ピンク頭と断罪パーティー
ショックを受けた様子の二人には悪いのだけど、この衝撃が醒めやらぬ間に校舎裏の動画も見てもらおう。
映像には、懲りずにアハシュロス公女を呼び出して一方的に吠えているエステルが映っている。
『なんなのよアンタは!?悪役令嬢のくせにイジメもしてこないし階段じゃ自分が落ちて邪魔するしっ!!』
また"悪役令嬢"と言っているけど、いったい何のことだろう?
ちょっと意味が分からないけど、エステルにとっては重要なことらしい。
それに、また「イジメをしてこない」とはっきり言っていた。
つまり、彼女が訴える「アハシュロス公女によるイジメ」は事実無根ってことだろう。
『しかもヴィゴーレにお姫様抱っことかわけわかんない!! あれはあたしのイベントなのっ!! お高くとまった公爵令嬢の癖に、人のもの
エステルはよほど階段で罠にはめ損ねたのがお気に召さなかったのだろう。音質が悪く途切れがちだがキンキンした罵詈雑言がひっきりなしに録れている。
目を血走らせ、喉も張り裂けんばかりにぎゃんぎゃんと喚きたてるエステルの
『え、えっと……?? 咄嗟の事でしたが、あのままではクリシュナン嬢が大けがをしてしまうと思って……』
一方的に罵られたアハシュロス公女は珍しくしどろもどろだ。
『たしかに、うっかり自分が落ちてしまったのはお恥ずかしい限りですが、ポテスタース卿が助けてくださったのはたまたまです。なぜそんなにお怒りなのかわかりません』
あまりに意味不明な言いがかりに怯えているのだろう。
声もかすかに震えているし、いつもは感情をうかがわせない曖昧な笑みを浮かべたままの綺麗な顔が、画質の悪い映像越しにもわかるくらいにハッキリと引きつっている。
『何イイ子ぶってんのっ!?あのイベントはあたしのなのよ、あ・た・しのっ!!』
一音一音区切るように叫ぶエステルは、よほど僕に受け止めて欲しかったみたいだけど……
いったいどんな魂胆なのか、訳が分からなすぎて、軍人である僕ですら不安を覚える。
むしろ何がしたいかわかってる分、殺る気まんまんの敵の大軍の方が、まだ怖くないかも知れない。
『い〜い? ヴィゴーレにお姫様抱っこで助けられるのも、そのあと保健室で初キスするのもこのあ・た・し。ヒロイン様のこのあたしなの。悪役令嬢のアンタなんかお呼びじゃないのっ!!』
ちょっと待って!
キスっていったい何の話?
殿下たちならいざ知らず、僕とエステルってそんなに親密な関係になんてなったことないんだけど?
「……どうでもいいけど、僕はどちらともキスしてないし、これからもしないと思うよ。そもそも婚約者でもないのに、そんなはしたない真似するわけないし」
さすがにあんな
「あんな妄言、本気にする訳がなかろう。だからそんなに憮然とした顔をしなくて大丈夫だ」
苦笑混じりにコニーが言うと、オピニオーネ嬢も困ったような顔でこくこくとうなずいた。
うわぁ……そんなに露骨に引きつった顔しちゃってたんだ。
僕はコミュニケーションの手段として、あえて分かりやすい表情を作ることはあるけど、必要以上に素を晒してしまっているならちょっと危険だ。
このところ驚きの連続で感情のコントロールがあまり上手くいってないのかも知れない。少し気を引き締めなくっちゃ。
反省した僕が口を開きかけたところでエステルの金切り声が生徒会室に響いた。
『ただでさえお前のせいで攻略が進なくて大迷惑してるのにっ! っざっけんなっ! 断罪パーティーで婚約破棄されて処刑されるためだけに存在する悪役令嬢のくせにっ!』
「悪役令嬢」に「断罪パーティー」。
前に裏庭で見かけた時にもエステルが口にしていた謎の言葉だ。
意味はさっぱり分からないけど、なんとも不穏な響きに胸騒ぎがする。
『おっしゃることが全然わかりませんわ』
涙目で呟くアハシュロス公女の心は、僕たち三人と同じく疑問符でいっぱいだろう。
同じ人間の言葉を使っているはずなのに、何を言いたいのかがさっぱり分からない。
ただひたすら、エステルの尋常ではない怒りと悪意だけが、ひび割れた音声データから伝わってくる。
『そりゃ頭の出来が違いますからぁ? ボンヨーなアンタごときじゃわかんないかもねっ!』
「ふふんっ」という鼻息が聞こえてきそうなドヤ顔で言い捨てるエステルの顔を、オピニオーネ嬢は呆然と、コニーは呆れたような冷たい目で眺めている。
「エステルさんは一体なにを言ってるのでしょう……」
「わかるわけないだろう……むしろわかったら恐ろしすぎる……」
吐き捨てるようにボヤいたコニーの言葉は僕たち三人の心を何より正確にあらわしていたと思う。今ここに、みんなの心が一つになった。
