癇癪王子と満身創痍
夏至も間近に迫った六月のある日のこと。
「ヴィゴーレ・ポテスタースはまだ来ないのか!?」
学園長室でクセルクセス殿下がイライラと喚きたてる。
久しぶりに急に呼び出されたのだが、ヴィゴーレだけがなかなか現れない。
それで珍しく三十分と経たずにやって来た殿下が荒れ狂っていると言うわけだ。
「王族を待たせるとは、一体どういうわけだ!?」
殿下が喚きたてているところに伝令兵がやって来た。
「ご報告します。ポテスタース准尉は昨夜から従事しておりました任務より帰投いたしましたが、負傷のため本日は出仕する事叶わぬとのことです」
俺たちよりやや年上とおぼしき伝令兵がぴしりと敬礼して口上を述べる。
そのきびきびとした動作やはきはきした口調がヴィゴーレを連想させ、彼が軍人であることを改めて実感した。
「負傷だと? その程度のことでこの王太子の呼び出しを拒むとは! その任務とやらはもう終わっているのだろう? 今すぐ何をおいてもすぎに来させろ!」
ソファでふんぞり返って報告を聞いたクセルクス殿下は乱暴にテーブルを叩きながら喚きたてる。
「しかし、准尉は動かせる状態ではありません」
「やかましい、この俺が今すぐ来いと言っているんだ。何を置いてもすぐに駆け付けるのが道理だろう。グズグズしてないでさっさと連れて来い!」
困惑した伝令兵が途方にくれた様子で告げるのに対し、ヒステリックに喚いた殿下はティーカップを彼の頭に投げつけた。
ぴしゃり、と熱い香草茶が兵の顔を濡らし、額から頬にかけてがうっすらと赤く染まる。どうやら軽い火傷を負ったようだ。
「かしこまりました。部隊にはそのように申し伝えます」
それでも伝令兵は大きく表情を動かすことなく、もう一度ぴしりと敬礼するとすぐさま退出する。
「ふんっ!つべこべ言わずに最初から従っておけばよいものを!」
まだ気がおさまらないのか憤然と喚きたてる殿下を絶望的な気分で見やると、隣のアッファーリも表情を昏くしているのが分かった。
ヴィゴーレは負傷してすぐには動かせないという事だが、そんなに大怪我をしているのだろうか? 無理にこちらに来させてしまって本当に大丈夫なのだろうか?
それから一時間ほど経っただろうか。
「いつまで待たせるのか」とわめく殿下をなだめていると、軽いノックとともに入って来たヴィゴーレの無惨な姿に目を疑った。
頭にぐるぐると巻かれた包帯は赤黒く染まり、顔の半ばを覆い尽くしている。右腕は肩から吊るされ、顔には全く血の気がない。
見事な赤毛はざんばらに切られ、左足を引きずっていて服はどす黒い何かで濡れている。額にじっとりと浮かんだ脂汗が痛々しい。
「お待たせして申し訳ありません。それで、用件は何でしょう? 何をおしても即座に伺候するよう仰せだそうですが」
立っているだけでも辛いだろうに、ぴしりと姿勢を正し、蒼ざめた顔に無理やり微笑を浮かべて尋ねる彼に誰もが言葉を失った。
それは殿下も同様だったようで、目を泳がせながら「いや……」「その……」などと口の中でもごもごと言っているだけでいつまで経っても用件を言い出す様子がない。
その煮え切らない態度を見るうちに、ここまでの無理を強いた殿下に対してむくむくと怒りが湧いて来た。どうせいつものようにほんの思い付きで呼びつけておいて、自分の思い通りにならないからと深く考えもせずに癇癪を起しただけだろう。
「クセルクセス殿下。彼は立っているのもやっとのようです。せめて楽な姿勢を取らせてやる事はできませんか?」
自分でも思ってもみないほど低い声が出た。
とても王族に対する態度ではないのはわかっている。それでもどうしても口にせずにはいられなかった。しかし殿下はヴィゴーレの惨状に圧倒されているのか、口をはくはくと動かすだけでまともに答えようともしない。
「とにかくこっちへ」
「ぅあ゛……っ」
焦れた俺が殿下の答えを待たずにヴィゴーレをソファに座らせようと手をつかむと、それまで何とか平静を保っていた彼が苦し気に顔を歪めて小さく呻いた。
