないのだが。


「ヴィゴーレは軍でもばりばり成果をあげてるし、他の人が誰も真似できないような魔法が使えてしまうし」


「俺はどこにでもいるごく普通の貴族の子供で、何の実績もなければヴィゴーレみたいな特技もないぞ」


 俺とヴィゴーレを一緒にしないで欲しい。

 そんな気持ちでつい遮ってしまった。

 

「それ、本気で言ってるのはわかるけど、嫌味に聞こえるからやめた方が良いよ。君、びっくりするくらい周りをよく見てるし、度胸はあるし、言うべきことをきちんと伝わるような言葉にして言うことができるし。誰でもできる事ではない」


「俺はただ思ったことをそのまま口にしているだけだ」


「そこがすごいんだよ。俺は何かが引っかかってもそれが何なのか見当がつかないままモヤモヤして終わっちゃう。それを自分で正しく理解するだけでもすごいのに、さらに他人に伝わるような言葉に変えられるのは本当にすごい事なんだ。俺にはとうていできない」


「そんな……」


 アッファーリは間違いなく俺を買いかぶっている。そんな気持ちで発した言葉は一歩間違えば嫌味に聞こえるとたしなめられてしまった。

 俺には全く心当たりがないことを持ち上げられ、やんわりと諭され、穏やかな優しさゆえに共に向けられる隔意がとても寂しい。


「大丈夫、君がさっき言ってくれたことが本当の気持ちなのもちゃんとわかってるし、嫌味を言うつもりなんか全然ないのもわかってるよ。ただね、君にとって当たり前にできてしまうことが、俺や殿下にはどんなに努力してもできない……いや、どう努力すれば良いかすら見当がつかないこともわかってほしい」


「……少しだけ悲し気に、しかしきっぱりと言い聞かされて何を言えば良いかわからず口ごもってしまった。


「特に殿下はさ、王弟殿下からはいつも怒られたり呆れられてばかりだろう? 君やヴィゴーレが叔父上に褒められるたびに、すごく惨めになるんじゃないかな」


「そんな……考えもしなかった」


「うん。二人ともわざと見せつけてるわけじゃなくて、自分にとって普通に振舞ってるだけだもんね」


「……」


 どうやら俺もヴィゴーレも気付かぬうちに殿下の事をひどく傷つけてしまっていたようだ。

 もちろん故意ではないが、むしろだからこそタチが悪いとも言える。なぜなら自分のどんな言動が彼を傷つけたか、いま一つ理解できでいないからだ。


「殿下が落ち着くまでは仕方ないけど、学校が始まったら少しずつ関係を改善した方が良いね。もちろん俺も協力するから」


「すまないが頼む。それから、今回のように俺が無自覚に殿下を怒らせたり傷つけるような事を言った時には教えてくれないか? 俺にはお前のように他人の感情に寄り添うのは難しい」


 アッファーリも見かねたようで、殿下との関係改善の手伝うと申し出てくれた。

 正直に言って、理屈が先に立ってしまって彼のように他人の心の機微にストレートに気付くことのできない俺にとっては彼のサポートは心強い。


「俺で役に立てるなら喜んで。でも君ほどよく周りが見えてないから気が付かなかったらごめんね」


「いや、少なくとも俺は殿下を傷つけてしまっていた事には全く気が付いていなかったんだ。お前の方がよく見えていると思う。頼りにしている」


 俺がすがるような気持ちでそう言うと、アッファーリは少しだけはにかみながら「任せておいて」とうなずいてくれた。

 どうやら俺が心から彼を認めていて、あてにしていることは伝わったらしい。

 彼に隔意を抱かれたままで終わらずに済んで、心からほっとする。


 今日彼が訪れてくれたおかげで自分がいかに未熟か気付くことができた。

 こうして教えてくれる人がいるうちに、一つ一つ学んでいかなくては。


 俺たちが成人として社会に出て行くまでわずか五年。それからは、全てを自分の責任で生きて行かなければならない。

 それまでに俺はきちんと大人になることができるのだろうか。


 一抹の不安を胸に、俺は心優しい友を見送った。

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