とは言え、このまま怯えていても話が進まない。せっかくの機会だから、ずっと引っかかっていたことを訊いてみよう。
「なんかエステルがアハシュロス公女のこと『悪役令嬢』『断罪パーティーで婚約破棄されて処刑されるための存在』とか言ってたけど……断罪パーティーって何だろう?」
初めてエステルがを罵倒している時にも言っていた『断罪パーティー』。
エステルは心待ちにしている様子だが、なんとも不穏な響きの上、セットで語られる「処刑」という言葉が不安をそそる。
「『悪役令嬢』は分からんが、『断罪パーティー』は、エステルが卒業記念パーティーで公女による嫌がらせを明らかにしたいって言ってたから、おそらくそれの事だろうな」
「ああ、この間そんなこと言ってたね」
そもそも、殿下が僕に証拠集めを命じたのはそのためだしね。
「全校生徒の前でさらし者にすれば、国際問題に発展しかねん。きちんと証拠を揃えて裁判で訴えるなり通報するなりした方が良いとさんざん言ったのだが、大ごとにしたくないと聞く耳を持たん。おかしいと思っていたのだが、やはり何か企んでいたんだな」
「やっぱりそうだよね。証拠を集めようって言った時に、不自然なくらい嫌がってたもの」
僕が考えた通り、きちんと調査されたら困るからヒステリックに嫌がってみせたんだろう。
「……で、コレ見た感想として、エステルが言ってる『イジメ』って本当にあったと思う?」
僕が思い切って尋ねると、2人は沈痛な顔で首を横に振った。
「全てではないかもしれませんが、誇張が大きいように思います」
「でっちあげだと思っていたが……この様子ではむしろ自作自演だろうな」
「だよね。さっきも『イジメてこない』ってはっきり言ってたし」
僕の言葉にうなずく2人。どうやら異論は無いみたい。
「さて、これからどうしよう?」
「「……」」
今度は2人とも頭を抱えてしまった。
エステルの目論見については、うすうす察しはつく。
「目的は、おそらくダルマチアとの関係悪化だろうな」
「だろうね。処刑うんぬんはさておくとして、公衆の面前でクセルクセス殿下がアハシュロス公女に恥をかかせるような真似をすれば、間違いなく国際問題になる」
そこまではわかる。問題は背景に誰がいるかだが……
「となると、背後にいるのは周辺国のどこかだろうな」
「うん。北のダルマチアとシュチパリアの関係悪化をはかっているなら、東のスルビャか……それとも南のエルダだろうね」
「ちょっとお待ちください。おふたりとも、彼女がどこかの工作員だとおっしゃるんですか? あのエステルさんが?」
僕たちの会話に、オピニオーネ嬢が慌てて割って入った。
「わたくしには、彼女に工作員などというものが務まるとはとても思えませんが……」
言われてみればその通り。
エステルの言動はめちゃくちゃだが、それと同時にあまりに行き当たりばったりで短絡的だ。
彼女が
しかし、それと同時にあまりにヒステリックで、緻密な計算と冷静な判断力が必要とされる工作員とは、とても思えないのだ。
しかし、彼女が工作員ではないのであれば、どうしてもわからない謎がひとつ。
「う〜ん……それじゃ、工作員でもないのに、なぜあんなことを言い出したんだろう? 何か動機に思い当たるものって、ある?」
「「……」」
いかん。二人ともフリーズしてしまった。まぁ、あんなの初めて見たら頭の中真っ白だよね。
任務でいろいろと非常識な事態も散々目にしてきた僕だってフリーズしてしばらく動けなかったんだもの。
ごく普通の貴族の子女にとって、こんな相手をどう考えれば良いか、見当がつかないのも無理は無いはずだ。
「とりあえず、さ。背後関係も全く分からないし、当分は録画を続けることにしない? もしかすると、本当にイジメもあるかもしれないし」
ことさら気楽な調子を装って提案すると、2人とも気を取り直したように同意してくれた。
「そ、そうですわね。たった一日で結論を出してしまうのは早すぎますし」
「ああ。早く尻尾を出させて本当の目的を見極めないとな」
うん。オピニオーネ嬢はすっごく親身になってあげてたから、エステルが悪意に満ちていて故意にアハシュロス公女を陥れようとしているって考えたくないよね。
僕だって正直信じたくなかったし。
コニーは最初から彼女を疑っていたようだけど、さすがにここまで無茶苦茶だとは思ってなかったみたい。どこまで悪質なのかきちんと調べたいと言い出した。
とりあえず今後も証拠集めは続けることにしよう。エステルへのイジメの証拠なのか、エステルがやってるイジメの証拠なのかはさておくことにして。
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