早合点と説明不足

「いったいどういう事だ!! ポントスが警邏の連中に連行されるなんて……あの気高い男が犯罪になど関わるはずがないだろう!!」


 久しぶりに急な呼び出しがあったかと思うと、全員揃ったとたんに殿下のヒステリックな怒声が学園長室に響き渡った。


「そうおっしゃられましても。正規の手続きを踏んで事情をお伺いしているので私にはいかんとも……お疑いがあるならば正規の異議申し立てを行ってください」


 困惑をあらわにしたヴィゴーレが渋面で正論を述べる。


「そんな事をしてもどうせ無駄だ! お前らが権力で握りつぶすんだ!」


「わたくしどもから見れば権力者は殿下、あなたです。私がいま本来の業務を離れてこちらに伺候しているのも殿下が権力者で、私のような一介の軍人では逆らえないからです」


「何だと!?」


 ヴィゴーレも色々なものが溜まりに溜まって限界だったのだろう。言いにくいことをきっぱりと言い切ってしまった。


「殿下は王族と言う、他のものにはない権力を奮える立場にいらっしゃいます。その事を自覚しておられますか? 権力をふるうには、それに応じた責任とリスクがあるのですよ?」


「言わせておけば好き勝手に……」


「好き勝手なことなど申せません。殿下は王族であらせられますから」


「ぐぅ……」


 言葉に詰まった殿下がくぐもったうめき声を発した。これがぐうの音と言うものか。


「おい、何だその言い方は。不敬ではないか」


「申し訳ありませんが、どこが不敬なのかわかりかねます。ご教示いただけますか?」


 殿下の様子に見かねたアルティストがヴィゴーレを咎めたが、彼が不思議そうに問い返すと気まずそうに黙ってしまった。

 ヴィゴーレには本当にわからないだけなのだろうが、アルティストはわかった上でとぼけて威圧されたように感じたのだろう。

 答えが返ってこない事に焦れたヴィゴーレは軽く嘆息するとクセルクス殿下に向き直った。


「とにかく、ポントス・フレベリャノ氏への事情聴取は正式なものです。一介の警邏騎士である私がどうこうできる問題ではありませんし、捜査中の情報を外部にお知らせすることもできません。もし必要であれば正式な手続きを踏んで異議を申し立てるか、情報開示の請求をお願いします」


 にべもなく言うヴィゴーレだが、この言い方では殿下は納得しないだろう。


「恐れながら殿下、こうして彼を問い詰めてもらちがあきません。彼は一介の士官であり、何の権限もないのですから。もっと上の、実力がある者に働きかけませんと」


「スキエンティア侯子のおっしゃる通りです。しがない准尉にすぎない私ではお力になれません。どうか正規の手続きを踏んで、上層部に働きかけてください」


 俺が助け船のつもりで口を挟むと、ヴィゴーレもそれがわかったのか即座に言葉に乗って来た。


「わかった。お前のような無能に頼もうとした俺が悪かった。まったく、なぜ父上も叔父上もこんな役立たずを是が非とも俺の側近に据えたがるのだ……」


「ご用件はこれだけでしょうか? でしたらまだ本日の業務が残っておりますので帰投したいのですが」


「ああ、さっさと消え失せろ! そのまま二度と現れなくていいぞ。今度こそお前はクビだ!」


「かしこまりました。ありがとうございます」


「ああ、さっさと失せろ! 二度と俺の前に現れるな!」


 用件は済んだとばかりに暇乞いするヴィゴーレと、感情的に叫ぶクセルクス殿下。二人の相性は最悪のようだが……俺には少々気になる事があった。


「帰る前に一つだけ訊いても良いか? フレベリャノ氏が犯罪に加担しているのは確かなのか? それともただ単に参考に話を聞いているだけなのか?」


「今のところ、こちらからのお願いに応じて出頭して下さったのでお話をうかがっている段階だよ。フレベリャノ氏ご自身に容疑がかかっているのか、かかっているとしたらどの程度のものなのかは言えないけれども、少なくとも無理やり拘束しなければならない状況ではないよ」


 俺の問いにヴィゴーレはあっさりと答える。

 彼はずっと「事情をうかがっている」としか言っていなかったので、フレベリャノ氏が逮捕されて犯人扱いされているようには思えなかったのだ。

  どうやら連行されたと言うのは殿下の勘違いだったようだ。


「それでは話が済めば解放されるかもしれないんだな?」


「そもそも拘束してないもの。お話が済み次第すぐ帰宅していただかないと困るよ。そりゃ、お家が遠方だからどうしても泊まりたいっておっしゃられたら仕方がないけど……たしか学園の寮にお住まいだよね?」


 確認のために訊くと、俺たちの懸念がよくわからなかったのか首をひねりながら大真面目にズレたことを答える。もし泊る事になったらお風呂と晩御飯どうしようなどと言っているが……違う、そこじゃない。


「話がずれているが、それではフレベリャノ氏は数日中に帰れるんだな?」


「遅くとも今日の夕方にはお帰りいただきたいんだけど。聴取に時間がかかるとお互い疲れるしストレスたまるし。後から訊きたい事が出て来たらまたお話をうかがえば良いだけだし」


 できればお昼ご飯の前に帰って欲しいな。ぼそっと言ったのが聞こえたぞ。

 よほど食事を用意するのが面倒らしい。


「なるほどな。殿下が心配されているような、無理矢理拘束されて厳しい尋問を受けたり、何か白状するように無理強いされたりすることはないんだな」


「ある訳ないよ。僕たちは法に基づいて治安を維持する役目をおおせつかってるんだよ。きちんと捜査にご協力くださってる方にそんな無体を働く訳ないだろう?」


 心底呆れたように「何を心配してるんだ」と言うヴィゴーレ。

 いや、世の中には「警邏に連れて行かれた」と聞いたらすぐに逮捕されて厳しい尋問や拷問をうけるものだと思い込んでいる人もいるようだぞ。目の前のクセルクス殿下みたいに。


「そっか。それじゃ心配しなくてもお帰りを待っていれば良いんだね」


 安堵したようににこにことアッファーリ。


「うん。現時点では何も心配する事はないと思うよ。それじゃ、差し入れのバクラヴァ買って帰らなきゃいけないからそろそろお暇してもいい?」


「それ、君が食べたいだけだろ」


「ちゃんとフレベリャノさんにもお出しするもん。それじゃ、もうお暇するね」


 アッファーリの突っ込みに軽く頬を膨らませて抗議するヴィゴーレ。どうやら捜査協力者への差し入れにかこつけて自分のおやつも確保するつもりらしい。


「ああ、帰り際に引き留めて悪かったな。仕事頑張れよ」


「ありがと。またね」


 俺も声をかけるとヴィゴーレははにかんだように笑いながら軽く手を振って去っていった。


「殿下、これで少しは懸念が晴れましたか」


「あ、ああ……」


 あっけに取られている殿下に声をかけると、なんとも拍子抜けした声が返って来た。やはり俺の思った通り色々と誤解していたらしい。


「まったく、ヴィゴーレも最初から心配ないよって言えば良いのに」


「あいつは自分の仕事で頭がいっぱいだからな。殿下がなぜあんなに動揺しておられるのか全くわかっていなかったんだろう。われわれ一般人には自発的な捜査協力と容疑が固まった者の逮捕の区別がつかないなんて、夢にも思っていないようだったし」


 もちろん殿下が早とちりして周囲の話に聞く耳を持たなかったという事には大いに問題があるのだが、ヴィゴーレも一般人と捜査担当者では感覚が違うと言うことが頭からすっぽり抜けている。


「たしかに、警邏に連れて行かれたって話だけ聞いたら逮捕されたって思っちゃうよね。協力をお願いされてお話ししているだけだったら何も心配いらないのに」


「そういう事だな。殿下もご安心いただけましたか?」


「あ、ああ。その……ご苦労だった。おかげで状況が飲み込めた」


 我に返ったようにおっしゃる殿下。やはり状況がわかっておらず、不安のあまり居丈高に振舞っていたようだ。


「それは良うございました。それではわたくしどももこれで失礼しても?」


「ああ。騒がせてしまったようだな」


 おや、殿下が俺たちをねぎらうようなことをおっしゃるなど。明日は雨が降るかもしれない。


「それはヴィゴーレに言ってやってください。また仕事の最中に強引に呼び出したんですから」


「それは……最初から奴らがきちんと説明しないのが悪いのだ」


 殿下が勝手に勘違いしただけなのだが、それを指摘しても聞く耳を持たないだろう。


「殿下が何を不安に思い何にお怒りなのかわかっていなかったのですよ。彼は幼いころからずっと軍にいるから、我々のような一般人の感覚は、言われなければ理解できません」


 つい最近まで前線にいたのだ。平和な王都しかしらない我々の発想はわからないだろう。俺たちが彼の発想をわかってやることができないのと同じように。

 「今までの常識が全く通用しない」と心細そうに言っていた顔を思い出す。部隊の中ではそれでも困らないのだろうが、学園に通うようになったら何かと支障が出るかもしれない。

 そう考えると今から頭が痛い。


「そんなものは知るか。奴が非常識なだけだろう」


「そうかもしれませんが、殿下もわたくしどもを呼び寄せる前にどのような状況なのか落ち着いて確認された方がよろしいかと。状況もわからぬのに焦って行動しているところを余人に見られますと、足元をすくわれかねません」


「ふん、またつまらん説教か。だからダルマチアの血を引くものは陰険でいけ好かんのだ」


 せっかく機嫌を直していた殿下が拗ねたように鼻を鳴らした。素直と言えば聞こえは良いが、幼稚でこらえ性がないのも困ったものだ。


「私自身に対しては殿下がそう断じられるのは私の不徳の致すところですので仕方ありません。ですが、ダルマチアの血を引くものが全て同じではございません。私への不興をそのままダルマチアの血を引くもの全てに向けないでください」


 個人間の好き嫌いは仕方がないが、それを国や民族への嫌悪や蔑視に転化してしまっては諍いのもととなる。それをするのが王族となればなおさらだ。

 立場の弱い小国であるシュチパリアでは、ちょっとした外交上の弱みが国を滅ぼしかねないのだ。


「またそうやって下らぬ説教を。やはりダルマチア人は野蛮で陰険だ」


「どうかそんなことをおっしゃらないでください。コノシェンツァは殿下のために言っているんだと思います」


 アッファーリがおろおろしながらも意を決したように割り込んだ。争いごとが苦手で気の弱いところのある彼にしたらだいぶ勇気が必要だったのではないだろうか。


「私も殿下がつまらないことで足を引っ張られるのは嫌です。だからむやみに敵を作るようなことをおっしゃるのは悲しいです」


 アッファーリの今にも泣きだしそうな顔を見て、さしもの殿下も思うところがあったのだろう。


「仕方がない。心優しいアッファーリに免じて今日だけは許してやる。さっさと帰るが良い」


「かしこまりました」


「やはり高貴なエルダの血を引くものは違うな。心が清い。アッファーリ、これからもよろしく頼むぞ」


 アッファーリが良い奴だというのは同感だが、やはり殿下のダルマチア嫌いやエルダ贔屓ひいきは異常だ。

 元乳母は古エルダとのかかわりを根拠に、殿下に意図的に選民思想を植え付けたのではないかという懸念が拭えない。むしろ殿下とお話しすればするほど強くなるようだ。

 何とも嫌な予感がする。


「はい、殿下。でも、コノシェンツァやヴィゴーレのことも嫌わないで下さい」


「俺が嫌っているのではない。あいつらが俺に嫌わせているのだ」


「そんな事おっしゃらないで」


「ああわかった。そんな泣きそうな顔をするな。心配せんでも奴らを追い払ったりしないから」


「本当ですか?」


「ああ。だから今日のところはもう帰って良いぞ。急に呼びつけて悪かったな」


「いいえ、殿下のお役に立てたならそれだけで嬉しいですから。また何かあればおっしゃって下さい。それでは失礼します」


 頭を下げたアッファーリに続き、俺とアルティストも学園長室を辞してその日の会合は終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る