世間知らずと傷痍騎士

「ヴィゴーレ、大丈夫かな?」


 学園長室を出たところでアッファーリがおずおずと声をかけてきた。心なしか顔色が悪い。

 それもそうだ、あんなに大怪我をした人間を間近に目にする機会はそうそうない。全身血まみれで、顔色も真っ青で、今にも死んでしまうのではないかと不安になった。

 きっと俺もアッファーリと大差ない顔をしているのだろう。


「とても大丈夫には見えなかったが……あれでも命に別状はないのだろう」


「ね、お見舞い行ってみない?」


 蒼ざめた表情のまま、意を決したように言うアッファーリ。たしかにあの姿を見た後では心配で不安になるのも無理はない。


「しかし、あれだけ重症なら押しかけてもかえって迷惑になるんじゃないか? 見舞客がいればゆっくり休めないだろうし」


 先ほどの、無理に姿勢を正して殿下に応対していた姿を思い起こす。

 俺たちが訪ねたらまた無理をするかもしれない。


「……それもそうか……」


「何日かしてから、迷惑じゃないか事前に確認して伺うのはどうだ?」


「そうだね、一緒に行こう」


 しょんぼりしているアッファーリがなんだか気の毒になって、取り繕うように提案すると、ぱっと表情を明るくした。

 どうやらヘラヘラしてはいても決して悪い奴ではなさそうだ。


 帰宅して、父に今日あった事や後日ヴィゴーレの見舞いに行きたい旨を話すと、難しい顔をされてしまった。

 王党派の我が家は軍とはやや距離を置いているうえ、王族が軍との関係をこじらせかねない事をしでかした直後なので慎重に動きたいらしい。


 付き合いはじめてまだ日が浅いとはいえ、大怪我をした友人を見舞うだけの事にそこまで気を回さねばならないのかと思うと貴族社会が煩わしく思えてしまうのは、俺がまだまだ未熟な子供だからだろう。


 今まで生きてきた中で、さんざんにその恩恵にあずかって来たはずなのだ。今さらその枠組みから外れて生きられるとも思えない。もう十三になるのだから、己の立場をわきまえた上で、己の分を守りつつも正しいと思える行動をとれるよう心がけねばならないのに。


 結局、父は「これから長年関わる事になるはずの相手だから」という俺の言葉に折れて、見舞いに行ける段取りを立ててくれた。

 もちろん、くれぐれも相手の負担にならないようにと釘をさした上でだ。


 見舞いは一週間後になった。

 手土産に何を持って行こうかと考えて、彼の事をほとんど知らない事に気が付いた。

 何が好きなのだろうか、持って行って迷惑にならないだろうか。

 悩んだあげく、手紙を書いた。好きなものを教えて欲しいと。


 返って来た手紙には少し癖が強いが几帳面そうな字で、気にかけてもらって嬉しいこと、余暇があれば本を読んでいること、食べ物はバクラヴァ蜂蜜漬けクルミのパイサムサミートパイが好物であることが書き連ねられていた。

 甘いクルミの蜂蜜漬けをたっぷり使ったバクラヴァは、重傷を負って血まみれになりながらも軍人らしく毅然と振舞っていた姿からは想像できないが、やはり彼も俺たちと同い年の少年なのだと安堵する。

 彼の好むと言う軍学書や医学書はさっぱりわからなかったので、料理人に頼んでバクラヴァとサムサを籠いっぱい用意して持って行くことにした。


 アッファーリと共に通された応接に入ると、ヴィゴーレは既にソファに座って待っていた。

 俺たちの顔を見るとぱっと表情を明るくして立ち上がる。


「今日はありがとう。まさか本当にお見舞いに来てくれるなんて思わなかったよ」


 同行した従者が籠につめたバクラヴァを渡すと「ありがとう。部隊のみんなといただくね」と目を輝かせた。

 にこにこと笑う彼の髪はいつも通りきっちりと三つ編みになっている。

 つい一週間前は肩の上あたりでざっくりと切られていたのに、伸びたにしては早すぎる。


「ああ、髪は魔法の代償に使っちゃったから、体力が回復したところでまた戻したんだ」


 視線に気づいたのか、説明してくれたのだがかえって訳がわからない。


「代償?どういうことだ?」


「僕は身体強化や治癒といった人体を操作する魔法が得意なんだ。でも、魔法を発動させるためには代償が必要になる。だから、いざという時にすぐ使えるように髪を伸ばしているし、使った後も余裕がある時に元に戻してるんだ。いつでもまた使えるように」


「使った髪をまた戻す?」


「髪の細胞を生成するんだ。身体の他の臓器と違って髪の毛は生きた細胞そのままじゃないから作るのはそんなに大変じゃないし、元気な時ならぐっすり眠れば回復する程度の消耗で済む。その割に魔術の代償としては能率が良いから、いつでも使えるようにしておきたいんだ」


 尋ねるたびに一生懸命説明してくれるのは良いが、情報量が多くてかえってわからない。


「つまり、すごくピンチの時に魔法を使うために髪の毛が必要ってこと? それでこの間使っちゃったけど、ちょっと元気になったから元に戻したんだね?」


 アッファーリが途中の説明の理解を諦めて結論だけを口にすると、ヴィゴーレは満足そうにうなずいた。


「そこまでしなきゃいけなかったって事は、この間は大変だったんじゃないか? その魔法を使ってもあれだけの大怪我をしてたんだろう? 初めて会った時も髪が切られてたし」


