疑惑と捕縛と怨念と

 煙幕が晴れたあと、その場に残っていたのはポントスもろとも自らが操る薔薇の蔓でぐるぐる巻きになったヴィゴーレだった。


 何しろあまりにびっしり蔓が巻きついているので、捕らえられているポントスはもちろん、ヴィゴーレ本人も全く身動き取れずに二人まとめて転がっているくらいだ。

 ほとんど顔まで薔薇の蔓に埋め尽くされたポントスは僅かに自由になる脚をばたつかせて必死にもがいているが、ヴィゴーレは我関せずと涼しい顔をしている。


「すみません。見ての通り身動き取れませんので、マリウス殿下とうちの連隊本部にご連絡いただけませんか? どうやら外事に来てもらった方が良さそうな事案なので」


 彼は困惑する俺たちに対し、真顔のまま至極冷静に言った。

 ぐるぐる巻きで床に転がったままで。


 その間にもポントスはもがくだけもがいているが、余計に棘が食いこんで出血が増えているだけに見える。


「あ、そうだ。誰かこの人の靴の飾りを取ってくださいね。たぶん刃物を仕込んでますから」


 反応に困りながらも近衛騎士が彼の言うとおりに房飾りを取り除くと、飾りの下に小ぶりのナイフが仕込まれているのがわかった。


「うわ、本当にこんなところに」


「靴に刃物を隠すのはエルダ山岳党クレプテインの常套手段なんですよ。イスコポルでもさんざん手を焼かされました」


 相変わらず転がったまま淡々と言うヴィゴーレ。一緒にぐるぐる巻きになっているポントスがいまだに必死にもがいているのとはあまりに対照的だ。

 ポントスが暴れれば暴れるほど深く蔓が食いこんで、ヴィゴーレ本人も巻き添えでだいぶ締め上げられているように見えるのだが、平気なのだろうか?


「おやおや、久しぶりだね。ポントス・フレベリャノ君」


「ゔぅ……むぐぅ……」


 早々に駆けつけたマリウス殿下は捕縛の報せが入るのを待っておられたのだろうか。そう思いたくなるくらいの早い到着だった。

 ポントスは顔の大半が蔓で覆われたっまなので、くぐもった声でうめく事しかできないようだ。


 殿下が引き連れて来た見慣れない制服の騎士たちが手早く薔薇の蔓を切り、まずはポントスの武器を取り上げてから上半身だけを解放する。


「くそ……っ! ここまで手際が良いとは。セルセが何か漏らしたな?」


「いや、側近の子からセルセが何か隠してるみたいだって相談を受けてね。それでここ数日俺の配下に見張らせておいたんだよ。セルセのことも、隠し通路の出口も」


 取り囲む騎士たちに拘束されながら、ギラギラと憎悪に燃える目でクセルクセス殿下を睨みつけるポントス。

 呻くように言葉を絞り出すヤツとは対照的に飄々と言い放ったマリウス殿下は身を起こしたばかりのヴィゴーレにちらりと目をやった。


「くそっ……こんな子供に……」


「『鮮血の白薔薇』の名は伊達じゃないんだよ。ちなみに君がセルセに与えていた魔導具のからくりを見破ったのも、薬物中毒の治療をしたのもこの子だ」


「……っ! なんて奴だ……」


 ぎりぎりと歯噛みするポントスに、ヴィゴーレは困惑しきった声を出した。


「あの、買いかぶられても困ります。魔導具の仕組みを解明したのはパラクセノス先生だし、クセルクス殿下の様子がおかしいのに気付いたのはスキエンティア令息ですよ。中毒症状だってごく初期に治療を始められたからそこまで深刻な状態ではなかったし、殿下がフラッシュバックを乗り越えられたのはコンタビリタ令息が根気よく寄り添っていたから。治療後に殿下が元気を取り戻したのはアハシュロス公子がいつも励ましたから。僕が一人で何かした訳ではありません」


 途方に暮れたように言うその顔に謙遜している様子はなく、心の底から自分の手柄ではないと思っているようだ。


「やれやれ。君が本気で言ってるのはわかるけど、知らない人が聞いたら謙遜が過ぎて嫌味に思われるよ。少しは自分を卑下してばかりいないで客観的に評価したまえ」


「そうおっしゃられても、事実は事実ですし……」


「全く、そんな事だから成果に対して変に嫉妬されたり逆恨みされるんだよ。もっと自分を信じて堂々としていなさい」


「……はい」


 呆れたようにたしなめる王弟殿下と困惑したまましょげ返るヴィゴーレ。

 彼の根深い自己否定感情には困ったものだ。


「貴様……ふざけた真似を……呪ってやる! 未来永劫、お前の子々孫々に至るまで呪って呪って、絶対に破滅させてやる……っ!! お前が余計な事を言いださなければ俺たちが疑われる事はなかったんだ! お前が余計な事をしなければセルセだってもっと壊れたはずなんだ!!」


