離脱反応と治癒魔法
殿下の薬物中毒と言う衝撃的な事実が発覚し、俺たちは厳重に口止めされた上で家に帰された。しばらくは外出も控えるようにとの事だ。
それからほぼ一週間、家から一歩も出ずひたすら勉強をして過ごした。
ようやく見舞いができるまでに回復したという報せがあって、三人そろって王宮に伺ったのは、いかにも夏らしくカラっと晴れた暑い日だった。
馬車から降り立つと、灼けるような太陽がじりじりと照りつけ、立っているだけでじっとりと汗がにじんでくる。
「殿下もヴィゴーレも久しぶりだね。どうしてるかな?」
アッファーリが気遣わし気に言う。あの後すぐ治療に取り掛かったそうだが、二人ともどうしているだろう?
「こちらです。お二方とも少しお疲れですが、もう危険はありませんので」
案内してくれた侍従の言葉が気にかかった。よく見ると顔に小さな引っかき傷があるようだ。
(危険とは一体何だろう?)
開かれた扉を入ると、天蓋付きの寝台の手前の椅子に座っていた人物がこちらを振り向いた。一瞬誰だかわからなかったのは、すっかり面替わりしてしまったから。
ふっくらとした頬はやつれ、かさついた唇同様に鮮やかな色彩を失っている。眼窩も落ちくぼみ、くっきりとクマが浮き出ていて、いつもキラキラ輝いていた瞳もぼんやりと生気がない。ルビーのような艶に彩られていた長い髪はボサボサで、不揃いに切られところどころ禿げたようになっていた。
「ヴィゴーレ……?」
おそるおそる呼びかけると、彼は溶けて消えそうに微笑んだ。
「来てくれてありがとう。殿下はだいぶ良くなったんだけど……僕じゃない人がついていた方が良さそうだから」
「大丈夫? 顔色真っ青だよ」
彼らしくもないふらふらとした足取りに、アッファーリがおろおろしている。
「心配してくれてありがと。僕は大丈夫だから殿下をお願い」
黙ってうなずきベッドのそばに寄ると、殿下は不機嫌そうに身を起こし、クッションにもたれかかった。
「クセルクセス殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「麗しくないぞ。治療と言うのは大嘘だ。どこもおかしくなかったのに、治療とやらが始まってからおぞましい痒みや吐き気に襲われてな。まるで地獄だ」
殿下は憤懣やるかたなしといった風情でまくし立てる。
「今まで何ともなかったのに、なぜこんなに苦しまねばならんのだ」
怯えたように言う姿は確かにやつれたようだ。
ヴィゴーレのあまりに消耗した姿に衝撃を受けたせいで気にならなかったが、殿下も相当に辛い思いをしたのだろう。
「ごめん、もう大丈夫だと思うけど、急にかゆがったり涙が出たり……様子がおかしかったら呼んで。少し離れてるから」
俺の背後に隠れるようにしていたヴィゴーレは、軽く背伸びをしてこっそり耳打ちすると、部屋の隅の小さな椅子に身を投げ出すように座った。
「殿下、すっかりおやつれになって。さぞやお辛かったでしょう」
「ああ、酷い目に遭わされた。奴は父上たちを騙したのだ」
いささか大げさにアルティストが労わると、殿下は我が意を得たりと言わんばかりに嘆いてみせた。
どうやら全く異常を感じていなかったのに治療が始まってからかなりの苦痛を味わったため、ヴィゴーレが自分に危害を加えたと思っているらしい。
それなら彼があれほどまでにボロボロになっているのはおかしいのだが、頭に血が上っている殿下には言っても無駄だろう。
「なんて奴だ。陛下にはご報告を?」
「ああ、見舞いにいらっしゃった時にお伝えしたが、聞く耳を持って頂けなくてな。侍従からも毎日上奏させているが、叔父上が邪魔しているらしい」
「王弟殿下に取り入ってやりたい放題とは……」
怒りに燃える殿下とアルティスト。
パラクセノス師とヴィゴーレの会話によれば、薬物中毒の治療過程で味わう苦痛はきたえ上げられた軍人ですら耐えがたくて脱走しかねないほどらしい。
ならば殿下がこの程度の消耗で済んでいるのはヴィゴーレが自分の身体や生命をささげて術を使った結果なのだろうが……
俺は薬物中毒の治療がどんなものなのかよく知らないので口を挟めずにいる。
