襲撃と略奪と調略と※残酷注意:天災、内戦の描写あり

 警邏本部に赴くと、失踪届は思っていたよりもずっとスムーズに受理された。

 あらかじめ親交のある人物リストなどを作って話すべき情報を整理してあったのが功を奏したのかもしれない。


 フレベリャノ氏の失踪がヴィゴーレたちが捜査していた爆薬の材料の密輸や、南部のエルダ山岳党クレプテインと何か関係があるのかもしれない、という訴えも真摯に耳を傾けていただけた。

 一般的な犯罪捜査にあたる第三小隊だけでなく、本来は諜報・外事を担当する第五中隊や組織犯罪を担当する第二中隊の騎士までやってきて丁寧に聞き取りをしてくれたのだ。

 まともに対応してもらえずもみ消されるかもしれないと決めつけていたクセルクセス殿下は思ってもみなかった丁寧な対応に安堵してうっすらと涙ぐんでいた。よほど心細かったのだろう。


 大まかな状況の説明が終わって捜索をお願いしたのち、対応してくれた騎士に南部の状況を訊いた。

 最初は機密だからと言ってなかなか教えてもらえなかったのだが、寮内で学生たちの間に噂が広がっていて、正確な情報を出さないとパニックを起こしかねないという状況を説明すると我々の懸念を理解してくれたらしい。

 わざわざ非番の騎士が説明に出向いてくれて、殿下は大いに面目を施した。


 もっとも、明かされた情報は決して楽観視できるものではない。


 シュチパリア南部の山岳地帯に降った集中豪雨の影響で、大規模な地滑りが起きた。そのためか、国境付近のいくつかの集落と連絡がつかなくなっている。

 南部の中心的な都市であるコルチャオと西部や中部を繋ぐ街道も山中は通行できない状態が続いており、高原に存在する中継都市であるイスコポルも孤立して連絡が途絶している。

 雨がやむまでは二次災害の危険があるため山中に入れず状況が把握できない。救助を始められるまでしばらく待って欲しい。


 生真面目そうな騎士が丁寧に説明して頭を下げると、学生たちも納得できないながらもおとなしく待つと約束するしかなかった。


 しかし、その後学園長室に場を移してから聞かされた話は衝撃的だった。


 まず国境付近のラキケ、シェック、ダーダス、シニチェなど、いくつもの集落が消息を絶ったらしい。それだけなら豪雨の時に山道を行き来するのは極めて危険なので、さほど珍しくもない。

 この季節の豪雨は珍しいが、この国では秋も深まる十月ごろから長雨が続き、それがそのまま冬の豪雪となるのが常なのだ。その間、村々と王都はおろか、コルチャオやエルセカと言ったその地域の中心都市との連絡も途絶えがちなのは毎年の事だ。

 残念ながら雪崩や土砂崩れで小さな村が丸ごと滅んでしまうことだって、数十年に一度は起きているらしい。痛ましい事ではあるが、それもまた自然の理というものであろう。


 一気に状況が変わったのは、降り始めから二日後、山麓の街デヴォル子爵領フィトーレで二人の少年が保護されてからだ。

 初めのうち、血と泥にまみれ、恐怖と疲労でろくに口もきけない状態で逃げてきた二人を、誰もが地滑りに巻き込まれて命からがら避難してきたのだと思っていた。しかし、半日ほど休んで目を覚ました彼らが語った事実は恐るべきものだったのだ。


 彼らは エルダとの国境に最も近いヴィドホヴェという村の生まれだ。険しいストランラ山中の貧しい村には山賊が奪うほどの作物も資源もなく、人口百人にも満たない小さな集落は、脅威と言えば毎年秋に訪れる長雨とごく稀に迷い込むヒグマくらいといった、つましい暮らしを送ってきたのだ。


 それが激変したのは季節外れの豪雨に襲われた日の夕方だ。雷雨と共に真っ赤なフェルト帽と薄汚れたフスタネーラ、鮮やかな青い上着ピスリに身を包み、湾曲剣ショーテルを振りかざしたエルダ山岳党クレプテインたちが、山間の小さな村に押し寄せたのだ。


