破壊工作と土砂崩れ
六月には珍しい、激しい雨の日だった。
太陽が照りつけるこの季節とは思えない、肌寒くて陰鬱な空は我々の心をそのまま映し出しているようだ。
「ヴィゴーレ、大丈夫かなぁ……」
不安げなアッファーリの言葉に、俺は何も返してやることができない。
「ふん、知ったことか。殿下のお召だと言うのに遠方に出動とは……」
吐き捨てるように言うアルティストに、アッファーリが涙目になる。
「少しは相手の身にもなれ。無神経だぞ」
たしなめると面白くなさそうにそっぽを向かれてしまった。
ヴィゴーレは今、南部タシトゥルヌ侯爵領のコルチャオに行っている。
シュチパリア南部の山岳地帯には古エルダへの回帰を謳う
彼らは南の隣国エルダの砂漠王国オスロエネによる支配に反抗し、独立を訴えているのだが、困ったことにシュチパリアやモエシアと言った隣接する国々の都市の所有権も主張しているのだ。
そして付近の街や村を襲って金品を奪ったり、人々に従属を誓わせようとする。
祖国の独立を願う志はわからなくもないが、大国オスロエネに敵わぬ腹いせとばかりに近隣諸国で暴れまわっているその振る舞いは、山賊以外の何物でもない。
「とにかく今は無事を祈るしかあるまい」
「コルチャオの近くの村が音信不通なんだっけ?」
「ああ、山に入ったあたりの集落がいくつか
「やっぱりヴィゴーレ達が最近捜査してるって事件と関係あるのかな?」
「それはわからん」
俺たちのような民間人に届く情報は限られているので、どうしても憶測で話すしかない。もちろん家の方でも情報収集はしているが、北部の我が家は南部の事情にやや疎く、情報入手に数日の遅れがあるようだ。
「そんなものはどうでもいい。それよりポントスが姿を消したのだ。一体何があったのか……」
そう言えばそうだった。
また殿下に呼び寄せられたと思いきや、軍からヴィゴーレは南部に出動していて十日は戻ってこないとの報告があったのだ。
そこでパニックを起こしかけた殿下をなだめすかして訊き出したところ、乳兄弟が忽然と姿を消したので、ヴィゴーレに探させるつもりだったのだと言う。
彼の所属は組織犯罪を取り締まる部署だから個人の失踪は管轄外に思えるのだが、家族同然の大切な人がいなくなって動転している殿下を責めても仕方がない。
「行方不明者の捜索が必要なら、ヴィゴーレを呼び出すよりは正式に届けを出して捜査を依頼した方が早そうです。当分戻ってこられないそうですから」
「そうだな……こうしていても仕方がない。一刻も早く捜索願を出すか」
「そうですよ、あんな下っ端に何ができると言うのか。あんな奴、コルチャオから帰ってこなければいいんだ」
せっかく現実的な代替案に殿下が乗り気になったところで、調子に乗ったアルティストが余計なことを言う。
「ひどいよ。ヴィゴーレが本当に帰ってこられなくなったらどうするの? この間だってあんなに大怪我してたのに……」
「任務が、部隊がと、軍の事しか言わない奴なんだ。任務を果たして戦死するなら本望だろう」
アッファーリが涙目になって抗議したが、アルティストは取り合わない。
「お前が彼を嫌っているのはわかったが、だからといって不幸を願うようなことばかり言うとアハシュロス公爵家の品位までもが疑われるぞ」
「なんだと。品位を疑われるのは殿下のお言葉よりも平気で軍務を優先するあいつだろう。それに家は関係ない」
俺も少々頭に血が上っていたのだろう。つい挑発するようなことを言うと、アルティストもムキになって言い返した。
「軍人なんだから軍紀を第一に考えるのは当然だ。それにお前自身の品位は今さら疑うまでもないからな。これから疑われるのはお前を教育した家だろう?」
「貴様、侮辱する気か?」
「お前こそ俺の友人を繰り返し侮辱しているし、もう一人の友人を悲しませている。喧嘩を売る気なら言い値で買うが、そうでないなら言葉は選べ」
「二人ともちょっと……」
「お前たち、俺の前だと言う事を忘れていないか?」
エスカレートする俺たちと、止めたくても割り込めずにおろおろとするアッファーリ。
かなり熱くなってきたところで珍しく殿下が止めに入った。
「申し訳ありません」
「失礼しました」
「まったく、主人の乳兄弟が行方不明と言う時に、お前たちは……」
そうだった。失踪したのは殿下にとって家族同然の人なのだ。
