発作と勘違いと克服と

 クセルクセス殿下の寝室に戻った俺たちが目にしたのは、俯き蒼褪める彼が急に頭を抱えて小刻みに震えだす姿だった。


「うぁああああ……」


 ヴィゴーレは慌てて寝台に駆け寄ると、殿下の手を取ろうとしたが、傍らに立つ王弟マリウス殿下に止められた。


「ちょっとくらい痛い目を見たところで命に別状はないんだ。いつまでも甘えてないで自分で耐えなさい」


 冷たく言い放つ王弟殿下に王太子の震えはますます強くなる。


「今までさんざん助けてもらっておいて、よくもあんな事が言えたね。これ以上、ささいな事で白薔薇ちゃんの生命を削るような真似は許さないよ」


 どうやらまた発作をヴィゴーレの仕業だと訴えて同情をひこうとしたらしい。


「暴れて始末に負えないならば寝台に縛り付けておけば良いのだ。放っておけばそのうちおさまる」


 あんまりな言葉につい息を飲むと、それまで大人しく黙っていたヴィゴーレが思わずと言った風情で叫んだ。


「そんなの絶対に駄目です! 発作に耐えるだけでも心細くて苦しいのに、無理やり縛り付けるなんて……余計に怖くて辛くて苦しくなるだけです」


「しかし、暴れると危険なんだろう? だったら縛り付けておけば良いじゃないか。どうせ放っておけばじきにおさまるんだから」


「嫌です! 目の前で苦しんでる人がいるのに、何もしないどころか余計に苦しくさせるなんて。僕なら大丈夫ですから」


 瞳を潤ませ、小さな身体を震わせて懸命に王弟殿下に食ってかかる。

 非情な宣告を受けた本人以上に必死な姿に、他者を治療する魔法を使いこなすためには「特異な共感能力」が必要だという話を思い出した。


 なるほど、ヴィゴーレは身体感覚を同調させるまでもなく、目の前の患者の苦痛を我が事として感じてしまっているのだろう。

 だから患者の苦痛を最大限減らそうとするし、患者が必要以上に苦しむような選択をされることを赦せないのだ。

 これでは治療のたびに心身ともに消耗するのも致し方がない。


「王弟殿下、少し思いついたことがあるのですが……」


 俺はふと先ほどのヴィゴーレとの会話を思い出し、とある提案をした。

 そして……


「大丈夫ですよ、殿下。ちゃんと僕がついていますから。一緒に乗り越えましょう」


 さっきと同様、震える第一王子をヴィゴーレが優しく抱きかかえ、しっかりと手を握りながら柔らかな声で語り掛ける。

 殿下は涙と涎だらけの怯え切った顔をほっと緩ませると、彼にぎゅうっとしがみついた。そのまま彼の胸に顔をうずめるようにして縋りつく。


「大丈夫、ちゃんとこうして手を握ってますから」


 穏やかなメゾソプラノが恐怖に凝り固まった心をそっとほどいていくようだ。

 優しい声に王子の不安と緊張が溶けて消えていくように、こわばった身体から徐々に余計な力が抜けていくのがはた目にもはっきりと感じられた。


 どのくらい時が経っただろうか。

 そっと背をさするリズムに合わせて荒かった呼吸が徐々に落ち着いて、とめどなく流れていた涙と涎もおさまってきたようだ。


「ほら、大丈夫でしょう? ちゃんとおさまってきましたよ」


「ああ……本当だ、おさまってきた」


 心地よい呼びかけにほっとしたような言葉が返る。

 どうやら殿下が正気を取り戻したようだ。


「よく頑張りましたね。ちゃんとご自分で耐えられたんですよ」


「耐えられた? 俺が? 自分で?」


 ヴィゴーレは力なく自分を見上げる王子にしっかりと視線を合わせ、優しく微笑みながら労いの言葉をかけた。


「そうですよ。僕、今は殿下の身体の様子を見るために少しだけ感覚を共有してますが、症状を軽くする魔法は使ってないんです」


「どういうことだ?」


「殿下がご自分の意思と力で発作に耐えたんですよ」


「俺が自分で乗り越えた……」


 呆然とする王子に事実を告げると、少しずつ言われた事が心に染み入ったのだろう。茫洋ぼうようとしていた彼の目に力が宿り、噛みしめるようにしてヴィゴーレの言葉を繰り返した。


「そうか、俺はやったのか」


「はい、よく頑張られました」


 感慨深げに呟く王子に力強く頷くヴィゴーレ。

 手早く脈などを調べると、手元の帳面に記していく。


「驚いたな、本当にスキエンティア君の言う通りになった」


「はい、自分でもここまでうまく行くとは思いませんでしたが」


 一部始終を見守っていたマリウス殿下が心底感心したようにおっしゃったので、いささか反応に困ってしまった。


「ヴィゴーレが『本当はそろそろ離脱反応がおさまっている頃なのに、治療に対するトラウマが辛かった症状をフラッシュバックさせている』と言っていたのです。殿下もヴィゴーレの姿が見えないと不安そうでしたし、彼が手を握っていると症状が消えるとおっしゃっていました」


「なるほど、だから『魔法を使わず、ずっと手を握って差し上げて』って言ってたんだね」


 いつの間にか傍らに来ていたヴィゴーレが納得したかのように言った。どうやら今回の発作について記録し終わったらしい。

 クセルクセス殿下はアルティストやアッファーリに何事か訊かれては得意げに答えている。


「ああ。お前が手を握っていると苦痛がおさまるとおっしゃっていたので、それで不安が取り除けるのではないかと思ったんだ。いつも発作が起きるとお前に頼りきりだったようだからな。自力では発作に耐えられないと思い込んでいたのではないか?」


