デザート

 好きなところが3つある。

 まず、優しいところ。

 2つ目が強いところ。


 そして3つ目が、真っ赤に、燃えるように生きているところ。


「ギルバート、何してるの? ぼーっとしちゃって、疲れたのなら2階行って休んで来なさい」


「……」


 記憶力の良いイザベルとは違って、俺の幼い頃の記憶は曖昧で、思い出せるものもところどころが霞んで遠い。しかし、忘れた記憶の中もきっと、いつも通り動かず喋らず椅子に座りっぱなしだったのだろうな、とは推測できた。


 俺が思い出せる最も古い記憶は、確か、そう。

 オカーサマのお気に入りの小さな緑の靴が俺の足に合わなくなったと騒ぎになって、いつも座らされていた椅子ごと思い切り横に倒された時の、ブレた景色と絨毯の感触だ。

 確かその時は、倒れた拍子に俺が声を上げたか何かでさらにオカーサマは心を乱し、俺の首を絞めた。でも、目の前のオカーサマの顔が涙で濡れ悲痛に歪んでいたので、俺は普通にオカーサマの健康を心配したのだったように思う。健気な美少年か俺は。

 その時はすぐさま執事長が来てオカーサマと俺を引き剥がし、なんとかその場をおさめたというのは、後に今は亡き執事長から聞かされた話だ。


 次に古い記憶は、そう、あれだ。

 毎月恒例の割れるような頭痛と共に、日々オカーサマに隠れて俺に食事をくれていた執事長が窓から落ちて死ぬ光景が目に飛び込んできた、アレだ。

 夜中だったが、隣で寝ているオカーサマに泣きながらその事を伝えたと思う。

 勝手に動いたから普通に首は締められた。

 でも、その事を他人言ったら絶対にダメだと言って、お前はイトシゴでは無いのだよ、絶対に他人にそう思われてはいけないよ、誰にも渡さないよとオカーサマは泣いたので、俺は執事長にすらその事を言わなかったし、イトシゴとやらについても隠し通すことにした。と言うか、オカーサマ以外との会話は禁止されたので、他人に言う方法がなかった。バカな美少年か俺は。

 秘密の食事の間、俺に大げさな身振り手振りを添えて本を読み聞かせてくれていた執事長は、翌月転落死した。オカーサマの部屋の窓からだった。


 今思えば、きっとオカーサマが殺したんだろうと思う。俺の家で俺の味方をしてくれたのは、人間扱いしてくれていたのは、あの執事長だけだっただろうから。食事も勉強も、ちょっとしたジョークも困った時の大声の出し方も、何を話しても一言も返さないガキ、いや、オカーサマのお人形によく教えてくれたものだ。しかもそれのせいで殺されていちゃ、死にきれないだろう。ああ、なんで俺はあの時一言でも、お礼を言わなかったんだ。なんであの人の名前すら覚えてないんだ。ああ本当に、本当に俺は。


「ギルバート!!」


「っ!」


 はっと思考の渦から今に目を戻せば、包丁を持った俺の腕を掴むイザベルがいた。真っ赤な瞳が、真っ直ぐに俺を見ている。


「え、あ、イザベル? どうしたんだ?」


「あんた、ちょっと来なさい」


「え?」


 ぐいぐいと腕を引かれ、厨房から連れ出される。握っていた包丁はレオが抜き去り、そのまま俺の代わりに野菜の下処理をやり始めた。本当に助かる、じゃなくて国の宝にこんなことをやらせて申し訳ない。


「イザベル、どうしたんだ? なんか重いものでも運ぶか?」


「違うわよ、あほバート」


 イザベルは俺の腕を掴んだまま、ずんずん進んで2階へ上がって行った。そのまま部屋に入ってベッドへ腰掛ける。そして、ぽんぽんと横の布団を叩いた。


「来なさい」


「えっっっ。な、何言ってんだイザベル!! そっ、そんなっ、はは破廉恥な!!」


 この人は本当に、本当に危機感がない。俺が本気で押さえ込もうと思ったら、イザベルはきっと少しだって抵抗出来ない。それなのにこの人は、俺を同じ屋根の下で寝かせてしまえるし、俺がずっと店に通うことを許せてしまう。相手が誰であろうと喧嘩を売るし、時には本当に大男相手に向かっていってしまう。

 俺はこの人のそういうところが、本当に怖くて怖くて堪らない。


「なに勘違いしてるのよ、座るだけよ。ほら、早く座りなさい」


 ベッドの上って所が既に破廉恥なんだよ!

