暇人王子と空腹騎士

「もう。いきなり呼び出しておいて、一体いつまで待たせるんだろう?」


 俺の隣でただでさえ丸い頬が二割増しに膨らんでいる。紅い尻尾も心なしかくすんで逆立っているようだ。


「そうぼやくな。殿下にも何かお考えがあるんだろう、多分」


「多分ってなんだよ、多分って」


「おい、お前らうるさいぞ」


 俺たちの向かい側に座った銀髪紫瞳の少年……アハシュロス公爵家の継嗣アルティストが端正な顔を歪めて不愉快そうに吐き捨てた。確かにうるさくしすぎたかもしれない。


「すまん。気をつける」


 ちなみに俺たちは学園長室で殿下を待っている。

 今朝、食事を終えて勉強に取り掛かろうとしているところに王宮から使いが来て、すぐに学園に来るようにと伝えられた。取るものも取り合えず駆けつけたのは良いが、待てどくらせど殿下からは音沙汰がなく……


 最初は直立不動で待っていたが、かれこれ一時間半が経過したところで見かねた学園長がソファで座って待つように言ってくれたのだ。それからゆうに一時間が経過している。


「でももう三時間経つよね。用がないなら仕事に戻りたいんだけど」


 むぅ、と口をとがらせ、不満を隠そうともしないヴィゴーレ。こうしているとやはり十歳そこそこの子供に見える。


「いきなり朝の訓練中に呼び出されたんだよ? この間の顔合わせからひと月も経たないのにもう三回目。たまらないよ」


 伯爵家の三男坊と言う微妙な身分であれば、第一王子の側近候補に選ばれたのは出世のチャンスと張り切りそうなものだが、彼は迷惑としか思っていないらしい。

 在学中は仕方ないと割り切ったものの、入学前にもかかわらず頻繁に呼び出されることに納得がいかないようだ。


「まあまあ。殿下の気紛れで呼び出されるのも、待たされるのも初めてじゃないんだし、そうイラつかなくても」


 翡翠のような深緑色の髪と瞳の少年、コンタビリタ侯爵家の嫡子アッファーリがとりなすようにへらりと笑って言った。


「むしろいつも延々と待たされるから嫌なんだけど。今日だって朝の巡回当番なのに急に仕事に穴をあける羽目になったんだよ? 部隊の皆にどれだけ迷惑か……」


 ぼやくのも仕方がない。

 現役の騎士でもある彼は、急な呼び出しのたびに仕事を中断して駆けつける羽目になっている。影響が自分一人におさまらないとなれば、下らない自慢話のためだけに呼び出されるのはたまらないはずだ。


「えっと……入学前に側近候補どうし親睦を深めさせようという殿下の深いお考えかも?」


「どこが深いんだよ? 何度も仕事中に呼びつけられたら、僕だけじゃなく部隊全体が迷惑する。この間なんかいざ出動って時に呼ばれて来たのに、三時間待たされて用件は侍女見習の子に褒められたって自慢だけ。そんな事で親睦が深まるわけないだろ?」


 争いごとを嫌うアッファーリがなだめようとしてかえって火に油を注いでしまった。殺気立っているヴィゴーレに、のんびり屋のアッファーリはたじたじとなっている。


「う……でも殿下に親しみが持てたり……」


「全然。かえって親しみも信頼も消え失せたよ。急な作戦変更で戦友の生命を危険に晒すだけの価値があったとは欠片も思えない」


 必死で取り繕うアッファーリにヴィゴーレは取り付く島もない。

 仕方がない。まだ学生ですらない子供として家に保護されている俺たちと、すでに家を出て軍人として任務にあたっている彼とでは色々なものに対する感覚が違いすぎるのだ。


「生命を危険に晒す? 大げさな」


「大げさじゃないよ。作戦を立てる時は個々の能力や仲間同士の相性を考慮した上で配置を決めるんだ。実行直前にいきなりバディを変えられたら取れる連携もとれなくなる」


 急に話に割り込み鼻で嗤ったアルティストに、ヴィゴーレが呆れたように言い返した。


「ふん、所詮はちゃちな犯罪者相手に生命の危険などあるものか。作戦? バディ? いちいちそんなものが必要なのはお前ら下賤げせん警邏けいらが無能な証拠。そんな役立たずどもは騎士などやめてしまえ」