驚いて手を見るとじっとりと血が滲んでいて爪が一枚もない。
「あ……すまない……」
「だいじょうぶ、気にしてくれてありがとう。でもソファは汚してしまうのでこのままで……」
俺が今までの人生で一度も味わったことのないような激痛に苛まれているはずなのに、無理矢理笑みを浮かべながら言うヴィゴーレに一瞬絶句した。
べとついた感触に自分の手を見やると、彼の血で赤く染まっている。
その赤が俺の意識にじわじわと浸透して、かぁっと全身が熱くなった。
「クセルクセス殿下、本日わたくしどもをお呼びになったご用件とは何でしょう?」
気がつくと、俺は殿下に勢いよく向き直って噛みつくように問いただしていた。
「彼が負傷のため伺候できる状態ではないとわかった上で、どうしてもと強引に呼びつけたのです。それほどまでに急を要する重大な用件なのでしょう?早くおっしゃって頂かないと」
あの伝令兵は「すぐに動かせる状態ではない」とはっきり言っていた。それに一切耳を貸さず、無理矢理呼びつけるほどの重大な用事が本当にあるかは疑わしい。
しかし、これだけの無茶をさせたのだ。何も言わずにその場をごまかすような真似だけはさせる訳にはいかない。
「早く用件を済ませて准尉を休ませないと危険です」
「う……」
まともに言葉が出て来ない様子の殿下をせいいっぱい睨み据え、口早に言葉を促すが、殿下は顔色を悪くしてうめくばかり。
後から考えるとこの時の俺は完全に頭に血が上っていて、激しく問い詰めるほど相手は言葉に詰まるものだという単純な事すらわからなくなっていた。
「さあ早く。なぜ答えられませんか?」
「な……お前、誰に向かって……」
なおも畳みかける俺にしどろもどろに抗議する殿下。
その態度にますます頭に血が上り、このままでは一線を超えてしまいそうだと自分でもちらりと思ったちょうどその時。
「セルセ、お前という奴は……今日と言う今日は赦さん!」
ノックもそこそこに王弟マリウス殿下が血相を変えて駆け込んでこられた。今にも倒れそうなヴィゴーレを見て大きく目を見開くと、慌てて駆け寄りながら甥を怒鳴りつける。
「殿下、お騒がせして申し訳ありません……」
「いいから無理に喋らないで」
弱弱しい声で詫びるヴィゴーレを強引に黙らせてひょいと抱き上げられた。
「で、殿下。ちゃんと立てます」
「いいから。おとなしくしてなさい」
慌てて降りようとするヴィゴーレを押し留め、そのまますぐに部屋を出て行ってしまわれる。
「ちょ……隊長、下ろしてください。自分で歩けます」
「いいからおとなしくしていろ」
廊下から何か騒ぐ声が聞こえて来たかと思うとあっという間に遠ざかって行った。力強い足音も一緒に遠ざかる。
やがて険しい顔のままマリウス殿下が戻ってこられると、実に忌々しそうに甥の名を呼んだ。
「セルセ、ちょっと」
「お、俺はまさかあんな怪我だと思わなくて……」
「そういう問題ではない。お前は伝令の子にも怪我させたそうだね? 軍と王室の関係がこじれたらどうするつもりなんだ?」
口早に言い訳する甥を遮り、王弟殿下は彼の行いが王室と軍を分断させかねない軽挙だったことを淡々と告げる。
「あいつがつまらん文句を言って俺に逆らうから……」
「白薔薇ちゃんも伝令の彼も、軍人であって王家の使用人ではないんだ。お前の言葉に無条件で従わねばならない謂れはない」
「おかしいでしょう、俺は次期王太子ですよ? この国の人間なら逆らうなんて有り得ないはずだ!」
「そこの認識がおかしいんだけど、なぜ勘違いしてしまったんだろうね? 小さな頃はおかしな言動もなかったのに……」
「俺は何も変わりません。それなのに父上も叔父上も急に厳しくなって……」
「そうか? むやみに威張り散らしては臣下に理不尽を強いるようになったし、露骨に人を見下すようになった」
苦し気に言う第一王子に首をひねる王弟殿下。
王弟殿下が道理を説くが、全くといいほど伝わらないないようだ。
「王太子に相応しい権威と言うものを見せつけているだけです。さもなければ足元を見られてなめてかかられる」
