ピンク頭と父との対面
ついに決戦の朝だ。
初夏の日の出が寮の自室の窓から無遠慮に差し込んで、いささか強引に目覚めへと導いてくれた。
昨日のうちに汲んでおいた水で顔を洗って身体を軽く拭いてから訓練に参加する。訓練が終わって事務所に顔を出し、今日の業務を確認していると、小隊長に呼び止められた。
「いよいよ今日だな。ポテスタース伯から今日は王宮に出向く前に屋敷に寄ってほしいと伝言を頂いている。授業が終わったらすぐに行ってこい」
この先どうなるかはわからないけれども、少なくとも殿下とエステルは今日の会合で処分が決まるだろう。
その際、側近候補だった僕たちの処遇も決まるはずだ。
父がその前に一度会いたいと言っているという事は……やはりそれなりの処分が下るのだろう。もう、ここには戻ってこられないのかもしれない。
「かしこまりました。……今までありがとうございました」
もう会えないかもしれないから、今のうちにきちんとお礼を言っておかなければ。
小隊長……アーベリッシュ師には師匠が亡くなってからほぼ六年、ずっとお世話になりっぱなしだった。
心身ともにボロボロで常識もない僕は、いつどんな突拍子もない事をしでかすかわからず、師にも兄弟子だったエサドにもさんざん迷惑をかけた。
それでも二人とも僕を蔑むことも突き放すこともなく、根気よく指導して一人前にやって行けるよう導いてくれたのに。
全く恩返しができないままなのが口惜しい。
「……そんな顔をするな。きっとうまく行く。終わったらすぐに帰ってこいよ」
よほど情けない顔をしていたのだろう。小隊長は最後に僕の頭をわしわしと乱暴に撫でまわしてから事務所を出て行った。
連隊本部からはぐるっと正門まで回るよりも、学園の裏門から雑木林や騎士科のあるあたりを抜けて本校舎の裏から登校する方がずっと近道だ。
今朝も鍛錬場の脇を抜けて校舎裏に向かっていると、コットス少尉に呼び止められた。
「おはようございます、少尉。珍しいですね」
この学校に通うようになって五年近いが、朝こちらで呼び止められたのは初めてだ。
「今日の午後の件、俺も警備に駆り出されることになってな。よろしく頼む。その……お前、本当に大丈夫か?」
気遣わし気に言われてしまい、あまりつきあいのない人にまで心配されてしまうような顔をしているのかと自分でも情けなく思う。
殿下が毒物を摂取しているとわかってから、もう覚悟は決まっていたはずなのに。
「大丈夫です。何があっても身から出た錆ですから……」
「いや、そうではなく……お前、昨日から動きが鈍くないか? いったい何があったんだ?」
ああ、そっちか。
何故だかわからないんだけど、ここ数日やたらと身体が重いんだよな。それも日に日にひどくなってる。
「よくわかりません。数日前から急に身体が重くなって……それでも並みの連中よりは動けるつもりですが」
「くれぐれも無理はするなよ。目立たないようにはしているが、俺のところだけじゃなくポテスタース中尉……ニコロ様の隊も出ることになっている。一人で背負い込む必要はないんだ」
ニコロは僕の次兄だが、もうかれこれ三年以上会っていない。僕も自分の連隊の寮で生活しているし、王弟殿下の親衛隊に所属する長兄も自分の隊で寝起きしている。
血は繋がっているがほとんど他人と言っても過言ではないだろう。
「少尉の隊がいらっしゃるなら心強いです。今日はよろしくお願いします」
あえて兄の名は出さずにお返事すると、何か察したのか、少尉もそれ以上は何もおっしゃらなかった。
今日の授業は午前だけなのであっという間に終わってしまった。ホームルームが終わると、更衣室で礼服に着替える。
自分の体型に合わせてしつらえた軍服は、良くも悪くもゆったりした学生服と違って身体の線にぴったりと沿うので、全身が包まれている感じがして着心地が良い。
アンダーシャツとコルセットの上から股上の深い乗馬ズボンを穿いてサスペンダーで吊り、剣帯を吊ってから糊のきいたシャツを着る。
シャツの襟を立て、きっちりとクラヴァットを巻いてからジャケットを着て上からベルトを巻きつける。
前丈の短いジャケットの裾からきちんと白いシャツが見えるように整えて、胸元に並んだメダルが歪んでいないか鏡で確かめた。
最後に左の肩から垂れる
更衣室を出ると、ちょうどコニーとばったり会った。
「礼服か? 初めて見るがよく似合うな」
褒められれば悪い気はしない。
「ほんと、似合ってる?」
その場でくるりと回ると「子供みたいだな」と笑われてしまった。
最近先生方の子供扱いに食傷しているのでちょっとむくれてみせると、コニーは僕の頭をわしわしと撫でてから、ふと考えこんだ。
「どうしたの?何か気になる事でも?」
「いや……ちょっとな。その……お前最近少し冷たくないか?」
今のやりとりのどこが冷たいんだろう?
「いきなり何を言ってるの?」
首をかしげていると、彼はしげしげと僕を眺めてから「いや、いい。忘れてくれ」と立ち去った。いったん家に帰って午後の準備をするそうだ。
う~ん……今のは何だったんだろう?
釈然としないものの、僕も実家に寄るならそろそろ行かなければならない時間だ。着替えた制服をロッカーにしまうと、慌てて学校を後にした。
屋敷に着くと、なぜか父が玄関先で待ち構えていた。
そのままぎゅうっと抱きしめられて、目が点になる。父の抱擁なんていったい何年ぶりだろう?
戸惑いながらも、頭のどこか醒めた部分で納得していた。父も僕がきわめて重い処罰を受ける事を知っているのだろう。
おそらく斬首……軽くても貴族籍剥奪の上、国外追放。あるいはそれらに見せかけてどこかに幽閉されるかもしれない。
過去の優れた治癒魔法の使い手はそうやって秘匿され、人知れず死ぬまで使い潰されたと言う。
僕一人が処罰されるならば構わない。それだけの失態を犯した自覚がある。
願わくば、家にまで累が及ばなければ良いのだが。
王宮には父も行くことになっているのだそうで、同じ馬車で一緒に向かう事になった。馬車の中は気まずい沈黙がその場を支配していて、息苦しさに根負けした僕から口を開いた。
「父上……この度は本当に申し訳ありませんでした」
「……過ぎたことは仕方がない。ただ、手に余るとわかった時点で頼って欲しかった」
それはそうだろう。何も知らないうちに息子がおかしな奸計に巻き込まれ、抜き差しならない状況に追い込まれて家ごと
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「そういう事ではなく……もういい。今日は私もニコロも現場にいる。一人で背負いこむんじゃないぞ」
「はい……」
再び訪れた気まずい沈黙は、馬車が王宮に着いた事で打ち破られた。侍従たちの導くまま、無言で足早に応接室に向かう。
途中、警備についているコットス少尉と目が合って軽く敬礼を交わした。
応接室にはパラクセノス先生と魔術師団長もいらっしゃって、防御の魔法陣のチェックに余念が無い。
さあ、いよいよ決戦だ。
鬼が出るか蛇が出るか……はたまた邪神が出てくるか。
それこそ「神のみぞ知る」ところだろう。
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