我儘王子と不忠騎士

「ヴィゴーレ・ポテスタース。前回は俺がいないのを良い事にずっと文句を言っていたそうではないか。父上がどうしても側近候補に加えろとおっしゃるから仕方なく貴様ごときをわざわざ呼んでやったと言うのに、感謝の念はないのか!?お前は側近失格だ! 即刻爵位と軍籍を剥奪し、王都から追放する!!」


 前回の呼び出しからきっかり一週間後。またまた朝食時にクセルクセス殿下からの呼び出しがかかった。

 仕方なく学園長室で待つ事しばし。奇蹟的に一時間以内に現れたクセルクセス殿下はふんぞり返ると、ビシッとヴィゴーレを指さして宣言した。

 何故かとてつもなく得意げに鼻の穴をひくひくとふくらませ、実に気持ちよさそうだ。


「クセルクセス殿下、何らかの罪を犯した者に処分を下すには正式な手続きを踏んだ裁判が必要です。特例として国家反逆罪の現行犯の場合は国王陛下が略式の処分をその場で下すことも可能ですが、例外中の例外です。更に言えば王室には軍の人事に口を挟む権限がありません。軍籍を持つ王弟マリウス殿下ならば話は別ですが、立太子もしていないただの王子にすぎない貴方にそういった決定権は一切ございませんが?」


 もはや怒る気にもなれないのだろう。呆れかえった口調で一息に言い切るヴィゴーレの眼差しは、怒るというよりは、一周まわって可哀そうなものを見るような生温かいものになっている。

 もっとも、立て板に水とばかりにまくし立てられる言葉の数々は辛辣で、一切の容赦と言うものが感じられないが。


「な……貴様、俺を誰だと思ってるんだ!?」


「シュチパリア王国第一王子クセルクセス・トスカ・アルディエイ殿下であらせられます」


 案の定、気の短い殿下が顔を真っ赤にして怒鳴るのに対して大真面目に答えるヴィゴーレ。どう見ても煽っているようにしか見えない。


「貴様、俺を愚弄する気か!?」


「いいえ、全く。いかんせん二月までは前線におりましたので、やんごとなき方々の機微には疎うございまして。無粋な軍人ゆえ、ご無礼の段は平にご容赦を」


 さらにヒートアップして喚きたてる殿下に対し、直立不動で答えるヴィゴーレ。真っすぐに殿下を見据える眼差しにからかうような色はなく、妙に大人びた軍人口調と相俟ってどこかちぐはぐな印象だ。


 彼はいつも伯爵家の令息ではなく一介の軍人として振舞いたがっている。

 その態度には単なる矜持に留まらない深い闇のようなものが見え隠れしていて、同じ空間にいるにもかかわらずまるで違う世界の住人のようだ。

 殿下も何か仄暗いものを感じ取ったようで鼻白んだように口をつぐんだ。


「ところで、側近候補についてですが……」


「あ、ああ。お前は事あるごとに俺に逆らってばかりだ。そのような不忠者は側近にふさわしくない」


 殿下がおとなしくなったところでヴィゴーレが話を戻す。殿下も戸惑いながらも仕切り直しとばかりに冒頭の『断罪』の続きを始めると、ヴィゴーレは我が意を得たりとばかりにぱっと喜色を浮かべた。


「ええ、その通りです。実はこの件は僕からも上官からも再三再四ご辞退申し上げたにもかかわらず、王命でとの事なので名を連ねておりました。もし外していただけるなら喜んでもっと適任の方に側近の座をお譲りします」


「そ……そうなのか……?」


 弾むような声で勢い込んで言う彼は今まで見たこともないほど晴れ晴れとした表情だ。思わぬ反応に殿下はただひたすら戸惑うばかり。


「はい! ……ただ、正式な王命を受けてしまったので手続きは僕の方からはできないのです。殿下から国王陛下に奏上お願いできますか?」


 陽光を孕んだかのようにキラキラと輝く琥珀色の瞳をかすかに潤ませ、頬を薔薇色に上気させて上目遣いにおねだりする姿は実に愛らしいが……そんなに喜ぶほど側近になるのが嫌だったのか。