「権威ねぇ……少なくとも最近のセルセは幼児が癇癪を起しているようにしか見えないよ。勉強も、前は頑張っていたのに最近教師に難癖つけるだけでまともに話を聞こうともしないそうだね。そんな奴がふんぞり返って喚いても威厳どころか滑稽なだけだ」
必死に言い募る第一王子を王弟殿下は呆れ交じりに斬って捨てた。
「そんな……幼児が癇癪……滑稽なだけだなんて……」
「本当に偉い人は威張らなくても威厳に溢れているよ。むしろ、いちいちふんぞり返らずにいられないのは自らに威厳が備わっていない証拠だよね」
王弟殿下の言葉は容赦がない。
「それで、今日は何を言うつもりだったんだ?動かせる状態ではないと報告があったにも関わらず、無理に呼び出したんだ。相応の理由がないとは言わせないよ」
「そうだ。こうしてはいられない。奴がずさんな捜査を行ったせいでリタイの親族が冤罪にかけられそうなんです」
問いただされた殿下から知らない人名が飛び出て混乱する。この人はきわめて個人的な思い込みで俺たち全員を呼び集めたのか。
「リタイ? お前の乳母だったな」
「はい。昨日とある青年がポントスを訪ねて来まして。奴はもういないと伝えたところ、
「ちょっと待て。ポントスとは、お前の侍従だった者か?」
「はい。リタイの息子で彼の王立学園入学に合わせて去年の春に侍従の職を辞しました。今は寮で生活しています」
「それで、訪ねてきた男の身元は確認したのか? 警邏が本当にずさんな捜査をしているなら問題だが、その乳母に縁故があるからといって話を鵜呑みにするのは危険だぞ。王族たるもの、私情に惑わされて大局を見誤る訳には行かん」
そもそも訪ねてきた人間が本当に殿下の乳母の縁者とは限らない。第三者が聞けば当たり前の疑問だが、頭に血が上った王子はそこに思い至らないらしい。
「リタイは俺を育ててくれた恩人です。その従兄がおかしな犯罪に手を染める訳がありません」
「その決めつけがいかんのだ。充分な調査をして証拠をおさえてから判断せねば。そもそもそいつが本当にお前の乳母の縁者かも怪しいぞ」
「そんな悠長な真似をしていたら、冤罪で彼が拘束されてしまう。そうしたら捏造された証拠で死罪にされて、真実は闇に葬られてしまうんだ!一刻も早く奴らを止めないと」
「落ち着けセルセ。そもそも、その従兄とやらはどこの誰で、何の容疑をかけられてるんだ?」
「塩硝の横流しと硫黄の密輸です」
「重罪じゃないか……そんな大事件なら耳に入ってきてもおかしくないが、何も聞いてないぞ。リタイは北部ピルゼリンのフレベリャノ子爵家の者だったな? 実家は同じく北部テランダのコミトプリ家」
塩硝も硫黄も爆薬の材料だ。
塩硝は他にも肥料の材料にしたり、腸詰などの保存食を作る際にも使われるが、硫黄は使い道が極めて限られるため、流通が厳しく管理されている。密輸は重罪だ。
「姑息な警邏の連中が卑怯な手を使っているから叔父上のお耳に入らないだけでしょう。ちなみに嫌疑がかかっているのは南部の母方の親族だそうで」
「南部と言うと、また
「そこまでは聞きませんでした」
何ともずさんな話である。訪ねてきた相手が既に王宮を辞している事すら知らなかったと言う事は、本当に親族かどうかも疑わしいだろうに。
「仕方がない、それも含めて俺が調べておこう。お前は余計な横槍を入れて軍を刺激しないように」
「しかし叔父上……」
「今日のお前の暴挙で、王家と軍の関係に亀裂が入りかねない。これ以上余計なことをして王室の立場を損なうようなら今後の事は考え直さねばならん」
王弟殿下は軽く嘆息すると甥をたしなめ、調査を待つようくぎを刺した。
「君たちにもみっともないところを見せてしまったね。今日のところはもう帰ってくれるかな」
どうやら俺たちにはこれ以上話を聞かせるおつもりはないようだ。俺としても余計なことを知って自らの身を危うくするのはごめんなので、お言葉に応じてそそくさと退散する事にした。
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