「ふふ、自分が何言ってるかわかってる? 君がそうやって粋がれるのもその下賤げせん警邏けいらが治安を守ってるおかげなんだけど。そんなに無能だ役立たずだと言うなら、君には完璧に務まるんだろうね?」


 ムキになったアルティストが警邏けいら旅団そのものを侮辱すると、ヴィゴーレは珍しく冷笑まじりの嫌味で返す。さっきからどうにも彼らしくない。


「貴様、馬鹿にしているのか? 公爵家の跡取りに対する口の利き方ではないぞ!」


 アルティストは格下扱いした相手から言い返されてあっさり逆上した。気に入らない事があるとすぐに家の権威を持ち出すのは彼の悪い癖だ。


「側近候補同士は対等の関係であるよう、互いに敬語を使わぬようって、殿下に言われたばかりだろう?」


「減らず口を……」


「で、できるの? できないの?」


 アルティストに言葉を挟ませずに畳みかけるヴィゴーレの眼が完全に据わっている。

 いつもの快活な笑みはどこかに消え去り、冴え冴えと澄んだ瞳が相手を冷たく睨み据えた。


「……っ」


 ぴしり、とあたりの空気が変わったような気がして、アルティストは気圧されたように息を飲む。それでも悔し紛れに何か言い募ろうとするが、まともに言葉にならないようだ。


「いい加減にしろ。アルティスト、さすがに言葉が過ぎるぞ。ヴィゴーレだけではない、警邏……いや騎士そのものを愚弄しすぎだ」


 見かねてたしなめたが、アルティストはふくれっ面で全く反省の色がない。


「しかし、警邏けいらごときが」


「ごときと言うが、お前にその職務の何か一つでもこなせるのか? そもそも彼らの職務が何なのか理解しているか?」


「知るか、そんな下らん……」


「つまり、知りもせずに旅団丸ごと面罵したのか」


 さすがに呆れて嘆息するとアルティストは顔を真っ赤にして言い募った。


「そもそも、そいつが王命を軽んじるようなことを言うのが悪いのだ。だからっ」


「王命じゃないよ。クセルクセス殿下の個人的な思い付き」


 苦し紛れの責任転嫁を今度はヴィゴーレが言下に斬り捨てる。


「なんだと!?  王族の言葉を何と……!?」


「君こそ、王命を何だと思ってるんだい? 王命は国王陛下が責任を持って発布される王室の公式な決定だ。必ず公的な記録が残るし、問題が生ずれば陛下が責任を取る。で、クセルクセス殿下のお言葉はどうなの? 公的な記録はあるの? 責任の所在は?」


「そんなの知るか! 王族の言葉は絶対だ! お前のような下賤の者は黙って従えば良いのだ!!」


 ヴィゴーレの煽るような口調に、アルティストはついに駄々っ子のように喚き始めた。


「いい加減にしてよ。殿下の個人的な我儘と王族全体の公式決定の区別もつかないの? 事あるごとに公爵家がどうこう言っていばってる割に、この国の制度には無頓着なんだね」


「な……っ!?」


 うんざりした口調であざけるヴィゴーレ。相当腹に据えかねてはいるのだろうが、こちらもさすがに言いすぎだ。軽く手をパンパンと叩いてこちらに目を向けさせる


「そこまで。ヴィゴーレも言いすぎだ。少し頭に血が上ってないか?」


「でも」


「部隊を侮辱されて黙っていられないのはわかるが、怒りに任せて相手を挑発すれば、それこそ騎士団そのものの品位が問われるぞ。お世話になっている上官に恥をかかせたいのか?」