「あ、ああ……」


 殿下も自分の思い通りになったはずなのに、何とも釈然としない表情で頷いた後、しきりに首をひねっている。

 その憮然とした顔には「こんなはずではなかった」と太字で書いてあるようで、吹き出すのをこらえるのに苦労した。


「ぜひともお願いしますね! それでは僕はこれで失礼します」


 したっ!っと手をあげるとうきうきと踊るような足取りで部屋を出ようと踵を返したヴィゴーレは、しかし扉の前で一瞬固まるとすぐ脇によけて直立不動の姿勢を取った。

 ほどなくして軽いノックの音。


「やあ、お揃いだね。それにしても、あれだけ言われたのにまた急な呼び出しとは……お説教が足りなかったようだね、セルセ?」


 にこやかな王弟マリウス殿下の顔の中で眼だけが全く笑っていない。穏やかな声と朗らかな口調にもかかわらず……いや、だからこそ声を荒げて怒鳴られるよりもはるかに強い威圧を感じる。

 それはクセルクス殿下も同様だったようで、身を固くして蒼ざめた顔で俯き、悔しそうにぎゅっと唇を噛んでいた。


「それで、白薔薇ちゃんはどこに行こうというのかな?」


「たった今、クセルクス殿下より側近候補としての任を解くと伺いました。つきましては一刻も早く帰投して通常勤務に戻ろうと思いまして」


 マリウス殿下は次に扉の脇で姿勢を正しているヴィゴーレに目を向け問いただす。ヴィゴーレは一瞬身を固くしたが、意を決したように顔を上げると笑顔を作って一息にまくし立てた。


「おかしいな、君だったらセルセにはそんなことを決める権限はないってわかってるはずだよね?」


「う……その、あまりに自信満々でおられたので既に国王陛下からお許しをいただいているものだとばかり……」


 しかし凄みのある笑顔のままのマリウス殿下に問い返されると、とたんに気まずげに目を泳がせて言い訳を並べる。彼にしては歯切れの悪い口調に、理解した上で誤魔化そうとしていたことが俺にすら察せられる。あまりの白々しさに、それほどまでに側近にされるのが嫌なのだと痛感した。


「甘いなぁ。逃げられると思ったの? 」


「……いえ。期待した自分が馬鹿でした」


 悄然しょうぜんと目を伏せ、ぽつりと答える姿は哀し気だ。一体どんな事情があるのだろう?

 憐れむように彼を見やるマリウス殿下はよくご存じのようだが、おいそれと訊くことのできぬ雰囲気に何とも言えぬ不安がこみあげて来る。


「叔父上、いったいどういうことです?」


 ようやく我に返ったのだろう。クセルクセス殿下が叔父に食って掛かった。


「騎兵第二連隊から王室に苦情が来たんだよ。本来護衛につくのは入学してからとの取り決めだったはずなのに、頻繁に急な呼び出しがあるせいで任務に支障が出て迷惑だと」


「告げ口したのか!?」


 冷めた口調で言い捨てるマリウス殿下と激昂するクセルクセス殿下。もちろん年齢の違いもあるものの、あまりの風格の差にとても同じ血を引く叔父と甥とは思えない。


「白薔薇ちゃんは何もしてないよ。彼の上官が連名で抗議してきただけ。急に抜けられると作戦にも支障が出るから当然だよね」


「上司に泣きついたのか。卑怯者め」


「あのね。仕事を抜けるんだから上官に報告するのは当たり前でしょ。君みたいな好き勝手が許される立場じゃないんだから、この子は」


「まるで俺が勝手に振舞っているような言い方ですね」


「実際に我儘放題してるだろ? 自分のやるべきことを放り出して。去年のダルマチア戦役、君がアミィちゃんに無礼ばかり働いてるのも一因だったってわかってる? 相互不可侵のために結ばれた政略結婚をないがしろにしてるって判断されたんだよ?」


 容赦のないマリウス殿下の言葉に誰もが息を飲んだ。特にヴィゴーレは俯いて指が白くなるほどぎゅぅっと拳を固く握りしめている。握りしめた拳がかすかに震えていて、何かを必死にこらえているようだ。