「ね、ヴィゴーレがそんな大それた事するかな? 殿下に危害を加えたにしては本人の方がボロボロだけど」
俺と同感だったらしいアッファーリが声をひそめた。
「そうだな、おそらく普通に治療するだけならもっと苦しむはずなのを、彼が自分の血肉を使った魔法で軽減したんだろう」
「そう言えばなんとか反応を和らげるって言ってたよね。すごく辛くって軍人でも治療途中で逃げちゃうってやつ」
「殿下にとっては彼が命を削って和らげたものであっても耐えがたいほど苦痛だったのだろう」
部屋の隅で亡霊のように椅子にもたれているヴィゴーレを見やる。
いつも強い意思を宿して黄金色に輝いている瞳が今はうつろで、どこにも焦点があっていないようだ。
一方の殿下は口角泡を飛ばす勢いで自分がいかに不当に虐げられ、苦しめられたかを熱く語っている。興奮気味の上ずった声は刺々しくて耳障りだ。
「大体あいつは……うぅ……っ」
「殿下っ!?」
急に途絶えた殿下の声と切羽詰まったアルティストの声。
慌ててヴィゴーレを呼ぼうとした時には彼はもう弾かれたように殿下の元に駆け寄っていた。
「ぅ……ぅああっ……死ぬっ……殺される……っ」
殿下はカッと目を見開いて口をはくはくと動かしながら全身を掻きむしっている。開きっぱなしの目と口からはとめどなく涙と涎が垂れ流されていて、鼻水も止まらない。だらだら流れる汗はまるで滝のよう。
「殿下、大丈夫です。僕がついているから落ち着いて」
ヴィゴーレは殿下を抱きかかえると、片手で殿下の手をしっかりと握り、もう一方の手で優しく背中を撫でさする。
「大丈夫、しっかり手を握っていますから。ね、僕の手、わかるでしょう?」
優しく語り掛ける声にこくこくと頷き彼にすがりつく殿下。あれだけ暴れていたのが嘘のようにおとなしくなり、背をさすられるリズムに合わせて浅い呼吸が次第に落ち着いてきた。
やがて殿下の涙やよだれ、鼻水もすっかりおさまって、滝のような汗も引いて来た。いつの間にか手の震えも止まっていたようだ。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
優しく語り掛けるメゾソプラノが耳に心地良い。
「もう大丈夫ですよ。少しお休みになりますか?」
「ああ、そうさせてくれ……」
殿下は深く息をつくと横になった。ヴィゴーレが片手を握ったまま、殿下に布団をかけて軽くとんとんとあやすように叩いている。
やがてすぅすぅと安らかな寝息が聞こえてくると、ヴィゴーレは手早く体温や脈を測って手元の帳面に書きつける。一通り記録が終わってもう一度殿下の様子を見ると、彼もようやく大きく息をついた。
そしてふっと肩の力が抜けたかと思うと、そのまま崩れ落ちる。慌てて受け止めた身体は驚くほど冷たかった。
「ヴィゴーレ!? 大丈夫なの?」
「ありがとう、大丈夫だよ。ごめんね、殿下が起きちゃうから少しだけ声おさえてくれる?」
涙目で詰め寄るアッファーリに力なく答えるヴィゴーレ。
「……どう見ても大丈夫ではないだろう。いくら何でもここまで弱っているのにごまかせると思っているのか? 俺たちを馬鹿にするな」
思わず口から零れた言葉は、とても自分の声とは思えぬほど低かった。
「心配かけてごめんね。離脱反応を軽減させる術を使うために、どうしても身体の感覚を同調させて共有する必要があったから、ちょっと疲れただけ」
「それだけじゃないよな? どうせ殿下の苦痛を減らすために、自分の命を削ったんだろう?」
困ったように微笑む彼に、責めるような言葉が止められない。彼がそうせざるを得ない立場なのはわかりきった事なのに。
「仕方ないよ。殿下の治療を進言したのは僕だし、今までほとんど痛い思いも苦しい思いもしてこなかった殿下が何の対策もなしに耐えられないのも仕方ないだろう? 僕はその苦痛を軽減できるんだもの、できる限りの事をするしかない」
「だからって、ここまでする必要はないだろう」
諦めたように微笑むのが許せなかった。
ヴィゴーレを毛嫌いしていて、何かにつけて言いがかりをつけているアルティストでさえ、何も言わずにただ目を逸らしている。それほどまでに彼はボロボロで、上辺を取りつくろう事すらできていない。
