治癒魔法師と魔道具師
「パラクセノス師、警邏のポテスタースです。お時間よろしいですか?」
ヴィゴーレは教師たちの控室の立ち並ぶ一角で足を止めると、とあるドアを叩いて声をかけた。
「おう、ヴィゴーレ。もう戻って来たのか。南部はどうだった?」
言いながら部屋から出てきたのは黒目黒髪のやや浅黒い肌の男性だ。
二十代半ばくらいだろうか?
寝起きなのかと疑いたくなるほど髪はボサボサであちこちに跳ね、うっすらと無精ひげが生えている。とろんとした眼でぼりぼりと後頭部をかいている仕草を見ると、実際にうたた寝していたのかも知れない。
「はい。一昨日戻って来たばかりです。まだかなり深刻な状況ですが……取り急いでの救命が必要な人々のケアは終わったので、捜査に必要な最低限のメンバーだけ残して、後はあちらの部隊にお任せしないと」
「ああ、その辺しゃしゃり出すぎると後で面倒なことになるからな」
二人ともやや沈痛な表情のまま話を続けている。どうやら以前からの知り合いのようで、気安く会話は進んでいくが、事情の分からない俺たちは全くついていけない。
「ええ。生存者にして差し上げられる事があればできるだけお力になりたいんですが……僕たちではできる事とできない事もありますし。あの辺はアルムネット人も多くお住まいですから、よそ者があまり手出しや口出しをしない方がよろしいかと」
「確かに、宗派も生活習慣もよそとは全く違うからな。長いつきあいのある地元の連中ならともかく、よそ者が自分たちの価値観を押し付けてしまっては丸く収まるものもおさまらなくなる」
どうやら南部ならではの特殊な事情もあるようで、やはり教科書をもとに家庭教師に教わっただけの俺の上辺だけの知識とは全く違う。
どこか血肉を持った生活の匂いがするやりとりに、やはり立ち入りがたいものを感じてしまった。
「ええ、魔法による救命を望まない方もいらっしゃって……」
「そりゃ宗教的なものもあるだろうが、無理してまで生き延びたくないというのが本音だろうよ。家族も住む土地も働ける場所も、全部なくしたんだ。かろうじて生命だけ助かったとしても後遺症でまともに働けるかどうかもわからない」
「そうですね。僕ではその場で傷を治すことはできても、その先の何十年もの人生に責任を持つ事はできませんから」
「まあ、求められてない以上は余計なお世話というものだ。無闇に首を突っ込んでも」
悔しそうに唇を噛むヴィゴーレ。おそらく現地の状況の事なのだろうが、生き延びることを拒みたくなるほどの天災や戦災に見舞われた現場がどういうものなのか、想像もつかない俺にはとても口を挟めない。
どうやら他の三人も同じらしく、やや離れたところで戸惑いがちに話が終わるのを待っている。
「それで、一昨日こちらに戻って来たんですが、気になる事ができまして。先生のお知恵を拝借したいんです」
「おう、今は急ぎの仕事も入っておらんし、俺で役に立てる事なら構わんが」
「ありがとうございます。そうおっしゃると思ってました。殿下、こちらパラクセノス先生です。魔導師団では天才的な魔道具師として知られていて、こちらの学園でも教鞭を執っておられるんですよ。先生、ご存じでしょうがクセルクス第一王子殿下です」
俺たちの存在など忘れていたかのように話に花を咲かせていたヴィゴーレが、唐突に話を戻して師を紹介した。
いきなり話を振られた殿下は急な話題の転換についていけずに目を白黒させている。
「クセルクス殿下、お初にお目にかかります。魔導師団所属のマイヒャ・パラクセノス上級魔導師です。天才だなんてとんでもない。まだまだ未熟者で……おい、他に客がいるなら最初から言え。眼鏡かけてないから気付かなかったじゃないか」
唐突に紹介され、パラクセノス師は慌てて名乗ると、ヴィゴーレにこっそりと文句を言った。
どうやら話に夢中で、やや離れて見ていた俺たちには気付いていなかったようだ。
「眼鏡なんかかけてなくても人がいる事くらい気配でわかるでしょう? それより、殿下がお召しのピアス、おかしな魔法がかかっているみたいなんです。調べていただけませんか?」
「お前な。何でも気配でわかるのはお前くらいのものだぞ。ピアスか、う~ん……。かかっている魔法があまりに微弱だし、随分と巧妙に偽装されてるな」
師の文句は適当に受け流して用件を言うヴィゴーレ。パラクセノス師は彼の断られるとは微塵も思っていない口調に軽く嘆息しながらも、懐から眼鏡を取り出し殿下のピアスを検分して言った。
「……すまん。これでは少し見ただけでは術式はおろか、かかっている魔法の概要もわからん。何と言っても込められた魔法が複雑な上に微弱すぎるんだ。あれこれ偽装もされているようだし、直接触って細かく検査してみないと何とも言えんな」
どうやら巧妙に偽装された代物なので、詳しく検査しなければ何もわからないようだ。
「殿下。そういう訳ですのでピアスを拝借できますか? 調査が終わり次第すぐこの場でお返しできますから」
「この場でって……そんなにすぐ終わるのか?」
「もちろんです。先生は本当に優秀なんですから。ね?」
完全に二人の勢いに呑まれて何も言えずにいた殿下が面食らったように尋ねると、ヴィゴーレが何故か得意げに答える。
「おいおい、簡単に言うなよ。大雑把に調べるだけならすぐに終わるが、解呪して製作者を調べるのにどのくらいかかるか、見てみないとわからんぞ。とにかく廊下では調査も何もできないので中へどうぞ」
にこにこと嬉しそうなヴィゴーレにぼやきつつ、パラクセノス師が研究室へと招いて下さったので皆ぞろぞろと後に続いた。
中はとてつもない量の器具や薬品、書籍に溢れてはいたが、意外に整理されていて足の踏み場はきちんと確保されている。
一見雑多に見えていても、部屋の主には何がどこにあるかきちんと把握できていて、必要な時にはすぐに取り出せるようになっているのかもしれない。
「ヴィゴーレ、すまんがそっちのガス検知管と集気びんをとってくれ」
「はい、これですね。こちらの使用済みのスポイトと試験管は洗浄してしまってよろしいですか?」
その印象を裏付けるように、師は手際よく道具や試薬を取り出しては検査を進めていく。
ヴィゴーレもある程度勝手が分かっているらしく、指示されたものを次々と出してきてはタイミングよく手渡し、使い終えたものは手早く洗浄して元の場所に戻していた。
「うわ、まっ黄色。けっこう出てますね。これはまずいんじゃないかな」
「こっちは紫色……と、言う事は使っているのはアレだな。放出されるのは一瞬だから効果は三時間ほどで消えるはず。それで今まで気付かれなかったんだな」
二人が着々と作業を進めていく様をただ見守るしかない俺たちには何が起きているのかわからないが、二人とも次第に表情が険しくなってきたところを見るとろくでもない仕掛けがしてあったのだろう。
さすがにピアスに直接薬品をかけたり薬液に漬け込んだるすることはしないが、さんざんいじくりまわして検査しているので、殿下は何とも言えない表情になっている。
ややあって「お待たせしました」と、ぎっしりと数値などを書き込んだ紙を片手にやって来たパラクセノス師。
彼が真剣な表情で語った調査結果は俺たちの表情を凍らせ、殿下に苦悶の呻きを上げさせるに充分な内容だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます