思慕と訣別と因縁と

 ポントスが連行された後、自室に戻って来たクセルクセス殿下の目は虚ろだった。


「あの裏切り者はどこに行ったんだ!?」


 低く絞り出すような声は平常心を完全に失っている。


「ポントス・フレベリャノならもう連行させたよ。あとは諜報うちの管轄になるから警邏けいらの子たちはノータッチだろうね」


「違う……ポントスは裏切ってなんかいない……」


 事もなげに言う叔父に震える声で訴える様は平素の尊大な王子とはあまりにかけ離れていて哀れを誘う。


「そうだね、たしかに裏切ってはいないね。最初からお前に忠義を尽くす気なんてなかったんだから」


「嘘だ……」


「嘘ではないよ。もちろんお前は騙されていた被害者だ。もっと早くにあの母子の企みを我々大人が気付くべきだった」


 大人が気付くべきだったと言いつつ、どこか他人事ひとごとの口調にこの人はクセルクセス殿下を血を分けた親族ではなく、不出来な王子としか見ていないのだと思い知る。

 だからこそ彼らにいいようにしてやられたのに。


「違う……」


「奴がいる時はこういう時はああしろ、こうしろとその都度細かく指示されていたんだろう? 自分では何も考える必要がなかった。だから奴がいる間は全く問題なかったし、いなくなってからの一年で急にボロが出た」


「違う……っ」


 絞り出すような言葉を淡々と否定する王弟殿下。

 それは事実であるがゆえに残酷で、突きつけられている王子の心中を思うと痛ましくてならない。


「乳母や教育係に任せきりにしないで、もっと注意を払うべきだった。いくら上辺だけ取り繕っても、丁寧に観察していれば必ず事前に吹き込まれていた台詞だけでは対応しきれなくなったはずだから」


「違うと言ってるじゃないですか!! 悪いのはみんなヴィゴーレ・ポテスタースだ!! そうでしょう!?」


 受け入れがたい心は全てを手近な誰かの……ヴィゴーレのせいにして自分を守ろうとしているのだろう。それはとんでもなくお門違いの八つ当たりにすぎないのだが。


「白薔薇ちゃんの何が悪いんだい? 君が薬を盛られている事に気付いてくれて、自分の命を削ってまで治療してくれて、さっきだって身を挺して守ってくれた。感謝こそすれ、恨むような事は何一つない」


「しかしポントスが……イスコポルの襲撃はあいつのせいだって! 俺が愚かだ、ぽんこつだと言われたものあいつのせいだ……何もかも邪魔されたって」


「イスコポルの襲撃はもともと奴らが画策していたのを予定を早めただけだよ。あの子に自分の正体が見抜かれそうになってね。邪魔って、当然だろう。あいつが画策していたのは国家転覆のための破壊活動。組織犯罪を取り締まるあの子の部隊が阻止するのは当然だ」


 そう。ヴィゴーレは己の職分を忠実に果たしただけだ。

 前線とここではまるで常識が違うと哀し気に微笑んでいた彼は、惨劇の現場で何を見てきたのだろう?

 去り際の小さな後ろ姿が気にかかる。

 彼が何を目にして何を思ったのか、安全な王都でのうのうと暮らしている俺には想像もつかない。


「違うっ……悪いのはあいつの方だ……」


「なるほど、セルセは破壊活動が滞りなく行われて、この国が滅びるべきだったというわけだね? となると、王族である君がどうなるかは当然わかってるんだろうね?」


「な……そんなんじゃ……」


「だってセルセは白薔薇ちゃんがポントスの邪魔をしたって怒ってるんだろう? だったら、君は奴らの破壊活動を支持していて、それが滞りなく行われるべきだと思っていたことになる」


 確かに突きつめればその通りだが、傷つき受け入れがたい現実をとりあえず誰かのせいにして逃げているだけの王子が、そこまで深く考えているはずもない。

 第三者から見ればともかく、クセルクセス殿下は叔父がヴィゴーレばかりを認めて庇い、自分の話には全く聞く耳を持たずに責め立てているように感じているのではなかろうか。


「……」


「それがわからず駄々をこねるなら、お前はやっぱり愚かなぽんこつなんだよ」


 ついに押し黙ってしまった第一王子に呆れたように吐き捨てる王弟殿下。

 昏い目を揺らすクセルクセス殿下を見ていたら、たまらなくなってつい声を上げてしまった。


「王弟殿下、さすがに少々こくではありませんか?」


「うん? どういうことかな?」


「クセルクセス殿下はフレベリャノ母子をずっと家族同然に思ってきたんです。赤ん坊のころからずっと。自分を支えて世話をして守ってくれていると素直に信じてたんです。それなのに……」


 彼は王族だ。むやみに情に流されて良い訳ではない。

 そんなことはわかっていても、やはりやりきれない。

 何を言ったらいいかわからなくなった俺は言葉につまってしまった。


「そうだね。赤子だった頃からの事だ。セルセは間違いなく被害者だろう。でも、もう十三にもなるんだよ。自分でもそろそろおかしいと気付いても良いはずだ。 白薔薇ちゃんだって同い年の子供だけど……そんな甘えた言い訳、間違ってもしないだろう?」