「うん、詳しくは話せないけど、当分気を抜けない任務が続きそう。だから殿下の呼び出しは困るんだよね。本当はお仕えするのは入学後ってお話だったのに……」


 眉を下げて嘆く顔を見るに、よほど不本意らしい。


「ヴィゴーレは王子殿下の側近でいるよりも、自分の部隊で任務をこなす方が大事なんだね」


「もちろんだよ。学園内での殿下の護衛だけは勤務を続けながら通学する許可をもらうために仕方なく引き受けたけど、本当は王室に関わるのも嫌なんだ。学校に通うのだって、騎士として軍人としてやっていくために幅広く色んな勉強をしたいからだし、これからもずっと軍でやっていきたいよ」


「それじゃ、本当は側近になりたくないの?」


「うん。僕はずっと警邏で治安維持に携わりたいんだ。軍警察としての監査任務もかねて他の部隊との合同演習にお邪魔するのはやぶさかではないけど、近衛に異動して王室の護衛に徹するのは嫌だなぁ」


 アッファーリの問いに素直に頷くヴィゴーレ。アッファーリの言葉に裏がないからだろうか、言葉を選びながらも率直に自分の気持ちを伝えてくれる。


「そうか。それでこの間殿下に側近から外すって言われてあんなに喜んでたのか」


「うん。僕のように後ろ盾がない軍人がああいうところに取り込まれると、いいように使い潰されるから。クセルクセス殿下は間違っても部下や家臣を大事にする人には見えないし」


「マリウス殿下はお前の後ろ盾ではないのか? やけに大事にされているように見えるが」


 最初の顔合わせの時からマリウス殿下はヴィゴーレを特別扱いしていた。いささか鼻につくほどに。

 先日も、いくら満身創痍で今にも倒れそうだったとはいえ、いらっしゃるなり抱き上げてそのまま連れて行かれたのには驚いたものだ。


「良くわからないや。陛下が強引に僕を近衛に移そうとした時は反対して下さったし、その時に本来ならば王家が軍の人事に横槍を入れることができないって事も教えて下さって、すごく感謝はしてる。おかげで陛下や第一王子に脅されても焦って従わなくても済んでるし、第一王子が無茶なことを言って来てもこの間みたいに助けて下さるし。でも、僕が王家とつながりを絶とうとするのは絶対に許さない。だからうまく飼い殺されそうで怖いんだ」


「そうなのか? とてもそうは見えなかったが」


 むしろ過保護なほどに大切にしておられると思う。

 なぜそこまでして彼を取り込もうと必死なのか不思議なくらいだ。


「うん。僕みたいな治癒術師は数が少ないから、どこの国でも王室や政府に取り込まれていいように取引材料にされたり要人の治療のために使い潰されたりしがちなんだ。……って、これもマリウス殿下に教えていただいたんだけど。だからくれぐれも用心してうまく立ち回らなくちゃだめだって」


「そういうものなのか?」


 俺が思っていたよりも複雑な事情があるらしい。

 こうして話していると自分がいかに恵まれた環境で守られて生きている世間知らずなのか痛感する。


「正直言うと、前線から全然違う環境に来たばかりで、部隊の外に出るのもちょっと怖いくらいなんだよね。今までの常識が全く通用しない世界だから。その上、王族と関わるとなると足を引っ張ろうとして手ぐすね引いてる人が後を絶たないだろうし。戦場で負傷したり、命を落としたりする方がまだ怖くないかも」


「なるほどな」


「戦争のことで変に祭り上げられちゃったから、それだけでも無駄に目立っちゃって危ないっていうのに……やっぱり学園に通うの、諦めた方が良いのかも」


 悄然と言う姿は年齢以上に幼く見える。

 ヴィゴーレが時々やたらと挑戦的な態度を取ったのはこの不安のあらわれだったのか。周囲が全て敵に見えていたのかもしれない。マリウス殿下がやけに気を遣っていたのもそのせいか。

 えこひいきされていて面白くないと思っていたのが申し訳なくなってきた。


「いまだに悪い夢でも見ている気分なんだ。前線とここでは、あまりに世界が違うから……任務に没頭している時は忘れられるんだけどね」


 瞳を潤ませ哀し気に微笑するヴィゴーレは、戦場で一体何を見てきたのだろうか。


「そっか。何も知らなくてごめんね。俺、難しい事はわからないけどヴィゴーレのこと利用して使い潰すなんてこと絶対にしないから、安心してね」


「ありがとう。お見舞いに来てくれて嬉しかったよ」


 すっかり同情したらしいアッファーリがヴィゴーレの手を取って気遣わし気に言った。ヴィゴーレにも彼の労りの気持ちは伝わったらしい。しっかりと手を握り返して微笑みながら応えている。


「俺も何も知らずにおかしな勘繰りをしていてすまなかった。無理に信じろとは言わんし、怖いなら怖いで構わん。ただ、俺はお前を利用するつもりも使い潰すつもりもない事だけは言っておく」


「うん。正直言ってまだ怖いけど、それでいいって言ってくれるのがありがたいよ。すぐには無理かもしれないけど、少しずつ信じられるように頑張ってみる」


 無理をして作っていると一目でわかる笑みを浮かべ、微かに震える声で言った彼は、たぶん心の中では泣いているのだろう。

 彼が少しでも心穏やかに過ごせる日が来ると良いのだが。

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