ピンク頭と力の簒奪(さんだつ)

 放課後、僕たちが生徒会準備室で勉強していると、いきなりがたんと音を立てて扉を開け、剣呑な表情のエステルが押しかけて来た。


「知ってるんだからね、あんたがどうやって癒しの力をゲットしたか」


 仕方がないので勉強に誘うと、エステルはにちゃり、といやらしい嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべて思わせぶりな事を言ってくる。


「え?」


 まだ僕の治癒魔法を狙っていたのか。

 これは純然たる知識と技術だから、自分で勉強して身につけるしかないって何度言えばわかるんだろう。


「とぼけたって無駄よ。優等生ぶってるけど、師匠に身体で仕込んでもらったんでしょ、その力。さっさと返しなさいよ」


 一瞬何を言われているのかわからなくて、頭の中が真っ白になった。

 

「君は一体何を……??」


 呆然と口から零れた言葉は震えていなかっただろうか?

 

「ハッ。純情ぶってもヤることヤッて師匠からもらったんでしょ、その力。あたしのものなんだから、さっさと返しやがれ……っ!!」


「な……」


 あまりの事に、もう言葉も出ない。


「笑えるよね、清純ぶってるやつが一番ビッチとか。いくつの時から師匠とヤリまくってたわけ??」


 加虐心かぎゃくしんに満ちたいやらしい笑みを浮かべ、ねちゃりとした口調で言うエステル。

 つかつかと、呆然と座ったままの僕の前に立って右手の人差し指で僕の顎をぐいっとつかんで持ち上げる。

 

「こんだけ言えば何をすればいいかその足りない脳ミソでもわかるでしょ! さっさと来なさいよっ!!」


 勝ち誇った表情で居丈高に喚いたエステルが何の前触れもなく真横に吹っ飛んだ。

 驚いて反対側を見ると、拳を固めたコニーが無表情で立っている。

 

 さしものエステルも一瞬何が起きたのかわからなかったらしい。

 唖然とした表情で頬をおさえたまま口をはくはくと動かしているが、言葉どころか音らしい音も出せない様子だ。

 

「エステル・クリシュナン男爵令嬢、勉強の邪魔だ。さっさと立ち去れ」


 無表情のまま低く押し殺した声で言うコニー。この様子はかなり怒っている。

 

「……ハァッ!? 誰に物言ってると思ってんの、このガリ勉メガネ!?」


「それはこちらの台詞だ。許可なく入室して高位貴族に理不尽な侮辱と暴言、度し難い。身の程をわきまえろ」


 ようやく我に返ったエステルがいつもの調子で傲岸ごうがんに叫ぶが、コニーは動じず静かな声で淡々と言い捨てる。

 冷静に見えるが、よく見ると握りしめた拳が震えている。彼がこんなに怒りをあらわにするところは初めて見た。

 

「すぐ立ち去れば今回だけは赦してやる。さっさと消えろ、この阿婆擦あばずれが」


 冷たく言い放たれて、エステルが息を飲んだ。

 

「な……何よ!?あんただって楽しんだでしょ!?」

 

「ああ、あまりにしつこく閨に誘うからな。いちいち断るのも鬱陶しいから一度だけ遊んでやったが何か?」


 顔を真っ赤にして叫ぶエステルに、淡々と言い切るコニー。


「鬱陶しいって……遊んでやったって……」

 

「わかったらさっさと消えろ。二度とここに来るな」


 呆然と呟くエステルに冷たく退室を求める。

 

「っさいわ! テメェ何様のつもりだよ!?」


 よほどの屈辱だったのだろう。彼女は起き上がりざまに場末のチンピラみたいに叫んでコニーに突っかかっていく。

 

 間髪入れずにまた拳で殴り飛ばすコニー。怒りがおさまらなかったらしく、吹き飛んだエステルの襟首を掴んで立たせようとしている。

 いかん、呆然と見ている場合じゃない。さすがに止めないと。

 

「コニー、一応女の子だから……ね?」


 慌てて立ち上がってコニーの袖を引き、こちらに注意を向けさせる。

 不機嫌そうに僕を見やったコニーにしっかり目を合わせると、彼は軽く嘆息して彼女を突き放した。

 

「な……何すんの!? このヒロインのあたしに……」


「エステル、擦り傷が治る時、身体の中がどうなっているか知ってる? どんな風に傷口がふさがるの? 新しい皮膚組織はどうやって作られる?」


 僕は逆上してコニーに言い募ろうとするエステルを遮るように静かに問いかけた。


「はぁ? そんなの知る訳ないでしょ」


「そんな事もわからない人に治癒魔法は使えない。魔法は起こしたい現象とそのプロセスをできるだけ正確に魔力で再現する技術だから。目標となる現象を理解せずに曖昧なイメージのまま術を発動させると、思わぬ結果を招くことになる」

 

「誰もそんな下らない話は聞いてないの! さっさと力を返しなさい!」


「君が『癒しの力』と呼んでるのは単なる魔法の知識と技術だ。誰かからもらった便利な力じゃない。だから技術がなければ使えないし、知識がなければ使いこなせない」

 

「だからそんな話は……」


「エステル! 少しは人の話を聞くんだ!!」


 それまで黙って見ていたアルティストが、たまらずといった風情で大声を出した。

 エステルもさすがにびっくりして目を白黒させている。

 

「ポテスタース、続けて」


 彼に促されて続きを話し始めた。


「……例えば、五十年くらい前だけど西のカロリング王国で、聖女と名乗る人が切断された腕を魔法でくっつけようとしたんだ。でも医学知識のない人だったから、ただ腕が元通りにくっついて動くっていうだけの、いい加減なイメージで術を発動させちゃって。血管や神経、骨が繋がれないままくっついて、動きがおかしい上にくっつけたところから先がだんだん壊死して、またすぐに切断しなきゃいけなくなったんだ」


 これはかつてカロリング王国で『聖女』を自称していた女性が起こした有名な魔法事故で、魔術や魔法を学ぶ者なら必ず最初に教えられる。

 リスクを正しく知って必要な知識や技術を身につける意義を学ぶためだ。

 ここが理解できない者は魔術を学ぶ資格なしと判断され、その先の実戦的な知識や技術を教えられることはなくなるのだ。

 

 つまり、これを理解する気がないエステルは、魔術自体を身につける資格がない。

 

「そ……そんなデタラメ……」


「なんだ、初耳なのか? 十歳の子供でも知ってる常識だろうに」


 心底呆れたように嘆息するコニーに言葉を遮られると、エステルは目元を険しくして彼を睨みつけたが、冷たい視線で見返されると怯えたように顔をそむけた。また殴られると思ったのだろうか?

 

「僕は君が言う様な便利な力なんか持ってないし、もし持っていたとしても君に渡さなければならない謂れもない。邪魔だからもう帰ってくれる?」


「な……何よこのビッチ……」


「家まで送るよ。一緒に帰ろう?」


 懲りずに言い募るエステルにずっと沈黙を保っていたアッファーリが優しく言って手を取った。

 そのままエスコートして、部屋を出る間際に後ろ手で軽く手を振ってくる。エステルには気付かれないように。

 どうやら彼女を連れ出してなだめてくれるつもりらしい。

 

「俺も行ってくる。今日は助かった。また頼む」


 アルティストもエステルたちの後を追うように帰って行った。


「ヴォーレ、少し休もう」


 軽く息をついたコニーに言われてすとんとソファに座った。

 自分でも思っていたより疲れていたみたいだ。

  気遣わし気に隣に座ったコニーに何か言う事もできず、僕はただ黙って俯くことしかできなかった。

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