ピンク頭と決行日

 連隊本部に帰投すると、今日は巡回がないので訓練で見習いや従騎士たちに稽古をつけたり、座学を教えたりしていた。


「准尉、こんな力学なんて覚える必要あるんですか?」


「覚えるというより、理解しておいた方が良いとは思うよ。弾道計算もできないんじゃ砲兵の指揮も執れないだろ? 今どき直接砲撃しかできませんって指揮官が通用する訳ないんだから」


 たまに誤解している人がいるようだが、軍人というのはただ身体を鍛えて武術を磨けば良いと言うものではない。

 むしろ作戦指揮にあたっては様々な知識と技術が必要になる訳で、勤務の合間に座学もしっかり修めなければ自分も部下も犬死するだけだ。


「ずっと一兵卒ってわけにいきませんものね」


「うん、正騎士になれば自分一人だけじゃなくて部下の生命にも責任を持たなきゃいけなくなるからね。とにかくこういうのは大量に問題を解くことで自然に式が頭に浮かぶようになるから、しっかり復習してやった分は持ってきて。採点してあげる」


「はい、頑張ります。わからないところは教えてくださいね?」


「もちろん」


 座学に音を上げる若い従騎士に意義を教えながらアドバイスすると、素直にうなずいて与えた課題を嬉しそうに持ち帰る。

 みんな何だかんだ言って勉強すること自体は楽しいみたいで良かった。


「ポテスタース准尉、打ち合わせをするから会議室に来てほしいとアーベリッシュ小隊長が」


 そこに伝令兵が僕を呼びに来た。もしかして殿下への報告会のことだろうか?


 慌てて会議室に向かうと、すでに魔術師団長とパラクセノス先生、僕の直接の上官である小隊長が揃っていた。


「皇太子殿下への報告なのだが、明後日の午後に王宮で行うことにした。

 その日なら授業が午前中で終わるから、午後に私的な会合として王宮の一角に関係者を集められるようにする予定だ」


 魔導師団長がまず口を開くとパラクセノス先生が後に続く。


「さっきスキエンティアが研究室に顔を出してな。その……詳しい事情は知らんがクリシュナン嬢を殴ってしまったそうだな。それで、その事に対する謝罪という形で国王陛下の立ち合いのもと、報告の場を設けたらどうだろうと提案してくれた」


「そんな……」


 確かに女性に手をあげたことは事実だが、僕をかばおうとしてのことだ。

 彼が手を出していなかったら、間違いなく僕が手をあげていた。


 暴力自体を正当化はできないにしても、高位貴族の継嗣の彼が下位貴族の庶子のエステルに対して陛下の御前での謝罪を求められるような事ではないはずだ。


「お前の言いたい事もわかるが、あの娘は自分が優位に立っていると思えば調子に乗っていくらでもボロを出す。そこで小侯爵が『謝罪』という形で下手に出れば、警戒もせずにのこのこと出てくるはずだ」


 そう続けたのは小隊長。


「残念ながら殿下もあの娘と似たり寄ったりだからな。小侯爵やお前を下に見られる機会と知れば嬉々として無警戒でやってくるだろう。もともと小侯爵自身の提案によるものだし、陛下も二つ返事で賛同して下さった。既に決定事項なのでお前が口を挟める余地はない」


 ここまで言われてしまえば僕も何も言える訳もなく。


「かしこまりました。それではとり急ぎ報告内容をまとめますので、後ほどご確認をお願いします」


 そう答えるしかなかった。

 

 僕の釈然としない思いを察して下さったのだろうか?帰り際に魔導師団長とパラクセノス先生が代わる代わるに頭を撫でて下さって、何とも居心地の悪い思いをした。


 このところ魔導師団長にせよ先生にせよ、やたらと僕の頭を撫でたがる気がする。可愛がってくださるのはありがたいが、もう子供扱いされるような年齢ではないので、なんとも複雑な気分だ。


 事務所に戻って報告書をまとめながら、忸怩じくじたる思いに囚われてしまった。

 さっきのエステルはおかしな思い込みがあったにせよ、人として言ってはならない事を平気で口にしていたと思う。いや、あの思い込みも含めて人としておかしすぎるような。


 もちろん、だからといって女性に暴力を奮って良いという事にはならないかもしれないが……国王陛下の前での正式な謝罪というのは、当然ながら社会的な懲罰の意味合いが強い。

 ただ「ごめんなさい」と言えば済むという問題ではないのだ。

 賠償金や、最悪の場合は廃嫡などの、重い罰を伴う事が多い。


 殿下やエステルに警戒されないための芝居と言われてしまえばそれまでだが……やはり納得が行かない。


 僕が蔑まれるのも侮られるのも別に構わない。

 僕自身が色々な意味で汚れているのは事実だし、だからといってこれまで積み上げて来た実力や実績が否定される訳ではないのも事実だ。


 でも、僕をかばったせいでコニーが嘲られたり蔑まれるのはおかしい。まして重い処罰を受けるのはさすがに理不尽ではないか。

 そんな思いがどうしても脳裏を離れず、なかなか作業の能率が上がらなかった。

 そのせいだろうか、ようやく報告書を書き終えて小隊長に提出すると、もの問いたげな顔でじっと見つめられてから、深々とため息をつかれてしまった。


「お前の言いたい事は薄々わかるが、もう決まった事だ。それに、陛下も事情をご存じだ。少なくともスキエンティア家や小侯爵に処分が下る事はないから安心しろ」


「本当ですか?」


 よほど露骨にほっとした顔をしていたのだろう。「お前、わかりやすすぎるぞ」と苦笑いしながら小隊長が彼との話し合いについて教えてくれた。


「殴った理由について、彼は『度を超した侮辱があった』としか言わなかったが、自分がとやかく言われたくらいで女性に手を上げるような人間には思えなかった。お前の態度から見て、何か昔のことをとやかく言われたんだろう?」


「はい。その……師匠から受けた『指導』についてちょっと」


「……あれは機密扱いなのだがな。どこで聞きかじったか知らんが、ぺらぺらと所かまわず触れて回られてはたまらん。王宮にでも留めおいて口を封じるか」


「それは……そうですね、お任せします」


 僕自身はそこまでしなくても良い気がしたのだけれど、よくよく考えれば軍としては都合が悪い。

 ダルマチア戦役において一人で騎兵一個小隊をほふり、英雄に祭り上げられていた騎士が、実は師匠から性的な虐待を受けて未だにトラウマに苦しんでいるなどと知れれば軍の権威にかかわる。


 エステルも殿下もそういったプロパガンダの意味は全く理解できないだろうから、自分たちの言動がどこにどのような影響を及ぼすかも考えずに僕を貶められるなら喜んであることないこと言いふらすだろう。

 適当な口実で王宮に軟禁してしまった方が良いのかも知れない。


「とにかく、あの娘については明後日には陛下の御前で本性を明らかにして拘束する。黒幕がどう出るかはわからんが、人外のものともなればこちらから手出しはできん。あんな娘をけしかけてきたところを見ると、自身が出てきて直接手を下すことはできまい。後はエサドが外事第五小隊の連中と一緒にエルダ独立派の連中をあぶりだせば一件落着だ。もうひと踏ん張りするぞ」


 頼もしい上官の言葉に、僕も決戦に向けて気を引き締めるのであった。

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