悪役令嬢と未知との遭遇
わたくしに話があるからついてきて欲しいと誘ったクリシュナン嬢は、やがて校舎裏の雑木林で立ち止まり、周囲を見回して人がいないか確認しました。
「ここなら大丈夫そうね」
「どういったご用件でしょう?わたくしこの後とても大切な用事が……」
一刻も早くポテスタース卿にお渡しするクラヴァットを買いに行きたいのです。
「ああん?アンタ自分の立場がわかって言ってんの?何様のつもり?」
クリシュナン嬢はお気に召さなかったようで、鬼のような形相ですごんでいらっしゃいました。本当に
「な……何のことでしょう?」
わたくしは筆頭公爵家の
ありていに申せば、貴族の中でもかなり位の低い男爵家のご令嬢に、ここまで偉そうな態度を取られなければならない理由がさっぱりわからないのですが。
「何しらばっくれてんのよアンタは!?悪役令嬢のくせにイジメてこないし階段じゃ自分が落ちて邪魔するしっ!! あげくにヴィゴーレにお姫様抱っことかわけわかんないっ!! あれはあたしのイベントなのっ!! お高くとまった公爵令嬢の癖して人のもの盗って恥ずかしくないわけっ!?』
「え……?えっと……??咄嗟の事でしたがあのままじゃクリシュナン嬢が大けがをしてしまうと思って……うっかり自分が落ちてしまったのはお恥ずかしい限りですが、ポテスタース卿が助けてくださったのはたまたまです。なぜそんなにお怒りなのかわかりません」
ますます訳が分からなくなって参りました。
「何イイ子ぶってんのっ!? あのイベントはあたしのなのよ、あたしのっ!! いい、ヴィゴーレにお姫様抱っこで助けられるのも、そのあと保健室で初キスするのもあ・た・し。ヒロイン様のこのあたしなの。 悪役令嬢のアンタなんかお呼びじゃないのっ!! ただでさえお前のせいで攻略が進なくて大迷惑してるのにっ! っざっけんなっ!! 断罪パーティーで婚約破棄されて処刑されるためだけに存在する悪役令嬢のくせにっ!!!」
キスとは何のことでしょう?少なくともわたくしはジェーンとずっと一緒でしたし、養護の先生もいらっしゃいましたので、とてもそんな不埒な真似に及ぶことなどできませんでしたが。
しかし、目を血走らせ、喉も張り裂けんばかりにぎゃんぎゃんと喚きたてるクリシュナン嬢にはとうていそのような道理が通じそうにございません。
憤怒に歪んだ相貌は絵本などに乗っている悪鬼か羅刹のようで実に恐ろしゅうございます。
「おっしゃることが全然わかりませんわ……」
わたくし涙目になっていないでしょうか。かすかに声が震えてしまっていて、感情を表に出してはならないはずの貴族令嬢なのに我ながら情けないですわ。
「そりゃどこからどこまで凡庸なアンタごときじゃわかんないかもね!? 頭の出来が違いますからぁ……っ!!」
一方的に好き勝手まくし立てると、クリシュナン嬢は鼻息荒くドスドスと立ち去っていきました。何やらむやみやたらと得意げなご様子でしたが、一体何をおっしゃりたかったんでしょう?
さっぱりわかりませんわ。
はたと気が付くと、もう日が傾いておりました。
いけない、このままでは今日のうちにお買い物を済ませることができません。
慌てて馬車停まりに向かうと、王都のアハシュロス家御用達ブティックに参りました。
「お嬢様、ようこそいらっしゃいました。おっしゃっていただけましたらお屋敷まで伺いましたものを」
「急にお邪魔してごめんなさいね。わたくし、今日とてもお世話になった方がいらっしゃって。お礼を差し上げたいのですが、殿方用のクラヴァットは拝見できますかしら? できれば軍の方が任務中に使っても邪魔にならないようなものがよろしいですわ」
「まぁ、お相手は騎士様ですか?でしたら儀礼用のシルクのものも良うございますが、いつも身に着けていただけるこちらのリネンがお勧めですわ」
いつも身に着けて、ですか。
たしかに滅多に使う事のない儀礼用よりも普段使いのものの方が気兼ねなく受け取っていただける気がします。それに、ポテスタース卿の飾らないお人柄だと、高価で珍しいものや華美なものよりも、実用的で使い勝手の良いものを好まれるような気がするんですの。
「それでは普段使いに良さそうなものをいくつか見せてください」
いくつか拝見したうち、シンプルな白いリネンのものを選びました。肌触りも良いし、丈夫で長持ちする素材ということなので使い勝手も良さそうですわ。
屋敷に帰り着くとすっかり日も暮れてしまっていました。
わたくしは「今日は宿題が多かったの」と食事時まで部屋にこもって、せっせと刺繍に励みました。
初めは多色の刺繍をと思いましたが、ポテスタース卿のお好みを考えると華美になりすぎぬ方がよさそうですわね。細めの銀糸一色で細かな模様を刺繍することにしましょう。
そのかいあって鷹と月桂冠の紋章が出来上がったのが夜中のこと。
ポテスタース卿、使ってくださるかしら?
わたくしは久しぶりに胸を躍らせながら眠りについたのでした。
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