「何が悲しくてこの第一王子の俺があんな薄気味悪い無表情女の機嫌を取らねばならんのです? ダルマチアがなんです! あんな蛮族ども、放っておけばよいでしょう!」


「君ね、本当に王族の自覚があるのかい? シュチパリアのような小国が生き延びるためにはご近所さんとお互いに顔色をうかがいながら隙を見せず、隙を見せてくれた相手にはしっかりもらうものをもらって強かに立ち回らなきゃいけないんだってわからないかな?」


「何を気弱な! そんな事だからダルマチア風情になめてかかられるのです! 俺は奴らに栄えあるシュチパリア王家の威光を示して……」


「そんなことの……そんなことのために、殿下は婚約者をないがしろにして、せっかく結んだ和平を踏みにじったんですか!?」


 傲岸に言い募るクセルクセス殿下の言葉をさえぎって、ヴィゴーレが何かに耐えかねたように叫んだ。

 がばりと顔を上げ、親の仇でも見るように第一王子を睨み据える琥珀色の瞳は潤んで今にも涙があふれそうだ。


「そんなこととは何だ、そんな事とは!?」


「何人死んだと思ってるんですか!? そんな下らない意地と見栄のせいで!!」


「下らんとはなんだ。国の威信を守るためだぞ。命をかけるのは当然だろう。やれ正騎士だ英雄だともてはやされてはいるが、その程度の覚悟すらないとは見下げ果てた奴。即刻騎士の位を返上して俺の前から消え失せろ!!」


 つかみかからんばかりの勢いで問い詰めるヴィゴーレに対し、胸を反らして傲然と言い放つクセルクス殿下。

 鼻の穴をひくひくとふくらませ、愉悦に満ちた実にいやらしい表情に、これが自分の仕えるべき主人かと目の前が暗くなる。


「セルセ、いい加減にしないか。お前に王族としての知性も気概もないのはよくわかったから、その下品な口を今すぐ閉じるんだ」


「しかし叔父上……」


「いいから今すぐ黙れっ! 俺がぶん殴らずにいられる間にな」


「……っ」


 何かが逆鱗に触れたようで、マリウス殿下が押し殺した声で制止した。

 なおも何か言い募ろうとする甥を今まで見たこともないような冷たい眼で睨み据えると、絞り出すように低い声で恫喝する。

 びりびりと殺気めいたものが周囲に溢れだし、当事者ではない俺ですら肌が粟立ってきた。どうやらただ単に暴言を見かねただけではないらしい。


「白薔薇ちゃん、君はもう部隊に帰りなさい。みんな待ってるよ」


 マリウス殿下は甥が蒼ざめて口を閉じたのを見て取ると、今度は打って変わって優しい声音でヴィゴーレに話しかけた。


「はい」


「叔父上!!」


「お前は黙っていろと言ったはずだが? 今日の事は兄上に報告させてもらう」


 懲りずに口を挟みかけた甥をギロリと睨み据えると、マリウス殿下は厳しい声で言い放つ。


「君は気にせず帰りなさい。悪いようにはしないから」


「……失礼します。今日はありがとうございました」


 ヴィゴーレは何か言いたそうにしばし唇をわななかせていたが、涙をこらえるように一度ぎゅうっと目をつぶってから深々と頭を下げて足早に退出した。

 礼を言う声がかすかに震えていたのは気のせいではないだろう。


「セルセ、今日と言う今日はもう見逃す訳にはいかない。お前がなぜこんな勘違いをしているのか、とくと訊き出して性根を叩き直してやるから覚悟するんだな」


「そんな、俺は……」


「言い訳は後で聞く。そういうわけだから、君たちもすぐに帰ってくれたまえ。余計な事は言わないように、いいね?」


 懲りずに何かを言いかけた甥に鋭く釘をさすと、王弟殿下は俺たちにも退出を促した。

 外交など全く頭になさそうな第一王子の短絡的な言動といい、先ほどの尋常ではないヴィゴーレの様子といい、気になる事ばかりだが俺たちにできることは何もない。

 皆で見合わせると、そそくさとその場を立ち去るしかできなかった。

 

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