それなのに、なぜ彼はなおも己の身を削って差し出すのだろうか。
「だったら君が僕の代わりになるの? できないよね?」
「それはそうだが……」
「君にはできない、僕にはできる。ただそれだけだ」
何かが決定的に気に障ったのだろう。
それまで無理矢理貼り付けていた微笑を消して、彼は平坦な声で言った。
「やるにしても限度があると言ってるんだ。離脱反応とやらは苦しくても命には別条ないんだろう? ならばお前の命を削って危険にさらす意味がどこにある?」
「前にも言ったと思うけど、治療中の苦痛に耐えられなくてまた薬に手を出してしまう人が後を絶たないんだ。そして治療を始める前よりももっと深刻な中毒や依存症になってしまう。それでは意味がない」
突き放すような言葉に苛立ちを抑えきれない。
頭に血が上っているのはわかっていたが、それでも途中で言葉を止めることができなかった。
「だからって、どうしてここまで……殿下が苦しむたびにお前が全部取り除いていたんだろう? さっきみたいに」
「だから治療に耐えられないと……」
「少しは殿下自身にも耐えさせろよ! 辛いと言っても命に別状ないんだ。本人の身体じゃないか。甘やかしすぎだ!」
当たり前のように彼が自分の命を平気で削るのが哀しい。
これだけの事をしてもらっておいて、さっきだってすがりついて助けられていたのに、感謝どころかののしるばかりの殿下が腹立たしい。
何より、こんなにボロボロの身体でなおも自分の命を削ろうとする彼のために、何一つできない自分自身が悔しくてたまらない。
「なぜ何もかも一人で抱え込む!? 俺たちには何もできないのか!?」
我知らず彼を抱く手に力がこもり、ぎりりと歯を食いしばった。
「……ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ」
困ったように上目遣いで言うヴィゴーレにまだ彼を抱えたままだったことに気付く。
「痛いからちょっと放してくれる?」
「すまん、つい熱くなった」
「ううん。それだけ心配してくれたんだよね、ありがとう」
顔から火が出そうになりながら慌てて身を離すと、彼ははにかんだように微笑んだ。
「でもね、これは僕にしかできないことだから。望まれているのだから、僕がやらなくちゃ」
「……せめて、少しでいいから手伝わせてくれないか?」
「でも……」
「ね、その調子だとずっと殿下についてたんでしょ? 魔法が効いている間だけでもしっかり休んだら? 何かあればすぐ起こすから」
ヴィゴーレが答えに困っていると、アッファーリが提案した。
ずっと言いたかったのだろうが、俺たちが言い争っていたので口を挟めなかったようだ。
「そうだな。同じ部屋だとすぐ起きてしまうだろうし、別室できちんと休ませてもらえ。ついでに食事もしっかりな」
「でも……」
「すみません、彼を休ませる部屋ってご用意いただけますか?」
「はい。実はもうご用意できています。もし殿下をお願いできるのであれば、すぐにご案内できます」
なおもためらうヴィゴーレをよそに侍従に部屋の用意をお願いすると、既にできているという。
「せっかくご用意いただいているのに無駄にするのも申し訳ないだろう? 魔法はあとどのくらい効くんだ?」
「あと四時間くらいかな……六時間は保たないと思う」
「だったら三時間だけでも寝ておけ。四時間経ったら起こしに行く」
「かしこまりました。さあ、こちらへ」
会話を聞いていた侍従はヴィゴーレに断る余地を与えずにさっさと彼を手招いた。
「……では、お願いします。それじゃ、何かあったら必ず起こしてね」
少し戸惑ったものの、固辞してはかえって失礼だと思ったのだろう。軽く頭を下げて部屋を出て行った。
「ふう、休んでくれてよかった」
「ああ。少しでも長く休ませるぞ」
彼を見送った後、アッファーリがほっとしたように口を開く。
俺もうなずいて殿下の寝顔を見やった。少しでも長く眠ってくれると良いのだが。殿下も、ヴィゴーレも。
いずれにせよこのまま放置するのは危険だ。俺は帰ったらすぐマリウス殿下にご相談しようと決意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます