傲岸王子と不遜騎士

「シュチパリア王国第一王子、クセルクセス・トスカ・アルディエイ殿下のおなりでございます」


 侍従の先触れで扉が開き、威風堂々……というよりは居丈高な態度で年齢の割には大柄な少年が入室した。

 クセルクセス・トスカ・アルディエイ。この国の第一王子にして王太子の最有力候補である。


 鮮やかな金髪を陽の光に燦然さんぜんと煌めかせ、エメラルドのような瞳でぐるりと一同を見回すと、顎をそらしてふん、と鼻息一つ。

 実に傲岸ごうがんな態度だが、どこか虚勢を張っているようにも見える。

 せっかく体格と顔の造作は良いのに仕草や行動がいちいち小者くさい、と胸中でこっそり毒づいた。

 もちろん表情は全く動かさない。


(こういう時ばかりは俺の表情筋の職務怠慢もありがたいな)


 神妙な顔を取り繕いつつ、周囲の者の様子をうかがう。

 婚約者であるアマストーレ嬢は曖昧な微笑を貼り付けたまま何を考えているのかわからない。アルティストは冷たい目で王子を見返したまま不機嫌さを隠そうともしない。

 アッファーリとヴィゴーレは表面上は真面目な表情で姿勢を正し、おとなしく話を聞く態勢だが、内心どう考えているかはわからない。


「これから五年間、お前たちに俺の側近候補として側に仕える事を許してやるが、あくまで候補にすぎん。卒業後も使ってやるかはお前たちの尽くし方次第だ。学園内まで付き従えない侍従に代わって存分に働くように」


 どこまでも尊大な物言いに内心苦笑してしまった。


(側近候補を小間使いと勘違いしているのか? 一体何をやらされるやら)


 内心うんざりしながら、面倒なので黙って頭を下げる。他の者も同様なので、要らぬ諍いは避けられたと内心胸をなでおろした矢先のことだ。


「クセルクセス殿下、在学中についてはかしこまりました。しかし、本官は学園内での護衛を承っただけで、卒業後は原隊に復帰予定です。お話が違います」


 頭を上げるや否や、ヴィゴーレが殿下に食って掛かったのだ。


「何を言ってるんだ? 俺がわざわざ働き次第で側近として取り立ててやると言っているんだぞ?」


「本官は殿下の側近たることを希望しておらず、王室にも学園にも事前にお伝えしてあります。上官からも上申済みで、陛下から許可を頂いたと伺っておりますが」


 不機嫌に問いただすクセルクセス殿下に対して、ヴィゴーレは全く臆することなく言い返す。


「それは俺の側近になるのが嫌だという意味か?」


「いいえ、本官は治安維持が本来の職分であり、護衛や諜報の訓練を受けておりません。同級に他の適任者がおらず、やむ無く近衛が立入りにくい授業中の警護を承りましたが、殿下の側近にはあたわないかと。学園内での護衛は責任を持って果たしますが、それ以外は原隊を優先し、卒業後は任を解くお約束です」


 ついに露骨に機嫌を損ねて恫喝どうかつするように尋ねる殿下に、ヴィゴーレは直立不動で全く動じることなく言い切った。他に適任者がいないから仕方なく学園内の護衛を引き受けただけだと。

 当然だが、殿下の機嫌がみるみるうちに下降する。


(あの馬鹿……どういうつもりだ?)


「お前、俺を誰だと思っているんだ? せっかく取り立ててやると言っているのに、王家に逆らう気か!?」


 ついにクセルクセス殿下が激昂した。

 周囲には口を出して良いものかと狼狽うろたえるアッファーリと何を考えているのかわからないアマストーレ嬢、蔑んだように二人を眺めるだけのアルティスト。

 思わず頭を抱えたくなってきた。


「もちろん第一王子殿下に逆らうつもりなど毛頭ございません。ただ本官では殿下の側近に相応しくないかと」


「貴様……っ! この俺を愚弄ぐろうするつもりか!?」


「とんでもない。誤解です」


 ついに激昂した殿下に困惑した様子で首を傾げるヴィゴーレ。


「はいはい、そこまで。セルセもこの子の護衛は学園内だけって話は聞いてたよね? 無理強いは禁物だよ」


 一触即発の空気をマリウス殿下が軽い口調であっさり霧消させる。


「准尉も意地を張らない。学園内だけでも側近として甥を支えてやってほしい」


「しかし……」


「白薔薇ちゃん? 君は原隊の職分を全うしたいだけでしょ? だったら必要以上にもめて部隊の活動に支障が出るのは困るんじゃない?」


 なおも食ってかかるが、マリウス殿下が呼び方を変えた途端、ヴィゴーレは大きな瞳をさらに瞠って息を飲んだ。

 とうてい軍人の、しかも男に使うとは思えぬ呼び名だが、彼の顔色は露骨に変わったのだ。一体どんな由来があるのだろう。


「……っ。おっしゃる通りです」


「だったら、ね? ちゃんと約束は守るから」


「失礼いたしました。五年間よろしくお願いします」


 不本意そうではあるが、クセルクセス殿下に向かって丁寧に頭を下げる。


「ふん、最初からそうしておけば良いものを。いいか、お前ごときをわざわざ使ってやるのは父上たっての指名だからだ。お前なんか俺の一存ですぐに追放できるんだぞ」


「恐れながら殿下には軍の人事を……」


「白薔薇ちゃん? 」


 ようやく溜飲を下げたクセルクセス殿下がふんぞり返って言い募ると、またヴィゴーレの何かを刺激したらしい。また抗議しかけた口をマリウス殿下が穏やかだが有無を言わさぬ口調でさえぎった。


