疑心暗鬼と面従腹背
「お前たち、あいつとは一体どんな話をしたんだ?」
ヴィゴーレを見舞った数日後、俺とアッファーリを学長室に呼び出したクセルクセス殿下は開口一番にそう言った。
今回は前日のうちに連絡が来たし、殿下も時間丁度に現れたという事は、だいぶ叔父上のお説教が効いたらしい。
「どんなとおっしゃっても……」
「単なる世間話です。傷はだいぶ回復してそろそろ通常の任務に戻れると申しておりました」
困ったように口ごもるアッファーリに続いて俺が答えた。
「ほう、そうか」
「はい。今は部隊全体でとても重要な任務についているため、急な呼び出しは困るとも。出動が多いので常に連隊本部にいるとは限らないとか。数日がかりで王都近郊に出動している事もあるそうです」
「なるほど、そうやって部隊ぐるみで冤罪を仕立て上げているのだな」
ふん、と鼻を鳴らして軽蔑しきったように言うクセルクセス殿下。何の根拠もない言いがかりだが、言っている当人は得意げだ。
ただでさえ王族に取り込まれるのを怖がっているヴィゴーレにとって、ここまで露骨に自分を蔑み嫌っている人に仕えるのはさぞや苦痛であろう。
「そのような事は私にはわかりかねます。もしお疑いがあるなら正当な手続きを経て監査が入るようにすればよろしいかと」
そんなわけあるか。喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、正規の手続きを経て監査を申し入れるよう進言する。
「そんなことをしても権力にもみ消されるだけだろうが」
いや、権力者はあなただろうが。
この間重傷者を無理やり呼びつける事が出来たのは、殿下が王族と言う権力者で、この国の住民がそう簡単に逆らう事のできない存在だからだ。この人がその気になれば、いくらでも冤罪をでっちあげたり逆に罪をもみ消したりできるはずだ。
「何をおっしゃいます。第一王子殿下の権勢に逆らう輩などそうはおりません。殿下のご命令で捜査に不正がないか調べれば、乳母殿のご親族にかけられた嫌疑が不当なものか否か、たちどころに判明するでしょう」
いちいち嘲りのこもった殿下の台詞をまともに聞いているとついつい苛立ちが表に出そうになるので、腹の中でひそかに突っ込みながら、心にもない賛辞を並べ立てる。
俺もたいがい腹黒い。
「なるほど、俺は次期皇太子だからな。逆らえばどうなるか分からん愚か者はそうそうおらんという事か」
得意げに鼻をひくひくさせるクセルクセス殿下。せっかくの美貌も台無しになる賤しい仕草にうんざりする。
体格にも容姿にも恵まれているのだから、立ち居振る舞いを改めるだけでかなり印象が変わるだろうに。
「それで、何か捜査の事を話していなかったか? 奴の弱点を知りたい」
捜査情報を簡単に漏らすわけがないだろうが。思わず口をつきそうになった言葉をすんでのところで飲み込んだ。
軍人として働いているヴィゴーレと、ただ王子と言う立場に甘えて威張っているだけの殿下では仕事というものに対する認識が違いすぎる。
「いいえ、バクラヴァを持って行ったら喜んでいましたが、話したのはそのくらいですね。病み上がりなので、わたくしどももすぐ帰りましたし」
「ほう、甘いものが好きなのか。ずいぶんと幼いのだな」
嬉しそうにパイを抱えていた姿は年齢相応にあどけなかったが、殿下のような幼稚な印象はなかったぞ。
もっとも、甘いものが好きそうなのは間違いない。
「そのようですね。部隊の仲間と食べると言って喜んでいました。お聞きになりたい事はそれだけですか?」
「ふむ。捜査がどのように進んでいるか知りたかったが、聞かなかったなら仕方がない。無能ものめ、次からしっかり訊き出すのだぞ」
「はい、善処はします」
善処するだけでやるとは言わんがな。
「それで、くだんの乳母殿はどのような方だったのですか?」
警邏旅団に探りを入れてまで彼女を庇おうとする殿下の執着はいささか異常だ。いったいどんな人物なのだろうか。
「実に気高い女性だ。我がシュチパリアがいかに由緒正しく高貴な国かを教えてくれたよ。エルダより虹色の蛇を伴った大鷲が風光明媚なこの地に舞い降り、港を拓いて人々に与えたのだ」
エルダとはシュチパリアの南に位置する小国だ。大陸西部を占めるオクシデント地方では最も古くから文明が栄えたと言われているが、ここ数百年は砂漠の大国オスロエネの支配下にある。
シュチパリアはもともとイリュリアを中心に古代エルダ人の植民地として開拓されたと言われている。建国伝説はそれを神秘化したものであろう。
「そうでしたか。聡明な女性だったのですね」
「そうだ。リタイのおかげで俺は古エルダに連なるこのシュチパリアがいかに気高く輝かしい国か知ることができた。ダルマチアやスルビャの蛮族とは由緒が違うのだ」
ダルマチアはシュチパリアのすぐ北、スルビャは北東の隣国である。いずれもシュチパリア同様に古来より交易で栄えているが、領土や交易路の利権争いで互いに紛争が絶えない。
「ダルマチアやスルビャとは微妙な関係にありますが、蛮族と断じてしまうのはいかがなものかと。無暗に敵を増やしますと、足元をすくわれることもあると愚考いたします」
いくら折り合いの悪い国々とはいえ……いや、だからこそ、このように露骨に見下した態度を取るのはまずくはなかろうか。
そう思って諫めると、殿下は目に見えて不機嫌になった。
「ふん、蛮族などこの偉大なるシュチパリアの前では取るに足らんわ。お前もつまらん教師どもと同じことを言うのだな」
「……」
あまりの事に二の句が継げない。
シュチパリアは非常に危うい立場の小国であることは地政学を多少なりとも学べば知らぬはずはないのに……一体何をどうしたらこのような思いあがった選民意識を持てるのだろう?
「もしや、お前も俺を馬鹿にしているのではなかろうな。そう言えばスキエンティア家もダルマチアの血がだいぶ入っていたな」
「滅相もありません。それに、この国の貴族であれば近隣諸国の血が多少なりとも混じるのは当然のことかと」
正直、少しだけ「何を考えているんだこの馬鹿王子」とは思ったが、表情は動いていないはずだ。
何しろ俺の表情筋は実に職務怠慢で、動かしたい時だって思い通りになってくれることはほとんどない。
「余計なことを申しました。申し訳ありません」
「ふん、わかればいいんだ、わかれば」
急いで謝罪して見せると、すぐに機嫌を直して鼻をならす殿下。何とも単純で、素直なのかもしれないが、同い年の王族……どころか高位貴族の子弟にすら見えない。
「とにかく、リタイはお前の言う通り聡明な女だ。そして誇り高い。教師どものようにややこしいだけでつまらん国家間の相互関係を椀の隅までさらうようにちまちま語ることもない」
なるほど。乳母はあくまで世話係。教育は教師たちの仕事だ。それを良い事に子供の喜ぶ昔話だけしていたのだろう。
彼が幼いうちはそれで良いが、幼児の頃に聞いた伝説をそのまま正史だと思っているなら問題だ。古代と現代では国家間の関係もおおいに変わっているのだが、その辺りの認識は大丈夫だろうか?
「左様でございますか。殿下はリタイ殿を深く慕っておられるのですね」
「なんといっても育ててくれた恩人だからな。産みっぱなしで社交と公務三昧の母上よりも育ての親と言っても良いくらいだ。息子のポントスもよく仕えてくれた。今の侍従は気が利かなくていかん」
母親との接触が少ない王侯貴族の子供が親よりも乳母を慕うのは珍しくもないが、いささか極端な気がする。母子ともに盲信している様子に、少々危ういものを感じる。
「素晴らしい方たちなんですね。一度お目にかかりたいです」
にこにこと言うアッファーリ。彼は殿下の心酔っぷりを見て素直に感銘を受けたらしい。
人が好くて素直なアッファーリは良い奴だが、少々……いや、かなり流されやすいのが心配だ。
「ポントスなら入学すれば会えるぞ。実家の領地が遠いので、今は寮で生活している」
その後も殿下はリタイとポントスがいかに素晴らしいか得意げに語っていたが、ほとんどの言葉が右の耳から左の耳へと素通りして脳内に残らなかった。
やがて殿下が満足して王宮にお帰りになったので、家からの迎えが来るのをアッファーリと雑談しながら待っていると、マリウス殿下がいらっしゃった。
「やあ、いつも迷惑をかけてすまない」
「いえ、今日は時間に余裕を持ってお招きいただきましたし、ほとんど待たなかったのでさほど迷惑では」
「それが普通だからね。今までが異常すぎたんだ。どうやら無茶な要求をして君たちが無条件に従うか、反応を見ていたらしいよ」
恐縮したように言うアッファーリに、王弟殿下は苦笑しながら答える。
「なるほど。試されていたんですね」
決して面白くないが、あの第一王子ならやりそうだ。
「訊かれたのはこの間のお見舞いの事かな?」
「はい。捜査に関する話はなかったと申し上げたら期待外れのご様子でした」
「やれやれ、何を勘違いしているのだか。不服があるなら正式に申し立てれば良いのに」
「そうですね。私もそのように進言しました」
「それから乳母殿とご子息のお話を伺いました。とても素敵な方たちのようですね」
にこにことアッファーリ。
「ああ、よく慕っていたからな。二人とも分をわきまえて出しゃばる事がなかったし、あの癇性のセルセをよく補佐してくれていた。信じられんだろうが、ポントスがやめるまではセルセも大した我儘は言わなかったし、公の場できちんと振舞ってたんだよ。急に暴君になって驚いた」
「そうなのですか?」
訊き返しながらも、そう言えば自分が目にした第一王子の横暴もここ一年以内のことだと思い返す。
「困ったものだよ。アミィちゃんの事も邪険に扱ったり、人前で侮辱するようになってね。学園内だけでも時々様子を見てもらえるよう手配する方が良いかもしれないね」
なるほど。乳兄弟がついているうちはしっかり振舞えていたのであれば、彼を側近にするのが良い気がする。俺たちではとてもじゃないが手に負えない。
そう思ってから少しだけ違和感を覚えた。
そう言えば、さっきは殿下のリタイ母子に対する信頼が度を超していて不安を覚えたはず?
彼らがいなくなってから殿下の言動が急に悪化したのだから、原因は彼らの不在によるものと考えがちだが、もしかすると逆かもしれない。
「王弟殿下。つかぬことを伺いますが、クセルクス殿下はいつから近隣の国々を蔑視するようになったのですか?」
「ん?セルセが?」
「はい。ダルマチアやスルビャを蛮族だと。古エルダに連なるシュチパリアとは由緒が違うとおっしゃってました」
「それは本当かい?アミィちゃんを薄気味悪いだの無表情女だのと罵ったりはしていたが、周辺国への差別発言は初耳だ。事実とすれば問題だね」
「その……俺も聞きました。ダルマチアやスルビャのような蛮族などこの偉大なるシュチパリアの前では取るに足らんと」
「なんてことだ……俺や兄上の前では猫を被っていたんだな」
「乳母殿に古エルダに連なるシュチパリアがいかに気高く輝かしい国か教えてもらったとおっしゃっていました」
「なるほど。リタイが偏見を持つよう仕向けたのか、あの子が勝手に解釈したのかはわからないけど、そこに根っこがありそうだね」
正直俺たちの言葉をすんなり信じてもらえるとは思っていなかったので、王弟殿下があっさり納得して下さったのが意外だった。
「ずっとセルセが豹変した理由がわからなくてね。ポントスがいなくなった時期を境に態度が悪化したから新しく来た子たちに原因があるかとも思ってたんだ。でも、今の侍従たちは良い子ばかりだし、セルセに何か吹き込もうにもあの子の方が周囲の言葉に聞く耳を持たない状態だし、おかしいと思ってね」
「私の思いすごしかもしれませんが」
「リタイ母子に悪意があったかなかったかはわからないけど、関係はあるだろうね。ちょうど従兄とやらがエルダ帰属運動に関わっている事も考えれば限りなく胡散臭いんじゃないかな?」
「……そんな」
無条件に二人を慕っていた様子の第一王子を思い出して心が痛む。
「いずれにせよ、こちらで調べておくよ。貴重な情報ありがとう」
マリウス殿下はそうおっしゃって学長室を後にされた。
俺たちも家路につく支度をしながら、どうかこのまま平穏でおさまってくれるようにと祈らずにはいられなかった。
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