「何のことです? あなたに嫌疑がかかったのはおかしな親戚とやらがあなたを尋ねてきたからでしょう?」


 言いがかりをつけるポントスにヴィゴーレは不思議そうに大きな目を瞬かせた。


 たしかにポントス・フレベリャノが事情聴取を受けたのは硫黄の密輸について不審な親戚が尋ねてきたとクセルクセス殿下が騒いだことがきっかけだ。

 本当に親戚かどうかも定かではない怪しい人間が彼を尋ねてきたというだけで、まるでポントスが冤罪を着せられて不当に処罰されたかのように大騒ぎするから、念のため詳しく調査することになったのだ。


「あの時殿下が乳母のリタイ殿の親戚に不当な嫌疑がかかっていると僕を呼び出されたせいで、全く捜査線上に上がっていなかったあなたたち母子を念のために調べる事になったんです。それまではお二人についてもご実家についても一切関連があるとは思われていませんでしたから、我々捜査陣にとっては青天の霹靂せいてんのへきれきでした」


「ああ。組織にちょっとつながりがあるだけの馬鹿が我が身可愛さに俺を尋ねて来たのも、それでセルセが大騒ぎしたのも全くの計算外だったよ」


 もし、あの時殿下が不審者を無視して追い払っていれば、最初から何事もなかったことになってフレベリャノ母子に疑いの目が向く事はなかったはずだ。


「その後の調査でも、あなたがたと密輸事件の関連は一切見つかりませんでした」


 詳しい調査の結果、密輸の嫌疑がかかっていた南部の貴族とは、フレベリャノ子爵家にも、リタイの実家であるコミトプリ子爵家にも……更には祖母の実家であるデヴォル子爵家ですらも、全く何の関係もない事がわかったそうだ。

 日頃の社交や子供たちの交友関係、ひいては商取引の記録まで、見事なまでに全くといって良いほど接点がなかった。同じ国の、同じ爵位の家なのに。


 それでも念には念を入れてポントス・フレベリャノから事情を聴取したのは殿下が人目も構わず大騒ぎしてあらぬ噂が立っていたので、疑いを完全に払しょくするためだったと言う。

 たしかにヴィゴーレもあの時「現時点では何も心配することはない」と言っていた。


「最終的に嫌疑が固まったのはあなたがた母子が逃走をはかったせいです。それまで通り、堂々と学校に通い、王宮に勤めていれば捜査の手が身辺に迫る事もなかったでしょう。結局はご自身の言動に原因があるのでは?」


 ヴィゴーレは淡々と言うが、俺は違和感が拭いきれない。

 ポントス・フレベリャノは狡猾な男だ。奴が安定した立場を捨ててまで逃走を図らねばならなくなったのは、それだけさし迫った脅威を感じたからなのだろう。

 何もなければ自ら怪しまれるような事をするはずがない。

 わずかな時間ですらそう感じさせるほど、この男は狡猾で慎重で、しかも豪胆だ。


「……どの口がそれを言うんだ??」


 案の定、ヴィゴーレの言葉は奴からすれば相当に見当外れだったようで、怨念の籠った低い唸るような声でポントスが言う。

 どうやら当時のヴィゴーレの言動のいずれかが奴の危機感に火をつけたようだ。


「取り調べの時、せっかく無関係だと話がまとまって、俺が帰される事になってからお前が言いだしたよな。いくら急峻きゅうしゅんな山を挟んでいるとは言え、密輸で取り調べを受けているシュティッケ男爵領はデヴォル子爵領の隣の渓谷だ。ここまできれいに関りがないのはむしろ不自然だと」


「聞いていたんですか」


「俺は地獄耳でね。お嬢ちゃんみたいな高い声は離れていても聞き取りやすいからね。扉ごしでもよぉく聞こえたさ」


 なるほど。声変り前のきれいに澄んだボーイソプラノは、軍隊生活で身に染み付いた腹の底からの発声ともあいまって、本人が思っているよりもよく通るらしい。


「……」


「普通の道で国境を超えるなら南西のスタージェから山を抜けるだろうが、よく知られた道だから発見される恐れがある。人目を忍ぶならストランラ山中をニコリカまで抜けて、そこからアルツェかダーダス経由でヴィドホヴェに出た方が道も平坦だとも言っていたな。スタージェからニコリカまで抜ける道が知られていないから捜査から抜け落ちているだけで」


「なるほど、なるほど。僕が言った密輸ルートは図星でしたか」


「ああ。見事なまでに図星だったよ」


「そこまで聴き取られていたとは。もう部屋を出られたからと思って油断していました」


 悔しげに言うヴィゴーレ。

 実はデヴォル子爵家も密輸に関わっていて、そのルートをたまたまヴィゴーレが言い当ててしまったということか。

 しかし、それだけでこれほどの男が取り乱して逃走をはかるだろうか?


 その疑問が解消されたのは、ポントスの次の言葉とそれに対するヴィゴーレの反応によってだった。

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