 と叫ぼうとして、腕を引かれ無理やり座らされた。俺はもうどうしていいか分からないので、とりあえず深呼吸に努めた。落ち着け俺、騎士たるもの、常に紳士であれ。イザベルにこれ以上かっこ悪いと思われたくないだろ。


「はあ。あんた、あほねぇ」


「はあ!?」


 いきなりの暴言に反論する前に、イザベルの手が俺の頭に回った。そのまま、イザベルの膝の上に頭がくるよう体が倒される。いや、実際にはイザベルが潰れないよう自分から倒れたのだが、いや、あの、ちょっと、いやいや、待って。お願いだから待ってくれ。


「い、いい、イザベル……!! な、なにを……!!」


「ひざまくら、よ」


 知ってる、知ってるそんなことは。頭に生の熱と肉感を感じるし、ちょっと赤くなったイザベルの顔を見上げているし、あの、ちょっと。


「ううう……」


 鼻血でそうだからもう許してください。


「ねえ、ギルバート。あんた今日どうしたのよ。頭でも痛いの?」


 はっとして目を開ける。

 なんで、気づかれたんだろう。


「無理する必要なんか無いわよ。鐘が鳴ったら起こしてあげるから、寝ちゃいなさい」


 優しく頭を撫でられる。

 綺麗だから、美しいから、肌触りの良い人形だからという理由ではなく、俺の頭を撫でている。ただ、俺を安心させようと、慰めようと、そのあたたかい手を貸してくれる。

 俺は、この人のこういう触り方が好きだ。


「イザベル……」


「なに?」


 未来を見たんだ。今朝、割れるような頭痛と共に、最近ようやく会えた父が死ぬ未来を見たんだ。


「大丈夫よギルバート、大丈夫。私、あんたの為なら誰だって、未来だって殴りに行くから」


 なんでこの人は、こんなに強いのだろう。


 初めてこの赤を見た日を覚えている。他はどんなに曖昧でも、この赤だけは鮮烈に覚えている。

 10歳の頃、王女様の誕生日祝いか何かで城に連れていかれて、挨拶が終わってオカーサマが戻るまでの間庭のベンチに座らされていた時。

 少し遠くで、赤を見た。

 その子は綺麗な服を着て、真っ赤な髪の毛をひとつに結んで、真っ赤な瞳でどこかを見ていた。

 その時、俺は笑えることに、派手なお人形みたいな子だなあと思ったのだ。どの口が言ってんだバーーカ。お前と一緒にするな顔だけのカス野郎が。


 その真っ赤な子は、じっと動かず何かを見ていたが、次の瞬間には駆け出した。びっくりするほど足が早かった。しかし、すぐに追いかけてきた大人に捕まって、何か声をかけられて顔を真っ赤にしながら笑っていた。

 ああ、あの子は生きている。人形のように美しいのに、あんなに力強く、真っ赤に生きている、人間だ。


 それから、俺は赤色が好きだ。命の色だと思ったからだ。



 次、あの赤を見た日を覚えている。

 夜中、頭痛と共に見たのは、あの赤が、大きくなったあの女の子が、頬と耳を真っ赤に染めて、燃えるような瞳をとろけるようにこちらにむけて、俺が今まで向けられたことのないような、それはそれは混じり気のない、純粋で輝く表情で、この俺に向かってアイシテルと言ったのだ。

 起き抜けに泣いた。

 当然オカーサマは俺の涙を舐めとったし体中に唇を当てたし、最後に首を絞めた。だがそんなことはどうでもいい。いや、本気でどうでもいい。


 俺は、俺は。

 あの子にアイシテモラウのか!!


 その日から、俺に美しくない表情がついたとオカーサマが毎日のようにヒステリーを起こすようになった。


 その次に赤を見たのも、頭痛と共にだった。

 これまた夜中に見たのは、あの赤が、あの生きた女の子が、大きく成長したあの子が、ナイフで首を裂かれ頭を何かで潰され、憲兵に踏みつけにされている未来だった。

 起き抜けに吐いた。

 オカーサマは当然俺の首を絞め体の自由がきかなくなる薬を飲ませてきたが、そんなことはどうでもよかった。


 生きているあの子が、死ぬ?