「それはわかってるし、言い聞かせるから。ここは俺に免じて、ね?」


「……かしこまりました」


 マリウス殿下がすかさずたしなめるとヴィゴーレが唇を噛んで押し黙る。これではクセルクセス殿下の側近候補なのかマリウス殿下の部下なのかわかったものではない。


「それじゃ、顔合わせも済んだし今日はこのくらいでいいね? さ、解散かいさ~ん」


 それ以上誰かが何かを言い出さないうちにマリウス殿下がおどけた口調で解散を告げると、アッファーリがすかさず「お先に失礼します」と理事長室を後にした。アハシュロス家の二人も後に続く。

 

「君も早く帰投して。どうせ報告書を後回しにしてこっちに来たんだろう?」


「はい」


 ヴィゴーレもマリウス殿下に促されると素直にうなずいた。

 それにしても王弟殿下がやけに彼を気にかけるのは何故だろう?護衛から降りられまいと躍起になっておられるようにすら感じる。

 俺には直接関りのない事だが、露骨な特別扱いは面白くない。


 内心首をひねりながらきびすを返そうとして、ふと彼の頬がまだ汚れたままなのに気が付いた。


「おい、顔汚れてるぞ」


「ありがとうございます。さっきも窓をあけて下さいましたよね?  えっと……」


 何気なくハンカチを差し出すと、彼は一瞬とまどった表情で俺の顔とハンカチを交互に見比べたが、すぐに笑顔を浮かべて礼を言ってきた。


「スキエンティア家のコノシェンツァだ。ヴィゴーレ・ポテスタースだな?」


「はい、スキエンティア様ですね。五年間よろしくお願いします」


 まっすぐに向けられた笑顔には曇りがなく、先ほどのクセルクセス殿下や学長に向けていた反抗的な色が嘘のようだ。


「コノシェンツァでいい。敬語も要らん」


「え? でも」


「これから五年間、あの殿下の側近候補として協力せねばならんのだろう? 肩肘張らずに付き合いたい」


「かしこまりました」


 ぶっきらぼうに言えば、にっこり笑って答えが返って来た。


「敬語。だいたい、もう授爵しているならただの侯爵家の子供の俺より身分は上だろう?」


「さすがにそれは詭弁のような。これでいい?」


 苦笑しながら言葉を崩して渡したハンカチで頬を拭く。それを返そうとしてふと手元に目をやり、彼の表情が曇った。


「ごめん、これ洗って返す。血がついちゃった」


「血?怪我でもしたのか?」


「ううん、ただの返り血。今日は三人斬ったから」


「え? 斬った……」


 当たり前のように返って来た答えに、一瞬固まってしまった。

 人を斬ったということは、つまり殺したと言う事か。


「ごめんなさい。ハンカチ、新しいのを買って返しますね」


 俺の戸惑いと怯えに気付いたのだろう。彼は一瞬だけ表情を凍り付かせるとまた丁寧な口調に戻して謝罪してきた。


「え? いや別に……」


「お嫌でしょう?  こんな人殺しが使ったハンカチなんて」


 自嘲気味に言う彼の口許は何とか笑みを浮かべているものの、瞳が哀し気に揺れている。


(しまった、傷つけた)


 先ほどのふてぶてしいまでの態度とは打って変わったしおらしさに、自分の態度を後悔した。

 そのままきびすを返そうとする彼の手を思わず握って引き留める。

 マメだらけで少し硬い、しかし俺の手の中におさまってしまうほどの小さな手。


「嫌な訳はない。その……すまなかった」


「何がでしょう?」


「少し驚いただけなんだ。でも、それで傷つけたなら許してほしい」


「そんな、許すだなんて。むしろ驚かせてしまって申し訳ありません」


 彼は他人行儀に謝罪するだけで、俺の非を否定する。それは裏を返せば俺の謝罪を受け容れないということだ。

 少し哀し気な微笑が彼の拒絶を現わしているようで、自分でも驚くほど心が痛んだ。


「いや、君が斬らなければ逃げおおせたそいつらが俺たちに危害を加えたかもしれないんだ。感謝して当然なのに驚くなんて。すまなかった」


 もう一度はっきり謝罪を口にして頭を下げると、彼は大きな琥珀色の瞳を瞬かせて俺の顔をまじまじと見つめた。


「怖くない? 気持ち悪くないの?」


「なぜ?」


「だって人殺しだよ? 軍人ってそういうものだもの」


 なるほど。軍人としての矜持は人を殺す職業に対する負い目の裏返しでもあるのか。だから軍の外の人間とは一線を引いて気を許そうとしていなかった。


「俺たちは友達だろう?  命がけで国を守っている頼もしい友を誇らしく思っても、気持ち悪く思う訳がない」


「友達……」


「俺と友達になるのは嫌か?」


「ううん、嬉しい。軍には上官や先輩か、逆に面倒見なきゃいけない見習いの子ばっかりで、同じ立場の友達っていないから」


 彼は黄金色に輝く瞳を細めて微笑んだ。

 学園長やクセルクセス殿下に向けたような挑むようなものでも、マリウス殿下に向けていた従順さを示すためのものでもない、心から嬉しそうな笑顔がふわりと花開く。

 ああ、彼はこんな顔で笑う事もできるのか。

 いつもこんな顔をしていれば、第一王子も彼を粗略に扱うこともないだろうに。


 前途は多難だが、少しだけ歩み寄れたことに満足して俺は学園長室を後にした。

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