「……っ」


 珍しく逆上しているらしいヴィゴーレとしっかり目を合わせてたしなめると、さすがに自らの非を悟ったのだろう。大きく目を瞠ると小さく息を飲んだ。

 

「……申し訳ありません。言いすぎました」


「ふんっ。わかればいいのだわかれば……」


「アルティストもだ。それ以上恥をさらすと公爵家の品位を問われるぞ」


「恥だと?」


 調子に乗って言い募ろうとしたアルティストをたしなめると、今度はこちらに怒りの矛先が向いたようだ。


「よく知りもせずに騎士団を丸ごと侮辱したんだ。恥以外の何物でもあるまい」


「貴様……たかが侯爵家のくせにっ」


「まぁまぁ、そのくらいでおさめて。こんなギスギスしてるところを殿下がご覧になったらびっくりしちゃうよ」


 アッファーリが困り顔でおずおずと割って入る。争いごとが嫌いな彼にしたら、相当な勇気が必要だったはずだ。

 

「ごめんなさい、僕がかっとなってしまったから……」


 アッファーリの様子を見て反省したのだろう。ヴィゴーレが消え入りそうな声で言った。恥ずかしいのか頬をうっすらと赤く染めて、大きな瞳を潤ませている。


「だから言っただろう……」


「「アルティスト!!」」


 それ見たことかと言わんばかりのアルティストを慌てて制したら、期せずしてアッファーリと声が被ってしまった。

 

「ふふ、二人ともありがとう。それからみんな本当にごめんなさい。元はと言えば僕が愚痴ったせいだよね。もうこんな事ないように気をつける」


 その様子がおかしかったのか、少しだけ頬を緩めたヴィゴーレがあらためて謝罪してきた。もう完全に落ち着いたようだ。


「ヴィゴーレ、もしかして寝てないの? 顔色悪いよ」


 アッファーリの言葉にハッとしてヴィゴーレを見やると、確かに目の下が黒ずんでいて顔色が悪い。


「うん、夕べ当直だったから。これから朝ごはんを食べて巡回が終われば寝られるってところで呼び出されちゃって」


「まさか、朝食もまだだったのか」


「うん、夕べは夜通し巡回したり書類書いたりしてたから、お腹空いた」


 不機嫌の原因はそこか。だからと言って周囲に当たり散らして良いと言う事にはならないが、空腹と寝不足で思考力も低下していたのだろう。

 そこにノックの音がしたかと思うと、王弟マリウス殿下がいらっしゃった。


「やれやれ。丸く収まったみたいだね」


 どうやら部屋の外まで話し声が聞こえていたようだ。苦笑交じりの殿下のお言葉に思わず赤面してしまった。ヴィゴーレなど耳まで真っ赤になって俯いていて、今にも湯気が出そうだ。

 いったいどこから聞いておられたのだろう。


「セルセがまた急な呼び出しで迷惑をかけたと聞いてね。本人に確認したら大した用はないそうだ。みんな入学直前で忙しいだろうし、もう帰って良いよ」


「しかし……」


「あの子にはよく言い聞かせておくから大丈夫。馬車を呼んであるからすぐ帰って」


 王族とは思えぬほど気さくな笑顔に、王者の風格を漂わせる堂々とした佇まい。王室きっての切れ者と名高く、近衛師団と諜報部の実質的な指導者である王弟殿下がそうおっしゃられれば否やはない。

 皆やにわに立ち上がると馬車停まりに向かった。


「やれやれ。自分で人を選びたいなら、まず自分が選ばれる人間であるべきなのに、困った子だ。部下を試すようなことをすれば自分の底が知れてしまうと言うのに」


 部屋を出る時にちらりと耳にした言葉は一体誰に聞かせるおつもりだったのだろう。思わず振り向くと苦笑したまま軽く手を振られた。

 入学前からこんな事では先が思いやられる。これから始まる学園生活にあまり期待はできないな、と軽く嘆息して俺は家への馬車に乗り込んだ。

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