 ヴィゴーレは王子が苦しんでいる時にずっと付き添って我が身を削りながらも必死に癒し続けた。魔法だけでなく、そのひたむきな姿勢そのものが王子の支えになっていたのは間違いない。ただし、その献身的な介護は王子に「自力ではこの苦痛を耐え抜くことができない」という思い込みまで刷り込んでしまった。

 だから、彼に寄り添いながらも自力で離脱反応に耐えさせることで、自分自身にあの苦痛を乗り越える力があるのだと体験させて、自信を持たせる必要があったのだ。


「そっか。苦痛を取り除く事ばかりに意識が向いていて、殿下自身が発作と向き合えるようにするって視点が欠けていたかも」


「少しセルセを甘やかしすぎてしまったようだね」


 苦笑いしている二人。治療の序盤に徹底して苦痛を除去したことが、王子から自力で発作に立ち向かう気力をも奪ってしまったと反省しているのだろう。


「そうとも言い切れません。最初に徹底してヴィゴーレが苦痛を取り除いたから、彼が手を握るだけで安心できるようになったんです。それは決して無駄な事ではなかったはず」


「なるほどな。とにかく、これで白薔薇ちゃんも一日中つきっきりでいる必要もなくなってくるだろうし、そのうちフラッシュバック自体がなくなりそうだな」


「はい。離脱反応がなくなれば後は経過を観察しながら徐々に体力を戻していけば良いだけですから、僕がこちらにいなくても良くなるでしょうし。せいぜいあと三日といったところだと思います」


 ほっとした様子で笑顔を見せるヴィゴーレは、仮眠前に比べればだいぶマシとは言え、まだまだ疲労の色が濃い。


「それじゃ、また何かあったらすぐに知らせることにして、白薔薇ちゃんにはそれまでゆっくり休んでもらおうか」


「今日はだいぶ休ませていただいたのでもう大丈夫ですよ。それより少しお時間をいただけるなら連隊本部に帰りたいです」


 マリウス殿下もヴィゴーレの疲労が気になったらしく、すぐに休むように促されたのだが、本人は原隊に一度戻りたいと言い出した。


「本当に君は部隊が好きだねぇ。アーベリッシュ卿とはよほど相性が良かったようだ。ほとんど実家みたいなものじゃないか」


「はい、小隊長には本当に感謝しています。兄弟子も部隊の先輩方も本当に良い方ばかりで。でも、それだけじゃなくてこちらで待機時間ができるなら、その間に勉強する本を持ってきたいんです。買ったばかりの医学書をまだ読めていないので」


「なるほど、勉強熱心だね。それならセルセが落ち着いている今のうちに行っておいで」


「ありがとうございます。すぐ戻りますね」


 そう言って立ち上がろうとしたヴィゴーレのお腹から、『くぅぅ』と何とも可愛らしい音がした。


「どうやら腹ごしらえを先にした方がよさそうだ。俺はもう執務に戻るから、ゆっくり食べると良いよ」


 苦笑するマリウス殿下の言葉に耳まで真っ赤になって俯いてしまったヴィゴーレに代わり、侍従に彼の好物をお願いすると、意外なほど早くお持ちいただくことができた。

 

「うわ、ボザ麦芽飲料バクラヴァ胡桃パイに……サムサミートパイもある。スキエンティア令息、僕の好物覚えていてくれたんだね」


「ああ、前に差し入れた時に喜んでいたからな」


 嬉しそうにかぶりつきながら言うヴィゴーレ。任務に固執してあくまで軍人として振舞おうとするどこか浮世離れした雰囲気と、やたらと甘いものを好む幼さがどこかアンバランスで印象に残っていた。


「ふふ。スキエンティア令息は優しいね」


「コノシェンツァでいい。名前で呼び合うように殿下に言われただろう?」


「うん、でも……」


「呼びにくければコニーと呼んでくれ。どうせこれから五年は付き合うことになるんだ。できれば良い関係を築きたい。立場上の当たり障りない付き合いではなく、ちゃんとした友人として」


 張りつめた糸のように義務や責任に固執して、自らを差し出し続ける危うい姿は見ているだけで胸が痛くなる。

 なぜ自分を大事にできないのか、価値を認められないのか。


「俺と友人になるのは嫌か?」


 少しでも支えられる存在になりたい。もっと近い存在になりたい。


「そんな訳ないけど……ごめん、どう接して良いかよくわからないんだ」


 戸惑うように揺れる琥珀色の瞳をじっと見つめて問いかけると、彼は途方に暮れたように視線を逸らした。

 それでも薄っすらと薔薇色に染まった頬を見るに、不快ではないらしい。


「それで構わん。実は俺もよくわからん」


「何だよそれ」


 率直に答えると思い切り吹き出された。よほどおかしかったのか、そのままくすくすと笑われてしまう。


「……僕のことはヴォーレでいいよ」


 ひとしきり腹を抱えて笑った後、目尻に浮かんだ涙を拭きながらそう言った顔は晴れ晴れとしていた。


「すぐに仲良くなるのは難しいと思うけど、こんな僕で良ければよろしくね」


「こちらこそ、気長によろしく」


 時間はあと五年もあるのだ、距離を縮めるのはゆっくりで良い。

  いつもの無理に貼り付けた、何かをこらえるような笑顔ではない、自然に浮かんだ曇りのない笑顔。

 これが見られただけでも今のところは上出来だと思うことにした。

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