 それがなんて恐ろしくて、冒涜的で、俺の希望を打ち砕くものか、俺は未だ言葉にできない。ただ、怖くて。


 その日から、俺は明日が来ないことを願うようになった。



 そして、次。次にあの赤を見たのは、この目で直接だった。

 騎士学校の入学式で、なぜか突然上級生に囲まれた俺が1人静かにパニックになっている目の前に、その子は現れた。


「邪魔よ! ソイツに集るぐらいなら私のところに来なさい! 私はイザベル・フィアリストクラット! フィアリストクラットの末娘よ! でも群れて来るんじゃなくて、1人ずつ来なさい! あんた達仮にも騎士になりたいんでしょう?」


 初めてこの耳で聞いたその人の声は、燃えるような、生きた声だった。

 その人は俺の代わりに上級生に囲まれ、一触即発の状態になってしまった。俺は、こういう時どうすればいいのか分からなくて、人とどう接していいのか分からなくて、ただ立ち尽くしていた。

 しかし、次の瞬間。


「じゃあね! また明日!」


 その人は、俺に向かってそう言って、走って逃げたのだ。

 上級生も俺も、ただあんぐり口を開けて小さくなる背中を見送った。


 に、逃げちゃった。


 当時の俺の心境はその一言に尽きる。

 そう、あの人は逃げちゃったのだ。真っ赤な髪の毛を揺らして、生き生きと走りながら、この状況から逃げちゃったのだ。

 そう、あの日。俺の人生に、逃げるの文字をくれたのは、イザベルだった。


 それから、ずっとあの赤を目で追った。

 イザベルが話しかけてくれた時、うまく返せずともまた明日と言って別れてくれた。毎日毎日、イザベルはクラスの違う俺にこっそり話しかけに来てくれた。


 俺は、いつの間にか、明日が待ち遠しいと思った。


 しかし、ある時からまた明日は来なくなった。


 イザベルの家が取り潰しになった。イザベルが処刑される、そう思って震えたのもつかの間、イザベルは生き延び店を開いた。

 俺はもう、もう本当に、心臓が止まったかと思って。イザベルが生きていたことを確認しに、彼女の店に走った。


 そこからはまあ、勢いだ。

 勢いで言った言葉で、俺はなんとイザベルと過ごす放課後だけでなく、食事まで用意してもらえることになった。実際に作っているのは俺だが、そんなことはどうでもいい。暇な時に図書館で料理本ばかり読んでいたせいか、結構早い段階で料理のコツはつかんだ。あと冗談抜きでイザベルの作ったものはヤバイ。危険物に分類されるヤツだあれは。


 それでもイザベルは、俺に何もかも与えてくれた。食事も、会話の仕方も、また明日も、逃げることも、嫌いな物に負けない心も。


 だから、死なせないと思えたんだ。受け入れるだけしかないと思っていた未来を、ぶっ飛ばしてやろうと思えたんだ。

 イトシゴだということは隠し通す。絶対、イザベルを死なせない。



 そう思って失敗して、またイザベルに助けられた。まさか城にまで乗り込んでくるなんて、イザベルはやっぱり凄い。本当に燃えるように生きている。

 本当に、本当に。


「好きだ」


「ねっ、寝なさいこのあほバート!」


 頭を叩かれた。それから上ではっと息を呑む音がして、痛いのにごめんなさい、と沈んだ声で謝られた。

 ああ、違う。違うんだイザベル。そんな声にさせたかったんじゃないんだ。


 俺は、燃えるような、近づいただけで火傷しそうに激しい、それでもとびきりあたたかい、生きた君が好きなんだ。


「イザベル」


「……なによ、そんな顔しても何もないわよ」


「ばーか!」


 鍛えた腹筋を使って起き上がり、そのままイザベルの唇に自分の唇を寄せた。ただ、重ねる寸前、息がかかる距離で静止する。


「あ、あんた、ぶん殴られたいの?」


「嫌なら止めるぜ?」


「あほバート!!」


 ぎゅっと目をつぶったイザベルの、真っ赤な鼻先に唇を軽く触れさせて、さっさと部屋を出た。まだ仕込みの途中だし、この店の味付けは俺が決める。まだレオには任せられないし、任せるつもりもない。


「あほバート……!!」


 好きなところが3つある。

 まず、優しいところ。

 2つ目が強いところ。

 3つ目が可愛いところで、4つ目がいつも強がってるくせに意外と照れ屋なとこ。5つ目が俺の料理を美味しそうに食べてくれるところで、6つ目が俺の顔を容赦なくひっぱたいてくるとこで、7つ目が俺がまた明日というと少し笑うとこで、8つ目が。


 失礼、言いすぎた。

 まあ、ともかく。


 俺は、真っ赤に燃えるように生きている、君の全てを愛してる。

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お先のお食事 藍依青糸 @aonanishio

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