 またヴィゴーレが引き合いに出される。

 もう幼児ではないのだから自分である程度の判断はできるはず。それは正論と言えば正論なのかもしれない。


 しかし、彼は自ら考え、現実に立ち向かえるようには育てられていない。むしろその逆に、フレベリャノ母子に依存して流されるままに生きるよう仕向けられてきた。幼いうちからいずれ家を出て独立しなければならないと考えて生きてきたヴィゴーレとは全く違うのだ。

 そこに気が付かず彼を守ってやろうとしなかった周囲の大人が口にすべきことではないだろう。


「それは王弟としてのお言葉ですか? それともクセルクセス殿下の叔父としてのお言葉ですか?」


「何が言いたい?」


 湧き上がる感情に任せて王弟殿下を問い詰めると、王室きっての切れ者の目に剣呑な光が宿った。

 怖くないと言えば大嘘になるが、ここまで来たら言うべきと信じる事は全て言い切ってしまわなければ。


「国王を補佐する立場にある王族として、マリウス殿下のお言葉は徹頭徹尾正しいのでしょう。しかし、クセルクス殿下の叔父上……ご家族としておっしゃっているなら、その前に色々と考えるべきことがおありでしょう?」


「ほう?」


「クセルクス殿下の養育と教育をフレベリャノ母子に任せっきりで、殿下自身に目を向けてこなかった。先ほどマリウス殿下もおっしゃられた通り、限られた時間の儀礼的なやりとりなら、事前に詰め込まれた決まりきった想定問答でいくらでも誤魔化せたのでしょうが、家族としてじっくり向き合う時間があれば必ず齟齬が出たはずです」


「なるほど」


 クセルクセス殿下にとって、家族として彼自身を一人の人間として接してくれたのはフレベリャノ母子だけだったのだろう。

 彼を利用するつもりで、上辺だけ取り繕った態度だとも知らずに。


「ご両親である国王陛下、王后陛下が関心を払わなかったのであれば、叔父である貴方がきちんと目をかけてさしあげるべきだったのでは? もし一人でも、家族として殿下に寄り添う大人がいれば、彼らにここまで良いようにしてやられなかったと思います」


「確かにね。耳が痛いよ」


 すぃ、と細められた目に笑みは全く含まれておらず、それが微かに上がった口角とあいまってとても恐ろしい。

 しかし、これだけは言っておかなければ。


「それに、立場も育った環境も違いすぎるのです。殿下とヴィゴーレを比べて同じものを求めるのはいかがなものかと」


 確かにヴィゴーレは優秀だ。魔法の才能にたけているだけでなく、勉強熱心で常に鍛錬を怠らない努力家でもある。加えて独立心が強いのか、とても同い年とは思えぬほど達観したところもあるし、責任感も強い。

 王弟殿下が彼を気に入るのは無理もない。


 しかし、クセルクセス殿下からしてみれば、事あるごとに比べられるのはたまったものではないだろう。

 それぞれの立場も受けてきた教育も求められているものも、全てがまるで違うのだから。


「ほう……君、なかなか言うじゃないか」


「しょせんは子供の戯言です」


 内心の冷や汗を必死に押し隠し、できるだけ平然と言いきった。

 かすかに握りしめたこぶしが震えているのを悟られてはいないだろうか。


 ああ、間違いなく不興を買ったはずだ。それでも家族からかえりみられることのなかったクセルクセス殿下のために、これだけはどうしても言っておきたかった。

 俺自身が処罰されるのは良い。後は家にまで迷惑がかからないように祈るしかない。


「いやいや、よく見ているし……それに良い度胸だよ。気に入った」 


「その……恐縮です」


 急に王弟殿下の雰囲気が柔らかくなり、呆れたような感心したような笑みが浮かんだ。

 怒りは買わずに済んだのだろうか?

 つい先ほどまでの威圧が消えて、思わず全身の力が抜けそうになる。


「ふふ、実はかなり緊張していたね?」


「……はい」


 悪戯っぽく笑いかけられ、ためらいがちに頷いた。

 この人相手に今さら誤魔化そうとしても無駄だろう。


「 どうやら一歩間違えば不敬罪に問われかねないとわかった上で言ってたようだ。ますます気に入ったよ」


「生意気で申し訳ありません」


「いや、君のようにしっかりものが見えて、言うべきことを恐れず真っすぐに言える子がセルセには必要だ。これからも君が近くであの子を見ていてくれるなら安心だ」


 しっかりと視線を合わせて満足げに微笑まれ、その目の力強さに我知らず頷いてしまった。

 なんと惹き込まれるような笑い方をする人なんだろう。

 この人にもっと認められたい。

 そんな気持ちが自然に湧き上がってくる。


「そんな……過分なお言葉ありがとうございます」


 こそばゆい思いにはにかみながら答えると、自分がしっかりと第一王子を支えるようにならねばとの思いを新たにした。


 その肝心の第一王子が刺すような視線で俺を睨みつけている事にも気付かずに。

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