さぞご心配だろうに……こんな事で言い争っている場合ではない。俺も真面目に彼の失踪について考えることにした。
「フレベリャノ氏については改めて失踪届を出すとして、警邏に行く前に情報を整理しておいた方が、捜査がスムーズに進むかもしれません」
「ふむ。例えばどんな?」
「最後に目撃された日時と場所ですね。それから寮の自室の様子。荒らされた形跡がないか、なくなったものはないか」
「なるほど、ポントスを連れ去った者が何か形跡を残しているかもしれないのだな」
うむ、この辺りは公の捜査が入る前に我々が決めつけてしまうのは危険ではなかろうか。
「まだ連れ去られたのか自発的に姿を消したのかわかりませんよ」
「ポントスが俺に黙って自分から消えるなど……そんな無責任な真似をするはずがない」
「もしかすると脅されているのかもしれません。人質をとられたりして」
「なるほど……卑怯だが、その可能性もあるな」
「人質にされそうな人物……例えばお母上の安否も確認した方が良さそうですね。他には最近見慣れない人物との接触がなかったか、など」
「調べることが多いな」
「詳しい捜査は警邏でしてくれるので、わたくしどもは大雑把な概要だけで充分です。むしろ余計な事をすれば捜査の邪魔になりますし」
「ほう。それでは何をすれば?」
「親しいものでなければわからない事は情報を整理した方が良いでしょう。いつも身につけているものや大切にしているもの、それから親しく接している人物も」
「ふむ。そういったリストを作っておけば良いのだな」
「そうです。例えば、よく手紙をやりとりしている人がわかっていれば、特定の人の手紙だけなくなっていれば怪しいとわかるでしょう?」
「ほう。お前もなかなかに頭が回るな。ただの陰険ではなかったのか」
何だか失礼な感心のされかたをしている気がするが致し方ない。
「陰険かどうかはともかく、できる事を一つずつしていきましょう。まずは親しかった人のリストアップをお願いします。私は寮の私室に立ち入る許可を頂きますので」
殿下が頷くのを確認すると、俺たちのやり取りを聞かぬように耳栓をしながら執務に専念していた学園長にフレベリャノ氏の私室を調査する許可を取り、寮に赴いた。
彼の部屋は綺麗に片付いてはいたが、妙に物が少なくて、あまり王家に近しい立場の者の私室とは思えない。
教科書や筆記用具の他は制服が一式と私服が二着、装身具の類も必要最低限のものしか見当たらないのだ。
「随分とすっきりとしたお部屋ですね」
「ポントスは几帳面だからな」
「必要なものだけを置いている印象ですね」
「ああ、彼は無駄というものを嫌うからな。無欲で克己的な信頼できる奴だ」
殿下はすっかり信用しておられる様子だが、俺は真逆の印象を抱いた。
(余計なものを持たず、いつでも姿を隠せるようにしているようだ)
「フレベリャノ氏がいつも身につけていたものはご存じですか? それから、大切にしているものは?」
「いつもトパーズのピアスを身につけていた気がするが……他は心当たりがない」
そう簡単に尻尾は出してくれないと言うことか。
「そのピアス、今ここにありますか?」
「いや、見当たらんが……常に身につけていたからな」
「なるほど」
「とにかく、人が入った形跡はありませんね。特に何かなくなったものもわかりませんし」
ここでは争ったり荒らされたりした形跡は全くないということは、もう手がかりはないだろう。
手紙の類も見当たらない。
そろそろ警邏本部に行って失踪届を出そうと廊下に出ると、寮生たちがざわついていた。
「被害状況は!? イスコポルが壊滅したと言うのは本当か!?」
「エルセカでも地滑りだと!? 一体何がどうなってるんだ。今は乾季だろうが」
イスコポルもエルセカも南の国境付近にある山岳地帯の地名だ。ヴィゴーレ達が出動しているコルチャオにもほど近い。
「いったい何事です?」
「それが、ここ数日の大雨で南部で大規模な土砂崩れがあったそうで」
手近な寮生とおぼしき人物をつかまえて訊くと、興奮気味に返事が返って来た。
どうやらこの土砂降りは単なる大雨では済まなかったらしい。
「しかも豪雨に乗じて
「なんですって!? コルチャオは無事なんですか?」
なんということだ。ただの天災に留まらず、それに乗じてろくでもない事を始めた輩がいるようだ。ヴィゴーレ達は無事だろうか?
