ピンク頭と不都合な『真実』
昼休み、僕はオピニオーネ・パブリカ伯爵令嬢に会いに新聞部の部室へと向かった。
部室のドアをノックすると、大きな丸眼鏡が印象的な少女が顔を出す。新聞部部長のオピニオーネ・パブリカ伯爵令嬢だ。
マロンブラウンの髪をきっちり編み、後頭部でまるい輪のようにして留めていて、どこかプレッツェルのようなヘアスタイル。
「ポテスタース卿、新聞部へようこそ。貴方がこちらにいらっしゃるのは珍しいですね」
眼鏡の奥のヘーゼルブラウンの瞳を瞬かせながら僕を招き入れたオピニオーネ嬢は、あちこち散乱している原稿や資料をどけて座れるスペースを作ると、ソファを勧めてくれた。
「実はパブリカ嬢にお願いしたいことがあるのです。少しお時間をいただけますか?」
「わたくしがお役に立てるなら喜んで」
嫌な顔一つせずに快諾してくれるオピニオーネ嬢は容姿こそ地味だが温かみのある人柄で、困っている人を見過ごせない面倒見の良さで人望がある。
ちなみにご実家は新聞社を経営しておられて、彼女自身も休みの日は家業を手伝っているようだ。
「実はエステル・クリシュナン嬢のことでちょっと……。彼女が教科書やノートを破かれたり、ダンス授業用のドレスを破られるなどの嫌がらせを受けていることはご存じですか?」
エステルの言う『イジメ』のことを口にすると、オピニオーネ嬢は表情を曇らせた。
「エステルさんから伺いました。本当に赦せませんわ」
憤然と答える彼女の言葉に、嘘は感じられない。
「自分より身分が低いからといって何をしても良いわけではございません。むしろ身分の低い者、力なき者を守ってこその貴族ですわ。ポテスタース卿もそう思われませんこと?」
生真面目で人の好いオピニオーネ嬢はエステルの言葉をそのまま真に受けてしまっているようだ。そしてそれが新聞部を通じて学園全体で「真実」として受け入れられてしまっている。
事実とは全く違うにもかかわらず、第三者がそれを疑うことがないのは、それが悪意のない……いや、むしろ紛れもない善意からの言葉だから。
『世論』とは客観的な『事実』ではなく、それを口にする者にとって望ましい『世界のあるべき姿』なのだ。
「わたくしごときでお役に立てるか存じませんが、できるだけお手伝いをいたしますわ」
エステルのイジメについて協力をお願いすると、人の好いオピニオーネ嬢はすぐに快諾してくれた。
「ありがとうございます。彼女は『大事にしたくないから証拠はいらない。みんなの前で謝ってくれればそれで良い』と言ってますが、こういう事は大勢の前で感情的につるし上げて無理やり謝罪させるより、法的に手続きしてお互いに禍根を残さないよう処理した方が、結果的には穏便に済みます」
「なるほど、王都の治安維持を担う
「それに、具体的な証拠もなしに問い詰めても相手にしらを切られてはおしまいですし。そこで、彼女に内緒で証拠集めとしてイジメがありそうな場所に記録球を仕掛けているのですが、男性である我々では入れない場所もあって困っているのです」
「確かに、ドレスを破かれてしまった女子更衣室などは殿方では入れませんわね」
「はい。ですから、そういった女性にしか確認できないところに記録球を仕掛けることをお願いできませんか?もちろん、内容はパブリカ嬢がご確認の上、私どもが拝見しても差し支えないものだけ渡していただければ」
「そのような事なら喜んでお手伝い致しますわ。これでエステルさんへのイジメがおさまれば本当に良いですね」
ニコニコと笑顔で引き受けてくれるオピニオーネ嬢の顔を見ると少しだけ良心が痛む。素直なこの人は、実はエステルが男性にチヤホヤされたい一心で他人を陥れて悪役に仕立て上げ、被害者アピールでみんなの気を惹こうとしているだけだなんて、想像すらできないだろう。
エステルの事を微塵も疑っていないこの人を利用して、エステルの悪事を暴こうというのだ。事実を知ったらこの善良な人はきっと悲しむに違いない。
後でちゃんとフォローしなければいけないな。
オピニオーネ嬢に協力の約束をとりつけた僕は、新聞部を辞したあと魔術講師のマイヒャ・パラクセノス男爵の元を訪れた。
彼は子爵家の三男ながら魔術に精通しており、魔力消費を極限まで抑え、かつ安定した効果の得られる数々の術式を編み出した功で男爵位を賜っている。ちなみに魔術と科学を併用した証拠の分析や、各種魔道具の開発も得意でいらっしゃる。
次期魔術師団長と目されている天才で、僕も授業だけではなく騎士団の仕事でもさんざんお世話になっている恩師なのだ。
なかなか手に入りにくい記録球だが、パラクセノス師であればまとまった数を手に入れることも可能だろう。コニーに任せておいても良いが、仕掛けは多ければ多いほど良いのでこちらでも用意しておきたい。
オピニオーネ嬢と同様、エステルを助けるという口実で協力をあおいでみることにしよう。
多忙な師が研究室にいるかどうかは賭けだったが、幸いなことにドアをノックすると「入ってくれ」と応えがあった。
「失礼します」
「どうしたんだポテスタース。学内で私を訪ねてくるのは珍しいじゃないか。」
「実は折り入ってご相談がありまして。
クリシュナン男爵令嬢へのイジメですが、彼女の話を聞く限りでは目に余ります。本人は『ことを荒立てたくないから証拠はいらない。みんなの前で謝ってくれさえすればいい』と言ってますが、やってる事は窃盗に器物破損、傷害未遂……どれもれっきとした犯罪です。
このまま有耶無耶にしていてはますますエスカレートするでしょう。取り返しのつかなくなる前になんとかしないと」
「なるほど」
頷くと師は漆黒の瞳をこちらに向けてきた。何もかも見透かすような澄んだ瞳にじっと見つめられるとなんだかドギマギしてしまう。う~ん……もしかして、僕の思惑が見透かされてる?
僕は何とも落ち着かない気分で先生の返事を待った。
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