 家の中にいた村人たちは残らず凌辱され虐殺されて、家畜もことごとく奪われた。奴らはまるで村人たちの血に染まったかのような紅い靴で村のあらゆる建物を蹂躙し、あらゆるものを根こそぎ奪っていったのだ。

 二人はたまたま納屋の屋根裏で遊んでいたので、彼らに気付かれることなく屋根から樹々に飛び移って村を離れる事ができた。豪雨で物音がかき消され、視界が悪かったことも幸いしたのだろう。


 そのまま樹々を伝って山を下りようとしたのだが、途中で山が崩れ、村のあったところを大量の土砂が飲み込んだのだと言う。 

 かろうじて土砂崩れに巻き込まれずに済んだ二人は、麓のフィトーレまでほうほうの体でたどり着いたのだが、そこで力尽きて倒れてしまったのだ。


 彼らの話を聞いて大人たちは戦慄せんりつした。

 消息を絶った村々は全てヴィドホヴェからイスコポルへの道中にある。

 たまたま悪天候で孤立しているだけならまだ良いが、行政府を兼ねたイスコポル領主の館にある緊急連絡用の魔法陣も全く何の反応もしないのは異常すぎる。おそらくイスコポルの人々は何らかの事情で呼びかけに応えられる状況ではないのだろう。


 となれば、当然ヴィドホヴェを襲った悲劇がそれらの村々やイスコポルをも飲み込んだと考えるのが自然なわけで……

 最悪の事態を考えながら、人々は豪雨が止み、現地の調査が行えるようになるまで、重苦しい不安と何もできない歯がゆさに苛まれる日々を無為に送るしかなかったのだ。


 豪雨が止んだのは降り始めから四日後の事だった。

 すぐに土砂災害を警戒しながらの捜索に向かった軍人たちは、山中で破壊しつくされた村々の残骸と、かつて人間だったはずの肉片や骨の山を前になすすべもなく項垂れるしかなかったそうだ。

 そう。すべてが遅すぎたのだ。


 結局、南部で起きた土砂災害と、それに乗じて行われた大規模な襲撃事件は調査や事態の終息に一か月近くを要した。


 鎮圧には地元の王国軍第三旅団だけでは手が足りず、たまたま捜査のため現地入りしていたヴィゴーレの所属する部隊もそのまま増援に駆けつけたそうだ。


 コルチャオ周辺では少なくとも五つの村が跡形もなく破壊され、生存者は数えるほどしかいないらしい。

 イスコポルのすぐ南の山間にあるヴィスククも略奪に遭ったものの、街の人々が土砂災害を警戒して山の麓に避難していたため、人的被害は軽く済んだのが不幸中の幸いだった。


 そしてイスコポルは……街の中心部は略奪と破壊に遭い、フレスコ画とモザイクで彩られた美しい街並みは瓦礫の山と化してしまってもはや見る影もない。

 一万五千人いた住民の三分の一が虐殺に遭い、残る人々も半数以上が家や農地、店や工場を失った。数百人もの行方不明者は、山中を逃げまどううちに遭難したのか、それともエルダ山岳党クレプテインに連れ去られたのか、いまだに定かではない。

 生き延びた人々がどうやって生活の立て直すか、全く見通しが立たない状況だそうだ。破壊された故郷を諦め、コルチャオや中部のブルケリアに移り住むことを決めた人も多いらしい。


 ヴィゴーレ達は鎮圧後も背後関係の捜査や被災者の救援などに引っ張り出されたため、王都に帰って来られたのは七月になってからだった。


 ちなみに失踪したフレベリャノ氏の捜索は遅々として進まず、消息は未だに全く不明のままだ。

 おそらく不安なのだろう。殿下の態度は日に日に居丈高になり、些細なことで逆上するようになったが、大切な人の安否がわからない心細さを考えると、俺は怒る気にはなれなかった。


 捜査の過程でフレベリャノ氏の祖母にあたる人が、デヴォル子爵家の嫡出子とされていたが実際には庶子で、幼少時には壊滅したシニチェの村で人目を避けるように暮らしていたことがわかった。

 しかし、そんな三十年以上も前のささいな事実が今回の事件に深くかかわっているとは、この時点では誰も思い至ることがなく、俺たちはじりじりと焦りばかりが募る日々を、ただいたずらに過ごすより他はなかった。

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