ピンク頭と憐れな妄執



「ちょっとっ!!ちゃんと聞いてるのっ!?このクズ脳筋が、底辺のくせに生意気なんだよっ!!」


 エステルの下品な喚き声が下町に響き渡る。


本人は可憐な美少女のつもりでも、瞳孔が開いて血走った眼をぎらつかせ、口から泡を飛ばしながら聞くに堪えない罵声を吐き散らし続ける姿は、賤しく惨めな邪鬼そのものだ。

 おそらくエステルは魔術師団長が考えているように国家転覆を謀るような、深謀遠慮を巡らせる事ができるような人ではない。ただ単に自分をチヤホヤする人間に囲まれて、自分がものすごく特別な価値ある存在であると思い込んでいい気分になりたいだけ。

 目先の快、不快だけで生きている彼女にとって、そんな単純で薄っぺらい欲望だけが自分を動かす全てなんだ。そんなものが幸せなのだと本気で信じている彼女自身は、空っぽで何もない存在だ。


 なんと惨めで憐れな存在なんだろう。


 力を持たない存在がその立場のせいで困っているならば、できる限り助けになりたい。僕が学園長からの依頼という範疇を超えて、エステルの事を気に掛けるようになったのはその一心からだ。

 彼女が自分の欲を満たすために他人を陥れ、生命まで損なおうとしている事を知った今、僕は彼女を「庇護すべき力を持たない者」と思うことはできない。

 その一方で、この惨めで空っぽな人をその妄執から救ってあげられれば良いとは思う。


 そのためには自分がいかに空虚な存在か、自分がよく考えもせずにしている事がどれだけ悪質で重大な罪なのかを理解させなければならない。

 しかし、彼女に対してそれだけの労力と気力を費やそうという気持ちにはなれないのも事実で、このままでは彼女が間もなく破滅を迎えるのをただ見ているしかなくなるだろう。

 自分の無力さと薄情さに嘆息しつつ、とりあえず今は喚き続けるエステルをなだめてこの場をおさめなければ、と考えていた。


「うぜえんだよ、この脳筋が!! いっつもイイ子ぶってクッソつまんねぇ説教しやがって……っ

 勉強手伝おうかとか、遅くまで遊び歩くなとか、マジいらねー!! 大きなお世話なんだよ……っ!!

 攻略対象者って言ってもいっちばん格下のオマエなんかがあたしに逆らうとかあり得ないんだからっ!!」


 ギャンギャンと喚きたてるエステルの金切り声にだいぶ人も集まってきた。

 いくら可憐な美少女であってもオークのような形相でスラムの住人も真っ青の汚い罵詈雑言を並べていれば醜悪に見える。

 本人は「可愛いあたしは何をどう言っても可愛いし許される」って思ってるだろうけど。


 さっきからそこここから「なにあの子めっちゃ怖い」「まさか。あんな野蛮で頭悪い子が貴族なわけないでしょ」なんて声が聞こえてくる。

 ほどよく野次馬が増えたところで僕はいつもの笑顔を作り、軽い調子でエステルに謝罪した。


「ごめん、本気で怒らせちゃったみたいだね?べつに馬鹿にするつもりじゃなくて、本当にわからなかったから訊いただけなんだ。

 結局ヒロインって何のことなのか理解できなかったけど、そんなに気になってたわけじゃないからいいや。変な事きいちゃってごめんね」


 言ってからちらりと周囲に目をやる。これで人に見られてるって気付いてくれるといいんだけど。

 幸い、僕の目線をちらっと追ったエステルは大勢の人が僕たちを注視している事に気付いたらしい。

 いきなり鬼のような形相を引っ込めで可憐な美少女の顔を作り、腕に抱きついてきた。


「やだな~わかってくれればいいよっ!もう二度と変な事言わないでねっ!!

 ヴィゴーレのくせにいっぱいヤダな気分にさせたんだから、明日はいっぱいいっぱい埋め合わせしないと許さないからねっ!!」


 うわぁ……気持ち悪っ。

 いやまぁ、ここまで恥も外聞もなく豹変できるのはある意味感心するけどさ。


「うわ、あの子さっきまでと態度違いすぎて気持ち悪い」


「なんか取り憑いてそう」


「目を合わせちゃダメだよ。噛みつかれて変な病気うつされちゃうから」


 うんうん。野次馬の皆さんのお気持ちはよーーーくわかります。

 とりあえず外野を鬼のような形相で睨みつけるエステルの表情には気付かなかったふりをして、彼女をなだめてこの場をおさめることにした。


「本当にごめんね。そろそろ騎士団に戻って夕方の任務につかなきゃいけない時間だから今日は帰らなきゃ。明日ちゃんと埋め合わせはするから」


「ほんとにっ?なんかつまんない物贈るだけで誤魔化そうとしたら絶対に許さないんだからっ!!」


「うん。期待しててね」


 どうやら納得してくれたらしいので、さっき買ったピンクの包みだけ渡して立ち去ることにした。


「あの人なんであんな子の言いなりなんだろう」


「絶対趣味悪いよね」


 野次馬の皆さんの正直な感想が胸に刺さる。

 ……本当に、あの子を「力を持たない庇護対象」って思っていた自分の見る目のなさが恥ずかしいよ。


 とりあえず今日は騎士団に帰ってから上官と魔術師団長に報告しなければ。

 店に入ったまま姿を消していたエステルが、店内にいきなり現れた時には例の「蜜」を持っていた。入手元はあの店で間違いない。



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