悪役令嬢の転落(物理)

 今日は学年合同のダンスレッスンです。この時ばかりはわたくしどもの属する政治経済科だけでなく、一般教養科や騎士科の生徒も参加するのでいささか気が重うございますわ。

 とにかく、授業に遅刻するような醜態をさらすわけにもまいりませんので、授業前にわたくしは少し早めにダンスホールに向かいました。


「っきゃああああああ」


 階段をほぼ上り終えたころの事です。

 突然背後で悲鳴が上がり、クリシュナン男爵令嬢が階段から落ちそうになっているではありませんか。

 わたくしは慌てて彼女の腕をつかみ、躰をひねりながら安全な踊り場に向かって彼女を押し出しました。

 しかし非力なわたくしは勢いあまってしまい、そのままガクンと態勢を崩して自分が落ちてしまったではありませんか。なんたる失策であったことでしょう。


「……っ」


 悲鳴を上げることもできずにただギュッと目をつぶったわたくしは、覚悟していた衝撃が訪れるかわりに誰かの力強い腕に抱き止められ、恐る恐る目をあけました。


「お怪我はありませんか?」


 目が合ったポテスタース卿が優しく気遣ってくださいます。

 どうやら落ちそうになったわたくしを受け止めてくださったようです。可愛らしい笑顔にほっとすると、気が抜けて頭がぼうっとしてきました。


「あ……ありがとうございます。

ポテスタース卿がいなければわたくし大けがをしていたかも……」


 ぼうっとしたまま、下を見るとわたくしが落ちそうになった階段が目に入ります。いつも普通に利用する時には全く気になりませんが、こうして見ると意外なまでの高さに眩暈めまいがしそうです。

 ポテスタース卿が受け止めて下さらなかったらどうなっていたか……あらためて恐ろしさが身に染みて、我知らず身体がぶるり、と震えました。

 こんなところを落ちてしまったらただではすみません。

 そう言えば、クリシュナン令嬢はご無事でしょうか?落ちてはいないはずですが、急に階段から落ちそうになったという事は、足でも滑らせたのでしょう。どこかくじいていなければよろしいのですが。


「クリシュナン男爵令嬢は大丈夫かしら……」


「彼女なら無事ですよ。少し驚いたようで座り込んでいましたが、こちらに来る前に立ち上がる姿が見えましたから」


 無意識に呟いていたようです。ポテスタース卿が少し目を瞠ると、優しく微笑んで彼女の無事を伝えてくれました。


「良かった。改めてお礼申し上げます。受け止めていただけなければどうなっていたか」


「たまたま下にいただけです。うまく受け止められて良かった」


 すぐににぱっと人好きのする笑顔でおっしゃってくださったのですが、わたくしは恥ずかしさで思わず俯いてしまいました。幸い、ポテスタース卿はわたくしが赤面してしまったことには気づかなかったらしく、周囲のクラスメイトに「保健室に行ってくる」と先生への伝言を頼んでおられます。


 そのままわたくしを抱えて保健室に向かおうとされたので、慌てて降りようとしたのですが、身体に思うように力が入らず少しじたばたしただけでした。どうしても震えが止まらなくて、身体が言うことをきいてくれないのです。

 ……未来の王妃ともあろうものが、なんとも情けのうございますわ。


「ご無理なさらないで。このままで大丈夫ですよ」


 闊達に笑って歩き出すポテスタース卿はわたくしと大して身長も変わらないはずなのに、まったく足取りが揺らぐことがないのは、やはり根本的に鍛え方が違うからなのでしょうか。

 ちょうどわたくしの友人のジェーン・ドゥ子爵令嬢も居合わせたので付き添いをお願いすると、快くついてきてくれました。

 二人きりで保健室に向かえばあらぬ疑いを招きかねませんものね。


 武術一辺倒で直情径行と評判のポテスタース卿が細やかに気配りしてくださるので、少し意外な気がします。

 やはり噂はあてにならないものですわね。人とはきちんと向き合って自分の目で見極めなければ。


 そんなこんなで保健室に着くのはすぐでした。

 ちょうど居合わせた養護教諭とジェーンに後を頼んでホールに戻るポテスタース卿を見送りながら、わたくしは少々名残惜しく感じてしまいました。

 もう少しだけついていていただきたかったのに……あら、わたくしったら何を考えているのかしら。


「アミィ様、お顔が赤うございますわ」


 先生の診察を終え、念のため休むように言われてベッドに入ったわたくしに、ジェーンが少しからかうような口調で話しかけます。


「ええ、わたくし恥ずかしくて……落ちそうになった方を助けようとして自分が落ちてしまうなんて、本当におっちょこちょいですわ。

 しかも助けていただいたのに、ずっとぼうっとしてばかりで……腰が抜けて歩けなくなってしまいましたし……」


 自分で口にしながらわたくしはますます恥ずかしくなってしまいました。

思わず毛布の中に潜り込んで頭から隠れてしまいます。


「いやそれは違うでしょ」


 だから友人の小さな突っ込みはよく聞こえていなかったのでした。

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