「はい。コルチャオから先ほど伝達魔法で連絡があったそうで、先生たちが話しているのを聞いた学生が大変だと皆に知らせて回っています」
「まずいですね。正確な情報が届く前に不安を煽る噂が広まるとパニックを起こしたものがどんな行動に出るか。正しい状況が確認できるまで不確定な情報を口にしないよう、釘をささねば」
まだ混乱が寮の中だけで済んでいるから良いものの、浮足立った学生が誰彼構わず不確かな情報を言って回ると、イリュリア市民全体がパニックを起こして暴動に走りかねない。
「しかし、どうやって」
「今こそ第一王子であらせられるクセルクセス殿下のご威光を示す時でしょう。できるだけ早く正確な情報を知らせると告げた上で、未確認の情報をみだりに口にしないように諫めるのです」
「う、うむ」
完全に腰が引けている殿下をたきつけて、とにかく学生たちを落ち着かせるように仕向けないと。
「皆さん、不安なのはわかります。私も大事な友人がコルチャオに滞在していて心配でたまりません。でも、不安な時には不確かな情報に飛びついて騙されてしまいがちです。今クセルクセス殿下が事実関係を調査中です。詳しいことがわかり次第、必ず皆さんにお知らせしますから、今しばらくお待ち下さい。」
俺は魔法で大きな破裂音を出してこちらに周囲の注意を向けさせてから、精一杯の声をはりあげた。
音を増幅する魔法も使えれば良いのだが……くそ、焦りすぎて使い方を咄嗟に思い出せない。たしか空気の振動を利用するはずだったが……
「そうだ。第一王子であるこの俺が責任をもって調べてくるから落ち着いて待っていてくれ。くれぐれもみっともなく狼狽えて栄えあるシュチパリア貴族に相応しくない醜態を晒すことのないように」
俺の焦りを知ってか知らずか、殿下も声を張り上げる。
よく見ると握りしめた拳が白くなっているが、それでも上辺だけはなんとか平静を保っているあたりは流石王族である。
「クセルクセス殿下がなぜここに?」
「ぼんくら王子に何ができるんだ?」
「でも言ってることはまともだよ。来たタイミングも良いし」
「今焦って変な情報に飛びついてもどうにもならない。殿下の言う通り、少し待ってみよう」
ざわざわと不審と好奇の混じった声が上がり、しかしそれは次第に理性的な声に圧されていった。
「とにかく警邏で最新の情報を確認してきます。街に行っても軍よりも早く正確な情報はないはずなので、皆さんどうか焦らず待っていてください」
俺がそう言って踵を返すと、慌てて着いてきた殿下が「そうなのか?」と小声で訊いた。
「はい。災害救助は現地の部隊が行いますが、応援の必要があるか必ず治安維持部隊である警邏にも随時連絡があるはずです。魔導師団でも情報は共有しているでしょうが、ちょうど我々も警邏に用がありますし」
「なるほど、一石二鳥だな」
「ええ、それに南部の襲撃がフレベリャノ氏の失踪と無関係とは限りません。急ぎましょう」
むしろ彼に南部から不審な訪問者があった直後に失踪して、同時期に襲撃があったのだ。無関係である可能性の方が低そうだ。
それにしてもまた戦争か。北のダルマチア戦役がようやく収まったばかりだと言うのに実に慌しい。
俺は嫌な予感を無理やり振り払いながら警邏本部へと急ぐのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます