ミクロサイキック 騒音編

Act.5 太陽燦々、花は散々



○ドロシー・ゲイルの見聞 一


「何だ、この音」と校長は思ったに違いない。

「今日は何か、特別な日でしたっけ?」と近所の主婦は、別の主婦に問うだろう。

「やや、夏入(なついり)ドロシーがまた何か始めたな。まったく、こりないやつめ。」と私を知る人は思ったかな。

 愛おしいモフモフな羊雲をいくつか浮かべた広大な空の下、炎天下の屋上で、ドラムが軽快なリズムで音を響かせる。大地が音を立てるが如きバスドラム。たわむれるチルドレンのようなスネアドラムに、踊る小鳥のシンバル。自然と調和した音の中で、少しずつ少しずつ確実に、心に伝わって来る8ビートの恋の鼓動に、きっと碧(みどり)君は気が付いてくれるはず。

早送りすること十分後。

 私がドラムの演奏を終えるや否や、ダンッと屋上の扉が開かれると自称恋愛検察官と名乗る男が私と碧君の間に割って入ってきた。

「判決を下す前に、この女生徒、夏入ドロシーの容疑を確認していただく。」

 恋愛検察官はそう言うと袖口から紙を取り出して広げて見せた。そして言う。

「作詞 夏入ドロシー」

 碧い、碧い、風に

 ゆるり、ゆるり、溶け込むメロディ

 青い、青い、空に

 ふわり、ふわり、浮かんでく言葉

 白い、白い、紙に

 思い、思い、詰め込んで飛ばす

 紙飛行機が向かってく

 愛する人へ、届けてほしい

 紅い、紅い、頬に

 じわり、じわり、熱がこもる

 芽吹きの春に一陣の風 あなたが来た 春が来た

 私の胸のこの想いよ どうか散る花びらにはならないで


 私はガクガクと膝を震わせ、心をぷるぷると揺らす。上手く容器から出てこないプッチンプリンが、やっと出てきたと思ったら、ぷるるんつるり、皿を滑って床へダイブしていく心地。どうしてどうして?それは音楽室でゴミ箱に捨てたはずのマイメロディ!

「被告人、夏入ドロシー。お前は恥ずかしくないのか?こんな腑抜けた歌で男を篭絡しようなど、よく考えたものだ。」

 屋上にて自称恋愛検察官と名乗る男は、先ほど読み上げた歌詞の書かれたよれよれの紙ぺらをヒラヒラ振りながら呆れ顔。もう、私は顔が熱くなって、プンプンのカンカン。熱さまシートじゃ、この恥ずかしさと怒りはおさまらない!

「なに!前にあなたが、『お前の歌は熱すぎる。そんなに情熱を込められては、どんな男も焼死する』って言うから、爽やかな感じの歌を作ったのに!」

「そりゃお前、このあいだの歌詞はもっと酷かったぞ『ラブにゃん、ラブにゃん、愛の猫パンチ!』このフレーズが二分間の歌の中で実に十四回も出て来たし、最後に「あなたのマタタビ食べたいわ」って、何かの隠語ですか?相手が猫好きだからってやりすぎだろう。」

 ぎゃぶん。身体の内側から精神ダメージがズッキョンズッキョン湧き上がり、血反吐を吐く勢い。

「だからこそ、反省して、今度は、のどかな春の日に吹く風をイメージした、爽やかな恋の歌にしたのよ。そして、やっぱり駄目だ、これも恥ずかしい!と思ってゴミ箱へ捨てた物であって、決してその歌で碧君に想いを告げようなんて思っていなかった。負の産物なのよ!なのにひどい!まさかゴミ箱から拾って来るなんて!」

「では聞くが、この歌を捨てた結果が、今のドラムか?」

 恋愛検察官の言葉に、今までじっと黙っていた碧君が、一瞬ちらりとエメラルドグリーンの瞳をこちらに向けた。

「そ、そうだよ。伝わった?8ビートの恋の鼓動。」

 私はそう碧君に聞いてみる。

「ごめん、よくわからないんだ、音楽」

 ガビーン。

 恋愛検察官は呆れた目をして言う。

「恥ずかしい歌を捨てた所までは良いが、その代わりが十数分間に渡るドラムの独奏って、君の恋愛観はどうなっているのか。」そうため息をつきながら、「判決を」と碧君に告白の返事を促します。

「え・・・・・、判決って・・・な、何の?」

 これは、そもそも告白とも思われていないパターンでは。

「駄目か~。」

 私はドラムスティックを落し、両手を屋上の床に着いた。両肩から三つ編みにしたおさげがだらりと零れ落ち、コンクリートに付いた。

「いや、駄目でしょうよ」と恋愛検察官が言った。

「ごめん、もう、行くね?」

 碧君が困ったようにしながらも、着実に私のもとから離れていく。そしてパタンと屋上の扉を閉めて行った。あ~あ。

「三度目の正直だと思ったのに。」

「いや、六度目だが。どう生きると三度目超えるとリセットされる、という考えになるのか。」

不思議でならん、と恋愛検察官、いや、もう裁判は終わったので、今はただの高校二年生の男子生徒、辰野正一門君が言う。

ううう~、とうなだれる私を見て、「まあまあ、茶でも飲めよ」と辰野正一門君が紙コップに紅茶を入れて渡す。彼は初めての告白の時から私と碧君の間に割って入っては、私の恥ずかしい過去を暴露して楽しんでいたが、三度目の告白が失敗したあたりから、流石に私が不憫に見えたのか、慰めに紅茶を持ってくる。初めて紅茶を出された時は、「コンニャロ、お前が告白を台無しにしたんダロ!」と思ってつい、紙コップごと払い落としてしまった。そしたら辰野正一門君は、「ティー・ブレイク、ブレイク」とつまらんこと言っていた。でもその表情が少し悲しそうだったから、四度目以降のお茶は飲んでいる。

 何故、私はこんなにも碧君、正式名称「小津野碧」を好きになってしまったのか。話は四月初め、始業式にまでさかのぼる。

 私は元より、このアスファルトニガム国際高校に入学する予定はなかった。カンザスという日本から遠く離れた国で穏やかに暮らす十六歳の少女、いずれは大きく咲き誇る花の蕾の如き高校二年生、それが本来あるべき姿の私。

 私はカンザス育ちのドロシー

 緑の野原、果実の園、行き交うアゲハ

 それが私の暮らした風景。

 トゥッツ・トゥッツ・トゥッツ・タタタン♪

 でもある日、トツゼン、嵐が私を連れて行く

 果実の園の残骸、見降ろすあの日の虚しさ

 飛んだ小屋のベットの上、眠れぬ旅の恐ろしさ

 孤独な空のティリップ 信じられないファンタジー

 誰かに理解できるもの、そんな安易なものでない

 トゥッツ・トゥッツ・トゥッツ・タラッタ♪

「やめとけ、その突然のミュージカルモード」

「何で?私はこういうのが好きなのだけど。辰野正一門君も、指パッチンしてリズムを取っていたけど?」

「いや、何故か指が自然と動いてしまってな。」いや、それよりもだ、と彼は声を強める。

「カンザスは君の育った田舎の比喩、嵐は家庭事情の比喩、空飛ぶ小屋は飛行機の比喩だ。つまり、あなたは、ただの田舎娘だろう。」

 ズ・ズ・ズバーリ言わないで

 ハ・ハ・ハズ・カシーイ!

 でもこれだけは、ウソじゃない

 タタタン・タラッタ・タッタッタン♪

 ジャ・ジャ・ジャパン

ゲ・ゲ・ゲルマン

二つの血を持つハーフな女子

 それがドロドロドロドロ、ドロシー・ゲイル!

「夏入(なついり)をゲイルと読むのはよせ、聞く方が恥ずかしい。」

「なぜ?夏至のゲに入間のイル。間違っちゃいないけど?」

 はあ、と辰野正一門君は溜め息をついた。

「ドロシー、お前、どこか強がってないか?」

「そんなことないYo!」

 本当はちょっとブルーだけれど。

「ところで、何故、田舎娘ドロシーが小津野碧に恋をしたのだ?」

「え、それ聞くの? もう六回目だよ、この話をするの。」

「毎度お前から話し始めて来るから、聞いてやったんじゃないか。」と辰野正一門君は、少し怒ったようにツッコミを入れた。しかし、話したがりな私の、六度目ともなるこの話を、毎回きちんと聞く。そのあたりからして、阿呆だけれど悪い人でもないらしい。恋愛検察官は悪趣味なだけ。


さて、さてさてサテライト。

どうして碧君に恋をしたのかと言うと、単純明快、彼は私の求める理想の彼氏像だから。四月に転校して来て早々、軽音部の部室を探してさまよっていた私。そこに颯爽と現れた彼が私のストライクゾーンのド真ん中に、直球を投げ込んで来た感じ。鮮やかなエメラルドグリーン色の瞳、煌めく金髪、風に流れるススキのように美しい所作、それら全てを駆使して、私に道を教えてくれた。まるで私にホームランを打てと言わんばかり。そんな絶好球に手を出さないバッタ―なんている?

 いるわけない。

そして、例えこの恋に邪魔者はいても、このドロシーを超えるラヴの持ち主が、この学校にいるわけない。ゆえに、め・いるわけない!

そう思っていた。

世界人口の二パーセントしかいないと言われるほど稀である、エメラルドグリーンの瞳。持って生まれた淡い金色の髪は、艶のある滑らかなツヤサラヘアー。碧君もまたハーフであり、イギリスと日本の血を合わせ持つと聞いている。

「顔ばっかりに釣られて、後で痛い目見るなよ。」

辰野正一門君がフェンスの外に広がる街なみを見ながらそう言った。心配からか、美男子への嫉妬からか、どっちからとも取れるその言葉を私は真摯に受け止めて言った。

「痛い目は、きっともう、見ないよ。それに高校野球で言うとね、顔の良さは地区予選で、性格の良さが甲子園なわけ。」

 ケケケ、と力なく響く辰野正一門君の皮肉めいた笑い。

「要は、顔が良くないと性格がどうであれ、予選敗退ってわけか」

「ザッツ・ライ」

 恥ずかしげもなくそう言うと、「ははん、逆に清々しくて良い」と褒められた。

「絶対、諦めるなよ。絶対に。」

 不意に、心の中を見透かされた気がした。眼鏡の奥に光る彼の視線が、背を向けようとする私の胴体に縄をかけるようだった。私は、その思いがけぬ言葉に動揺して、流されるように肯いていた。

「わははは、それでいい。その調子で告白し、フラれ、我が糧、我が魂の血肉となるのだ!」

 ふわはははっ。辰野正一門が今日一の高笑いを見せた。私は、こんな男に動揺させられたことを悔いた。

「ところで、恋にも二十一世紀枠とかあるわけ?」なんて聞かれたが、答えようがない。なんせ恋は甲子園ではない。と、ここに来て話の土台を揺るがしてみる。

 ちなみに、どうして野球で例えているかと言うと、碧君ご本人が野球部に所属しているから。しかも、普段カッコイイ容姿なのにナヨナヨしている彼が、ナヨナヨが故に抱きしめたくなる彼が、マウンドの中央で堂々と一番を背負うエースピッチャーと来た。緑のユニフォーム姿から繰り出される多彩な変化球の数々は、それぞれキレ味が凄まじく、緩急の変化を合わせるとそれは最早、魔球の域に達す。近隣地域の高校でも大いに恐れられ、その珍しい瞳のこともあって、いつしかエメラルドシティの住人『オズの魔法使い』と呼ばれていた。



○小津野碧の見聞 一


 大きな窓ガラスから差し込む日差しが心地良く感じる、あるスタジオ内の一室。その一角に置かれたカジュアルなガラスの丸テーブルの方へ通されると、そこにはもう、まあまあ顔の知れた某局の女性アナウンサーとカメラを回すADの姿があった。

「これはどうも、小津野碧選手。今日はよろしくお願いします。」

 アナウンサーの好奇心に溢れた瞳が少し嫌だった。スタッフたちの金銭欲が入り乱れる視線には目を合わせず、僕は向かいに置かれた椅子へ座った。

「こちらこそ、お願いします」と僕が言うと、「では早速ですが、始めしょうか」と今日のインタビューを取り仕切ると思われる短髪で細身な中年の男が言った。ADがアナウンサーの顔にカメラを回すと、女性アナウンサーの顔がパッと明るい表情に変わる。

「今日は何と、日本シリーズにおいて、出場した全試合で無失点を記録した、あの小津野碧選手に独占インタビューさせて頂けるという事で・・・・」

 簡単に前振りと挨拶を済ませると、まずはアナウンサーが僕の経歴をとうとうと語った。甲子園に出たことがないため、アスファルトニガム高校についてはあまり触れられない。

「三年前に球界に入団した当時はあまり注目されていませんでしたが、試合数が重なるにつれ徐々にその頭角を現してきましたものね。結果を見れば、ドラフト一位の荒井選手を抑え、見事新人王に輝きました。」

「まあ、無名校出身ですからね。逆に期待されていなくて投げやすかったです。」

「次の年も好調でしたが、今年はより拍車をかけた絶好調ぶり。そして日本シリーズ、あの見事なピッチングには敵も肩を落とすばかりでした。」

「いえいえ、味方の助けがあってのことです。」

「謙遜しなくていいんですよ。それほどあなたはすごいんですから。」と、ここでテレビに映す試合中の映像を見ながらアナウンサーが僕に言った。

「マウンドに立つ間も、とても落ち着いていますよね。何か秘訣とかあるんでしょうか?」

「秘訣、ですか?」

「ええ、よくスポーツ選手にはあるじゃないですか。ルーティーンみたいなものが。」

「んー、そういうのは、あまり意識してないかもしれないですね。」

「へえ、意外ですね。試合前に必ず音楽を聴くとか、そういうこともしないんですか?」

 スポーツ選手の間では確かに、そういった行為で精神を落ち着かせたり、逆に高ぶらせたりすると聞いたことがある。

 だが、僕は違った。少し考えるが、期待された答えは出そうにない。

「僕は、あまり音楽は好みませんからね。」

「そうなのですね、何故でしょうか。」

「高校時代に、ずっと変なものを聞かされていたんです。それは歌だったり、ドラムの独奏だったり、いろいろです。そのいろいろな音楽が、それはもう、意味不明と言いますか、いや、意味は何となくわかるんですが、どう言えばいいんだろう。」

 ようやく一文以上話し出した僕の話を最後まで聞こうと、アナウンサーの熱心な眼がこちらを向いている。話しづらいが、話し出してしまった以上、話に終わりを作らなければ。

「真冬にヒマワリが咲いている姿を見ているような、そんな気分でした。」

「それは、変ですね。」

「でしょう。何か、頭がおかしくなりそうな気分でしたよ」

 はあ、と思わずため息をついてしまった。テレビだというのに。カットしてくれるだろうか。



○先輩の見聞 一


 夏入ドロシーの六度目の告白が失敗してからちょうど二週間が経つ日のことだ。お盆を過ぎ、夏休みも終盤である。多くの部活動が練習を再開し、グラウンドではにぎやかなかけ声が上がる。各教室内には、部活のない人たちが集まり、文化祭準備を着々と進める。そんな有意義で優雅な空気が流れるアスガム高校。その西棟三階に部活にも文化祭準備にも顔を出さない不埒な奴がいた。

「お前が、西の魔女か!?」

 ドロシーが俺の話も聞かず、吹奏楽部の部室のドアを叩く。当然、吹奏楽部の部員は顔を見合わせる。「五里霧中」「暗中模索」「三界流転」「無明長夜」と口々にドロシーに訴えて来る。

「意味わからん」

ドロシーがそうバッサリと吹奏楽部の訴えを切り捨てたところで、部長と思われる気の強そうな女子がドロシーの前に現れた。

「なんじゃワレ!」

イカツイ言葉遣いでドロシーに詰め寄るその気概は、織田信長を恐れさせた武田信玄にも勝る。ショートカットの前髪のみをゴムで止めたそれが、凛々しきチョンマゲに見えた。しかし、ドロシーも引かない。

「私の名は、ドロシー・ゲイル。今から貴様を尋問し、碧君の居場所を吐かせてやるんだから!」

「言うてることがわけわからんのじゃボケ、いったん禿げて頭冷やしてこいや!」

 バトル勃発。ここからは想像の目でモノを見ていただこう。

 まずは吹奏楽部部長が鉄琴と木琴のダブル装甲演奏撃。イギリス軍の多砲搭戦車Mk.Ⅳチャーチルの砲撃を彷彿とさせる激しくも軽快な音のコンビネーションが炸裂し、部室内を火の海へと変えた。武田信玄どころの話ではない。対するドロシーは持ち前のバチを握り、吹奏楽部の一人からドラムセットを奪取する。そしてアメリカ軍戦闘機F-⒗ファイティング・ファルコンのエンジン音のようにスネア・ドラムとフロア・タムをコンボさせ、そこからさらに戦闘機に固定搭載された二〇mmバルカン砲を放つように大胆なクラッシュ・シンバルの響撃。戦場のどこにも逃げ場などない。負けまいと、吹奏楽部部長は右手で大太鼓をダムダムと叩き始め、尚且つ口にトライアングルの紐を挟み、タンバリンをリズミカルに響かせると同時に、時折りそのトライアングルを叩いた。その姿はまるで第一次世界大戦で三国同盟を結んだドイツ・オーストリア・イタリアの如き威圧感である。ただし、見た目はさほど美しくない、というか不格好だ。ただ、その威圧的な音楽が全て、ドロシーの奏でるドラム演奏に合わせられ、彼女の演奏を飲み込み、場にある全ての音を我がものとしようとしているのが、不格好をもみ消すほどすごかった。吹奏楽部員の全てがその音撃の達人に圧倒されるなか、瞳の色をより一層輝かせたドロシー。光速で動く彼女の手から繰り出されたのは幻の百二十八ビート。右手と左手に二本ずつバチを持ち、痙攣とも思える小刻みな腕の振りながら、どうしてこう豪快な音が出るのか。航空艦隊を連想させるダイナミックで爽快な風景が目に浮かび、飛行するそれぞれの機体の翼から、何かが落下する。そう、いくつもの都市を荒地へと帰した、無数のクラスター爆弾である。

 決着だ。

 ばたんと倒れ込むようにして吹奏楽部部長が地に伏した。彼女は、十の指、その全てをぷるぷると震わせる。止めようにも止められないと言った様子だ。百二十八ビートのリズムに打ち負けたのだ。

 すると、ドワーッという吹奏楽部員たちの歓喜の声が上がった。

「感無量」「感無量」と泣き出すものもいた。どうやらこの吹奏楽部は、長い間、この気の強い女による独裁政権に支配されていたようだった。

「参ったか、西の魔女」

 ドロシーが息を切らしながら、誇らしげにそう言った。

「私は、西の魔女ではない。」

 倒れ伏した吹奏楽部部長が顔を地に沈めたままそう言った。俺は、それを知っていた。

「彼女は西の魔女ではなく、東の魔女、音楽室のアラミタマこと、荒井環(あらい たまき)です。」歓喜する吹奏楽部員の一人がこっそりと、そう教えてくれた。

「・・・・・・・・勘違いしたか。」

 ドロシーは思ったより落ち着いた声でそう言った。きっと、心の動揺の処理が追い付かず、表情の変化にまで脳が手を回せないのだろう。三つ編みのおさげが、力なく垂れていた。


「あれれ、何と素晴らしい光景かな」

 吹奏楽部員に胴上げされるドロシーを見上げ、一人の少女がそう言った。場の空気が変わる、そんな瞬間に立ち会ったような感覚だ。突如として現れた少女、おそらく吹奏楽部ではないのであろう彼女の言葉は、やけに透き通る。まるで心臓に秋風を吹かすようであり、それは下らぬ活動に身を投じる俺の愚かさを諭すかのようでもあった。吹奏楽部員の人々も同じように感じたらしく、はしゃいでいたのを恥じるようにドロシーをそっと床へ降ろした。

「あなたは、北の魔女・加賀谷ひかり!」

 誰かがあげたその声に惹かれるように、吹奏楽部員の目は輝きを纏った。

「この方が噂に聞くひかり?」「あの、やさしさの塊と言われ」「日のもとの希望と称され」「リアルと神秘の垣根と謳われ」「歩く一富士二鷹三茄子と絶賛された」「あの」「ひかり?」

「まさか」「本物のわけがない」「こんな陳腐な部室に来るはずない!」

 吹奏楽部の慌てふためきようをしばらく動かずに見守っていた少女だが、やがて口を開いた。

「いやいや、本物、本物。アタシが加賀谷ひかりだからね。」

 またも、透き通るような声である。決して言葉遣いが綺麗なわけでもない、態度や服装が美しいわけでもない。可愛らしさは十分だが、顔もスタイルもどちらかと言えば中学生に近く、君野木実先輩のような絶対的美貌とはかけ離れた存在と言える。しかし、その声には何か特殊な揺らぎのようなものがあった。それが、聞く人の心を落ち着かせていた。実際、騒がしかった吹奏楽部員が皆、余計な口を挟まず、静かに加賀谷ひかりの次の言葉を待った。

 皆に注目される中、加賀谷ひかりは、何の事情も分かっていないドロシーのもとへ歩み寄る。

「君、名前は何ていうの?」

「名乗る時は、自分から名乗るものだと思うけど?」ドロシーは恥ずかしげもなくそう言った。

 俺は肩を落とす。「もうとっくに名乗っていたが。」

「あ、そう。」と、ドロシーは平静を装って返事をしたが、頬は赤らみ、左足はタンタンと8ビートを刻んでおり、明らかに羞恥心が見て取れた。愉快な奴だな、と俺は思う。

「その、加賀谷ひかりが、私に何の用だ?」

「まず、名前を教えて、と言ったのだけどね。」

 ドロシーの顔はもう真っ赤だ。

「・・・・ドロシー・ゲイル。」

「ホント?本当に本名がドロシー・ゲイル?それだったら、こんな奇跡は他にないよ!」

そう言って、加賀谷ひかりは目を輝かせた。対して、夏入ドロシーの目は少し淀んだ。


 アスファルトニガム高校の魔女事情については、昔、人間の顔をした悪魔ではないかと俺が疑っている男、仲睦正志から聞いたことがある。

 各部活動が新入部員獲得に躍起になっていた、今年の四月の話だ。人がいなくなった映画部の部室で、仲睦と話した時があった。

「この学校にはですね、かの有名な童話「オズの魔法使い」に出て来る魔女を模して、東西南北の四人の魔女が設定されるんです。」

 設定されるという言葉の使い方に疑問がよぎったのを察したのか、仲睦は解説を加える。

「毎年、年度初めに先生方の間で内密に決めているそうです。在校生の中でそれぞれの魔女にふさわしいと思われる女子生徒を」

 つまり、自然と魔女と言われるようになるのではなく、魔女という設定を受け継ぐ形になるわけだ。しかも、それは基本的に生徒自身には知らされず、先生同士の間でしか共有されない。しかし、毎年、東西南北の魔女を決めるという制度は知っている生徒が多い。その生徒らの中には、先生から情報を得るのが非科学的に上手な者が、数は少ないが存在する。また、教師側にもお喋りな奴はいるわけで、やがて、魔女の名前は生徒間にも浸透していくようだ。

「その魔女を決めるのって、何か意味があるのか?」

「意味はないですよ、所詮はちょっとした遊び心ですから。でも、面白いことに、魔女に選ばれた人々は、何かと権力を集めるから不思議です。」

「権力?」と俺は聞き返す。

「ええ、いわゆる、スクールカーストの頂点に立つと言いますか、その四人に従うものが自然と現れるんです。それも一人二人ではなく、四、五十人といった数十人単位です。大きな権力を持つ魔女のもとには、百人近くの手下が付いたという歴史もあるようですよ。」

「百?それはもう、全校生徒の三割近い数だぞ?」

「ええ、だから、不思議で、意味があるように思えてしまうのです。」

 そして、多くの生徒が四人の魔女の誰かに付き従うという事は、校内が四つの組織に分裂するという事を示す。まあ、だれにも従わぬ人もいるだろうから、完全に四つに分かれるというわけではないであろう。きっと、三黒さんなど純粋無垢に友情を築き上げる人は、魔女の存在すら知らずに高校三年間を過ごすのではないか。

「各四組織の全容を知りたいですか?」悪魔のように目を細めながら、ニタニタと仲睦が笑う。「お金か労働力をいただければ、情報を教えて差し上げますよ、しかもあなたには、特別に格安で提供しようじゃないですか。お得意様ですからね。」

 そう言って教典の如く分厚い本をぺらぺらとめくる。この悪魔はどうやら、全生徒の所属組織を把握していると見える。

「そんな情報いらん、知ったところで近いうちに全て忘れる。金の無駄だ。」俺がそう言うと、仲睦の目がさらに細まり、小さな黒目がぎらりと鈍く光る。何ともイヤラシイ顔つきをするものである。

「ちなみにあなたは、西の魔女に仕えていますよ。今のところ」

 それを聞いた俺は、体が固まる。高校二年生の四月における俺には、どの魔女にも属した記憶はなかった。内心の動揺を、仲睦が見逃すはずない。

「東西南北それぞれの魔女の名前くらい、あなたは一早く知っておくべきでは?」再びニヤリと口角が上がる仲睦の口元に八重歯が光る。

「いくらだ」

「魔女一人につき四百円です。名前のみとはいえ、本当は四人で二千円は頂きたいところ。それほど重要と言えば重要な情報ですからね。」

 この悪魔に金を渡すのは躊躇するが、自分がどんな立場にいるのか、知られずにはいられなかった。魔女の名を教師や数人の生徒に聞いて回る労力も出ない。そうかといって、いずれ噂が広まるのを待つのも億劫である。

「まいどあり」仲睦が千六百円を握りしめながら悪魔の笑みでそう言った後、俺にメモを渡して来た。

 東の魔女・荒井環

西の魔女・赤出ミーコ

北の魔女・加賀谷ひかり

南の魔女・君野木実

 それが、アスガム高校のスクールカーストの頂点に立つ、四人の魔女の名であった。


○ドロシー・ゲイルの見聞 二


「つまり、あなたは魔女の一人を倒したのよ。」

 北の魔女、加賀谷ひかりと呼ばれる女生徒がそう言ったけど、私は未だにちんぷんかんぷん。

 何が起きてしまっタンタンタン?飲めばわかるかな鍛高譚?誰か教えてマジ嘆願!

周りにいた吹奏楽部員は、加賀谷ひかりさんの「申し訳ないけれど、下がってもらっていいかな」という言葉に忠実に従い、今はもう各自楽器の練習に戻っていた。

「ま、いいわ」

 加賀谷ひかりさんは、そう言うと私に新たな疑問をぶつける。

「ドロシーちゃんはどうして、東の魔女である荒井環に戦いを挑んだわけ?」

 私がもじもじとして返答に困っている内に、辰野正一門君が答えてしまった。

「西の魔女と間違えたのだ。阿保だろ。」

 阿呆って、阿呆って!!

やめて欲しい、恥ずかしい。

「まあ、結果オーライよ」と強がってみると、辰野正一門君の不振な眼が私をチクチクして来た。

「西の魔女にねえ、それまたどうして」と加賀谷ひかりさんが話を進める。

「西の魔女に碧君が囚われたって、辰野正一門君に聞いたから」

「正確には、途中まで聞いたんだ。」辰野正一門君がそう割り込む。「西の魔女が誰かも教えていないのに、よく飛び出せたな。」

「吹奏楽部の人が威張っているのは知っていたから、その人かと思ったの」私はそう言って、未だ床に横たわる荒井環さんを見る。

「なるほど、そして勘違いしたまま、東の魔女を倒しちゃったのか。」

 すごいね、よくやったね、という加賀谷ひかりさんの感嘆の声。しかし、私は全然よくない。結局、碧君は囚われのままだ。

「そもそもどうして、西の魔女もとい、赤出ミーコという奴は、碧君をさらったわけ?」

 私がそう聞くと、加賀谷ひかりさんと辰野正一門君はしばらく無言であったが、やがて加賀谷ひかりさんが答えた。

「西の魔女である赤出ミーコは、映画部に所属している。おそらくだけれど、小津野をキャストとして使いたいのだと思うのよ。あれほど画面映えする男子生徒は、このアスガム高校で彼の他にいないもの。」

たしかに、私が惚れ込んだだけはある。碧君のように爽やかかつ、澄み渡る深さをもつ人はこの世にはいない。だけれど、だからって、身勝手に捕らえて良いわけない!

「イイ表情!イイ瞳!恋する乙女の炎ね」ニコッと加賀谷ひかりさんが微笑むと、脇にあるカバンから銀に光る靴を取り出した。

「これをあなたに。」

 そう言われて、つい受け取ってしまった。

「ささ、履いて!」

 そう言われて、つい履いてみてしまった。

「ぴったし!イイじゃないの、イイじゃないの。」

 そう言われて、ピカピカと銀色に煌めく靴をぼんやりと眺める。すると、耳の片隅にボスンという音。視線を上げると、私の上履きをゴミ箱に捨て終わった加賀谷ひかりさんが、ニコニコ顔で手をぱんぱんとはたく。

「その靴が、西の魔女を倒す時に役に立つ、かもしれないから。」

「なんだそれ、あいまい!」私のキッとにらむ眼光。お道化る相手は温厚。

「ま、派手だと何かと便利よ、特に人の気を引こうと思ったらね。」

 たしかに、ギンギラ銀で目立つけれどさ。

「じゃあ、西の魔女の退治、頑張ってね。」そう言うと加賀谷ひかりさんは吹奏楽部の部室を出た。出る前に、「ところであなたは、誰?ドロシーちゃんとどういう関係なの?」と素朴な疑問を辰野正一門君に聞いた。辰野正一門君は、はは、と空笑いすると「恋愛検察官だ」とだけ答えていた。

 はてはて最果て。

 それでは、西の魔女を倒しに行くか、と腰を上げたところで辰野正一門君に止められた。

「魔女の誰もが音楽だけで倒せるわけではない。」

 つまり、彼曰く、相手の自尊心を折ってこそ、退治と言えるとのこと。ではでは電話。どうすれば良いと?

「決戦は、文化祭まで待つんだ。」

「何故?」

 わからないか?と辰野正一門君が首をかしげると、指をパッチンと鳴らしてその場でターンを決めると、奇妙にカクカクと腕を動かす。そして不格好にステップする。

「ア・ア・アイツは、人気欲しさのシネマガール」

 乗ってあげようセツ・メイ・ダンス。クルッと回って髪をなびかし指をさす。

「ソ・ソ・ソレがどうしたっていうのフール」

「オ・オ・オマエが映画で上回り、鳴り止まないアンコール」

目に浮かぶは喝采を浴びてステージに立つ私。そして涙ぐむ西の魔女。

「リ・リ・リカイ、折れるプライド、打ち上げ、その日は朝までイッツ・オール」

 席の隣は碧君、エメラルドグリーンに輝く塩だれキュウリがお・つ・ま・み。

「というわけだ。」と辰野正一門君は動きを止め、急に冷静な顔をして言う。

「映画部の上映に対して、俺は写真部として写真の高速連続再生を披露して迎え撃つ。ドロシー、お前と小津野碧が出演するヒューマンドラマだ。」

 私は、恋愛ゲームのようなイベントの発生に、急激に脈が高まる。

 そうと決まれば準備しよう、と言った彼の表情は、何だか楽しそうに見えるのに、何だか少し、寂しげな雰囲気。



○小津野碧の見聞 二


「音楽が嫌いとおっしゃいましたが、小津野選手、実はギターが弾けるんですよね。」

 アナウンサーの女性にそう言われ、僕の目が少しだけ見開かれる。「してやったり」といった表情のアナウンサーは実に楽しそうだ。

「どうしてそれを?」僕は溜め息が出そうな声でそう聞いた。

「あれ?小津野選手は、あまりネットなどを見ないのですか?今、すごい有名な動画がSNSで上がっているんですよ。」アナウンサーが合図を出すとテレビ放送画面に高校三年の時の文化祭の映像が流れ出した。画質の悪さはあるが、その映像の中では、僕が肩をゆらしてギターを弾く姿が、ぼんやりと映っている。人違いだと言いたいが、ギターの弦を見るその眼の色が僕の眼の色と同じであり、否定できそうにない。

「この動画の何が驚きかと言うと、小津野選手がギターを弾いていることもそうですが、あのアイドルグループ『印旛沼トゥエンティ』でセンターを務める加賀谷ひかりが、同じステージで横に立って歌っていることです。ここに意外な繋がりがあったんですね。」

 テレビでなければ、頭を抱えたいくらいだ。

「ファンの間では、付き合っていたんじゃないかという噂も流れているわけですが、実際どうだったのですか?」

 下らない質問には答えたくなかったが、無言だとそれはそれで変なふうに勘繰られる。嫌な世界だ。

「昔から野球一筋なので、恋愛とかは一切なかったですよ。ギターも、指が器用になって変化球が上手く投げられるようになる、とか何とか言われて始めたんです。まあ、そそのかされたんですね。」

「はああ、なるほど、でも確かになめらかに指を使って弾いていますね。」と女性アナウンサーが笑みをこぼしながら映像をふり返った。加賀谷ひかり関連の話が終わったと思い、ほっとしたところでまた話がふられた。

「当時の加賀谷ひかりさんとの思い出などはありますか?」

「ないですね。加賀谷ひかりのことは、名前ぐらいしか覚えていません。」

 少し怒りっぽくなった口調に、アナウンサーは少しだけ慌てたようで、この後、加賀谷ひかりの話題は出なかった。だが、この番組を見た加賀谷ひかりのファンからは、SNSで何かと叩かれるのだろう。ま、そんなことはどうでもいい。それよりも、先ほどから液晶画面の奥から響く、けたたましい音が気になる。



○加賀谷ひかりの見聞 一


 文化祭の時の自分の姿が映された動画を見て、「若かったなあ」としみじみと思う。加賀谷ひかりは、もうとっくに大人になっている。ファンの人たち、気付いている?私は今年で二十二歳になる。あと三年経てば、アラサーだよ。やばいね。

 それにしても、この動画に映る私たちの姿は思い出深い。私の芸能界へのアピールに使うがために、スポットライトを独占すべく画策した高校最後の文化祭だった。たった一度きりのバンド演奏だったけど、あの曲を超える興奮は、アイドルをやっている限り味わえないんじゃないかな。それくらい、すごかった。



○三黒紗伊子の見聞 一


文化祭体育館ステージの演目が決定されました。夏休みが明けて二日後の朝のホームルームで、文化祭実行委員から配られたプリントをまじまじと見ます。文化祭は九月の第二週の土日ですので、あと二週間を切っています。高校生になって初めて迎える文化祭に、私の胸は近頃踊りっぱなしです。ああ、早く文化祭の日にならないですかね!

なんてことを百恵に言いますと、「カンガルー紗伊子はお気楽ね」と溜め息を吐かれました。百恵はクラスの出し物でチーターになります。どうやら、それが気の進まない原因だそうです。クラスで話し合った際に、「誰がすき好んで全身ヒョウ柄にならなきゃいけないの!?」と嘆きましたが、母親が大阪生まれであり、足も速いことから、決定を余儀なくされました。ちなみにチーター役は、ラジコンカーに巻きつけられて逃げ回るボンレスハムを目がけて、教室の一角を四つ足で追いかけることになります。なかなかハードです。どうしてチーターやカンガルーになるのかと言いますと、私達のクラスの出し物が『擬人化動物園』というものゆえです。私たちのクラスで一番可愛らしい男の子・若樹クルミ君のリス姿を見るがため、私たち自身が癒されるがために、考案された出し物なのです。

 ステージの演目が書かれたプリントに目を戻しますと、体育館ステージの演目は主に、文科系の部活動の発表や、有志のグループによる漫才やバンドの演奏があるようです。

ちゃんと、映画部の発表もあります。

 二日目の午後です。クラスのシフトを上手く調整してもらわないとですね。私はウキウキとしながら、しばらくの間、演目を眺めていました。


 その日の午後、陸上部に湧きました。虫ではありません。歓喜の声が湧いたのです。

 初めに気が付いたのは、もうすぐ教室を出ようとしていた円盤投げの高田先輩。校舎の窓から、校門に入る、その姿を発見。続いて、五千メートルの武田君。真面目な彼が、誰よりも先に集合場所であるサッカーゴール裏に着いた時でした。そして九番目くらいに、百メートル走の福島百恵。女子更衣室を先に出た百恵が猛スピードで戻って来て、私の肩をバシバシと叩きます。これでもかというほど叩きました。そしてうっすらと瞳を潤ませるのです。

「戻ってきたよ、宇佐先輩」

ピンッ!と、頭の先から踵までが真っ直ぐになって、目がぱっちりと見開かれます。その後、身体の内側から温かくて柔らかな震動のようなものが、じーんと、胸やお腹を優しく撫でるように震わせると、緊張の糸が切れるように私の身体がふにゃふにゃになりました。

「良かった。滝に打たれて死んでしまったのかと、ずっと心配でした。」

「そんなわけないじゃん、あほ!」

 そう嬉しそうに私を阿呆呼ばわりする百恵ですが、夏にあった事情を全て知っている百恵にも大きな不安はあったようです。急いで体操着に着替え、私も更衣室を出ます。

 グラウンドではすでに、早々に着替え終わった男子の数人が、銀子先輩を取り囲んでいました。それでも、遠くから走って来る私の姿に気が付くと、銀子先輩はすぐに、笑って、私に手を振ってくれました。涙を出さないようにするので必死です。

 走り寄ってガシッ銀子先輩の左腕を掴むと、その勢い良さに「おお?」と周囲が引けました。

「おかえりなさい!」

「いきなり、声が大きい」と先輩は笑顔で言いました。「実家にまで顔を出したって聞いた。心配かけてごめんね。」

 銀子先輩は、私に掴まれていない右の手を私の頬にやると、ムニムニ揉み出しました。

「なつかしい」

 久しぶりにムニムニされる私の頬が少し痛むのは、銀子先輩がパワーアップして帰って来た証拠でしょうか。

「いや、普通に感動しているんでしょ、再会できて」と、のちに百恵に言われました。

 しかし、感動の再会もつかの間、陸上部の顧問の先生が現れます。顧問の先生は銀子先輩の姿を見つけるや否や、銀子先輩を職員室に連行しました。夏の大会が終わった日から今日まで、部活に顔を出さないだけでなく、一度も連絡がつかなかったそうですから、いろいろと事情を聴かれるのでしょう。ですが、先輩は臆することなく、むしろ清々しさをもって顧問に付いて行き、「私、部長やるよ。」と話しているのでした。


 午後の練習が始まって二時間ほど経った時、銀子先輩が戻ってきました。体操着姿をしていて、やる気満々と言った具合です。

 その横には顧問の先生がいて、ピーと笛を吹いて部員を集めました。

「今から、部長を決める。来い。」

 そう言って、全員を引き連れて高跳びの練習場所に行きました。みんな不思議な顔をしています。そんな中、先頭を歩く銀子先輩が皆に向けて話しました。

「今から私が170センチに挑戦する。夏の大会で、紗伊子が失敗した記録だ。私がこれを跳べれば、私は、改めて陸上部の部長になる。跳べなかったら、陸上部を辞める。」

 皆、少しドキッとしました。夏の大会で銀子先輩が160㎝で失敗したことを、みんなが知っているからです。「辞めるまではしなくても」と小さい声が聞こえました。

「部長として、後輩に負けてはいられないからね」と銀の先輩は意気込みます。どうして、わざわざプレッシャーがかかるような事を言うのですか? 少し怒りたい気持ちが湧いてきます。

「良いんじゃない?その方がすっきりするんだろ?」

 そう言ったのは、部長が不在の中、部員を引っぱって来た副部長の黒部長介先輩でした。黒部長介先輩のくまのできた目元に、無類の優しさがありました。

「うん、ありがとう」

 では、始めてくれ、と言うように顧問の先生が銀子先輩を手で促すと、「はい」と返事をして銀子先輩が位置に着きます。他の部員は皆、高跳びマットから少し離れたところで、手を合わせて成功を祈りました。私は構える銀子先輩の足元をじっと見ました。こんなにも緊張感の走る空間にいるのです。目ではハッキリと見えませんが、きっと今も、銀子先輩の身体はじわりじわりと地面へ沈んでいるのでしょう。私は誰にもバレないように、小さく銃を構えると、ぱきゅん、ぱきゅんと、銀子先輩を撃ちました。

 たっ、たっ、たっ、と、銀子先輩が助走を始めます。銀子先輩が一足踏み込むごとに、私の目には、あの龍のように降り落ちる滝の姿が浮かびました。すごい勢いで上から圧するあの水龍のように、今、先輩の超能力が自らの身体を下へ下へと、押し付けているのです。

 しかし、銀子先輩は、身体の全て軽く浮かせるように足を踏み切り、高く、高く跳ね上がります。半身を捻り、踊り子が跳ねるように身をひるがえしたその時、銀子先輩の身体は高跳びのバーの上を悠々と超えていたのでした。ポスンとマットが音をたてると同時に、陸上部の皆の歓声があがりました。きゃあきゃあ、わあわあと歓喜の叫びがあがる中、私は一人悲鳴を上げました。蛾がこめかみに止まったのです。


 そんなことがあったその日の帰り、校門を出ようとしていると、映画部と思われる集団が校舎の脇でカメラを回していました。先輩の真剣な顔を見て、何だか少しほっこりします。久しぶりに見たというか、初めて見たのではないかというほどレアな先輩の姿でした。カメラの先には、初めて見かける女の子が銀の靴を履いて歩いています。よく見ると、その集団の中で見かけたことがある人は、先輩と脇屋さんという方だけでした。他の人は、今までの映画の中にさえ出て来たことが無い人のようです。部長の赤出ミーコ先輩は用事でもあったのでしょうか。そして、その中に一人、やたらと目立つ金髪の男の人がいて、その人が心底くだらなそうな目をしているのが印象的でした。



○若樹クルミの見聞 一


 文化祭まで残り一週間となる九月最初の金曜日に、文化祭の垂れ幕が完成した。ぼくの顔は、なんとも、フクザツな顔をしていることだろう。

「クルミちゃんのおかげだよ!」

 垂れ幕担当の女の子が目を輝かせてそう言ってきた。周りにいるクラスメイトも口々に感嘆の声をもらす。垂れ幕担当の女の子の達成感に満ちた瞳と、周りの人達が賛美する雰囲気にもじもじしてしまう。『一年生だからって、のケモノにしないで! 擬人化動物園』という文字の下に、リスになったぼくの絵が大きく描かれていた。垂れ幕に描かれたぼくには、リスと同じく、自分の頭くらいまであるふさふさで大きな尻尾が付いていて、その尾の先はくるりと丸まっていて確かに可愛らしい。頭にはこれまた丸っこくて小さな茶色の耳が付いていて、今にもぴょこぴょこと動き出しそうだ。目もつぶらで、少し上を向いて愛嬌たっぷりに上目遣いをする。口元はほんの少しだけ開かれ、上から差し伸べられたクルミの実を物欲しそうにしていた。

「これを飾るなんて恥ずかし過ぎるよ!やめて!」と言いたい。けど、すごく頑張った垂れ幕担当の人達の努力を無下にも出来ない。む~、と口が歪む。そんな様子を見て察するところがあったのか、「クルミちゃん、大丈夫だよ」と夏休みに黒ギャル化した女の子たちの一人が言った。

「恥ずかしがることなんてないよ。クルミちゃんが可愛いってのは、人類共通の認識なんだからさ。」

黒ギャル化した女の子は、そう言ってぼくの頭をなでなでする。

「ちゃん付けするな!」と言って、ぼくは少し照れながら、頭を撫でる手を追いやろうとする。しかし、腕力で負けてしまい、撫でられるのを止められない。情けないよ、まったく。


 次の日の土曜日、正午過ぎ、サッカー部の練習を終えた後、ぞろぞろと帰宅する一年生の男子を、先輩たちが「待てい、待てい」と何やらいやらしい顔で引き留めた。そして口々に言う。

「文化祭とは何か知っているかい」

「それは青春」「そして売春でもある」

「これはとある同志の名言でね」

「彼は問うた」「悪魔のように問うた」

「君らに心を癒す存在はあるか」「すなわち、好きな人はいるのか」

「それはすぐそばにいるか」「すなわち、彼女がいるか」

「解、いない」

「安心しろ」「我々の解もまた、いない」

「やんごとなき事実」

「そこで」「我々に差し伸べられた」

「隠れイベントの発生」

「すなわち、文化祭の闇」「悪魔が垣間見える」「踏み出すことを躊躇しがち」

「しかし、その悪魔の微笑みにあやからずして何にあやかる。いや、あやかるものはない」

「お!」「反語を使ったね」「現代文で習ったばかりだから、使ってみたいんだね」

「まあ、とりあえず来いよ。」

サッカー部副部長は一年生を連れ出した。ぼくたちは、校庭や部室棟、女子更衣室といった、女子の気配がするところからは一切かけ離れた、少し汚い空き教室へ誘導された。そこにはすでに部長が鎮座していて、「来たな」と、ぼくたちを迎え入れた。

 そこで、明かされる、煩究煩コンテストの概要。

 一年生男子は初め、耳を疑った。ぼくも、耳を疑った。皆、顔を見合わせて、如何にも挙動不審にキョロキョロする。だけど、次第に表情がほぐれていくと、得体の知れたむんむんとした雰囲気が溢れ出した。

 帰り道、風に吹かれる男子の興奮は静まるどころか、高まる一方だった。

「女子の写真が売り出されるって」「本当かよ、すげ!?」「おい、声がデカいぞ」「しかも、中にはSUKEBE写真もあるとか」「つまり、意中の子の桃色がこの手の中に」「イエス!その手の中に!!」「おいおい、声がデカいって」「まったく、けしからん」「違法ではないのか」「なんだ」「このムッツリーズめ」「鼻の下、伸ばすぞ」「どんな脅し?」

 写真部の部室の隣は、ストーブ保管室と言い、昔、エアコンが付く前に使っていた古いストーブをずっと放置している。設計時、何かの意図があったのか、写真部の部室とストーブ保管庫の間には二つの教室を出入できるドアがあるらしい。普段は教師でさえ踏み入れることの無いこのストーブ保管庫には、本来は鍵がかかっている。しかし、文化祭の当日にだけは、写真部側から開かれるという。どうやらこの学校に住み着く悪魔が、生徒の欲望のために尽力すると部長たちに聞いた。

 一枚、いくらなのだろう。お小遣い足りるかな?そもそも意中の人の写真はあるかな?という疑問が部員の脳内を過る。ぼくの脳内を過ったのは、女子サッカー部の夏の大会があったあの日の光景だった。カメラを持ったボサボサ頭の人が撮っていたのは、確かに、アザミ先輩だった。つまり、ぼくの目当ての物は確実にある!それがSUKEBE写真とは思えないけれど、欲しい。普通の写真でいいから欲しい!

「クルミちゃん、小学生には早すぎる。出入厳禁だぜ?」

「誰が小学生だ!」

 ぐぬぬ、と友達のからかいに真っ向から立ち向かう。すると、「お。じゃあ、狙っている人がいるんだな?」と返される。これはもう、黙るしかないみたい。顔が赤くないと良いけど。アザミ先輩への思いはバレたくない。皆すぐに冷やかすんだから。冷やされてるのに熱くなって赤くなる、顔って不思議だね。

「おい、見ろ!ミーコ先輩だ。」

 頬の赤らみを気にするぼくをよそに、皆の視線は道沿いの公園の中に集まった。

「誰?」と一人が聞き返すと「お前、知らないの?映画部三年の赤出ミーコ先輩。結構有名。」とまた誰かが答える。「結構、セクシーな服を着るよな」「映画の衣装だろ。ほら、今も向こうでカメラが回っている。」

 そこまで会話して、皆して首をかしげる。

「何で、野球部のエースが一緒に映画を撮っているんだ?」

 私服を着てカメラの前で立ち回る野球部エースは、部活で見るときとは雰囲気が少し違い、とてもクールだ。普段からクールだと思っていたが、より一層そう思える。

「カッコ良さが全てじゃないゼ」という友達の言葉には、明らかに嫉妬が含まれていた。

「可愛さが全てでもないぜ」という言葉には、明らかにぼくを嘲笑する意図があった。ぼくだって、そんなこと思ってないもん!



○ドロシー・ゲイルの見聞 三


 はてさて反転増幅回路。

 ここ最近、映画を撮っている集団を見かけた者は、きっと少なくないだろう。しかし、集団が二つあったことに気が付いた人は、はてさて、どれほどだったろう。同じことをしているように見えても、実はドロシーグループとミーコグループに分かれているのだ。共通点は、どちらもカメラを回していること。そしてどちらも、小津野碧君が出演していることくらい。

 赤出ミーコさんと、夏入ドロシーの、どちらが碧君に相応しい人間か、それを文化祭の演目で競おうというのだ。負けた方が碧君から手を引く、至極簡単な勝負となる。

「いや、待って。この勝負、僕に何のメリットがあるわけ?」

 この話が持ち上がった時、碧君は当然、そう口にした。私はぐっと、悲しみをこらえる。六度目の告白以降も彼の気持ちに変化はないみたい。

 そんな碧君を上手く言いくるめたのが、辰野正一門君とその親友だと名乗る仲睦正志君。

「高校野球アンケート調査より、カメラを意識して変な力が入って負けた投手、六十七%」「インタビューで緊張してつい下ネタを言ってしまった選手、二十八%」などなど、如何にもカメラ慣れしていないと失敗するかのような、まことしやかなデータを軸に碧君の説得にかかる。二人は、言葉もまた巧みであり、聞いている人をその気にさせるのが上手。結局、言いくるめられた碧君が「まあ、もう部活も引退したしね」という妥協のもと、勝負に参加することになった。碧君にはプロ球団から声がかかっているという噂もあり、おそらく受験勉強もしないのだろう。ただ、すでに赤出ミーコの方に時間を縛られているため、かなり苦渋していた。

 さらには、ドロシーグループの映画の都合上、碧君にギターを弾いてもらう必要がある。ギター未経験の碧君に弾かせる意志をもたせたのも、またも辰野正一門君。

「ギターを弾けるようになると手先が器用になって、変化球が上手に投げられるようになる。」

そう言って辰野正一門君が碧君をマウンドへ連れて行く。

「見ていな。カーブっていうのは、こう投げるのだよ」と何故か私を見て言って投げた辰野正一門君の球は確かに、曲がる。

「球の回転だけ見ると、こんなに曲がるようには思えないんだけどな。」とバッターボックスに立つ碧君も驚きの表情。バッターボックスの斜め後ろから見ている私にも、はっきりと曲がっていく様子がわかった。真っ直ぐ投げられたように見える球が、まるで風に運ばれるように外側に逸れ、斜め後ろに立つ私の方へ向かって来るようだ。キャッチャーを務めた脇屋空太郎君が球を止めていなかったら、実際に私のお腹に直撃かな。

「わかった。ギターの練習をしてみるよ。」

「助かる!」

私の瞳はキランキラン。

 憧れの人と共演だなんてミラクルハッピーターン。

心臓沸騰、恋の湧き水、湯気になって宙を舞う。

オズの魔法使いの物語に例えるなら、俺はイケメンな頭が欲しい案山子、脇屋は告白する勇気が欲しい獅子、そして小津野碧は、どこかで本心を隠したエメラルドシティのオズか。後は心が欲しい木こりを募集中ってところだな。

 私と二人で撮影の準備をしている時、辰野正一門君が、そんなことを言っていた。木こりを募集中ってことは、またキャストが増えるのかな。そう思って聞くと、もう新たな役は出てこないと言う。

「じゃあ、どうして?」

「例え役がなくてもいてほしいのだ、もう一人。大切な人さ。」

 彼は吐息のような、低く小さな声でそう言った。

「そういえば、辰野正一門君ってギター引けたんだね、驚き。」

「何を言ってる阿呆、俺がいつギター弾けるなんて言った。むしろ、俺はドラムを担当するからな。」ドラムの方がまだ習得が早そうだ、ギターなんて指が二〇本あっても出来そうにないな、とかブツブツ言っている。

「じゃあ、変化球は前からあれだけすごいのを投げられたの?」

 そう聞くと、「タネも仕掛けもあるんだよ、君には教えないがな。」と言われた。マジシャンみたい。いろいろと器用にこなしそう。私は、楽器ばっかりだな。

 なるほど、楽器ばっかりの女を、どうして野球一筋の男が愛そうものか。

 指で輪を作り、橙の空に浮かんだ一番星を囲んで覗く。

 何だかちょっぴり、男と女の真理に近づいたような気がした。



○先輩の見聞 二


「あなたは、何を企んでいるのかな?」

 二校時と三校時の間の休み時間、小便に向かう俺をラグビー部員と思われる大男が担ぎ上げたかと思うと、屋上に繋がる階段の踊り場に連れてこられた。そこにはすでに加賀谷ひかりがおり、俺をギロリ、とはいかないまでも、それなりに警戒したような眼つきで見ている。

「あなたは、何を企んでいるのかな?」透き通る声で、もう一度そう問うて来た。「あなたのことよく知らなかったけど、映画部なのでしょう?映画部ってことは、あなたは赤出ミーコの手下のようなものじゃない。

ドロシーちゃんには、写真部だと偽っているようだけれど。」

 俺はバレたか、と思うこともなく、「まあ、そうですけど」と答える。

「怪しいね、怪しい」とイブカシ気な眼で加賀谷ひかりが俺を見る。

「企みなんてないですよ。ただ、六度もフラれている姿を見て、流石に不憫になってしまって」

「くっつけてあげたいって?」

 ええ、と肯いたところを「うそっぽい」と即否定された。

「だって、あなた恋愛検察官なのでしょう?ドロシーちゃんなんて格好の餌食でしょう?それが急にキューピッドになるなんて。天変地異?」

 天変地異は、起きていない。

「あなたの前で恋愛検察官になった覚えはないのだが。」と話を少し逸らす。

「木実が言っていたのよ。」

 思いもよらない人物の名に、少し驚いた。勝手な想像だったが、魔女同士は仲が悪く会話もしないものだと思っていた。

「意外と仲が良いのよ?向こうはどうか知らないけれど、私は彼女を友達だと思っている。

 で、話題を逸らされたけれど、結局どういうつもりなの?ドロシーちゃんをどうするつもり?答えによっては、このままにはしておけない。」

 ドロシーちゃんをどうするつもり?と問われると、さも俺がイヤラシイ顔でとても悪いことをする男だと思われているように見えて来るのだが、誤解だ。街をチョウリョウバッコする桃色変態怪人とは違って、俺は断じて聖人君子。奈良の大仏も認めたチェリーボーイである。よって何の悪意も無く答える。どうもこうもしない、できるもんか、と。

「くくく、俺のほうこそ疑問だ。お前こそ、ドロシーの何だというのだ。そして悪いが、もう膀胱が限界だ。俺をどうしてくれようというの知らんが、このままだと先制攻撃するのは俺になる。昔、一度だけ呼ばれたあだ名のように、お前らに向かってたっしょんするはめになりそうだ。」

 はあ、と加賀谷ひかりが溜息をつくと、シッシッと手を振った。

「ドロシーの邪魔をするなら、私はあなたを放っておかない。覚えておきなさいね。」

 俺がトイレに向かって姿を消した時、ガチャリと屋上の扉が開かれると、君野木実が外から入って来た。

面白い奴だろう?と目で加賀谷ひかりに問う。

「どこがよ。」と言って、加賀谷ひかりは腕を組んだ。



○君野木実の見聞 一


この間、久しぶりに加賀谷と昼ご飯を食べた。「木実、あなた夏祭り以来、女子高生らしいことしていないでしょう。」と言われ、確かに、と思った。部活を引退して以来、青春の汗を流すこともなければ、誰かときゃぴきゃぴした覚えもない。待った、そもそも高校生ライフの中できゃぴきゃぴなど一度もしていない、する気もない。ただ、加賀谷は何故だか時折り、私を遊びに誘う。

「ランチしてショッピングをしましょう。女子高生が一カ月も家に引きこもってみなさいよ、今にもその黒髪がイソギンチャクのようにデロデロになってしまうわ。」そう誘われた土曜日、午前中に勉強を切り上げ、電車に乗って、待ち合わせの駅へと向かう。その駅近くには大きなショッピングモールがあり、ここらの女子高生がちょっと遠出するなら、大体の人がこのショッピングモールに来るらしい。加賀谷がそう言っていた。何でも、流行りの服が多いとか。

 加賀谷のことは割と嫌いじゃない。彼女が決して私のことを畏れたり、妬んだり、返って羨んだり尊敬したりしていないからだ。「木実、お前をあたしの装飾品にしてくれよう」という生意気プリンセスな気概さえ感じる。負けん気が隠しきれていない。しかし、それくらいが私も接しやすい。下手に上品な扱いを受けたって息苦しいだけだし、これくらい粗雑な関係の方が妙に新鮮でもある。加賀谷の透き通るような声もまた、何だか私の身体を洗ってくれるようで心地が良かった。もちろん男ではないので桃色の目で見ることもなければ、告白して来る心配もない。万が一に備えて、一応、足跡も触れて確認済みだ。

 その日の加賀谷は上機嫌な様子だった。昼ご飯を食べている時、会話からかんがみるに、文化祭が近いのが理由らしいとわかった。

「今年の文化祭では、誰が一番注目されるかな」ステージの演目について話題になった時の加賀谷の声が、今日一番、弾んでいた。ああ、きっと、自分が注目を集めるつもりなのだろうなと、私にはわかった。

「加賀谷じゃないの?」

とは言わずに、少し意地悪っぽく「さあ、恋愛裁判官のあいつじゃない?」と冗談めかして言った。「四方八方に飛び回り、文化祭の雰囲気にのまれて告り告られる男女を裁判にかけるだろうから、皆の恨み辛みが積もりそう。」

ケガ、しないと良いけどね。そこまで言った時、誰それ?と加賀谷が怪訝な顔をした。

「知らない?二年にいるんだよ、変な奴が。」

「その人が、あたしより注目を集めそうってこと?」

「いや、まあ、冗談だけどさ」

「冗談にしても珍しいよ、木実から他の人の名前が出るなんて滅多にないもの。」

 予想以上の食いつきに、少し身を引いた反面、いつも余裕をもっている加賀谷が少し焦っている様子なのが面白いと思った。

「まあ、あいつは隠し兵器をもっているからな」とさらに揺さぶってみる。

「それ、何のこと?」

 そう顔を寄せてくる加賀谷のおでこを押し戻して言う。

「それは秘密だ。私と、あいつだけの秘密」

「何それ、イヤラシイ。」

 そう言われると心外だが、あながち間違っていなくて、ショックだった。

「何を隠しているの、その恋愛検察官の男は!」

 だから、秘密だって。

「まあ、ヒントになるかわからないけれど、『あなたは女優にはなるな』って言われた。」

「え、そいつ何様なの?」

 加賀谷の怪訝な表情がより一層険しくなった。

そんな土曜日は確かに、ここ最近で一番女子高生らしかった。女子高生同士で話しただけだけれども。



○加賀谷ひかりの見聞 二


 あの高校三年生の文化祭の曲をやったメンバーが集まることはもうない。それぞれ進んだ道が違い過ぎるもの。

 あの瞬間にもう一度立ち会ってみたい。あの、会場が一体となった状態で、思い切り歌うことが出来た、青春真っ盛りで、自分のことばかりだった、あの時間に、もう一度だけ戻りたい。届かなくなってしまった手を、掴みたい。夏入ドロシー、あなたはどう思うか知らないけれど。



○ドロシー・ゲイルの見聞 四


 いよいよ最後の撮影が始まった、これが終わってしまえば後は本番を待つのみとなる。撮影は、学校近くにある公民館の一室でおこなわれる。黒に塗られた壁とこぢんまりした正方形の部屋は、暗くして照明をつければライブハウスに見えなくもない。

 ベンチに座ってひと息ついた私は、黄色の生地に白いフリルのついた、メイド服のような洋服を着ていた。「映画のライヴシーン、これを着て壇上へ登ってくれ」と辰野正一門君に言われて着たものだ。着てみるとスカートまで軽やかなウェーブをなびかせ、あどけなく、愛らしく私を飾っている。これがラストに繋がる重要な衣装らしい。しかし、この黄色いフリフリ・ふわーりな洋服、かなり可愛らしいのだけれど、私が着るには可愛すぎでは? 碧君が部活で良かった。この場にいたら恥ずかしくって着ていられない、と思いつつも、「似合っているよ」と言われてみたい。なんて、恥ずかしい奴。

「童話のドロシーも少しイメージしているよ」と脇屋空太郎君。

「ドロシーって、青い服のイメージだったけど?」

「お前のイメージに合わせて色を変えた」と辰野正一門君が言った。

「私のイメージって、黄色なの?」

 そう問い返すと、辰野正一門君は無言でこちらを見たかと思うと、またすぐに向き直し機材の準備に手を戻した。その様子を見た脇屋空太郎君がププッと笑う。

「あいつ、少し照れくさいんだよ。」

「どうして?」

「ドロシーさんのことを、ひまわりみたいな人だって言っていたから。何度フラれようとも希望をもって目指す方向へ顔を向けるその根性は、まるで、枯れ果てるまで太陽を向くひまわりのようだってさ。他人のこと恋愛裁判の餌にしか思っていないようなそぶりを見せながら、胸の内ではそんな風に人を見ているらしい。」

そういうのを知られるのって、かなり恥ずかしいじゃん。そう言ってまた、脇屋空太郎君はププーッと笑った。

「いいかげん、笑うな」

 ぎろりと辰野正一門君が脇屋空太郎君を睨む。

「どうせ、一つ目の曲を歌い終わったら、真っ二つに破ける服だ。大した思いはこもってない。」

「え」

 今なんか、すごいこと言っていた。

「この服、破けるの?真っ二つに?」

「そうだよ、真っ二つに破れて左右に飛んで行く。細かく言えば、ワイヤー替わりの釣り糸で引っ張られて敗れ飛ぶ。そうやって、着心地良い殻を破ることで出て来るんだよ。真の人間の姿って奴が。それはいいなって、碧も言っていたよ。ちゃんと脚本読んだか?」

 読まなかった。それに関しては私が悪いが、しかし、それでは二番はどう歌う。

「まさか、私、すっぽんぽん?」碧君のとなりで、すっぽんぽん??

 すると辰野正一門君がメガネの下の目を見開き、頬少しを赤くして叫んだ。

「そんなわけあるか!無地の白いTシャツに短かめのデニムをドレスの下に着ておくんだ!!」

 服によって現れるその素朴さこそヒロインの本質であり、物語の本質であるのだ。そう言って目をぎらつかせている。先ほどの睨むような目ではない。観衆を沸かせてやろうという野望のこもった眼だ。

 そんなこんなで、最後の撮影を行った。


 撮影が終わるとすぐに機材を片付け、公民館から引き上げた。借りていた時間をめいっぱい使って、ギリギリ、撮りたいシーンを撮り終えた。

「俺はこれから、映画の編集をしに学校に戻る。ドロシーは、本番までに歌を完璧にしといてくれ。」

「まかせて。そっちこそ演奏は大丈夫?本当は私がドラムもベースもやりたいのだけど。」

「そんなことしたら、ヒューマンドラマがただの特技披露動画になってしまう。安心しろ、プロでもない生徒になら、まあ聴ける程度の出来、くらいには仕上げる予定だ。」

 そう言って辰野正一門君はパソコンのある写真部の部室へと向かって行った。並木道を風に逆らってぐんぐんと早足で進んでいく。脇屋空太郎君も深く息をはくと、公民館のわきに止めていた自転車の近くへ寄って行き、カシャンと鍵を外した。少し黄色の混じり始めた木々の葉が、風でサワサワと音を出した。やがて、数枚の葉がひらひらと舞い、こげ茶色の地面の上に静かに落ちた。

「脇屋空太郎君」

 私は彼の後ろ姿を呼び止めて言う。彼はその場で背を後ろにしたまま、耳だけこちらに傾けた。

「私は、この文化祭を巡る道中で立ち回る人々と、その腹に抱えられた黒色の全貌を理解し切れていない。けれど、映画部の人達が何を企んでいようと、私は歌う。碧君を想って歌を歌う。」自然と、声に力がこもった。

「これは絶対よ。」

そう言って静かにその背を見つめる。

 脇屋空太郎君は振り向かないまま「そうですか、がんばってください」と言った。そしてサドルにまたがると、軽く頭をさげて自転車をこぎ出した。並木道の先、日が沈み夕闇に包まれる校舎では、ほとんどの教室に明りがつている。文化祭準備にラストスパートをかける生徒が、ちょこまかとせわしく校舎内をかけ回っているのが目に浮かんだ。

ねえ ひまわり

太陽はどこ

 探しても

 見つからないよ

 だって今は 夜だもの

 ねえ ひまわり

 太陽ないよ

 俯いて見る

 南国の空

だってそこは 昼だもの


 ぐっと握るようにバックを持つと、私は駅に向かう。やがてガタンゴトンー、ガタンゴトンー、と音が聞こえる。

「あ。三拍子。」








Act.6 たとえ瞳に映らなかろうが



○先輩の見聞 三


まがい物がずいぶんとまあ、立派に飾られているものだ。

 写真部の部室内には、緑に覆われた山々の美しい峰、空を映す鏡のように透き通る湖、永遠を思わせる大海原、藍色の空をキラリキラリと流れゆく星々など、大自然を切り取った写真が白い額縁に入れられ、質素な雰囲気のもとに飾られる。壁面も白で統一され、写真部部室内はとても清楚な印象を与える。少なくない面積を奪っていたパソコンだの、乱雑におかれていた本や漫画なども綺麗に片されている。土汚れがひどかった窓縁の隅々まで雑巾で磨かれており、これには口うるさい姑でさえ、ぐうの音も出ないはずだ。もちろん、教師が見回りに来たとしても、特に注意を受けることはないであろう。むしろ、その清潔さと大自然の美しさが目を奪い、良い意味で足を止めせることになりかねない。

そんな写真部の裏でまさか、アスガム高校文化祭史上最大の過ちが起ころうとしていることに、誰が気づくであろうか。

写真部の白い壁にある扉に『酸素、リン、リン、アルミニウム』と小さな張り紙が貼られており、唯一そこだけ、他と比べて不自然である。素人から見ると、写真の現像に使う薬品の何かかな? と勝手に推測してくれる、かもしれない。まあ、男子生徒以外のほとんどの人は、あまり気には留めないであろう。この元素記号の連鎖に気が付くのは、桃色に頭を支配されたボンクラどものみである。ちなみに私はボンクラではなかったが、仲睦の奴に教えられてしまい、意味を理解してしまった悲しき存在である。罪に問わないでいただきたい。気が付いていない人はもう、考えるな、そっとしておいた方が世の男共と、筆者のためだ。

「さあさあ、疲れた心の持ち主に柔らかな光を。孤高の哀しみに沁み入る雫を。ぐひひ。私たちが愛の戦士なのです。その手に桃色を掲げ、その眼に桃色を注ぎ、今、実像となって人々の心に届くのです。」

 白い扉の奥で、密やかに、悪魔人間が皆に囁いた。すると、男どもが希望を胸に膨らます、むんむんもんもん、むんもんむんもん、という音が聞こえてくる。世の女性共よ、見ろ。これが色欲と物欲に駆られる男どものマヌケ面である。嘆かわしいかぎりだろう、このような男たちが、今後の日本を担っていくのだ。先も知れぬ世になることは明白。女性陣に関しては、今の内に海外へ飛んでおくのも手だ。富士山ほどではないが筑波山くらいはあるはず、と自負していた自らの乳山脈が、ただの砂場の山だったと自覚する覚悟があるのであればな。外の奴らはすごいぞ、エベレスト級だ。

「いいかよく聞け」「けして女性を通すな」「見られたらおしまい」「みんなそろって停学さ」「良い写真を撮ったものほど罪はデカい」「退学も見える」「おー、コワ」「こは、いかに」「教師への警戒も怠るな」「特にオツボネ」「さすまたでファイド・アウェイされるぞ」

「では、各自担当の警備と係の時間を忘れず、桃色を遵守し、ポルノ法を脱せよ。解散!」

 悪魔人間の手下の一人がそう声を上げると、各々は散り散りになり、クラスの出し物の手伝いをしに行ったり、利益を出すために友を写真部に勧誘しに行ったりしている。俺はと言えば、最初の会場担当であった。

 校庭で、吹奏楽部が文化祭開幕を知らせるファンファーレを響かせた。



○若樹クルミの見聞 二


 おお、と人々が校舎を見上げて感嘆の声を上げた。一年生から三年生の全てのクラスの垂れ幕が校舎の三階の窓から吊るすように飾られた。各クラス工夫を凝らし、技巧を駆使した様子が見て取れ、普段見慣れた校舎の側面を盛大に飾った。その様子を見たサッカー部の人は、男子も女子も、内心でこう思ったに違いない。

「並べてみると、身長差すごいな。」

 誰かが思うだけに留めないで言った。言いやがった!

 ぼくのクラスの一年八組の垂れ幕の右隣には、二年一組の垂れ幕が張られた。その二年一組の垂れ幕には「アスガムいち、細長いチェロス」という言葉に添えて、両手に持ったチェロスを見つめるアザミ先輩の絵が描かれていた。したがって、垂れ幕に描かれた僕とアザミ先輩が向かい合って並んで立っている形になる。偶然にも足の位置は同じ高さの所に描かれているため、どちらかが宙に立って浮いている感じもない。

「いやあ、並ぶと本当にすげえ身長差だな」とまた誰かが言った。

「いや、あれ、絵だからね!?」とぼくが必死で訴えた。しかし、「現実もあんなもんでしょ」と一蹴される。

 一年八組に着くと、すでに何人かのクラスメイトが動物の格好をしていた。

「リス!」「リスちゃんが来た!」

 ぼくがクラスに入るとすぐに、すでに仮装した女子たちが走り寄って来て着ぐるみを差し出して来た。

「早く着替えてね!」「今日はあなたで稼ぐんだからね!」「いや、あたしも負けないんだからね!」とヒツジ、ビーバー、ミーアキャットの三人が意気揚々とはしゃぎ、ぼくを無理矢理にでも着替えさせようとする。あやうくズボンを脱がされかけ、きゃあ、と声が出た。

「はっ!あぶない」「クルミちゃんて幼稚園児くらいの認識でいたから」「一人じゃ着替えられないのかと勘違い!」

 ひどすぎる認識に涙が出そうになるのをこらえて、ぼくはリスの着ぐるみを受け取った。そして、教室のすみっこでめそめそしながら着替えた。そして、気づく。ぼくの出番は十一時からのはずだ。でも今は八時三〇分。こんなに早めに着替える必要性はないはずだ。気が付いたが、しかし時すでに遅し、クラスメイトの男がぼくの制服を持って教室から逃走する姿が目に映った。

「悪いけれど、今日一日リスの格好でいてもらうわ。文化祭を見て回るのはもちろん好きにしてもらって構わないけど、宣伝に協力してね。」

 フフ、と、学級委員の女子がメガネとその奥の瞳を同時に輝かせてそう言った。

「え、じょうだん、だよね?」

そう顔をあげて見回しても、誰も「冗談だよ、本気になっちゃって」とは言ってくれない。

 リスの衣装は、渾身の出来だった。衣装担当の力の入り具合は他の衣装と比にならない。フワフワとした感触から毛並の再現まで、どこまでも忠実に可愛さを求められており、「こんな可愛いもの着れるか!」と投げ捨てられないほどの執念が込められている。これを着ないで捨てたら、人としての心を疑われそうだ。

「完成したわ、これが、私たちの若樹クルミ」

 衣装担当の女子がリスの衣装を着飾った僕を見て言った。完成してたまるか!僕はもっと大きくなりたいんだよ?と、ぷっくりとほっぺを膨らせたが、文句は言えなかった。その膨らんだほっぺがプスッと指で押されて、唇の先から小さく息が出る。指の方を見ると、三黒さんだった。

「すみません、膨らんだほっぺたを押すのが最近のマイブームでして。」

 くすす、と笑うと、そのまま去っていった。三黒さんって、やっぱり不思議な人だな、と誰もが思った。

 九時になり、アスガム高校の文化祭が開幕した。校庭に並んだ吹奏楽部の吹く、ファンファーレが学校中に響き渡る。いよいよ、始まったという雰囲気が校内に漂い出す。ただ、そうは言っても、すぐにお客さんがぞろぞろと来るわけではない。最初の一、二時間は、校内の生徒達だけで楽しむ形になる。ぼくもサッカー部の友達と共に文化祭を回って楽しむことにした。『1―8 擬人化動物園 ぼくたちにエサをあげに来てね!』という謳い文句の書かれた看板を首からかけて。

「そもそも、ぼくの自由時間の配分がおかしくない?」

 ぼくの自由時間は、一日目の九時から十一時と、明日の十四時から文化祭が終わる十六時までの計四時間だ。他の人の倍の時間、クラスの方で働くことになる。その上、自由時間は客が少なく、最も盛り上がらないであろう。文化祭の最初と最後の二時間ずつだ。

「しょうがないよ、クルミちゃんは俺らの稼ぎ頭だからな」と同じクラスであるサッカー部の友達が言った。むうう、ぼくは唇を尖らせた。


「本当にここなのか?」

 写真部の部室を訪れて、友達が思わずそう声に出した。ぼく自身も、そう思ったことは確かだ。ハレンチで桃色な雰囲気とは、まるでかけ離れた場所に見えるからだ。壁に掛かる写真に映された大自然はどれも美しく、ぼくたちを普通に魅了した。

「いや、でもよ。俺たちは別の意味で魅了されたくて来たわけだが」

「先輩たちのデマだったのか?」

 友達が怪しみだした時、一人の男が扉から出て来た。やや鼻の下が伸びている。

「そうだよ。扉の奥にまた別の部屋があるという話だったじゃないか」と友達が言った。その扉には、『酸素、リン、リン、アルミニウム』と書かれている。

「やはり、この扉だな」と友達のみんなが顔を見合わせる。これ、どういう意味だろう、と疑問をもったのはぼくだけらしかった。

「クルミちゃん、もしかしてわかってない?」「体も子供、心も子供、だな」と笑われたからつい、「そんなことないもん、わかるもん」と強がってしまった。すると、優しい友達が、ぼくがわかってないことを百も承知で言った。

「じゃあ、元素記号にして横に並べてごらんよ」

元素記号?

そう首をかしげ、頭の中でO、P、P、Alと並べてみると、ぼふんと顔が赤らんだ。

「桃色ハレンチ男の仲間入りだな」と友達が笑った。

「そんな、ぼくは桃色の仲間なんかじゃない!」

「そんなこと言う奴は子供ですよ~。男は皆、ハレンチでよこしまな桃色の権化ですからね。」

 そう声をかけて来たのは、ニコニコとした笑顔がやや怪しげである、中くらいの背をした男子生徒だった。しかし、その口調はどうも人の興味を引かせる。スタッフ、とネームプレートに書かれていた。

「入るなら早く入ってくださいな。女の子が来てしまいますから。」

 ぐへへ、と男子生徒が笑う。なるほど、女子が来たらこの部屋の奥の秘密は守らないといけないわけだ。

「行くか」と言う友達に続いて、ぼくらはそろそろと扉の奥へ入っていった。



○ドロシー・ゲイルの見聞 五


 私のクラスは、焼いて売る、何を?クレープを!

今まで全くではないにしろ、あまり参加していなかった準備♪

知らぬ間に新メニュー、シフトは多忙!

 待って、待ってのテンヤ?ワンヤ?

 でも「あなたならできる」って、クラスメイト♪

 謎の信頼を胸にいざ、回せ机上のホイップクリーム!♪


 また、無駄な歌を作ってしまった。

 十二時から十四時という、最も忙しそうな時間帯にシフトを入れられた私。八時五十分現在、今は、いつものように屋上で楽器を弾きながら、ボーっとしていた。もう秋だが、今日は意外と熱い。直接日差しにあたらないよう、屋上の扉近くで座りながら、どうでもいい現状報告の唄を歌った。

「感情との、重なりが、薄そう」

 昨日、私は部屋にて、演目で歌うラストの歌の練習をしていた。すると、母が入っていきなりそう言ったのだ。びっくりしたと同時に、楽器一つ弾けない母の言い様に、少しムッとした。それもあって「私の何がわかるの?」とキツく言ってしまった。すると母は動じる様子も無く静かに言う。

「あなたの、十六年の、すべて」

 いや、そんはずないでしょ、と思う。だって人生の半分近くは学校で過ごしていて、人生の二十四分の一くらいは、ずっと友達と遊んでいるのだから。けれど母の言葉に嘘は感じない。そして、暖かな日差しと緑の木々に包まれた小川の、その小さなせせらぎのような、優しい、澄んだ水色の瞳。母は、ドイツ由来のその瞳に、いつも言葉では表せない感情をのせているようだった。その感情を私が読み取れようが、読み取れなかろうが、母には関係ないらしい。ただ、読み取られないことを恐れず、いつもその瞳に、小川のせせらぎのような、小さな意志をのせている。それがきっと、母にとっての愛情表現。そう気が付いたのは、中学校の卒業式あたりだった気がする。はい、回想終了。

 何度目かもわからない、はあ、という溜め息が出た。

「感情かあ。感情は心の勘定、なんてね。」

「クソくだらん」

 そして、意味わからん。そう言って屋上に顔を出したのは、たしか、吹奏楽部部長・荒井環だったか。今日も前髪がヘアゴムでぴょっこりとチョンマゲ風に留められている。

「お前の周り、何か臭っているな」

 皮肉な笑顔をして、そう言った。どうやら、バレていたらしい、昨日ラーメンにニンニク入れて食べたこと。

「いや、そういう意味じゃなかったんだけど!!」

 荒井環のやや大げさなリアクションを見つつ、「何の用ですか?」と聞いた。

「小津野碧という奴を巡って、いろんな人間に振り回されているみたいじゃないか。」

「うーん」という溜め息にも見える半端な返事が口から出た。確かに、振り回されていると言ってもいいのかもしれない。ただ、それがこの人に何が関係あるのだろう、という疑問が真っ先に浮かんだ。

「別に、誰が誰と絡もうが、勝手だろ」と言って荒井環は私を睨む。そしてすぐにまた皮肉めいた笑顔に戻すと、「面倒そうな構図だな。裏切りには気を付けろよ~」と言い、キッシッシと笑った。

「ああ、裏切りね」

 私の脳裏に辰野正一門君の顔が浮かぶ。あの人は何を考えているのか、全くの不明だ。小津野碧君に興味があるわけでもないだろうに、何故この案件に積極的に絡むのだろう。わははは、と笑う辰野正一門の様子が目に浮かぶ。怪しさしかない。しかし、その阿呆なツラがまえゆえに、あまり恐怖心といったものはない。

「精々がんばれよ」

 まるで、演目の失敗を望んでいるかのようなニタニタした笑みで、そう言った。そして私からギターを奪うと、ジャラランと鳴らす。どうやらギターには疎いらしく、鳴らすのに飽きると、バットのようにフルスイングをし始めた。壊したら骨も残らぬほどボッコボコにしてやる。

「で、荒井環は何をしに屋上へ来たの?」

 何故、呼び捨て? と疑問を持ちながらも、荒井環は答えた。

「何故って、私は吹奏楽部部長だぞ?」

 ああ、そうか、二学年とはいえ、お前は転校生だもんな。

荒井環は、そう言うと屋上の脇に置かれていた、茶色い紙に巻かれた長い棒ような物を手に取った。荒井環がくるくると紙をほどくと、中から現れたのは、全長二メートルはありそうなほど大きな、指揮棒である。まさか、これを振るのか、オフザケではないのか、と疑った。しかし、荒井環が持つ手元の方には、金色で『アスファルトニガム国際高校』と文字が刻まれており、どうやらこの指揮棒を振って開幕のファンファーレを響かすことが、このアスガム高校の伝統であることが窺える。

「意外と軽いんだぜ」と荒井環は得意げに棒を孫悟空が如く振り回す。そこで、ピピ、ピピと荒井環のスマホのアラームが鳴った。八時五十九分を知らせるタイマーである。礼も言わず私にギターを押し返すように渡すと、一気に、荒井環の顔は真面目なものになり、無言でフェンスの方へ歩いて行く。校庭を見ると、オーケストラのように構えて吹奏楽部の姿が目に映った。きらりきらきら、楽器が太陽光を反射する。その後ろには、準備を終え、見物しているのであろう生徒が数十名ほどいた。

 ブワンッと、指揮棒が大きく振られ、構えられる。その立ち姿は、白銀の太刀をもってして宮本武蔵との決闘へ挑んだ剣豪、佐々木小次郎を彷彿とさせる。そして、指揮を振る姿もまた、音楽家というよりは剣豪の太刀捌きに近い。ズババ、シュババ、という効果音が出て来そうな指揮に合わせ、校庭の吹奏楽部がメロディを奏でた。指揮も音も堂々たるものだが、二つの距離が遠すぎて不格好であることは否めない。したがってその全景は、ダイナミックというより、シュールと言わざるを得ない。

「まったく、こんな無駄なことを誰が思いついたのか」

 指揮を終えた荒井環が息を切らしながら、そう嘆いた。しかし、すぐに笑う。先ほどまでのような皮肉めいた笑みとは違った。

「ただ、この無駄こそが、最も愉悦」

 音楽を聴くってのは、人生にとって無駄な時間なんだよな。音楽を聞いている暇があるなら、勉強しろよって話なわけだ。でも、人はつい音楽を聴く。だからこそ、無駄であるその時間が、最も愉悦でなければならないと思うんだよ。

お前も無駄な存在になれ。

 キメ台詞のようにそう言うと、荒井環は屋上を後にした。

 私たちの演目の時間は、明日の午後だ。どんな、無駄な演目にすることが出来るのだろう、と何となく考えてみる。



○先輩の見聞 四


 三黒紗伊子、彼女に一番似合うものは、羽子板である。俺は、誰が何と言おうが、そう断言する。カンガルーも良いが、羽子板の方が上だ。いつか彼女の羽子板姿をビデオカメラに収め、ほらな、言った通りだったろう? と仲間内に自慢するのが、俺の当面の目標だ。三黒さんがひとつ羽をつくたびに、彼女の癖毛がゆれ、心も揺れる、そんな姿が思い浮かぶ。髪と心と羽子板が、三黒紗伊子という女を通して、日本女子のかくあるべき姿がこれでもかと、軟弱にとろみきった人々の脳髄に叩きつけられることとなろう。

「つまり、あなたは、本当はそんな、私欲にまみれた映画を撮りたかったはずだというのにですよ。」仲睦が、俺の顔を覗き込み、くひゃひゃと笑う。「それなのに、まだ俺の技術が足りない、最高のパフォーマンス力をもってして彼女との作品に挑みたい、なんて女々しいこと言っているから、好きでもない映画を作ってしまうのです。いくら御託を並べても、本当は、恥ずかしくって踏み切れないだけですからね。「俺の映画に出てくれ」くらい簡単に言えば良いのに。男の端くれにもおけないですねえ。」

あなたの股下には何も付いていないようだ。

「煽るなよ、仲睦。お前だとて、女と手を繋いだこともないだろうが。」

 お?そうだろ??な!?と言って、俺は歯をギリギリさせたのだった。

「人にあたり返すなんて珍しい、やはり本当に、今回は不作なようですねえ。」

 ふむふむ、と仲睦が肯く。

 別に、不作というわけではない。ただ、確かに、俺は俺の私欲を満たすために映画を作りたい。それを目的に映画部に入った。しかし、今回の映画に関しては、他人のための映画になってしまったと言わざるを得ない。俺じゃない誰かを、殴り蹴飛ばすために作った、と言っても過言ではない。いや、流石に過言かも。

 だがそれも仕方がない、見ていて無性に腹が立ってしまったんだ。一発殴らなきゃ、気が治まらん。

「普通に本人に直接言えば良いものを、映画で伝えようなんて、面倒臭い。」

 とんだ捻くれ野郎ですねえ、あなたという人は本当に。でもそこが愛おしいところですよ、きゃひひ。そう気色悪く笑うと、仲睦は俺の腕に抱き着こうとする。「気持ち悪い」と俺が正直な気持ちを言い、引っ付いてくる仲睦から逃げていた所で、扉が開いた。酸素・リン・リン・アルミニウムの扉が開いたのである。そもそもここはどこかというと、写真部の裏、ストーブ保管室である。ピンクのネオンがイヤラシイ、紳士な私には非常に似合わぬ、ヨコシマな空間である。我々はそそくさと、『煩究煩コンテスト』と書かれた看板のかかる受付の席に戻った。

 扉を開けて入って来たのは、運動部と思われる男どもと、場違い感がすごい、リスの格好をした子供である。ふわふわ感がほとばしる大きなシッポに、内なる動物愛を喚起させられそうになる。抱きしめてモフモフしたい。しかし、一五歳未満は閲覧禁止だぞ。

 運動部らしき男どもは、やや顔を赤らめながら、部屋の中を見回している。そして歩き出し、壁に貼られた写真を、まばらになれべられたストーブを避けながらじっくり一枚一枚眺めていった。

「すごいな」「本当だったんだ」「感激だぜ」「うおおお」「わくわくわく」「むんらむんら」「おい君、鼻の穴が広がっているぞ」「君こそ、血が出ているが?」「ブフ」「こっちもだね」

忙しない小声ありありと聞こえる。これくらいの桃色で浮足立つとは情けない。きっと中学生の桃色感覚から抜け出せていないウブな高校一年生であろう。その中で、リスの子のみが無言で顔をサクランボのように赤くしていた。しかし、その目にはハッキリとした意志があり、目的の物を探って、桃色の森を見渡していた。そこで、はたと気が付いた。このリス、幼子ではない。列記としたアスガム高校の生徒である。女子サッカーの夏の大会に来ていたやつではないか。たしか高瀬アザミがお目当てだったはずである。

 俺は椅子から立ち上がると、リスの男の子に近づく。リスの男の子は集団の最後尾で立ち止まっていた。視線が固まっている様子から、どうやら高瀬アザミの写真を見つけたらしい。

「よお」

 そう声をかけると、リスの子供が無音でぴょいんと飛んだ。余程の驚きを必死にこらえ、何とか声だけは出さないように頑張った、といった様子だ。おどおどしつつも、振り向いて俺の方を見ると、向こうも俺のことを思い出したらしい。あ、と小さく口を開いた。

「探している人は、やっぱりこいつか?」俺が高瀬アザミの写真を指さすと、リスの子供は目を見開いて、小さく肯いた。

「仲間の前じゃ買いづらいだろう。一時間後に一人でまたここに来い。パソコンの中には展示してはいない写真もまだあるんだ。SUKEBEと言えるほど桃色ではないが、興味あるだろう?」

 ぴょい、ぴょい、と大きな尻尾が揺れた。答えはイエスのようだ。「じゃ、また」と席に戻ろうとしたところで、服の袖を掴まれた。小さい手の指をぺこぺこさせているのは、どうやら俺に耳を貸してほしいからのようだ。少しかがむと、リスの男の子は耳元に手を添えて小さく「いくらくらいなんですか?」と聞いた。

「桃色三枚、他七枚。しめて千三百円」

 いくらでも出しそうな雰囲気があるが、欲張りはしない。俺の月の小遣いのだいたい半額だ。これくらいの金なら抵抗感を乗り越え、購入に踏み切るであろう。リスの男の子はこくりと頷くと、とたとたと仲間の後ろへ戻っていった。

「くすくす、あんな純情そうな子にもお金を出させるわけですね。」

 席に戻った俺に、仲睦が悪魔の笑みを浮かべて言った。

「順当な白い金だ。」

そして何より、恋の臭いがぷんぷんだ。裁判のいいネタである。一石二鳥だった。



○三黒紗伊子の見聞 二


 校舎内では、各クラスがお店やお化け屋敷、演劇などの催しを開きます。そしてグランドでは、各部活動が屋台を出して食べ物から謎の骨董品まで様々な物を売り出すのが、アスガム高校文化祭のスタイルなようです。また、一部の文科系部活動は校舎内でも店を構えているそうです。

「まずグラウンド見て回ろうよ。」

 百恵にそう誘われて、私たち二人はグラウンドに向かいました。グラウンドの入り口近くには、運営委員の方が子供に渡す用の風船をもって立っています。

そして、一歩グラウンドに足を踏み入れた途端、あちらこちらから宣伝の声がかかりました。

「焼きそばいかが?」「お団子いかが?」「じゃがバターいかが?」

 どれも魅力的な響きお言葉です。しかし、まだ小腹を満たしたいというほどお腹に隙はありません。

「この時間帯に見るのと言えば、陸上部の屋台でしょ。回鍋肉弁当の仕込みをする黒部先輩こそ見るべきでしょ。」

 百恵はそう言ってスタスタと歩きます。百恵は走るのも速ければ、歩くのもまた早いので、ついて行く方は競歩をさせられている気分になることがしばしばです。

「お疲れ様です!」

 陸上部の屋台に着いた百恵がそう声をかけた先には、黙々と野菜を切る黒部副部長の姿があります。彼は近所の定食屋の息子だそうで、いつも、朝練の前に父の料理の仕込みを手伝うのが日課だそうです。黒部副部長の目元にくまが絶えないのは、それが理由ですとか。その腕前は流石のもので、野菜を切るその手つきはとても洗練されています。黒部副部長の前に置かれた大玉のキャベツは、彼が持参した長方形の形をした野菜包丁でザックザクと切られ、7秒もしないうちに細切れになります。

「私が一〇〇m走っている間に、黒部先輩はキャベツを二玉も切れるのよ。」

 うっとりと、ロマンチックな口調で百恵が言います。「素敵だね」と返したら、「適当でしょ」と顔をしかめられました。

「俺は今日、昼は来れないから、よろしくな。」

 一言だけでしたが、黒部副部長が百恵にそう声をかけたので、百恵は嬉しそうです。


「やっぱり、料理できる男子ってイイネ!」

 陸上部の屋台を離れ、また歩き出してから、百恵が先ほどの黒部副部長の姿を思い返して

言いました。

「百恵は、黒部副部長を後夜祭のダンスに誘ったりしたの?」

「え?そんな、しないわよ!」

 驚かれたようで、逆に問い返されました。

「知らないの?黒部先輩の好きな人。」

 全然、知りませんでした。そんな周知の話なのでしょうか。

「銀子先輩に決まってるでしょ。」

 決まっているんですか、そうなのですか、と私は置いてけぼり感を味わいます。

「私は確かに黒部先輩のことは好きだし、カッコイイなと思うけど、それは憧れであって、恋愛感情とは繋がらないのよ。」

 わかる?と問われましたが、私にはムズカシイお話でした。

でも確か、銀子先輩は、今は引退してしまった元部長さんに好意を寄せていることを、私は知っているのです。

「逆に、紗伊子はいないの?後夜祭に誘うような人は」

「んー、そうだね。いないかな。」

「そうかあ」

 百恵が少しつまらなそうな顔をして前を向きます。きっと、「この子はまだまだちんちくりん娘だから、恋愛は先の話か。」なんて、思われているかもしれません。ですがちょっぴり、プールの日のことを思い出し、もやもやと灰色の煙を出したのは内緒の話です。


「ねえ見て、手芸部の店。あのデカいクマも手作りなのかな。」

 三、四〇メートルほど離れた所を指さして言うや否や、百恵はスタスタと歩き、大小さまざまな人形の群れが見える手芸部の出店に向かっていました。毛糸のマフラーなども売っているようで、なかなか品ぞろえが良さそうです。文化祭が晩秋に開かれていれば、売り上げもすこぶる良かったのだろうなと思いました。

 よく見ると、様々なお店があります。キャンプ部はライスクッカーという直火で白米を炊くための例の道具を使って塩おにぎりを振る舞ったり、考古学部は火打石やサメの歯の化石などを売ったりと、各部の個性を生かした出店があります。実際、興味本位で火打石を買っている人などを見かけました。それにしても百恵の歩くスピードときたら、私を振り切ろうとしているんじゃないかと疑うほどです。

「お嬢さん」

 百恵を追う途中で突然、そう呼び止められました。声をかけられた方を向くと、四畳半ほどある茣蓙を広げて座る御老人がいるではありませんか。御老人が座る茣蓙の上には、何に使うのかわからない道具が並べてあります。私がそれらの売り物をまじまじと見ていると、ご老人はにやりと笑い、目を輝かせて話しかけてきました。

「これらは全て、ゲームで使う道具さ。ゲームと言っても、機械は使わない。ボードゲームや札を使ったゲームに使うのさ。」

 わしは「真潮」という者でね、こういうのには詳しいんだ。そうおっしゃる御老人は古びてシワの寄った長いコートをはおり、首にはスカーフを巻いています。一九世紀後半の西部に暮らす年老いた旅人といったような風体をしており、正直、怪しまずにはいられないです。ですが、一九世紀後半は、ガンマンの時代であり、秘密裏にガンマンとして世に忍んでいる私は運命的な導きを感じました。

「ボードゲームですか、あんまりやったことはないです。」

「初めは、皆そうさ。だが、一たび踏み込んでみると・・・」

 御老人は両手の指を小指から順に親指にかけて、ぬらりぬらりと握り込む動作を繰り返しました。私は首を傾げながらも、その動作を真似てみます。

「思考する脳の中に、腕が、見えてくるのだよ」と、御老人は語りました。

「腕、ですか。」

「ああ、腕。次の手はどうしようか、どうしてやろうか、そう企む闇の腕が脳の中で、こう蠢くのだ。」

私はごくりと息を飲みました。御老人のぬらりと動くしわしわの指を、私は知らず知らずの内に畏れていました。

 私が再び、茣蓙の上の売り物を見た時、指先に乗せられるくらいの小さな家や都市、そして小さく短い道のような模型が私の目に留まりました。それも同じ形のものがたくさん寄せ集められています。

「これは何ですか?」とても小さな模型を指さして聞きますと、御老人は嬉しそうに言います。

「これは、カタンで使う道具さ」

「かたん?」

「ああ。この小さな模型は、ある昔の技師が趣味で自分用に作った、この世に二つとない代物なのだ。材料はその技師が住んでいた町で神木として崇められていた木の枝から作られている。」

 カタンとはそもそも何なのか、私はそれを知りたかったのですが、御老人には私の思いが伝わらぬようでした。しかし、技師が作ったというのは本当のようで、小さな家や都市をよく見ると、非常に凝った創作物であることが窺えました。流石に新品さはなく、古さを感じさせる色合いの木造模型ですが、保存状態はとても良いようで、目立つ傷はありません。

「七万円だ」

「どひっ」

 思わず声が漏れました。

「しかし、この値段じゃ高校生には買えぬだろうから、九割引きで売ろう」

 七千円ですか、ずいぶんと安くなりましたが、そもそも、カタンを知らないのです。

「すみませんが、買いません。」

 そう言わずに、手に持ってごらん。そう御老人に言われるがまま、私は小さな都市の模型を一つ手に持たされます。

「むむ、確かにこれは良い品ですなあ。」と、鑑定士を装ってみる私。「一見古びているようですが、このさらりとした木の手触りには高級感を感じます。」

「だろうとも、だろうとも」

 そう言うと御老人は小さな模型をすべて専用の皮袋に入れ、私の目の前に差し出しました。

「いえ、あの、買いませんが」

「そう言わずに。わしには見える。君は、かの土地の全てを統べる開拓者になりし女だ。」

 御老人は無理矢理、私に皮袋を握らせました。

「すみませんが、意味がわかりません。そもそもカタンが何かを教えてもらえないと」と、話していた時でした。

「いたぞ、不審者を見つけた。」「あの西洋かぶれの爺さんか!」「確保!」と声がしたかと思うと、文化祭運営委員という腕章をつけたラグビー部と思われる男子生徒二人が駆け付けてきました。そして、あっという間に御老人を確保します。

「文化祭だろう?老人が学校にいても不審者とは限らないはずさ。」

 御老人はラグビー部の腕の中にいても、落ち着いた様子でそう言いました。

「無許可で謎の物を売っている奴が、不審者でない証拠があるか?」

 オッホッホホホホ、たしかに。と御老人は笑いながら、引きずられて行ってしまいます。御老人が売っていた物も、茣蓙ごと丸め込まれてもう一人の男子生徒に運ばれて行きます。

「お嬢さん、それを大事に持っといてくれ。」

 御老人は、私が手に持ったままだった木造の模型の入った皮袋を指さしました。その表情には、本当に焦りなど見えず、ただ成り行きに身を任せて人生を楽しむかのような穏やかな顔です。そして、穏やかで優しい笑顔のまま、どこかへ連れて行かれました。

私の口がポカーンとだらしなく開けられているところへ、何してるの?早く来てよ、と百恵が戻って来ました。皮袋を見た百恵が問います。

「何それ」

「カタンの道具、らしいよ」

「オカンの道具?」

家計簿でも入っているの?百恵がそう言って首を傾げました。



○先輩の見聞 五


 リスの格好をした男子生徒に声をかけてから五十四分後、再び、リスがシッポをふりふりさせながらやって来た。二回目の訪問であろうとも、この桃色の威圧を前に頬が赤らんでしまうのはわかる。俺も中学生まではそうだった。

 リスの子は早く会計を済ませたいのか、ストーブ管理室の扉を開けて入って来るとすぐに俺の方へ寄って来た。

「あの、ぼくです。約束通りに来ました。」と見た目もそうだが、話し方も子供っぽいなと思っていると、「これでいいですか?」と早々に千三百円を現金で出した。

 俺は受け取るより先にリスに言う。

「こういう公の場ではない所での取引では、品を確認してから払わないと、損するかもしれない。もっと気を付けた方がいいぜ。」

 リスの髪の毛がサアッと風に吹かれたように、一瞬だけ舞い上がる。

「これが千三百円で渡そうと思っていた写真だ。」

 封筒ごと写真を手渡すと、リスはおそるおそる封を開け中身を見る。だんだんと顔がリンゴのように赤まってきて、大きな尻尾はぴょいぴょいと左右に揺れる。どうやらお気に召したようだ。

「買います。」

 そう言って渡された千三百円を、今度はしっかり受け取った。

「どうも」

 ぴょこりと頭を下げると、リスはそそくさと扉に向かい、その取っ手を押した。しかし、扉は開かなかったようである。リスは困ったようにこちらを向いた。

「どうやら表に女子がいるようだな。」俺はそう言って、説明してやった。表の方に女子や先生が来ると、係の奴が「酸素、リン、リン、アルミニウム」の扉に寄り掛かり、開けないようにするのだ。

「こっちだ」と俺はリスを手招きし、ベランダへ出る。ベランダは他の教室と繋がっており、そこを辿って俺はリスを連れて他の教室にベランダから入った。入った教室は「ボードゲーム研究会」が使っている部室である。男女どちらも入部可能であるが、今のところ男子五人という小規模な部活である。中には見知った男もおり、煩究煩を楽しみにしている阿呆である。したがってベランダから入って来たとて怪しまれない。「入口に女子がいたんだな」と自然と察してくれる。室内には店番の男が三人だけであった。室内はレトロな雰囲気で飾り付けをし、客の興味を引きそうではあるが、いろいろと見て回りたい文化祭で、長時間プレイの可能性もあるボードゲームには足が重くなるのは致し方ない。

「やっていかないか?」ボードゲーム研究会の盤田という男がそう声をかけた。見知った顔というのがこいつである。

「言われると思ったが、やらん。時間がかかる」

「せっかく景品も用意したのに」と嘆く盤田を見て、どうせ大した景品でもないだろうにと思う。

「へえ、ビデオカメラが景品なんてすごいですね。しかも、わりと最新の?」

 後ろで、リスが少し驚いた様子が見て取れるくりくりな瞳で、室内にある看板を眺めている。

 見れば、映画部のビデオカメラより良いモノであった。

「勝負内容は?」仲睦に心の内で謝る。少しの間、さぼらせてくれ。

「カタンの開拓者たち」

 かなり時間のかかるゲームだった。

「だが、仕方ない。」

「じゃ、やろう」と嬉しそうな盤田が手を前に出す。握手にしては手のひらが不自然に上に向いている。

「挑戦料五〇〇円だ。」


 俺、リス、盤田、もう一人のボードゲーム研究会の男が正方形のゲーム用テーブルに着いた。

「あの、ぼくもやるんですか?」

 リスがオドオドと俺の方を見た。

「やるんだ。金は俺が出してやるから安心しろ。」風がふわっとリスのしっぽを撫でる。

「でも、ぼくルールも今聞いたばっかりの初心者ですよ?」

「良いんだ、それで。ボードゲーム研究会の男三人を相手するよりは勝率が上がるからな」

 貴様は俺のために負けを噛み締めろ、わははは。冗談交じりにそう言うと、リスは少し安心したような、でも不服なような、珍妙な表情を見せる。しかし、珍妙な表情も幼い顔で表すと子供らしくて可愛く見えるものなのだな、と感心した。

「じゃあ、順番決めのサイコロを振って」

 盤田が俺にそう言ってサイコロを二つ渡す。俺がカッコつけて、人差し指と中指、中指と薬指の間に一つずつサイコロを挟み、いざ、ふらん!と腕を持ち上げた時だった。

「あの、すみません」という女子の声が室内をこだまする。

 聞いてすぐにわかる。見てすぐにわかる。踊る癖毛に日の丸ボイス。ジャパニーズガールの真髄、三黒さんの登場であった。



○三黒紗伊子の見聞 三


「あれ、先輩じゃないですか! そしてクルミ君も!」

 私は思わぬ偶然に、少し大きな声でそう言ってしまいました。

「三黒さん、これは何という偶然」

 先輩が指にダイスを挟んで不格好なポーズをとったまま、私を見ました。

「二人は一緒にいたんですか? どんな繋がりがあるのです?」

 私は不思議な組み合わせの二人に、思わずそう聞きます。するとクルミ君は少し顔を赤らめて慌てたように先輩の顔を見ました。

「このカタンの開拓者というゲームに勝ちたくてな。ボードゲーム研究会の三人を相手にするより、素人を一人入れた方が、勝率が上がるだろう? だからその辺を通りすがったこのリスを捕まえて誘った次第だ。」

「なるほど、それで、一緒にいるわけですか。」

「と、ところで、三黒さんはどうしてここに?」とクルミ君が聞きます。

「ま、まさか、もうぼくを引き戻しに?」

 その不安がる顔が可愛らしく、思わず笑みがこぼれます。

「違うのです。実は、変なおじさんにこれを渡されまして。」

 私は、カタンで使う道具の入った皮袋を見せながら、先ほどグラウンドで起きた出来事を伝えました。

「真潮って、もしかすると、真潮教授のことか?」

 話を聞いていたボードゲーム研究会の一人が詰め寄って来ました。

「こいつは、盤田という男だ。」そう先輩が解説を加えます。

「おっと、失礼。盤田です。」

「三黒紗伊子です。」

 お互いに自己紹介を終えると、盤田さんは話を戻します。

「真潮教授と言えば、考古学の中でも世界の生活文化について研究していた学者さ。その真潮教授が何故、アスガム高校の文化祭で勝手に出店を出したんだ?」

 そう聞かれましても、私もよくわかりません。

「しかも、そのカタンの道具をあなたに渡して消えるとは、謎は深まるばかりだ。」

 消えるというか、連れて行かれたのです。

「あまり三黒さんを困らせるな。」と先輩が割って入ると、盤田さんは「ごめん、ごめん」と謝りました。

「それより、せっかくだ。三黒さんも、そのカタンの道具を使ってこのゲームに参加しないか?」

 先輩の誘いに私は肯き、『カタンの開拓者たち』というこのボードゲームをやってみることにしました。


 初めて知りましたが、この『カタンの開拓者たち』というゲームは世界的な人気を誇り、ボードゲームの王様とも言われているそうです。

 このゲームでは、カタンという無人島を舞台に拠点となる開拓地を建て、島全体を開拓していきます。勝負を決めるのは他の対戦相手との開拓の速さです。拠点を増やしたり、都市を増やしたり行路を伸ばしたりと、開拓する中でもらえる得点を先に一〇点先取した人が勝利だそうです。

「まずは、それぞれのプレイヤーごとに最初の拠点を二つ決める。」

 そう言って、先輩が私にルールを説明しながらゲームを進めてくれます。テーブルの上には、六角形の形をした開拓地カタンが広がり、その中をさらに小さな六角形のパネルで土地が分けされています。草原、鉱山、麦畑、森、岩場(丘陵と言うそうです)のパネルがそれぞれ三枚ずつと、荒野のパネル一枚が並べられ、その上には数字のかかれたマーカーが置かれています。真ん中の荒野には、私が持って来た皮袋の中に入っていた木彫りの模型が置かれました。これはどうやら、盗賊の模型らしいです。

「拠点の場所によって手に入る資源とその入手率が違うから、よく考えて置かなければならない。二つのサイコロをふり、その合計値が書かれたマーカーの土地に拠点を置いていると、その土地の資源をもらえる。」

「だから、勝負は拠点を置く、この瞬間から始まっているんだ。」

「ま、やっていくうちにルールもわかるだろう。そんなに複雑ではないよ。」

 先輩と盤田さんが楽しそうに話しながらゲームを進めます。

 私は、真潮と名乗ったお爺さんから渡された模型の一つをなでなでしてみます。つるつるでいてサラサラな、心地の良い触り心地です。他の皆さんが使う普通の模型はプラスチックであり、ちょっとした特別感は確かに嬉しいものです。


 ころころと サイコロ二つ 転げ行き

 一心不乱 阿呆そのもの             三黒紗伊子


 風吹けと 出目を六にと 願う様

 ああ無謀なる 友の愚考よ            盤田雀介


 願うのは 起死回生の 数字のみ 

 我が衣手に 賽をかすめて            辰野正一門


 未だにさ 何が何だか わからない

 何を集めて 何を建てろと            若樹クルミ


 なるほど、ルールを理解し始めるとその面白さを実感してきます。運の強さが味方に付けばもちろんのことですが、敵とのやりとり次第で手が進んだり妨げられたりと、なかなかプレイヤーの技能と判断力が試されます。

「リス!何故だリス!何故、盤田の行路を塞がない。奴のねらいは最長行路所持による二ポイントだ。行路を繋げられる前に防がねばならないというのに!」「ああ三黒さん、盤田の奴と資源の交換をするな、君にとっては良いかもしれぬが、盤田を潤すのはよせ!」「盤田、貴様その鉱石をよこせ!」

 先輩はいつも以上に楽しそうに舌を回します。まるで、小さい子供の様です。

「先輩、良かったですね。」

「何がだ、勝つビジョンが一向に見えん。」

「でも、初めてです。こんなに胸を躍らしている先輩の姿を見るの。」

とてもとても、とっても楽しくて仕方がないのでは?

 少し恥じるように顔を背くと「この世にはつまらん物の方が多いからな。普段暗いのはそのせいだ」と冗談を言いました。

「麻雀の時の方がもっとすごいよ、喋りまくってうるさいったら仕方がない。話す内容もますます意味不明だし」

 盤田さんがそう口をはさみました。

「余計なことを言わないでいい。それよりお前の番だぞ、一〇を出せ。」

 今、先輩は一〇の出目が出ると、麦三枚と木二枚もらえるという、カモンイチゼロ状態に発展させています。本当は六や八の方が、出目が出る確率が高いのですが、六と八の領土は盤田さんが拠点を次々と立ててしまっているのです。私も先輩も、最初の拠点を置く段階で六や八の周りを取ってはいたのですが、資源の獲得量は盤田産が一番多く、私たちに不利に動いてしまいます。ですので、何か手を打たねば勝ち目はありません。

 照明が落ちたかのように辺りが暗くなったように感じました。

 盤田さんと先輩を見ると、ウググググッと背後から大きな黒い腕を伸ばし、盤面を動かすように指をふるふると動かします。

「これは、お爺さんが言っていた例の腕?」

 ふはは、ようやく思考を盤上に乗せられたな。

 ぎらりと私を見る、光るような視線の先にいたのは、お爺さんから受け取った盗賊の模型でした。



○先輩の見聞 六


 来た。三黒さんが来た。

 ボードゲームにのめり込む者のみが立つと言われる、机上の空論に基づく盤上の空論界。暗黒に染まる真っ黒な空。空を走る蛍光色じみた紫色の緯線経線。その紫の線が空間内をぐぬぐねとうねり、めぐる思考回路をより難解なメカニズムに仕立て上げる。繰り返す思考のなかで勝利への筋道を積み上げては、現実で起こる盤面の地殻変動によりその筋道を壊される、ちいぽけな想像かつ創造の世界に、彼女が踏み入れたのだった。

 盤田も予想外であっただろう。もはや勝負は俺と盤田の一騎打ちだとばかり思っていた。

 しかし、彼女がここに来たのは悪くない展開である。俺も得点は今、七点。対する盤田も七点だが、おそらく次か、その次の番で都市を増やしすぐに点が上がるだろう。伏せてある三枚の発展カードの中に、得点を一点プラスするカードがあれば、勝利をかすめ取られる可能性が高い。ここは、三黒さんの力で盤田を牽制しつつ、俺の勝利を引き寄せたい。キーカードは発展カードで引いた『資源独占権』。このカードを使えば、ある一種類の資源を全員から没収し我が物にできる。妨害と発展を兼ね備えたコイツをどのタイミングで使ってやろうか。黒い腕がうごめくのを存分に感じる。

「あ、七が出ました。」

 えーと、盗賊はここで。

三黒さんがそう、躊躇なく盗賊を動かした箇所は、五の出目の鉱山であった。むう、盤田が唸る。俺も同じ気分だ。一番出やすい六や八でなく、俺と盤田を同時に抑え込む箇所をついて来た。後半戦になって鉄鋼が手に入らないのは痛手である。

「発展カードを取って終わりです。」

 三黒さんが、盤の一点を見つめながら、親指を軽く唇に当てる。

 俺の番だ。一〇を出す、さもなければ彼女の親指になりたい。



○ドロシー・ゲイルの見聞 六


 くだらん。実にくだらんよ、チェリーボーイども。

 そんなふて腐れたことを思いながら、体育館の壁から背を離した。明日のステージで、客から私たちがどんな風に映るのか、ちょっと想像しようかと思って来た体育館。ステージではお笑いクラブが漫才を披露していたけれど、私的にはノンタレント。次も見たいとは思えないな。

「ただ、僕らがこれより良いものを人に見せられるかというと、正直自信がないけど。」

「え、ここに来てナイーブ気味ですか?」

横で話をするのは、まさかの碧君なわけだけど、彼の心はあんまり踊ってない様子。体育館出入り口で偶然バッタリ出くわして、「もう少し前で見ません?」と如何にも気軽さを装って聞いたところ、桶もひっくり返るようなびっくりオッケー。私はるんるんらんらん、るんらんるんらんだったわけ。だけれど、今は少し気が重い。碧君、基本マイナス思考なんだ。どの演目見ても、「微妙。でも、俺らもあんなもんなんだろうな」という具合。まったく、気持ちが晴れる様子がない。

「やるだけやれば、それなりに満足! 碧君は無駄な思考が多いんですよ!」

「さっき、無駄こそが至高だって、僕に熱弁していたのは君だけど。」

フッと鼻で笑われます。確かにそう話した気がしますけど、それは音楽に限っての話であって、と言い訳するべく啖呵を切ろうとしたところ、見知らぬ女性陣が碧君を囲み込んだ。

「早く来てよ、劇が始まっちゃうでしょ」「脇役でも、碧は客引きになるんだから」そんな会話を聞く限り、きっと碧君と同クラスの三年生でしょう。アスガム高校文化祭では、三年生は全クラス演劇をすると相場が決まっているのです。

「碧君、制服だから、劇には出ないのかと思いましたよ。」

 その呟きは碧君の耳に届くことなく、ステージの喧騒に掻き消される。ただ、ちらりと、三年生の女性一人がこちらを見て、何を言うでもなくまた前を向いた。

 はあ、鼻で笑われてお別れですかい。君は脳みそおサルさんでいいね、気楽でしょ。そんな意図が入っていたような気がしてなりまセンシティブモード。

 そんな私の目の先、体育館と校舎を繋ぐ道で、辰野正一門君がカメラを持った女子を連れてウォーキング。というか、メイキング?女の子はカメラを回して辰野正一門君を撮っている様子。白い花びらを揺らすタマスダレの植わる花壇、その花に水をやる少女の脇を軽い足取りで通っていった。

「お前、恋愛裁判官が、女の子を連れて歩いちゃだめだろう。」

 少し憎しみが増しました。明日の演奏、荒れそうです。

 明日の演奏、荒れそうデス。

 君の沈黙、見れそうデス。

恋は盲目、それ夢デス。

 みんな刮目、最高デス。

 黙々、黙々、ビートを刻む、エイトビート、肉はミート、スーってするのはそれミント。

 明日のパーティー、荒れそうデス。

 君のパンティ、見れそうデス。

 恋はたいてい、それ夢デス。

 みんなサンデー、最高デス。

 カモン・ザ・ライブ、カモン・ザ・ライブ

 さんくー。



○若樹クルミの見聞 三


 結局、最後までぼくには勝ち筋が見えなかった。でも、何だか凄いことが起こったのだろうなっていうのはわかる。彼女の転がすサイコロ、手から出される札、その全てが場をかき乱した。そして、嬉しそうに微笑み、癖毛をぴょんぴょんと跳ねさせていたのが印象に残っている。

 今も目の前でぴょんぴょんと跳ねる彼女の癖毛。その先を行くのが、ぼくの最大の秘密を知っている「先輩」と呼ばれる男の人だ。体育館で起こる歓声や声援のにぎやかな音、道の反対側では、白い花がジョーロから出る水を浴びる。「先輩」は気だるそうに歩きながらも、三黒さんが話す言葉には逐一返事を返している。三黒さんは、この人が文化祭の裏で何をしているのか知っているのかな。きっと知らないと思う。ぼくもそれ言ったりはしない。言えば自分もろとも土をなめることになるからだ。けれど、三黒さんなら、もしばれても、それ以上害が広がることはなさそうだ。

「じゃあ、ぼくはそろそろクラスの方に向かいますね」

 ああ、ありがとな。と「先輩」は言った。加えて、「大切にしろよ」と無音で口をパクパクさせると、わははと笑う。ぼくはちょっと照れたけれど、三黒さんは気付いていないみたいだからきっとセーフだと思う。

「そうだ! 私も行かないといけません。」

 三黒さんが、はっとしたようにビデオカメラの画面から目を離した。

「先輩、このドキュメンタリー映画の続きは、次に会った時にやりますからね!」

 そう言うとビデオカメラを、セットでもらっていたカメラバッグの中にしまい込む。そしてシュッと右足を素早く蹴り上げ空を蹴る。膝を高く上げてから、腰を捻りながらのハイキックだ。ずいぶん気合が入ったカンガルーになりそう。三黒さんの、何でも一生懸命になれる性格が、ぼくは羨ましくなった。

「憂鬱だよ」

 三黒さんとクラスへ向かう途中、ぼくは思わず言葉をこぼした。

「クルミ君は期待されていますからね、プレッシャーもあるでしょう。」

 でも良いじゃないですか、くるみをたくさん食べられるのですよ。くるみってそんなに安くないですから。なんて、無邪気に言った。こういうような、面倒臭いことに囚われない考え方を、ぼくも見習わないとな。

 うわーん、うわーん、と前方から泣き声がすると思えば、昇降口を出た所で幼稚園児と思われる男の子が泣いている。お母さんが慰めているが、泣き止む様子はない。どうしたのかと様子を見れば、空の上を指さしている。その指の先には、ぷかー、と天に昇っていく黄色い風船があった。たしか、生徒会が小さい子向けに風船を配っていた気がする。

 かわいそうに、と思いながらも、どうすることも出来ない。ぼくは申し訳なさそうに横を通り過ぎて、自分の靴箱に向かった。ふと、後ろを歩いていたはずの三黒さんの気配が消えたと思って、後ろを振り返る。

バァン。

 そんな音がした気がした。三黒さんの指で作ったピストルが、男の子の頭を捉えていた。子供は目を丸くして、泣くのをやめた。しかし、また、ボロボロと涙が溢れてきて、ぎゃんぎゃんと先ほどよりも激しく泣き始める。三黒さんを見ていなかったお母さんは、さらに困った様子だ。男の子を抱きかかえて赤ちゃんのようにあやしたけれど、あまり効果はなさそうだった。その様子を見ながら、三黒さんがフッと笑う。後ろ姿で顔は見えなかった。やがて靴箱に向かおうと身体を反転させた。するとすぐにぼくと目が合った。彼女は少し驚いたように目を広げ、すぐに、視線を逸らす。そうしたかと思うと、すぐにまたこちらを向いて、恥じるように笑うのだった。

 三黒さんは、謎の人物である。でも、今、確かに、子供の頭を撃ったのだ。

 そこへ、クラスの男友達がぼくを見つけて駆けつけて来た。そして大げさに胸を撫で下ろすじゃないか。

「子供が泣いている声がしたから、クルミちゃんが泣いちゃったのかと思ったぜ。」

 そんな大きな声で泣くか!ぼくは高校生だ!

 三黒さんはそんなぼくらを見て軽く微笑むと、ささっと上履きに履き替え、階段を上っていった。

 昇降口の窓ガラス越しにもう一度空を見ると、先ほどまで空を飛んでいたはずの黄色い風船が消えている。

 割れちゃったのかな。

 なんだろうか、この、言いようのない、不安。


 クラスで働き始めると、今までの時間が本当に今日あったことなのかと、疑うほどの忙しさを味わった。見られちゃいけない写真がカバンのなかに入っていることも忘れ、次から次へとお客の相手をした。次から次へとくるみを口に頬張り、頬張ったまま写真を取られ、ようやくもぐもぐして飲み込んだと思ったら、また新しいくるみを持ったお客さんが僕の前にいるのだ。

「うう。」

目をぎゅむってつむってみる。そうして目を開ければ、お客さんが通り過ぎているんじゃないかなっていう期待は、当たり前のように外れるのだった。

 同教室内の背面黒板向かって右奥では、バスンバスンという爽快な音が響く。カンガルーになった三黒さんが無心に、休むこともなく、サンドバックにキックを入れ続けている。極めつけにハイジャンプからの回し蹴りを決めたりする。

「すごいね」「よくこれだけきれいに足がなびくもんだ」「最早カンガルーではないね」とお客さんも見入っているようだ。さらにその横では、ヒョウ柄の服を着た福島百恵さんが、ボンレスハムを乗せたラジコンカーを追いかけている。顔を真っ赤にしていて、ちょっとかわいそうだけど、良きシュール感だ。

しばらくはそうして周りの様子を目に入れる余裕が少しだけあったけど、一時間もすれば胃もたれになった。

「うぐ。」

 胸のあたりを擦って、少しでも気持ち悪さを和らげる。

「くるみ、一袋二〇〇円でーす。リスに餌をあげていってくださーいっ!」

 クラス委員の無情な呼びかけが続く。そうか、今ぼくは「カワイイ」、そのためだけに身を売られているんだな。

 もぐ、もぐ、と必死にくるみを飲み込む時間が続いた。

 働き始めてから、どれほど時間が経った頃だったろう。ちょっともう無理かも、と思い始め、クラス委員の様子を伺いだした時だった。すっと、いつもより背の高そうな人影を感じた。

「すごい列ね。」

 自分の後ろに続く列を見る、アザミ先輩の横顔がそこにあった。アザミ先輩は髪を後ろににまとめていて、細く小さくおさまった綺麗な輪郭のラインがぼくの目に映った。そしてくるりとこちらを向くと、もう一度「すごい列ね」と言った。

「一年生でここまで集客している人、クルミくらいなんじゃない?SNSでも可愛いリスが学校にいるって話題よ。」

「え、写真が出回ってるんですか、そんなあ、勝手なあ。」

 もしかすると、小学校や中学校、お父さんお母さんにも、この姿を見られているかもしれないってこと? 一大事だよ、積み上げて来た「意外と可愛くない奴」のイメージが三たび崩れ去ってしまうじゃないか!

 ぼくの慌てふためく姿を見て、アザミ先輩は少し首を傾げた。「でも、あれ」と指をさされた先を見ると、『写真オーケー、SNSオーケー。バシバシ撮ってね!』と書かれた看板を今更ながらに見つけた。自分で自分の目が淀んだのがわかった。

「そんなに嫌なの?」

 くすくすとアザミ先輩が笑ったので、ぼくは恥ずかしくなった。

「アザミ先輩は、一人で来たのですか?」

 話題を変えようと思ってぼくがそう聞くと、僅かに間を空け、少しバツの悪そうな顔をして「ええ。」と答える。

「みんな、三年生の劇が見たいって言ってね。初めはそっちに向かったんだけど、私、あの固い座席に一時間も座ってられないのよね。」

 抜けて来ちゃった、と、今度はアザミ先輩の方が少し照れくさそうだ。

「それにしても、写真で見るよりも似合ってる。」

 アザミ先輩が手を伸ばして、ぼくの頭についている着ぐるみの耳をふわふわと柔らかくもんだ。とても気持ち良さそうにしていて、この時ばかりは衣装係に感謝だ。部活以外の場所で見るアザミ先輩の笑顔は、また違って見えた。

「木陰から顔を出したら、まるっきりリスそのものだね。」

アザミ先輩はやがて、その手でぼくの髪を撫で、ゆっくりと降ろしてゆき、ぼくの頬を優しく、二度、撫でた。

 ぼくは、身動きができず、顔も動かせず、ただただじっと、アザミ先輩を見つめてしまった。きっと顔も赤かったに違いなかった。その頬の熱が伝わったのか、アザミ先輩がはっとしたように手を離した。

「ごめん、ごめん。くるみを上げるんだったね」

 そう言うとアザミ先輩は、小袋からくるみをお皿の上にころころと出した。

うっ、と、急に胸が重くなる。涙目にもなった。でも、せっかくアザミ先輩が来てくれたのだ。つまらない思いはさせられない!

 お皿に載ったくるみにぼくは手を伸ばした。すると、ひゅっとお皿が引っ込んで行った。

「やっぱり、このくるみは私が食べる。」

 アザミ先輩が、くすりと微笑んで言った。

「でも、そうね、一粒ならあげるけど、どう?食べられる?」

 重くなった胸に、すっと空気が入る。ぼくは、こくりと肯いた。それを見て、アザミ先輩はひょいっとくるみを一粒空中に放る。ぼくは、慌ててくるみの下に口をもっていって、何とか上手く食べられた。

「流石、伊達にヘディング練習してないね」

 じゃ、またね、とアザミ先輩はヒラヒラ手を振って教室を去った。

 ぼくは、ぽりぽりと口に入ったくるみを食べた。

「一粒ずつ食べると、美味しいね」

 いつの間にか近くで作業していたクラス委員にそう言うと、「へえ、そういうもんなのか」とだけ返事をもらった。



○先輩の見聞 七


 三黒さんがカタンの開拓者を如何にして上がったかというと、おおよそ彼女の容姿からは想像できぬ手であった。彼女はその癖毛をフリフリと可憐に振るわせながら、盗賊を駆使したのである。手札から騎士を呼び出し、盗賊を敵の領土へと追いやる。またそれだけでなく、自ら七の出目を連発するのだ。そうなると我々の手元には資源が入らない。入らないどころか貯めておいたものまでかすめ取られる始末である。我々がどうにかこうにか資源を手に入れようとするうちに、三黒さんの領土はみるみる発展していき、その勢いのまま十得点して上がったのだった。

「待ってくれ、ちょーっとだけ待ってくれ、文化祭序盤に景品がなくなるのは困る。見逃してくれ、頼む。」

 この通りだ、と土下座までした盤田だったが、そんなもの俺が認めん。

「阿呆め、敗者に口なしと言うだろう。」

 俺は景品のビデオカメラを勝手に棚から下ろすと、三黒さんへ渡した。三黒さんは、盤田の様子を見て遠慮しそうな雰囲気だったが、そんな優しさをくれてやるほど、盤田は良い男ではないのだ。わはははは、別に悪い男でもないが。

 俺が土下座する盤田を尻目に、ビデオカメラを差し出し続けニタニタ笑みを浮かべている。その様子を三黒さんがどう思ったかわからぬが、「じゃあ、せっかくですので」と言って彼女はビデオカメラを受け取った。そしてすぐに箱を開け出すのだった。三黒紗伊子、彼女はもらったプレゼントの包み紙をすぐにビリビリ破く純粋無垢なタイプの少女だったと思われる。

「先輩は明日、新作を上映するのですよね?」

「ああ。大した作品にならなかったけどな。」

 そう答えて三黒さんの方を見ると、彼女の顔はビデオカメラに隠れていた。小さなライトが緑に点灯していた。

「撮っているのか?」

「ええ、ドキュメンタリーですよ。私はカメラを通して先輩の真理に迫るのです。」

 俺の真理とは何だ。俺の中に世の人々に見せて「おおすごい」「あっぱれじゃ」「人間国宝!人間国宝!」と言わせるほどの深みなどない。むしろ浅い。浅いのにアサリも取れないほどつまらぬ海岸沿いのような心の内だ。

「取れ高はゼロだと思うのだが」

 聞こえているであろう俺の言葉には耳を傾けず、三黒さんは質問を重ねた。

「お名前は何と言いますか?」「好きな食べ物は?」「得意なお勉強はなんでしょう?」

 小学校レベルから引き上げていくドキュメンタリーらしかった。


三年生の女子に連れられる小津野碧とそれを見るドロシーを横目に流し、三黒さんとリスの二人と別れた。その後、俺は写真部の部室へと戻る。

 部室の扉の前に来ると、何やら中が騒がしいことに気付いた。

「隊長、写真部は本日付で解体です!」「文明開化もこれまで。」「明治維新終了を宣言する!」「男子諸君は一斉に本校から立ち去れ!」「この先、お先真っ暗」「さされる後ろ指!」「情無し!情無し!」「降り注ぐ女どもの激昂の雨」「慈雨なし!慈雨なし!」「浮かび上がる退学の文字!」「誤字無し!誤字無し!」「さよならアスガム」「おはよう日本の地下帝国!!」

 うおおん、うおおんと泣き叫ぶ男の声がする。いったい何が起きたというのだ。

 酸素・リン・リン・アルミニウムの扉を、俺は勢いよく開く。目の前に現れしは、一人の女。なまめかしき桃色の明かりに照らされる白いシャツが、盛り上がる二つの山をより際立たせ、色欲を駆り立てる。大きな瞳と、ぷっくり膨らんだ唇がこちらを向くと、くくく、とシニカルな笑みが零れた。

「男どもって、本当にたわけだな。」

 君野木実であった。何故ここにいるのだ。

 まあ、それがわからなくて皆、好き勝手に絶望しているのだろうという事は明白である。アスガム高校の絶対にして絶壁、孤高のヒロインにこんな場面を見られて、恥ずかしさと情けなさに耐えられる男はいないだろう、俺を除いて。

 周りのSUKEBE写真を霞ませる君野木実の美しさに、俺は感嘆の声をあげそうになったのだった。しかしグッと抑え込む。

 仲睦はどうした、あいつなら何か手を打っていないかと思い辺りを見回すが、とっくにこの場から去ったらしく、影も見えない。奴はやはり悪魔であり、仲間の魂を君野木実に売ったに違いなかった。しかし、それを怒る気になれないくらい、俺はあの悪魔の人間めいたところを気に入っていた。諦めの境地に立ったとも言える。

「何しに来たんですか?」

 俺は肩を落として、率直に聞いた。この人も、この人で、読めない所がある。三年生であるが劇の衣装を着ずに制服で一人出歩いている辺り、クラスに馴染めていない印象を受ける。受けるというよりも、前から感じてはいたがやはりそうだったのだな、と納得したと言ってもよい。

 君野先輩は、辺りの写真を見回して言う。

「後輩君が私の秘密を暴露しているんじゃないかって、そう不安になったから、来てみたんだ。」

 不安という言葉を連想するには不可能な、堂々たる態度で俺を見るのである。むしろ不安にさせられているのは写真部側だ。

 君野先輩は、振るえる仔馬や小鹿のような写真部員の不安いっぱいの目を蹴散らすようにスカートをひるがえすと、壁に飾られた写真をいくつか取り外し、ビリビリと破いた。その動作にはためらいもなかった。ピンボケした実像の世界でテニスウェアを着た君野先輩がバラバラになって床に落ちて行く。

「秘密は、守られているようだな。」

 くく、と木実先輩は笑う。仮にも自分の写真をよくもまあ。

「きゃあ」

 突如、部室全体に大きくも小さくもない叫びが透き通る。

「木実、珍しくそっちから連絡を寄こしたかと思えば、何て所に呼び出すわけ!?」

 明らかに軽蔑し切った表情で加賀谷ひかりが入って来た。

「あたし、面白いものが見られるって聞いたのだけど?」

 ジトリとした視線を受けた君野先輩は、キキキと歯を見せて笑った。

「面白いよ。見て。あんたの写真が一枚もない。吹奏楽部の荒井環でさえ五枚はあるのに。」

「え?」

 そう声を上げたのは写真部の連中であった。「本当だ」「ないぞ」「誰だ担当は」と囁き声で声を交わし始めた。

「あのね、私は将来、芸能界へ行くの。危うい写真なんて一枚も撮らせないんだから。」

「それは母の教えか?」

 俺がそう聞くと、加賀谷ひかりは眉間にしわを寄せてこちらを向く。俺は話を続けた。

「スカートを履くという事はそれだけで、飢えたケダモノどもに餌を与えるという事。鳩に餌を上げるような楽しさがある反面、前兆二メートルの巨躯カラスのような男に襲われるきっかけにもなる。幼き頃からそう、偏見たっぷりに、母親に教えらたそうだな。」

 加賀谷ひかりの首が傾いて、眼つきを一層細くした。まるでカメムシを見るようだ。なぜ人の家庭事情を知っているのか、そう疑問に思ったことだろう。だが、動揺する様子はなかった。流石、芸能界入りを宣言するほどの人物というのは精神に鉄心でも埋め込んでいるらしい。加賀谷ひかりは眉間のしわを右手の人差し指でむにゅむにゅと直すと、遠くを見るような目をして言った。

「そうね。まるで家訓のように聞かされていた。男はケダモノ、そして、女はジャマモノってね。今思えばとてもひどい教え。」

 私が輝くことだけを望んでいたのね、と小さくもらす。

「ただ、こいつの母は、」

君野先輩が珍しく他人の会話に割り込んできた。

「こいつの母は、自身が餌と知っていて、餌として社会に溶け込んだ。それだけは勘違いしないことだな。」

 知っている。それほど有名ではなかったようだが、何度か青年誌の表紙に載ったり、深夜のドラマに起用されたりと、加賀谷ひかりの母は芸能界で活躍していた。しかし扱いは女優というよりはグラビアアイドルに近かった、というのが俺の調べである。母の影響か、己の意志か、加賀谷ひかりは自らケダモノの檻の中へ飛び込もうというのだ。そしてその中で誰よりも輝くつもりでいるらしい。おそらく、使える手は全て駆使して「てっぺん目指すゼ☆」という気概に心が満ち満ちているのであろう、というのが俺の見解だ。そして、予想の範疇に過ぎない俺の見解は、この場が済んだ後には確信に変わっていた。

「それで、私をここに呼び寄せた理由は結局何だったの?」

 迫る加賀谷ひかりに対して、君野先輩は一切引くことなく、もったいぶって応えた。

「もしかしたら、前に話した二人の秘密が見られるかも、と思って来たんだけど」

 なるほど、と肯くと俺の方を一瞥し、加賀谷ひかりは一歩引いた。

「秘密が守られてしまっていたわけか。」

 うん、と木実先輩が無言で肯いた。

「じゃあ、もう用はないわけね。」

「ないな。」

 君野先輩がさっぱりと答えると、「時間泥棒め」と悪態をついて、そそくさと部屋を出て行く。彼女のつく悪態は、その透き通る声のせいでどうも悪いようには聞こえず、むしろ親しみを感じるほどだった。なるほど、孤高のヒロインも心を許すわけだと、俺は納得した。

 スタスタと去ろうとする加賀谷ひかりを写真部の数人が引き留めて、「どうか、このことは上には内密にしていただきたい。」と膝をつき額を床に擦り付けて懇願する様子を見て、俺は鼻で笑ってしまった。

「勝手にやってなよ、私からしてみれば、周りでみんなが騒ぎ出す方が迷惑だもん。」

 その言葉に写真部総員が救われたと言っても過言ではない。公になれば、全員退学も覚悟する事案であった。今後、加賀谷ひかりの考えが変わらないとも限らないのは、あえて伏せておくのだ。

 加賀谷ひかりが行った後、先ほど膝をついて頭を垂れていた男の一人が俺のもとに寄って来て言った。

「やっぱ、加賀谷ひかりはすごいぜ。」

 その男は、他機種と比べれば比較的小型のスマートフォンの画面を俺に見せて来た。そこに映された写真には、ローアングルから撮られた加賀谷ひかりの姿があった。しかし、スカートをはいた彼女は、SUKEBE写真になるラインぎりぎりのところに足を置き、すらりと華麗に立っている。

「本当にお前らはたわけだな。鼻で笑ったのはそれでか。」

 君野先輩がまぶたを半分閉じたような目で我々を見る。心底呆れていることであろうが、これほどの美女にたわけと呼ばれることもまたそうはないと、少し得意げになる阿呆一同である。

「まあ、これだけ近くで太ももを写せただけでラッキーと思うしかないな。」と男が言ったが、俺はそうは思わん。

「全て加賀谷ひかりの手のひらの上じゃないかと思うね。きっと写真が一枚もないというのが、それはそれで悔しかったに違いない。」

「それで、頭を下げる我々の真意を読み取り、ギリギリのサービスを提供したというのか?」

 やや無理矢理な感じを否めない。しかし、絶対に違うとも言い切れない。そしてもし本当に狙い通りなら、加賀谷ひかりは間違いなく芸能界へ進むであろう。


 それ以降、これといった話題はなく、文化祭一日目は終わっていった。



○ドロシー・ゲイルの見聞 七


 一六時半すぎ、写真部の部室に集まって明日の最終打合せ。打ち合わせと言っても新しい話題はない。流す映画は出来上がっているのだ。ついに明日だね、なんて声をかけるだけだ。

「じゃあ、よろしくな。」

 辰野正一門君は、年上である碧君がいるにもかかわらず気軽な口調でそう言った。私はその様子をまじまじと見る。一見して何を企むでもなさそうな表情。時おり、瞳から目尻にかけて光の筋が差すのは、この作品に真剣さが籠っている印だと感じる。ここからこの作品を打ち壊すような事をするのかな。私はどんな裏切りに合うのかな。考えても冴えた案は出てこない。

 それでいいのさ。

 何が起きたって、私はその場で出来る全力を尽くす。

 自作した渾身の歌詞を、辰野正一門君は褒めるでもけなすでもなく、ただ、「ふん。」とだけ言ってオーケーを出した。歌う曲は二曲。一曲目は辰野正一門君の作詞した曲。二曲目が私の曲。

「それぞれの曲のターゲットが違うから、作品のまとまりとしてはイマイチになる。」

 ライヴの練習をしたある日、辰野正一門君は、わはは、と笑ってそう言った。別に後悔はないといった様子。

 何だかわからないけれど、全てをひっくるめて、私は明日が楽しみになった。何が起こるかわからない状況って不安だけど、めいっぱい生きているって感じで素敵。

 碧君は、明日のことをどう考えているんだろう。私のことは? 映画を撮り始めて何か変わったのかな。

 きっと、あまり変わってないんだろうな。

 でも、そのエメラルドグリーンの瞳に私の姿が映らなかろうが、私のやることもまた、変わらない、はずだ。



○三黒紗伊子の見聞 四


「もう少しだけ、帰り道の途中まででいいですから、続きを撮っても良いですか?」

 教室からゴミ袋をもってゴミ収集場へ向かう際、偶然、先輩とすれ違ったのです。

「映画部に寄ってから帰るが、それで構わないのなら、まあ、撮ってもかまわん。」

 先輩はそう言うと、写真部の部室へ向かって行きました。いろいろやることがあって忙しそうです。例の恋愛検察官の方は、はかどっているのでしょうか。

 そして時は過ぎ数十分後、私は映画部の部室を先輩と訪れたのです。すでにカメラは回しています。先輩はいささかイブカシ気な表情を見せましたが、撮影を断ることなく部室の扉を開きました。先輩に続いて部屋の中へ入ると、室内は妙に薄暗いのでした。照明は付いていますが明かりが弱く、天井の方がやや照らされているくらいです。パソコンの画面の方が明かりは強く、眩しく感じられました。そのパソコンの明かりが、前に座るミーコ先輩の影を大きく背後の壁に写しています。画面の中では、エメラルドグリーンの瞳を持つ三年生の先輩とミーコ先輩が、教室の中で何かを話し合っているシーンが流れている所でした。

「綺麗な映像」

 エメラルドグリーンの瞳を持つ三年生の先輩は、小津野碧という名前なのだと後で教えていただきました。彼はとても気品に溢れる男性に見えました。仕草、言葉の一つ一つが、草花を伝う朝露のように美しいのです。

「騙されるな、あれは全て作りものだ。」

 先輩が画面を睨みつけて言いました。お気に入りのおもちゃを取られた小学生のようなその言い様に、私はふっと笑ってしまいます。

「全て作りものってわけじゃないでしょ。小津野碧が二枚目なのは確かよ。」

 その二枚目をより引き立たせたのは私だけどねぇ。と満足げな笑みをこぼして、ミーコ先輩がこちらを向きました。

「彼の内気さを隠し、美しさを引き出す。そのためのストーリー展開、そのための演技指導、そのための演出方法を組み合わせた。この気品は、その賜物だわ。」

 宝石を眺めるように、ミーコ先輩は画面に映る碧先輩の瞳に魅入っています。この映像が魅力的なのは、彼の美しさは飾られた美しさではないことゆえです。それゆえに画面に映える姿に違和感がなく、いつまでも見ていたい気持ちになります。きっとミーコ先輩の技量によるものでしょう。ミーコ先輩は宝石のような彼の瞳を金や銀の枠で飾ったのではなく、ただただ磨いて、磨いて、そして、思い切って野に放ったのでしょう。すると、碧先輩の内側から飾られない美しさ、品のある綺麗な仕草や言葉が生まれたのです。こんなふうに美しく接しられたなら、私のようなちんちくりん娘にも、少女漫画のような乙女心が生まれるやもしれません。

「三年間の集大成になりそうな作品ですか?」

 先輩は棚から空のDVDを取り出しながら、横目でミーコ先輩に聞きました。

「うん、なるんじゃないかな。君のチョイスした音楽ガールには申し訳ないけど、この作品を超すとなると、もうプロが手掛けるしかないんじゃない?」

「わはは、聴いたか、三黒さん。聴いて撮ったか。大層な自信ではないか。明日の放課後、我々の映画を見て打ちひしがれるこの女に、今の言葉を三十六万回再生してやってくれ、ふはは。」

 軽口を叩く先輩に対して、ミーコ先輩は余裕の笑みを崩さないまま聞きました。

「そっちはどうなの?イイ感じ?」

「ふん、どうですかね。そもそも本質的に、俺が撮りたいものとは違ったものであることに、遅れながらに気が付きましたよ。

ただ、俺たちの思いだけはちゃんと乗せました。」

例え「駄作だ」と観衆に笑われようが、きっとあなたは笑えない。

 静かな言葉でしたが、棘のある言葉、いえ、棘と言うにはいささか丸いですかね。ですが、言葉のボールを投げつける様な言い方でした。まるでどこか、ミーコ先輩のせいにするかのような言い方に感じたのです。

「駄作でも、君の映像には力があるからね、楽しみだよ。」

 ミーコ先輩のその言葉に先輩は、いつものように「わはは」と笑います。

「我々は自分の想いを映像にする表現者の端くれ。その意識だけはこのボサボサ頭のド真ん中に据えていますよ。」

そう言うと先輩は荷物を担いで部室を出ました。


 帰り道、私は夕立の雨粒の如く、たくさんの質問を先輩に浴びせました。映画のこと、学校のこと、日常のこと、その他にもたくさん質問しました。ドキュメンタリーにしてはテーマのない、軸のブレブレなインタビューでしたが、私は楽しかったです。今まで、こんな普通の話を、先輩とはしてきていなかったことに気が付いたのです。カメラ越しの先輩は、特に映像映えするような身振り手振りなどせず、ただ純粋な自分自身をカメラに残してくれているようでした。

 さよならした道の先、小さくなっていく先輩の背中に、私は二丁拳銃を構えます。この間、西部劇の映画を見て覚えた構えです。

 ズババキュン。

 重なる銃声がカッコイイ。先輩の背中に二つの穴が空きました。

 その時、スタッと背後に人が立つ気配がしました。ヒヤリと、私の背中の温度が下がっていくのがわかります。小刻みに震える首を無理やり動かし何とか振り返ると、そこには、加賀谷ひかり先輩がいたのでした。彼女とは夏祭りに一度だけ、話をしたことがありました。

「ごめんね、突然」

 透き通るような声で加賀谷ひかり先輩が言うと、一歩ずつ私に近づいてきました。その大きな瞳はじっとこちらを見ているのがわかるほど強い眼力です。加賀谷ひかり先輩は、しばらくそうやって私のことをじっと観察し続けました。私の額には冷たい汗がじわじわと滲んで来ます。何か、失礼なことをしてしまったでしょうか。

やがて、加賀谷ひかり先輩は、怪しむように問うのです。

「今の人、辰野正一門よね?」

「はい、そうですが。」そう言って私は小首をかしげ、この人と先輩の間に関係性があったでしょうかと思考をめぐらします。

「辰野正一門が文化祭で何かを企てているようなのだけれど、あなたは知っているのかしら。」

 あのハレンチな写真館以外の話でね。

 さながら新人女警部のような立ち振る舞いで、加賀谷ひかり先輩が私にそう聞きました。しかし、私は、答えになるような事情は一切知りませんでした。

「きっと、先輩は何も悪いことなんて企てません。」

 きっと、と言うには、やけにはっきりとした言葉になってしまいました。

 加賀谷ひかり先輩は、強い眼力を緩めることなく私をじっと見つめます。そして、私の背中越しに、道の先を歩く先輩の小さな後ろ姿を見ます。きりきりと張り詰めた空気が肌を刺すようです。まるで蛇に睨まれた蛙のように、加賀谷ひかり先輩の眼力に私の精神がじりじりと追い詰められ、呼吸さえも苦しくするのです。しかしやがて、加賀谷ひかり先輩は「そうか。」と呟きます。

「悪かったわね、呼びかけて」

 ふう、と胸を撫で下ろします。

「ところで、そのピストルを撃つ真似は何の意味があるの?」

 私はまたも、心臓がどっきんと鳴りました。

「これは、西部ガンマンの気丈を尊敬する表れなのです。私は開拓者を夢見ていますので。」

 なんて下手な言い訳でしょうか。

「意味が分からないのだけど」という加賀谷ひかり先輩の言葉に、いたく同感します。

無闇に連発するのは危険でした。

まあ、無闇だとしても、無意味ではないのですが。

 バンッと、お茶を濁すように加賀谷ひかり先輩に向かって銀の弾丸を一発撃ちました。そして、逃げ出すようにスタコラサッサとその場から去るのです。しかし、悪運を引き寄せるように、目の前に犬のフンがありまして、それを寸でのところで避けたのですが、バランスを崩して変な踊りをしているみたいになってしまいました。

 その一部始終を、加賀谷ひかり先輩が無言でじっと見ていたのでした。



○小津野碧の見聞 三


「ええと、では小津野選手の高校時代の話から、日本シリーズの話に戻しますが」

 アナウンサーが手元の容姿をちらりと確認しながら取材を進める。

「日本シリーズにおいて三試合先発として登板した小津野選手ですが、中でも私達から見て一番印象に残っているのはシリーズ第五試合目、二度目の登板にあたる試合です。二勝二敗で並んでおり、今回の日本シリーズの分岐点とも呼べる試合でした。皆さんも覚えていることと思いますが、その日はシリーズきって悪天候でした。ファンも雨合羽を着て観戦する中での試合でしたね。あの試合をふり返ってどうですか。」

 その試合は僕の心にも印象的に残っている。試合開始直後、どんよりとして重たそうな灰色の雲から、さあさあと雨が降り出した。グローブの中でボールを掴む時には、何度も滑らないことを祈っていた。

「とにかく、いつも通りのプレーをしたい、と、そう思って投げました。」

 うんうん、とアナウンサーはうなずいた。

「しかし、なかなか思うようなプレーにならず、苦しんだ場面もありましたよね。七回裏、イレギュラーの不運にも見舞われ、一死満塁の場面を迎えました。」

「あの時は、一段と雨が強かったですね。」

 そうだ、あの時、雨粒は今までになく大きくなり、審判は試合の中断を視野に入れていたことだろう。監督は一刻も早くこの七回裏を終わらせたかったに違いない。しかし状況は監督の思惑とは真逆に進み、一つの油断が大失点につながる正念場を迎える。いくら強く握っても指の間からボールが滑り抜ける、そんなイメージが僕にも、キャッチャーにも、敵にも観客にも思い浮かび、期待と不安の入り混じる異様な雰囲気が球場を包んでいた。

そんな、僕にとっては最悪の場面の時だった。

突如、ドームに当たる雨音や会場の声援、味方の声までも、辺りの音が一瞬にして消えた。そして、チカッ、チカッとフラッシュバックする文化祭二日目のステージ。流れる映画のワンシーンと、透き通るような声、青い夏空を飛び交うような声。僕の頬に滴った雨の感触ははっきりしているのに、耳に入って来るのは歌声。眼に浮かぶのは敵の顔でもキャッチャーミットでもなく、銀色のマイクを握る赤く熱のこもった手と、瞳を閉じて夢中で歌う彼女、今はとても売れているらしい、彼女の顔なのだ。

「小津野碧、お前のそのエメラルドの瞳がようやく、見えないものを見始めたようだぜ。」

 文化祭一日目の終わり、一つ年下の後輩が、生意気な口調で、あざ笑うかのように、俺にそう言っていたのを思い出した。














Act.7 二重後光



●四月二十五日

○赤出ミーコの見聞 一


 ミーコはハズレくじ引いたねと、友達は私のことを不憫に思ったようだけれど、私としては別に構わなかった。何故なら私は好きなこと以外には基本、受動的にしか動かず、向こうが好き勝手にするなら放っとくだけだからだ。

「でも、存在自体が意味わからないじゃん、アイツ。本当に部活やる気あるのかな。」

 友達が言うアイツとは、この四月から新入部員としてうちの映画部に入部した男子生徒、辰野正一門のことだ。辰野正一門は、出会った当時から「辰野」と呼んでも反応しない。

部員全員を、はなから無視しようとでもいうのか。

皆が皆、彼の人間性に懐疑の念を抱いたのは当然だ。活動にも毎日参加するわけではなく、三日に一日くらいの頻度でしか来ない。しかし、来た時には、シッチャカメッチャカ場を乱す、というわけではない。名前を呼んでも反応しないが、指示はきちんと聞いているようで、与えられた仕事はこなすし、何か聞きたいことがあれば向こうから普通に質問をして来た。こっちが驚いたくらいだ。つい先日になってようやく、彼と同じ中学校出身の男から、一度あだ名になった「たっしょん」というのがどうのこうので、と言う話を聞き、妙に納得したのだった。それからは皆、用があれば「おい」と声をかけている。

 そして、何故私が不憫がられているかと言うと、辰野正一門の面倒を見るのが私の役目になったからだ。アスガム高校の映画部は伝統的に、二年生が分担して一年生の面倒を見ることになる。役者、音響、装飾など、担当ごとに分けて効率的に仕事を教えていち早く戦力にするためだ。人数がそれほど多いわけではないため、後々は他の担当の仕事もできるようになってもらうが、一年生の初めの三、四カ月、つまり夏休みに入る前までは、だいたい新入生一人に対し二年生が一人くらいの割り当てで指導に当たることになる。私は監督から演技に関してまで自分でやりたい派だけれど、一応人手のない脚本担当となった。そして脚本をやりたいと言う辰野正一門の面倒を見ることになったわけだ。

 しかし、担当に決まってここ一週間、私は特に何も指導していなかった。していないというより、できない。彼と会っていないからだ。三日に一回だったのが、一週間でゼロになった。まさか、このまま辞めるのだろうか。

 まあ、そうなったとしても、特に残念には思わないだろう。



●五月二十五日

○赤出ミーコの見聞 二


「これを読んで欲しいのですが。」

 放課後、私が部室に来ると、唐突に辰野正一門がそう話しかけて来た。手元にはびっしりと文字の入ったルーズリーフが見える。周囲の部員も少し驚かされたようで、ある者は手を止めてこちらを見ている。

「今から三年生の先輩の映画の撮影だから、その後でいいか?」

 私が答えると、「了解です。」と言って下がっていった。彼とて今日の撮影に参加し、脚本としての最初の仕事をすることになるだろう。脚本担当の最初の仕事は、雑用。何せ、他の役割と違って、撮影中にする仕事がないからだ。しかし、意外なことに彼が不満を漏らすことはない。むしろ、内心不満なのは私の方かもしれない。私はありがたいことに脇役の中では重要なポジションをもらい、演者として撮影に参加させてもらっている。演技も悪くないと、先輩からもある程度の信用を得て来た。だけれど、上手な演技をしたいだけで映画部に入ったのではない。

もっと、心の内側から、ぐわーっときて、シュルシュルふわっと終わっていくような、そんな素敵な映画を作りたい。だが先輩たちは名作映画を模倣して、二番煎じにも劣る二十五番煎じだ。最早、茶の味はしないだろう。くれぐれも口にはしないけれど。素人なのだから仕方がないと言えばそうだが、きっとこれを見た時に私が感じるのは無味無臭の水道水の味。この映画は一時間ほどの映画になる予定だが、一時間近く水道水を舐め続けるのは私にとっては苦行である。


 辰野正一門の脚本を読んでみると、初めて書いた脚本であることが手に取るように分かった。やたらと台詞で世界観や設定を説明しようとしており、動きのない会話場面が長々と続く。演技や演出に関わる指示が脚本内に少なく、役者がどう演技をすればよいのかがわからない。多々問題があった。

 それを率直に、柔らかく包むでもなく伝えると、辰野正一門は「わはは」と笑って、私が差し出したルーズリーフを受け取った。

「やはり駄作であったが、収穫を得られて良かったです。」

 ぺこりとお辞儀をされた。どうやらお礼を言われたらしい。

「君ね、それは駄作にもなってない。脚本としての機能が備わっていないもの。」

「つまり未完成。駄作にならずに済む可能性があるわけだ。」と彼が皮肉っぽく言った。クルクルと紙を縦に丸めて、できた紙筒でボサボサな自分の頭をぽんぽこ叩いている。

 時計を見れば十七時四〇分。部室に他の人影はなく、部員はそれぞれの帰路に着いたようである。私も荷物をまとめ始めた所で、辰野正一門が何気なく聞いて来た。

「赤出先輩は、三年生の作品をどう思っているのです?」

 私はサっと答えを出すことができず、言葉を探した。その間を見てか、彼は私の心内を探るように、それでいて確信をもつように言った。

「俺から見れば、ありふれた作品の二番煎じ、にも満たない、五番煎じくらいの映画に思えたのだが。」

 ふはっ、と口から空気が漏れ出し、「カカカ」と笑みがこぼれた。気付いたら肩が上下に揺れていた。

「後輩君、私は君のさらに五倍煎じたよ。」

 気が合いそうだな、と私は後輩の肩をべちりと叩いた。

「私は私で、別の映画を撮る。君も来い。」

 へーい、と生返事をもらって、私は部室を後にした。



●六月二十五日

○先輩の見聞 八


 赤出ミーコの脚本は、俺には真似できない構築力があった。その上、「ここで確実に観客を唸らせてやる」という意気込みを満タンに溜め込んだワンカットを大事なタイミングで添えて来るのだ。感情をぶちまけ、ラストで疾走する如くシーンを回したいと考える俺の映画とは、打って変わった映画が完成する。悔しいことに、それは俺が作ろうと思ったものよりも面白かった。

今、彼女が撮っている映画に出て来るのは、ただただ絵を描きたいと願う少女。美術大学の卒業を控え、夢と現実の合間を奔走する男。事情も聴かず絵を否定する幼馴染。やたらと溜息をつく学校の先生。登場人物の一人一人を見ていけば、取るに足らない普通の人間である。しかし、ラストに向けてパズルのピースを合わせるように登場人物同士の掛け合いを見せていき、最後には穴のない見事な一枚絵が現れるのだ。あれだけ溜息をついていた先生が、思いがけぬ形で少女を後押しする最後の一手になった瞬間を脚本で読んだ際には、赤出ミーコと言う女の脳みそを解剖してやりたくなったものだ。あのシーンが映像となる日が待ち遠しい。

「いつも考えているんだよ。登校中の電車の中、浴槽に浸かる夜、つまんない授業中、体育でへとへとになった時、今感じているこの想いを、どうやったら印象的に人に伝えられるのかなって。」

 やや、何だかこう話すと恥ずかしいな。赤出ミーコはそう言いつつも語るのを止めない。

「私らは、自分の想いを映像にする表現者の端くれ。想いを重視しないと、映画にはならない。ただの連続写真にしないよう気を付けないとね。」

 そう俺に向かって真摯に話す。この人は俺を、まともな映画監督にしようと目論んでいるらしい。定期的に席を外す俺をこうまで面倒見るのは、脚本担当という肩書だけだろうか。少なからず俺を見る目に桃色のトキメキがあるのではないか。そんな妄想が独りでに膨らみ、あらぬ誤解をしそうになるくらいには、赤出ミーコは俺と積極的に関わった。「後輩君、後輩君、やあやあ。」と声をかけられては、映画部のマル秘事情を聴かされたり、様々な仕事を教えられたりした。それは脚本の枠をとうに超えた仕事であり、俺は一番出席率が低いのに一番仕事を覚えるのが早い謎の新人に仕立て上げられたのだ。以後、いいように撮影に使われたのは言うまでもない。そんな俺の姿を多くの部員が奇怪な目で見るさなか、脇屋空太郎のみが、さも羨ましそうに俺を睨んでいた。



●七月二十五日

○赤出ミーコの見聞 三


 夏休み中に行う撮影のスケジュールを会議で決めた。アスガム高校映画部では、数本の映画が同時進行で撮られる。ところがカメラが一つしかないため、各制作グループが平等に撮影できるよう、きちんとカメラを使える日を分担せねばならない。

 そして今日の午後に早速、私が監督する映画の撮影初日に決まった。この夏に制作予定の映画は二本。監督は一人が私で、もう一人は三年生の先輩だ。半日だけという時間の短さに加え、朝方や午前中のシーンが撮影できない中途半端で撮影が進めにくい日程の日が後輩の方に回ってきてしまうのは、まあ、年功序列的に仕方がない。不満がないと言えば嘘になるが、文句を垂れる暇があればカメラを回したい。編集の時間も含め、スケジュール的に文化祭に余裕をもって間に合わすには、今日中に短いシーンだけでも撮影すべきだ。

そういうわけで、早速撮影を開始すべく、体育館裏へ同期の部員や脇屋などの後輩と共に向かった時のことだ。体育館入り口の横を通り、裏へ出ようとしたところで、先頭を歩く同期の男友達が手をのばして私たちを制した。

「辰野がいるぞ。」

 男友達は体育館の裏の方を見ながら小声で言った。

「あいつ、またサボったかと思えば、何をしているんだ。」

 脇屋が怒りながら裏を覗いた。私も、他の部員もそろそろと脇屋の後に続いて体育館の角から顔を出す。

 見れば、後輩君が木の上に登って二人の男女を見下ろしている。そして後輩君はメモ帳を片手に、男子生徒に向かって叫び出した。

「二年六組、遠藤ソウヤ。お前は周囲に好きな漫画は『ドラゴンポール』だと広めておきながら、自宅の本棚には端から端まで少女漫画を敷き詰めている純情乙女野郎だそうだな。しかもラインナップは『ぴかりんレボリューション』『アイカチ』『カードキャプターうめ』等々、全て女子小学生向けのものと来た。」

 後輩君の言葉を聞いている女の子の顔が、離れていてもわかるくらい曇り出した。

「ま、待てよ。カードキャプターうめは、大人から見ても傑作だぞ!いや、その前に、そんな話、誰に聞いたんだ。そもそもお前は誰だ。」

 たじろぐ男子生徒を冷ややかな目で上から見下ろし、後輩君は堂々と言った。

「恋愛検察官だ。」

 その場にいた誰もが後輩君の口から出てきた単語の意味を理解しなかったが、後輩君は構わず裁判を進めていく。

「少女漫画を読むことが悪とは言わない。男子生徒が愛読書として嗜むには正直気持ち悪さを否めないが、面白さがあることは認めよう。しかし!お前はそれをひた隠し、ドラゴンポールに身を潜めた卑怯者である。そこの女生徒、良く聞いておけ、こいつは都合の悪いことは全て嘘でごまかし取り繕う男だ。これからもこの男はより一層、趣味と性癖を開拓していくだろう。そして、それら全てを君に隠し続けて付き合っていくつもりなのだ。すると君は知らぬ間にド変態と付き合わされることになる。君とつないだ手で、君には理解し得ない趣味のあれこれを手にするわけだ。それは恐怖。それは害悪。遠藤ソウヤと付き合うことはすなわち、劇物に溺れる一匹の蟲になるようなものなのだ。」

 夏とは思えない冷たい空気がしんしんと辺りを覆うようだった。後輩君の恨み、妬み、邪悪な念、気持ち悪さ、それら全てが融合し現れ出る彼の凄み。その姿を見ていた映画部の面々は思わず唾を飲んだことだろう。十六年も生きていない君がどうやってその毒々しさを出すことができるのだ。無骨に歪む身体には狂気を孕ませ、ギラつく瞳に人の闇を映す。止め処もない負のオーラ。禍々しい。しかし彼自身、憎しみや妬みに囚われ切っている様子は決してない。

「魔」

 今の後輩君を表す言葉それだ。己の邪悪さの中に確固とした自我を確立しているのだ。

「裁判長、判決を!」

 後輩君がカッと目を見開いて女子生徒の方を向いた。びくりと女生徒の肩がすくまる。

「ご、ごめんなさいね。付き合うのは無しってことで、ね。あ、はは」彼女はそう挙動不審に言うと、そろそろと横歩きで男子生徒の脇を抜けていく。少し離れた所まで来ると女子生徒はさっと後ろを振り返った。そして、脱兎の如くと駆け出すと、一部始終を見守っていた私達の横をかすめて体育館から離れていった。男子生徒からは、声も出なかった。

 その男子生徒の頭上、木の上に立つ後輩君は天に向かって両手を合わせ合掌している。その表情は先ほどとは打って変わって清々しいものだった。ボサボサの頭が心地良く夏の風を受けて僅かに揺れている。辺りを覆っていた冷気は薄れ、暖かさが戻っていくようだ。彼のあれほど爽やかな表情は、入学して来て以来初めて見た。

「まじでわけわかんねえ。」

 脇屋がそう呟くのが聞こえた。しかし、皆の脳裏にはしかと刻まれたことだろう。名悪役を演じ、物語の核を担う後輩君の姿が。



●八月二十五日

○赤出ミーコの見聞 四


 三年生の先輩たちが私の周りに集まって来たかと思うと、それほど悪びれるわけでもなく言った。

「ごめんね、ミーコ。私ら三年がメインで作った映画、思ったより時間が長くなっちゃってさ。」

 嫌な予感が、静かな夜の波のように私に押し寄せて来た。

「文化祭のステージの演目なんだけど、ミーコたちが作った映画は上映できなくなったの。」

 私は一瞬、言葉に詰まってしまい、返答の一言目が上ずった。

「編集でシーンをカットすれば、もう少し短くなりませんか?」

 先輩の視線を避けながら私はそう言った。

「一時間半でしたよね、映画部に割り当てられた演目の時間。私たちの映画の方でも極力必要なシーンだけ残してカットしますので、四十分、いや、三十分もらえればギリギリ流せるんですが。」

 私はひやりとした汗が頬をなぞるのを感じながらそう提案した。しかし、三年生の先輩たちの表情は曇りもしなかった。

「ごめんねぇ。どこも削りたくないシーンばかりなんだよね。今回は我慢してもらっていい?」

 その問いかけは、問いかけの意味を成していないじゃないか。

 答えられずにいる私の肩に先輩は優しく手を置いた。

「部の上映会の方では、良い時間にミーコの映画を流すからさ。」

 部の上映会?

あの、校舎の隅っこにある視聴覚室でやる上映会でだけ? 朝から晩まで生徒なんてほとんど来ず、部員の保護者の一部しか見に来ないような小規模な上映会でしか、私の作品は披露されないのか。半数近くの生徒が参加し、しかも来客も豊富な文化祭ステージの演目での上映と比べれば、作品に触れる人の目の数は雲泥の差だ。


「いいんですか?ミーコ先輩」

 三年生たちが「映画の完成祝いだ」と言ってファミレスに出かけた後で、脇屋だけが、そう聞いて来た。私は歯を噛み締めるだけで何も答えられなかった。一緒に映画を作った同期の友達は皆、肩を落とすだけだった。こういうことが起きるのもある意味では伝統的で、過去の映画部にも何度かあったという。私達が入部する際に行われた勧誘上映会の時も、どの作品を流すかで揉め事になり、結局上学年優先と言う話になったらしい。そういう意味では、今度は先輩たちの映画をきちんと見せる番なのであろう。私たちの間には悔しさもあるが、仕方ないという諦めの空気も流れていた。

 沈黙の中、編集作業用のパソコンの前では後輩君がイヤホンをつけ、じっと黙り込んで三年生が作った映画を見ていた。

「おい、何で今それを見てんだよ。」

 空気読めよ、と同期の男友達が言ったが、後輩君は素知らぬ顔で画面を見続けている。男友達は舌を打ち大きく溜息をつくと、もうどうでもいいというようにカバンを肩に下げて部室を出て行った。

文化祭の迫る夏休み最後の一週間は、そんな重い空気を纏って始まったのである。



●九月二十五日

○赤出ミーコの見聞 五


 十月のカメラスケジュールを決める会議には、腹をキリキリと痛めつける様な空気が張り詰めていた。部室の扉を開けた時点で、空気の重さに頭が痛くなりそうだった。だが、これは至って仕方がない。文化祭当日の演目での光景を思い浮かべれば、当然だった。スクリーンを見て口を開けたままの者、騒ぎ立てて上映を止めようとする者、犯人の見当がついてため息をつく者など様々な人間模様が、湯が沸くように溢れ出していた。そして騒ぎの中、「黙って居座り見ろ。上映中だ。」と冷静を通り越し冷徹とも取れる言葉を放ったのは、唯一全く動揺していない後輩君だった。私には、彼が腹の底で笑っているのが透けて見えた。

部室の机中央に向き合って座る先輩たちには明らかな不満が見て取れ、辰野正一門の名を口に出そうものなら噛み殺されるのではないかと思うほどだ。

 しかし、私はもう、全て彼に背負わせてはいられない。自分だけ椅子の上でじっと黙りこくってしまえば、スポットライトの神様は今後一生、私に光を当ててくださらないだろう。

後ろの席の脇屋が、あわあわと口を震わせていることだけは容易に想像できたが、そんな想像をしたところで収まるような問題ではないのだ。いや、本当は徐々に収まりつつあるのかもしれない。私の心、以外。

三年生の現部長が会議を始める合図をした時、私は割り込むようにその場で席から立ち上がった。

「今までずっと黙っていて申し訳なかったんですが」

 背後で脇屋がぎゅっと目を瞑る。私はやや低くなった声で言った。

「文化祭の演目で、先輩たちの映画を勝手に編集して短くし、私の映画をねじ込むよう辰野正一門に命じたのは、私自身なんです。」

「はあっ?」

そう声を上げたのは三年生だけではない。一、二年生のほとんどがそう声をあげたのだった。脇屋は、くぅ、と息を漏らし「何でそんな嘘を」と小さく漏らす。

「ぶしつけで申し訳ないですが、先輩たちの映画よりも、私の映画の方が面白かったのは明らかでした。」

 同期、そして後輩たちの目が左右に揺れ続ける。頭の中では黄色の警告ランプがクルクル回っていることだろう。

「・・・・そうだね、その通りだよ。」

三年生の女子の先輩の一人が、ゆっくりと、重みをもってそう答えた。皮肉にも、時間内に二本の映画を無理矢理詰め込んだ今回の企ては、部外の人から見れば成功に見えるくらいの出来であった。先輩たちも、自分たちの映画一本ではここまでの評判は得られなかったことは理解している。しかし、私に返答した彼女の目は、私を映していない。

「観客の受けも、ミーコの映画の方が良かったよ。『高校生でこんなの作れるんだ、すごいね』って感想が、会場で受付をやっていた私の耳にも届いたくらいだし。でもさぁ、高校の文化祭で面白い映画を見せるのがそんなに大事なこと? 私達の三年間の思い出や苦労を押し退けてまで、見せなきゃいけないものなわけ?」

 明らかに怒りがこもった口調だ。むしろ、怒鳴りつけてこなかった先輩の堪忍袋の緒の固さに感謝すべきかもしれない。それでも私は、三年生の先輩と正面から向き合った。本当は文化祭が始まる前に言うべきだった。後輩君がとんでもなく阿呆で、それでいて信念のこもった行動に移ってしまう前に、私がはっきりと申しておくべきだった。スポットライトが照らすように、私は光に包まれた。

「私たち映画部は、馴れ合いで映画を作ってはいけない。私たちは表現者でなければならない。それを最も理解すべき先輩方が自分の作品可愛さにうつつを抜かし、作り上げた達成感だけで物事を図るから、辰野正一門、もとい、私のように不満を悪い形で爆発させてしまうのです。」

 私の言葉には自然と力が入り、眼には後輩君の魂が写り込むようだった。後輩君が「プリンセスモード」と称した超能力で、どこからともなく真っ直ぐな光が頭上に注がれ、熱くなった私を照らす。光のコントラストが私の勢いに拍車をかけ先輩たちを圧する。この勢い止めるべからず。私と後輩君の思いの根っこは同じだ。自分達で面白い映画を見分けられなくて、誰が映画部を名乗れようか。今こそ訴える。私たちは変わるべき時が来たのだ。

 しかし、年下の前かがみな姿勢と言うのは、先輩からしてみれば幼く見えるのかもしれない。私はすぐに肩透かしを食らった。

「もう、いいよ。」「やめろ、やめろ」先輩たちが口々に言った。もう、この話はケリが付いたかの様な口ぶりだった。

「どうしてですか?」私は一層口調を強めた。

「ミーコが嘘までついて、あいつを庇っているのはよくわかった。」

「映画に関する思いも、別に理解できないわけじゃない。」

「でも理解できたって納得できるものでもない。」

「だから、もう口を開くな。」

 先輩たち全員の視線をいっぺんに受け、私を照らす光が薄れていくのを感じた。

 でも、今ここで座りたくはない。

「口を開かないわけにはいきません。」

私はそう言って首を振る。

「私が、辰野正一門に先輩たちの映画を短くしろと命じたんです。辰野正一門は悪くない。」

「もう嘘はいいって」

「嘘じゃありません!」

「嘘だろ」

「嘘じゃあっ、ありません!」

「お前もだいぶ変な奴だな。」

 先輩たちはもうそれ以上、私に構うことはなかった。呆れた、鬱陶しい、そんな空気だ。

仕切り直すように、部長が普通に会議を始めようとした。しかし、問題は解決していないままだ。

「辰野正一門を映画部に引き戻しますから。」

 私がそう言うと、女子の先輩の一人が立ちあがって、私の頬を強く、一回だけ叩いた。先輩も私も、もう言葉は出さなかった。蛍光灯の弱い明かりが空気の冷たさを際立たせるようだった。



○先輩の見聞 九


 俺は、校門でミーコ先輩を待った。映画部を追い出された事を当然の如く受け止めていた俺は、今日の撮影スケジュールを決める会議には当然参加していない。参加を許されていないのだ。しかし、盗聴ぐらいはしても良いだろう。部室の扉に張り付いて事の次第は把握したつもりだ。だから、今こうやって校門で腕を組みながら、ミーコ先輩が出て来るのを待っている。

 昇降口から先に出て来たのは脇屋であった。俺を不満のこもった眼で見て来たものだから、「好きなら、ミーコ先輩の肩ぐらい持てよ、臆病者。」と会議での無能ぶりを言ってやると、唇を噛んで帰って行った。

 ミーコ先輩は俺が校門で待っていることを予想していたかのような素振りで校門にやって来た。

「やあやあ」といつも通りに声をかけてくると、「ごめんな、部へ引き戻そうとしたんだけど駄目だった。不甲斐ない。」と視線を落として俺に謝った。すると何故か俺はその顔つきが頭にきて、右手でミーコ先輩の頬を鷲掴みしていた。彼女の唇がぷっくりと浮かび上がり、無様な「う」の口形になる。

「俺の手柄を横取りしておいて、謝らないでくださいよ。」

「手柄?あの映画部内にはびこる最悪の雰囲気を手柄と言えるお前の脳みそを、そっくりそのままいただきたいね。」

 ミーコ先輩も右手を出して、俺の頬を鷲掴みした。互いの手が交差し頬を掴み合う異様な光景に、周囲の人は我々を避けるように歩く。

「俺はまだあなたの言う表現者になれていないから、少なくとも、ちゃんとした提供者にはなろうと思って、面白いと思う映画を上映したまでです。別にあなたのためを思ってやったわけじゃない。庇われる筋合いはないのに、これでは提供者として不服だ。」

 フハッ、とミーコ先輩は笑う。

「上等な提供者だったよ。私らどころか、三年生の先輩たち皆、ラスト五分になるまで自分たちの映画が短くされていることに気が付けなかったんだ。上手く編集したもんだぜ。」

「ろくな作品じゃなかったんでね、全く心の動かされない無駄なシーンを省くだけで簡単に出来ましたよ。」

「物理的に出来ても、心理的に出来ないんだよ、普通は。」

「あれでも手加減したんです。本当は全編カットでも良かったんだ。」

 くくく、と先輩が笑って、俺の頬から手を離した。俺も、それに合わせる形でミーコ先輩の頬から手を離した。ミーコ先輩は身体を反転させると、校門脇の塀に背を預ける。

「後輩君が提供者として意地を張ったように、私も表現者として意地を張ったんだよ。私の中にある先輩や自分への怒りと、映画を見せて魅せる者の格あるべき姿。それを映画ではなく、あの会議の場で、如何にその場いる人間の脳髄に植え付けてやるか。それを考えて私の想いを表現したんだ。こっちだって、君に不服を言われる筋合いはない。」

 付け焼刃すぎて失敗したけどな。そう言ってミーコ先輩は舌を打った。

「想いを表現なんて言えば格好がつくが、言い代えれば怒りをぶちまけただけだ。私の想いは三年生たちの心には残らない。」

ミーコ先輩はそう小さく漏らした。

「そうですかね、ミーコ先輩が俺を庇った事実は、少なからず印象に残ると思いますけど。」

フォローするつもりはなかったが、何も考えず疑問を口にする幼子のように俺はそう言っていた。しかし、ミーコ先輩は首を横に振る。

「私の印象が彼ら彼女らの脳内に残っても、大した意味はないと思う。だって、卒業しちゃえば私と関わることなんて滅多にないんだから。」

映画のことと混ぜて話すけど許してね、と前置きを入れてミーコ先輩は話しを続けた。

「私は別に、自分の姿や印象を覚えて欲しくて演技しているわけじゃない。何を目的に演技するかと言えば、そうね、例えると、ずっと路上ライヴをしていた人がある日突然いなくなって、日常から見えなくなってしまった時の心地とか。路上ライヴをしている人がいた事実よりか、いなくなってしまった時の虚しさ、それを人に残したくて、演技してんの。私自身はそこにいなくていいんだ。想いさえ、残ってくれればそれでいい。」

 だから、それで言うと今回は、私の目指す表現者像とはほど遠い結果になってしまったわけだね。ミーコ先輩はそう言って、また溜め息をついた。二人の足元を落ち葉が風に流されていくのが目の端に写った。

ミーコ先輩は溜め息をついたが、俺は内心、息を飲むような心地だった。この人の表現に対する真っ直ぐさと、感情という見えないものを形として人に残そうとする信念に、正直なところ感銘を受けたのだ。赤出ミーコという人間はいずれ、人類の心に大きな遺産を与えることになるのかもしれないと、俺は思った。人の心に残って無くなることのない想い。それを赤の他人のくせして映画一本で心に置いてきてしまったら、普通、特別な人生経験を通してしか培われないような想いを簡単に残せてしまったら、遺産を与えられた人はどんな人生を送ることが出来るのだろうか。経験し得ない恋情、計り知れない葛藤、目を背けたい無情、それらはその後の人生に何を与えるのだろうか。

「なあ」

 秋風が撫でるように声をかけられ、俺の意識はミーコ先輩に戻った。

「三年生の先輩たちは、十二月のクリスマス上映会を期に正式に引退する。あの人たちがいなくなったら、私は部長になってお前を映画部に引き戻す。他の部員が文句を言ってもなだめてやる。だからそれまでに君がやっておくことは、新入生の勧誘上映会に向けた映画の脚本を用意すること。ひとまずキャストのことは考えなくていいが、悪役を作るなら自分が演じるつもりで台詞を書くこと。おそらく悪役を演じさせて君に勝る人は今、部にはいない。何か相談事があれば部室じゃなくて私の携帯に電話かメールで、それなら応えてあげられると思う。」

 それじゃあ、帰る。

 ミーコ先輩の去り際は、あっさりとしていた。ひらひらと手を振って、三年生の先輩に頬をはたかれたのなんて忘れてしまったようである。黄色くなった木々の葉を夕焼けが照らし、白い制服を少しだけ染めていた。



●十月二十五日

○赤出ミーコの見聞 六


 後輩君が映画部を追い出されて一カ月経つが、彼は一度も私の元に連絡をよこさなかった。後輩君の同学年である脇屋は何度か姿を見かけたようだが、彼が後輩君を話題にあげたことはほとんどなかった。「先輩、最近良いことありましたか?」そんな質問を心配そうな顔して聞いてくる方が多かった。良いことがあったかどうかを聞いているのに、何故そんな不安げな顔をするのか、この後輩も辰野正一門ほどではないが、変なやつだ。



●十一月二十五日

○赤出ミーコの見聞 七


 この日は珍しく、同期の女友達三人で部活帰りにファミレスに寄った。「パフェ奢るからさ」と如何にも裏がある誘いを受けたかと思えば、話題は予想通り三日前の出来事についてだった。

「マコト先輩に告白されたんだってね!」「で、ふったって聞いたよ!」

 やけにウキウキした口調だが、女子高生ってこんな感じだったな、と他人事のような感想をもった。

 三日前の昼休み、映画部の三年生であるマコト先輩に部室へ呼ばれ、何かと思えば、一言目が「僕と付き合って欲しい」だったのだ。

「マコト先輩、優しくて良い人なのにね。」「そうよ、もったいなかったんじゃない?」

そうかな、そうかも。と曖昧な返事をしたら、「じゃあ何でふったの?」と聞かれた。そのマコト先輩は、彼女らの言う通り優しい人だ。文化祭での事件後も、他の先輩と私の間を取り持つように動いてくれていた。それが私への恋心ゆえの行動であったと気が付いた今でも、私は素直に感謝している。でもきっと、三年後の私はその事を覚えていられないだろう。

「好きっていう感情が、あの先輩からあんまり伝わってこなかったんだよね。」

 女友達にそう言うと、「どういうこと?」と首を傾げて笑われてしまった。

「そういえば、その時、辰野正一門が現れたよ。」

私はあの時のシーンを想い浮かべていた。

「え、まさか、例のやったの?」「恋愛裁判だっけ?」

 後輩君が恋愛検察官になって行う恋愛裁判は、あの七月の現場を見た部員だけでなく、校内全体で徐々に噂になっていた。告白する側の恥ずかしい情報が暴露されることも話題を呼ぶ要因だろう。

「その時、辰野正一門はマコト先輩のことを何て言っていたの?」

 興味津々と言った様子で女友達が聞いてくる。

「別に、先輩へのすごい非難や暴露があったわけじゃないよ。むしろあんまり恥ずかしい情報がなかったんだと思う。『優しいだけの胸板貧相デクノボウ。』って言っていたくらいかな。」

 表現者『赤出ミーコ』の胸を、その程度の愛情表現で貫けるものか、と言っていた事は、何となく伏せておいた。

「なるほど。」

「確かに、他の男の暴露情報より随分とマシな批判だね。」

「やっぱりマコト先輩は当たりの男子だったんだよ、もったいないなぁ、ミーコ。」

「今からでも間に合うんじゃない?」

女友達はそう言って私を茶化した。

 それにしても後輩君は、裁判を終えたら挨拶も無くその場を去っていった。無礼な奴め、と後になって問いただしたら、「クリスマスのひと月前ともなると忙しいのですよ」と、満足気な表情で話し、ふわははは、と変な笑い声をあげていた。



●十二月二十五日

○赤出ミーコの見聞 八


 クリスマス上映会は予定通り十六時に何事も無く終わった。夜は十八時から駅近くのカラオケ店で三年生の引退祝賀会及びクリスマス会がある。部員はそれぞれ着替えやプレゼントの準備のため一度解散した。

 部室に残ったのは、私と脇屋の二人だけだ。十六時三〇分、そこへ約束通りに後輩君がやってきた。少し髪が伸びたように見える。ボサボサ加減がグレードアップしていた。

「やあやあ、後輩君、待ってたぜ。」

 今思えば、文化祭から今日までの三ヶ月半も短いものだった。私は手元のカバンから、三年生に見られないよう底の方に隠していた入部届を彼に渡した。

「別に、こいつなんかいなくたって映画は作れますよ。」脇屋が口をとがらせて言うと、「ふん、じゃあ貴様がいないと作れなかった映画というやつを俺に見せてみやがれ。」と後輩君が言い返す。こいつらは本当に深い友情で結ばれている、絵になるコンビだ。私はそばで、カカカッと笑った。

「ミーコ先輩、年明けまでに読んでおいてください。」

 後輩君は名前の書かれた入部届と一緒に、文字のびっしり詰まったレポート用紙を渡して来た。どうやら手書きでなくパソコンで脚本を書くようにしたらしい。明朝体の文字列が私に「見てくれ!」と叫んでいるようだった。私がレポート用紙を受け取ると、後輩君はくるりと身をひるがえした。

「クリスマスで舞い上がる浮かれポンチどもを裁判にかけなきゃいけないので、これにて失礼。」

いやあ、この場には浮かれポンチがいなくてストレスフリーですね、と脇屋の方を向いて皮肉っぽい捨て台詞を残し、颯爽と部室を去っていった。

「阿呆め」

 脇屋がそう言って顔を赤らめ怒っている。

 て、おい、これ、脚本というよりか、小説じゃないか。私は視線の先にあるレポート用紙を呆気に取られて見ていた。



●一月二十五日

○赤出ミーコの見聞 九


 後輩君の脚本、もとい小説は、初めに危ぶんだよりもしっかりとしたものだった。脚本の形は成していないが、文章を読めばその場面の情景や人物の表情が浮かび上がってくる。素人にありがちな台詞の連続が多い脚本とは違って、小説である分、ストーリー展開もすんなり頭に入って来た。

「撮るぜ~」

 やけに気分上々な後輩君のテンションの高さに驚かされたが、もっと衝撃だったのは彼の姿そのものだ。ボサボサなまま長くのばされた髪の毛が、モップみたいな犬種コモンドールのようで、眼もとまで髪の毛が覆っている。あごには肥えに肥えた無精ひげが生えそろい、服装は土ぼこりのついたボロ絹のような服を纏っている。

不審と好奇の目に包まれつつも、後輩君はカメラを抱えると早々に部室を出て撮影現場へと向かう。私を含む部員数人がスーツ姿で高架下の自転車置き場に連れてこられた。今日は後輩君演じる悪役の逃走シーンを撮る。

 撮影を始めると、薄暗い高架下と錆び付いた自転車、そしてボロ雑巾のような後輩君の格好が絶妙にマッチしていることにすぐに気が付いた。

社会に捨てられたが、法には追われる。「無能」「下賤の民」と蔑まれた男。彼がとった行動は極悪非道であり、追われる身となるのは必然だった。その逃走劇を悪人視点と被害者視点、さらに警察視点の三つから追っていく映画だ。

 被害者は高等遊民であり、その友人らは自らの尊厳を守るべく使用人を雇って自ら犯人を捕らえようとする。「下賤の民」だと思っていた奴に仲間をやられた高等遊民たちは怒り狂い、警察より先に犯人を捉え、痛めつけることでその鬱憤を晴らし、同時に高等遊民の尊厳を今一度社会の裏側に示そうと言うのだ。

「ずいぶんと重いテーマにしてきたね。」

「重いテーマで疾走してこそ、我が境地に達するのです。」

 ニタニタと笑う後輩君の真っ黒な瞳に差す一線の白銀が、私を少なからず魅了した。気色の悪い奴だ。得体の知れない人間が身近にいて、不幸で厄介な偶然に恵まれて、

「ふっ」

幸せ者だ。

 自転車置き場で行われた、管理人の死角をねらっての撮影は、非常識そのものだった。逃走する後輩君は容赦なく停めてある自転車に身体をぶつける。ガシャン、ガシャンといくつもの自転車が倒された。「大丈夫、管理人は耳の遠いご老人である。おまけに目もショボショボだ。」と言う後輩君はさらに、どこから出すのかわからない奇声を発して駆け回る。管理人どころか、いつ誰に咎められても致し方なく、最悪のケース、学校に連絡される可能性もあった。体験したことの無いような異常な撮影現場に、一同の心臓は幾度となく止まりかけたと言っても過言ではない。しかし、後輩君の演じる悪人の走り去る姿には目を離せない躍動があった。止められない衝動があった。彼は極悪人で、追われる立場の人間であるはずなのに、誰よりも真っ直ぐに光を目指しているのだ。カメラ回しをまかされた部員の、撮影後の高揚した表情を見た時、私達には疲れ以上の期待があった。



●二月二十五日

○先輩の見聞 十


 先日、ミーコ先輩の祖父が亡くなった。

「爺ちゃんの父親は、戦争で亡くなってね。戦後は母親と必死になって貧しい暮らしをどうにかこうにか生き抜いて来たらしい。その中で爺ちゃんが憧れたのはテレビ。私の父の見解では、テレビの中にいる人間が皆、裕福で幸せそうに見えたんだろう、だってさ。それで爺ちゃんはテレビに出ることを目指し、結果、テレビ局で雑用ばかりする仕事に就いて、そのまま定年を迎えた。私の父はその姿を見て育ち、高度経済成長の波に乗る立派な会社に勤めることを決意して、今の会社に勤めたそうだ。

 爺ちゃんは口癖のように、「一直線に未来を決めろ」「一本の道でないとだめだ。」と私に言い聞かせていたよ。で、それを聞いていた私の父親が後で「爺ちゃんはああ言うがな」「爺ちゃんはこう言ったがな」って、訂正を入れてくるんだ。私はどっちの話にも肯いていたけどね、今でも、どっちの味方にもなれていない。そんな家族といるのが嫌で、家出したこともあった。」

 ミーコ先輩の家出の話は、前にも少し耳に挟んだことがあった。

「考え方としては、ミーコ先輩はお爺さんの方に近いと思いますよ。」俺がそう口を挟むと、ミーコ先輩は少し笑って肯いた。

「私も、自分でもそう思う。だけど、その爺ちゃんの考え方が決して正解でないこともわかってる。でも、だからこそ、葬式の時、柩の中の爺ちゃんの顔を見た時、思ったんだよね。

いや、思いたかったんだ。

爺ちゃんの目指した結果と違っても、その努力は別の何かを引き寄せた。それが私のお婆ちゃんであり、私自身に繋がっている。でも、爺ちゃんの消えてしまいそうな努力の影に『報われるから大丈夫』って、そう声をかけてあげられた人が周りにいたのかな。もしもそういう人がいたら、爺ちゃんはもっと、幸せそうな顔で眠ったんじゃないか。そう思った瞬間、私はレッドカーペットを歩くことを決意していた。監督としても、役者としても、見落としちゃいけない心の生き様があることを示すと誓った。私は誰よりも存在感なくレッドカーペットを歩き、誰よりも存在感なく賞を受け取りたい。一年後には話題にも出ない。それでも、何年経っても観た人の心の中で『報われるから大丈夫』って優しくささやくような、そんな心を残す作品を作りたい。」

 なんて、恥ずかしいことを延々と考えていたよ、昨日の夜。ミーコ先輩はそう言って「カカッ」と笑った。しかし、彼女に照れている様子は微塵も無く、むしろ眼の黒さは以前よりも漆黒さが増して艶があるように見える。

「恥ずかしいことなんてないですよ。」とは、面と向かって言ってやらない。むしろ「恥ずかしい奴ですね。」と言って脇屋に頭を叩かれたくらいだ。しかし、訃報の後の唐突なレッドカーペット宣言がミーコ先輩らしくて粋であり、悪いとは思うものの俺は喜ばしかった。

今後のミーコ先輩の邁進ぶりに期待である。



●三月二十五日

○赤出ミーコの見聞 十


 週一回程度の参加率だった後輩君が、自分の映画を撮り始めてから週三回、四回と増えて来た。しかし、先週に映画を完成させた後、全く姿を見せなくなった。

「本当、相変わらずだよね。」

「最近になって、少しは変わってきたかと思ったけどね。結局、自分が満足すればあとはどうでも良いのね。」

 友達がそう言って笑っている。後輩君は大して変わりないが、部員の後輩君への見方はやや変わった。以前は煙たがられていた後輩君だが、今は一応、戦力になる部員として認められるまでにはなった。彼の不気味だけれど面白みのあるセンスに、他の部員も少なからず惹かれている。

「完成後の映画を放っといたら、勝手に編集されているかも、とか思わないのかな?」

 友達のその言葉に私は思わず笑った。

「そんなことするの、自分だけだってわかっているんでしょ。」



●四月二十五日

○先輩の見聞 十一


 俺は部室にいつの間にか設置されていた、四人掛けできそうなほど大きな茶色い革のソファに一人で腰を掛けていた。すると部室の扉が開き、ミーコ先輩が入って来る。するとすぐに彼女は、面白いおもちゃを見つけたような子供っぽさをにじませた瞳で俺を見た。

「彼女、誘えば絶対入部してくれただろうに。」

 ミーコ先輩がソファの空いている所に腰を掛け、俺の顔を覗き込むようにして言った。

「三黒さんは、元から陸上部に入部を決めていましたから」

「うちの映画部は、兼部オーケーって知っているでしょ?」

「彼女の高跳びに対する立派な向上心に横腹をつつく真似はしたくないので、いいんです。これで。」

 そう、これで良かったのだ。三黒さんがここにいては、俺はへなへなの湯で茄子に成り下がり、彼女の純真な瞳はだんだんとくすんでいくに違いない。そのような未来は何としても避けねばならぬ。

「でも、あんな血統書付きのジャパニーズ乙女、今までうちにはいなかった逸材だよ。」

 B級映画に出てくる愛嬌あるヒロイン像が、あの子を見る私の眼に映ったのになあ、とミーコ先輩が俺の顔を見てにたにたと笑みを零しながら言った。

「もし必要があれば、声をかけますよ。」

「それ、ハードル高くない? 君にできるの? 映画部以外の人を撮影に誘うって」

そしてやっぱり、まだねらっているじゃん。

ミーコ先輩はそう言って、まだニヤついた顔をしている。君も男だったわけだ、とわけのわからぬ首肯を重ね、やがて、べちりと俺の肩を叩いた。

 そこへ再び扉が開き、今度は仲睦の悪魔野郎が無邪気に入って来る。

「あれれ、先輩に恋の相談ですか? ひどいですねえ、私という親友がありながら。」

 俺は昨年の経験から、仲睦のこういう言動は相手にしないことが吉だと学んでいる。

「それにしても、このあいだの騒動は何ですか。イカガワシイったらありゃしない。」

「どこがイカガワシイものか!」

 俺は学んだこと活かせない人間だと巷で話題だ。すぐに相手にしてしまった。ニヒヒヒと口角を上げる仲睦の顔にますます腹が立つ。

「私、これでも褒めているのに、言い換えればローマチックというやつです。」

「ロマンチックだろ」

「ローマチックですよ。なんですか、あの初めて愛という文明を知った古代人かのような、あなたの挙動。」

「お前、やっぱり褒めてないだろう。」

 あ、バレました? 仲睦の俺を馬鹿にしきった眼に、もはや腹を立てるのを通り越して呆れかえった。

 ふと、静かな空気が流れた。開いた窓の隙間から、木々を照らす若草色の日ざしが差し込んで、薄暗い部室内をわずかながら朗らかにする。ミーコ先輩がソファの背もたれに頭を預け、ぼんやりと天井を見上げ、静かにゆっくりとまばたきする。



○赤出ミーコの見聞 十一


後輩君をひやかして、いくらかの満足感を得た時、ふと私は物思いにふけっていた。

とても良い素材に出会ったのだ。名前も容姿も、ナイーブなところも、気に入った。それはエメラルドの原石だ。

小津野碧とは今年度、初めて同じクラスになった。今までの二年間、全く彼を知らなかったわけではない。しかし、それは金髪碧眼の美青年が野球部にいると噂で聞き、グランドをふと見た際に遠目で「ああ、あいつが例の美青年か」と思ったくらいのものだった。映画を撮ることに夢中だった私にとっては、金髪碧眼の男など、蚊帳の外の話であった。

 しかし、同じクラスになって面と向かって話すと、彼への認識が一八〇度変わった。蚊帳の外で放置していたことを後悔し、すぐにでも蚊帳の中へ入れ、演技の極意を叩き込みたくなった。彼自身を彼の瞳同様に煌めかせたい。磨いて、綺麗に飾ることができれば、どれほど美しいだろうか。どれほど、魅入られるだろうか。

小津野碧という男は私にとって、アイザック・ニュートンにとってのリンゴであり、そして導き出した万有引力の理そのものたり得る。



●五月二十五日

○ドロシー・ゲイルの見聞 八


 碧君が屋上にやってきた。その顔は、初めて呼び出した日に比べれば、おどおどした様子が大分なくなって来た。エメラルドグリーンの瞳が据わっていて、動揺のない表情で私を見てくれている。だんだんと『ドロシー・ゲイル』という存在に親しみを持ってくれているのかもしれない。

「違う。もはや呆れているのだ。」

 碧君の後ろから続いて屋上に上がって来た辰野正一門君が、碧君と全く同じような顔つきでそう言った。そして彼の手には、今日も紅茶の入った魔法瓶が用意されていた。

「ほら、茶でも飲んで落ち着けよ。」と辰野正一門君が差しだした紅茶をはたき落とし、「ティーブレイク・ブレイク」と言わせたあの日から、もう二週間になる。二週間もあれば、人の心は変わり行くもの。

「碧君。私は、あなたのことが心の底から好き。」

 聴いてください。

『ヘヴィ・メタルハート』



○先輩の見聞 十二


 ズオオオオン、ブガアアアン、という重低音が頭から足先までをぐわんぐわん震わせた。確かに、腕前は認めるが、なぜ告白するのにヘヴィメタを採用したのか、甚だ疑問だ。「碧君。私は、あなたのことが心の底から好き。」その言葉で止めておけば、まだ、心に響くものがあるというものだ、とそこまで考えて気が付いた。なるほど、心に響く告白がしたかったのね!「響かせる」の意味、履き違えているけどね!

 演奏が終わってようやく一息つけたかのように、小津野碧が大きく深呼吸した。

「判決は?」

 俺が小津野碧の方を向いてそう聞くと、ドロシーも祈るような眼で小津野碧の方を見た。

「ああ、今、告白されてたんだっけ。」

 がっくし、とドロシーが肩を落としたが、告白だったことを忘れるのも当然だ。突如至近距離でヘヴィメタを流されたら、その重低音の衝撃波に数分前の記憶を吹き飛ばされてもおかしくはない。

「悪いけど、今は恋愛とか興味なくてね。」

 四度目でも、困った表情をしてお断りの言葉を口にする小津野碧という男。色男にもかかわらず、こういった場面に未だ慣れていないのは、やはり己の自信の無さゆえだろうか。そうであるならば、どこかにつけ入る隙もあろう。俺は密かにほくそ笑む。ミーコ先輩が入れ込んでいるというこの男を、俺はどうにかせねばならない。

 それにしても、と俺はへたり込むドロシーを見た。気まずさに耐え兼ね、小津野碧は、そそくさと屋上から退場していた。

「私って、碧君にどんな印象をもたれているのかな。」

「特技披露おばさん、ていうところじゃないか?」

 ドロシーが目をふせて、聞くんじゃなかった、と口をパクパクさせた。表情は一段と青くなった。俺までため息が出そうだ。

「何かこう、もっと別のアプローチの仕方を考えるべきだろう。」

 恋愛裁判官である俺にここまで言わせるとは、この女もやりおる。

「そうなのかなあ。」

 涙目で真剣に見つめられると心が痛む、はずがない! 恋に敗れた美味しい料理が目の前にあるのだ。「いただきます」を盛大に叫んでやりたい。そう思うものの、正直、ドロシーの告白現場はもうお腹いっぱいだった。何故ならこのドロシー・ゲイルという女は、恋に敗れても失恋しない。ふられて悲しみはするが、その恋を諦めることはない。ずっと同じ味の恋を続けるのだ。流石の俺でも飽きが来るというものだ。

「じゃあ教えてよ、辰野正一門君の脳内にあるアプローチの仕方」

 俺に聞くとは浅はかな、俺は交際経験及び告白経験も皆無の男子高校生だぞ。

「相手の好きなものとかをくみ取ればいいんじゃない?」

 これぐらいが精一杯だ。

「碧君の好きなものか。たしか、猫が好きっていう噂」

 ドロシーは座り込んだまま、瞳を閉じ、考えに耽り出した。俺は紙コップに紅茶を注いて彼女の目の前においてやると、屋上を後にした。

「・・・・・ラブにゃん・・・、ラブにゃん・・・・・、愛の猫パンチ・・・。」

 背後で囁かれたその言葉は、聞かなかったことにした。だが、そこで俺は引き返し、つかぬことをドロシー聞く。

「お前、演技とかしたことあるか? 小学校の劇でも何でもいい。」

 唐突なその問いに首を傾げる彼女だが、「あるよ」と簡単に答えた。

「転校前の学校の出し物で、オズの魔法使いのドロシー役。」

「冗談が上手いな。」

「嘘じゃないよ。この名前のヒューマンがいたゆえのウィザード・オブ・オズ。この名前ゆえの配役。」

 愚直なクラスに在籍していたようだ。だが、まあ、劇を成り立たせるくらいの演技力はあったのだと信じよう。

 この問いの理由を知りたそうなドロシーの顔を尻目に、今度こそ俺は屋上を去った。



○加賀谷ひかりの見聞 三


 昼休み、西棟校舎4階にある社会科資料室に入ると、手はず通り、一人の男がロープで椅子に縛られ、成す術なく座らされていた。可哀想に、やり過ぎと言われても仕方がないけれど、今日はしっかり話を聞き出すまで帰すわけにはいかない。彼の逃げ足の速さは相当すごいという話を耳に挟んだものだから、念には念を入れた。彼を縛りつけたラグビー部の姿はすでにない。二人きりで話す場を設けて、という私の希望通りの形となっている。日中には全くと言っていいほど人が来ない西棟四階だけれど、万が一にでも生徒一人を拘束している場面を見られてしまっては、ラグビー部存続の危機にもなることでしょう。早いところ場を去りたいのは彼らの方かもしれないわね。

「あなたが、仲睦正志という悪魔であっているのよね?」

 私は、疑ってかかるように聞いた。すると、彼は気合の入っていないお化けのようなぼけっとした上目遣いで応えた。

「悪魔とはのっけから失礼な。そう言うあなたは加賀谷ひかりですね?」

しかし、私を縛ってどうしようというのです、と彼はぼやいた。

「一つ聞きたいことがあるの。きちんと話してもらえればちゃんと解放するから安心してね。」

 私が未だ警戒を解かない様子を見てか、仲睦正志という人は、はあ、と溜め息をついた。

「加賀谷ひかりさん、あなたは私のことを誤解してらっしゃる。いくら縛られようが、威圧されようが、逆に色仕掛けで篭絡を試みようがですね、私は全く動じませんからね。見たかぎり私が情報屋と知っての扱いでしょうが、情報屋にもプライドがあるのです。口の堅さを見くびっちゃあいけません。」

 ぷい、と横を向く彼の中身は、見た目より幼いのかもしれないと私は思った。

「聞いたわ。お金でしか動かないんでしょう? それでもね、一人の女の子が野蛮そうな男の子と面と向かって話すには、それなりの安心感が欲しいの。」

 そう言いますが、私は握力三〇キロに満たない生粋の非力人間ですが。と仲睦正志という人は呟いた。しかし、時間もあまりないので御託はここまでにして、本題に入るとしましょう。

 それは、私が職員室に用があって立ち寄った時のことだ。

「たまたま先生たちの会話で聞いたの。「えー!うそ!」「あの人の子供があの子なの!」っていう話。」

 でも、それがどこの誰なのか聞くと、パッとみんな視線を逸らして、聴かれたのはまずかった、というような空気が流れたわけだ。誰も何も応えてくれなかったから、「無視、ですか?」と控えめな態度ながらもキツメの言葉を用いた。すると、困ったというよりか、自分の首を案じるような表情で「ごめんな、個人情報を生徒には流せないんだ。」と一人の男性教員が言ったのだ。おそらく、保護者側から口外禁止を言い渡されている内容であり、それを流してしまっては学校の信頼性を失うことになるのだろう、という事だけはわかった。

「で、あなたなら知っているんじゃないかと思って」

 そう言って仲睦正志と目と目を合わす。ふーむ、と口を結んでいた彼は、やがってニヤッと笑い、「お高いですぞ」と言った。

「生憎その情報はまだ取り得てないので、前払いで五千円いただければ動き出します。」

 仲睦正志はひょうひょうとそう言ってのけた。

「ずいぶんと足元見てくるわね。」

「いえいえ、私は男ですので、常に胸元を見ておりますが。」そう言うと、ニヒヒヒヒと悪魔の笑い声を上げた。縛っておいて良かったわ、と胸を撫で下ろす。彼はさらに話を続けた。

「情報を無事に得てあなたに伝えたあかつきには、さらに一万円。失敗して情報を得られなくても前払い金は払い戻し有りません。」

 こめかみがピクッと動きそうになるのを堪える。

「そんな悪条件を飲めって言うの?」

「高く支払っておくのは、あなたにとって保険にもなるのです。」

 ぐっと、仲睦正志が顔を引き寄せた。

「あなたから一万と五千円をいただけば、私は『誰が誰の子供だったのか』及び、『加賀谷ひかりがおそらく有名人の子供である生徒を使って、何か企んでいる』という情報を一万五千円以上もらわない限り、誰にも言いません。」

 それはつまり、金さえ払えば誰にでも言うってわけね。でも、私がこのことを調べているのを高い金払ってまで知りたがる人なんているのかな。ただ、私はどうも心配性なところがある。ふう、と息をはき、私は首を左右に伸ばしてぽきぽきと鳴らすと、静かに仲睦正志を縛っているロープを解いた。そして財布を取り出す。

「ウヒヒ、まいど。今後もお願いしますね。」

 それは、今回の仕事次第ね。そう言って一足先に社会科資料室を出た。すると、急に頭上から重低音が響いて来てびっくりした。窓を割るかのようなサウンドだったけれど、三階にまで降りれば、意外と上手な演奏だったことに気が付いた。少し興味が湧いたけれど、今日のところは疲れたので、これ以上何かに首を突っ込むのは止めておこう。アイドルが野次馬もどきの行動をするのもいただけないしね。



○赤出ミーコの見聞 十二


 教室の窓際で黒板消しをはたく小津野碧の姿は、他の人がそうするよりも美しく見える。彼の瞳が木漏れ日をすくってエメラルドグリーンの輝きをより鮮やかにする。金色の髪は蝶が鱗粉を舞わせるようにキラキラと風になびいている。私がじっと見ていることに気が付いたようで、少し気まずそうな顔をした。

 早く黒板消しの粉、飛んで行かないかな。

 そんなことを考えていそうな、焦りにも似た様子も見られる。本当に、野球部のエースなのか疑いたくなるほどの、弱弱しい立ち姿だ。

 ちらり、と一度こちらを覗ったのをきっかけに、私は聞いた。

「ねえ、碧は、映画をよく見たりするの?」

 碧は、一歩身を遠ざけるようにしながら、僅かにこちらを向き、小さく肯いた。

「少しくらいなら。でも、詳しい話は出来ないし、見ても平凡な感想しか言えない。」

「ふーん。じゃあ、演じるのって興味ある?」

 一際困ったような表情をされた。

「興味、ない、かな。」

 たどたどしい物言いで、その言葉が出て来た。まあ、そうだろうとは思っていた。断られるのは想定内、今後のアプローチ次第で何とでも覆せる。

 碧は、黒板消しの粉がとれたことを確認すると、髪の隙間からこちらを見るようにして言った。

「ごめん、この後、人に呼ばれていて、行かなきゃ。」

 碧は、黒板消しを置くと、教室を出て行った。

 髪の隙間から覗いたエメラルドの瞳が、やけに目に焼き付いていた。



●六月二十五日

○ドロシー・ゲイルの見聞 九


 私にとっては二度目の告白失敗。恋愛検察官からすれば二度あることは三度ある、からのさらに二度目の告白失敗。つまり通算五回目の告白失敗。

『愛の猫パンチ』(作詞・作曲 ドロシー・ゲイル)は、恋愛検察官と裁判官を心の底から身じろぎさせたあげく、さんざんコケにされた。

 薄々、わかっていたよ。でも、止められないのが8ビートの恋の鼓動。出来上がったこの歌を、作り上げる時の感情を消さないまま、率直に伝えたい、そう思ったことに、後悔はない。

 でも、そろそろ、終わりかな。好きだけど。

 あと一回で、終わりかな。こんなにも好きだけど。

 二度あることが三度あって、その一括りがまた二度あった時、三度目の三度目が違う結果になるとは、流石の私も思っていない。軽やかな歌か、重苦しい歌か、どちらかになって昇華されて行けば、少しは音楽家人生を夢見る少女の花になるというもの。



○先輩の見聞 十三


西の魔女の力なのか、ミーコ先輩の周りにはいつの間にか人が増えた。それは映画に撮ってプラスであり、大人数でのシーンを可能とし、シーンの幅を広げた。三年生になって初めて監督をやり始めた男の先輩は、ミーコ先輩の力にあやかって大人数を動員したヤンキー映画を撮っているみたいだ。

当のミーコ先輩はといえば、小津野碧という男をスカウトすべく躍起になっているようだ。

「先週の土曜日なんて、映画の面白さを知れ!と言って、部活終わりの小津野碧を強引に映画館に連れて行ったらしい。」

 名目はあれど、これはもはやデートだぜ。

 午後十八時、コンビニの駐車場。俺は、くははは、と笑って、横目で脇屋を見た。脇屋はコンクリートの車止めに座って、俺の奢ってやった肉に口もつけず、じっと目の前の虚空に焦点を合わせている。

「知り合って二ヶ月経てば、二人の関係は恋にも発展するだろう。しかし、出会ってすでに一年以上経つ脇屋空太郎との関係はどうだ。一ミリでもお近づきになれたのか。」

「お前、突然、声をかけてきたかと思えば、そんな嫌がらせを言うためにわざわざ呼んだのか。」

 それに、赤出先輩のあれは、恋ではない。キャスト決めの一環だ。

 怒りと悲しみの籠った脇屋の眼が俺を睨んだ。

「わははは、いい眼だ。俺は、そんな現実に打ちのめされたお前に、ある提案をしてやろうと思ってな。」

 脇屋の睨む目に困惑の色が映る。それはそうだろう、同じ部に所属しているとはいえ、今まで撮影現場以外でまともに行動を共にしたことはない。

「俺は、ミーコ先輩が作ろうとしている映画に一切関わるつもりはない。むしろ、けなしてやろうと思っているのだ。」

 そう聞くや、脇屋は立ち上がった。俺を殴るような勢いで顔を見入るのである。

「お前、赤出先輩の映画に去年のようなことをしてみろ。部を辞めるだけじゃ済まさないからな。」

 にやりと、俺は笑った。いいね、熱いところもあるじゃないか。

「別に、映画の邪魔をしようっていうんじゃない。」と俺は脇屋をなだめながら言った。

「俺も、小津野碧を使って映画を撮る。ミーコ先輩以上の映画を撮るのだ。そうすれば、ミーコ先輩も己の愚かさに気が付くだろう。」

「愚かさ?」

「脇屋、お前のムッツリスケベ具合からして、すでに部室のパソコン内に保存されているミーコ先輩の脚本には目を通しただろう。」

 脇屋は何も言わずにもう一度、車止めに腰を掛けた。

「あれは、小津野碧のための映画だ。小津野碧を輝かせ、客をときめかせる。そんな映画だ。」

 まだ、スカウトも出来ていないのに、すでに細部まで構成を練っているのだ。ストーリー展開から演出まで、如何に男を綺麗に映すかを考え抜いてある。流石過ぎて、参るね。

 全くもって、参っちまうね。

 目の前の道路を、時速六〇キロで車やトラックが行き交う。カーブに差し掛かった車のヘッドライトが、呆然とたたずむ二人の眼を白く覆う。


白んだ視界に映るものは『無』であり、白けた世界で映すのもまた『無』である。

By クリストファー・ノーヒットノーラン


「俺は、あんな気色の悪い映画、ごめんだね。」

「おい、口を慎めよ。」

「俺は、見た目が良いだけの映画なんて、ごめんだね。」

「おい」

「老いれば忘れる様な映画なんて、ごめんだね。」

「・・・・・赤出先輩を裏切れない。」

「あんな赤出ミーコなんて、ごめんだね」

 そんな表現者なんて、ごめんだね。



●七月二十五日

○赤出ミーコの見聞 十三


勝負をしましょう。

 夏休み前の全校集会があった日、その日はカメラスケジュールを決める会議の前日にあたる。その日の放課後、映画部の部室の扇風機の前に陣取る三年生の集団をかき分け、後輩君が脇屋空太郎を引き連れて私の前に姿を現した。実に二週間ぶりだった。

「勝負をしましょう。」

制服のポケットに両手を突っ込んだまま、後輩君がそう言った。

「あなたが小津野碧を半ば強引に映画のキャストに入れ込んだことは知っている。捕らえて拘束するほどに入れ込んだのは知っている。」

突然の俺の物言いに、ミーコ先輩は少し驚いたようだった。

「やけに人聞きが悪いなあ」

「あなたが小津野碧というエメラルドの原石を使うように、俺もまた小津野碧を使わせていただく。小津野碧という原石を如何に映画に生かすか、監督の腕が試される場になるだろう。俺はそこで、あなたを超える。」

 ボサボサの髪の毛が私に当たるんじゃないかってくらい、顔を近づけてきた。眼鏡に光が反射して、私の眼をぱちりとさせた。

勝負か。後輩君たちにも私の映画に参加してもらおうかと思っていたけど、それも面白いかもね。

「いいよ。その勝負、請けた。」

ニヤリと後輩君は笑うと近づけていた顔を戻した。

「上映時間に関してはあまり気にしなくていいですよ。」

 そう言った後輩君は文化祭ステージの演目登録申請書を取り出した。部活名の部分には『写真部』とある。映画部の申請書は私が持っているため、当然と言えば当然だが。

「映画の勝負だよな?」

「写真をスライドショーで流す予定はありませんので、ご安心を。」

 オーケー。そして、後輩君の横でじっと黙っている脇屋に目を向ける。

「脇屋も、後輩君とやるのか?」

 そう聞くと、彼は返答に困っていたが、やがて噛み占めていた唇をほどいた。

「すみません、赤出先輩。」

「「謝るなよ。」」

 後輩君と私の声が重なって、変に間が空いた。これから戦う相手に謝ってどうするの。でも、脇屋が自分の意志で映画を撮ろうとしているのが、初めてのことに感じられた。いつも、私の言うことをよく聞いてくれていた分、自分の意志を表に出す機会が減ってしまっていたものね。確かに、脇屋にとってもこの勝負は、変わるキッカケになるかもしれない。

「で、勝負ってことは、勝ったら何かあるわけ?」私は特に期待せずに聞いた。

「勝っても何もない。俺は純粋に、ミーコ先輩に勝って気持ちよくなりたいだけですから。ただ、負けた方は今後一切、小津野碧と関わらないでもらいます。」

「はあ。」と呆気にとられた様な声が出た。

「あのエメラルド男に心底惚れている奴が我々の協力者なのです。あいつは、この勝負を恋の闘争だと考えています。桃色と桃色のぶつかり合い、青春らしくなってきましたね。」

そう後輩君は言った。後輩君が他人の恋に加担しようというのが、どうにもおかしくて笑ってしまったが、どうやら本人は本気のようだ。

「あの逸材を手放すわけにはいかないな。」

 私がそう言うと、後輩君と脇屋の眼が光ったように思えた。

「ところで、もうそろそろ映画の構想を考え始めている頃ですか?」

 後輩君がそう聞いて来た。狡猾なこいつはすでにパソコン内の私の脚本を読んでいるはずだ。本人の前で堂々と怪しむ私の様子をしかと見届けて、後輩君はお道化るように言った。

「ノープランでしたなら、俺が書き溜めていたこの脚本を提供してあげようと思っただけですよ。この脚本を採用するのなら、敵ではあるが俺も脇屋も協力を惜しみません。」

 友情を感じる言葉の裏側が、笑えるくらいに透けて見える。私に駄作を作らせて勝負に勝とうと言うのだ。

「ミーコ先輩にうってつけの、ラブロマンスです。」

『黄色い春』と題された脚本が私の手元に差しだされた。後輩君が夢で見た話で、さらに未完成品と来た。しかもラブロマンスではなくホラーである。夏には悪くはないが。

「来年やってくれ」

真上に紙束を放り投げると、噴水のように白い紙が舞った。

 直後、黒髪の乙女登場。

 翌日、日帰り旅行決行。ミクロサイキック弾丸編Act.3に戻る。



●八月二十五日

○ドロシー・ゲイルの見聞 十


 今日の撮影場所として指定された駅前のロータリー。今日だけじゃない、八月十八日から毎日、十八時から三十分間、同じ曲目を同じ場所で歌っている。赤いチェックの服を着た日もあった、青いスカートを履いた日もあった、緑の帽子をかぶった日もあった、とにかく毎日違う服を着て、同じ歌を歌い続ける。その姿を、碧君が見ている。カメラの左枠、お決まりの位置で見ている。片手をポケットに突っ込んだ、お決まりのポーズで私を見ているのだ。何日も、何日も。この先も、嵐が街を飲み込みでもしない限り、私が歌って碧君が聴く、ロータリーの風景が続く。このシーンが撮り終わるまで、あと五日。

 皮肉にも碧君は私の歌を、告白する時よりも真剣に聞き入ってくれているように見える。ただ、流石にこう何日も続くと飽きてきたみたい。初めの頃は、リズムに合わせて指を鳴らしてくれていたのだが、今になっては、立って聞くだけになった。

 私はアコースティックギターの手元ばかり見て、碧君の顔を見られない。そして碧君もまた、私の顔を見ないで、私の手元を見ている。時折、瞳を閉じて歌う。弦を弾く指が、力強くなってしまいそう。弱々しくなってしまいそう。そんな不安定な指の狭間を心電図の線のように音が通り抜けていく。

 心、踊っていいんだろうな。普通だったら、この状況に。

 私は今日も、そのロータリーを目指す。


 文化祭の準備のため、ついにサボることを許されずクラスに連れ出された私は、十七時を過ぎてようやく解放された。駅前に十八時に着くことは余裕だが、撮影の準備や着替えを考えるとなるべく早く着いた方がいい。カツカツと音を立てながら廊下を早足で抜け、靴箱を開いたその時、前方に視線を感じた。

私の足元を見る、北の魔女と呼ばれていた加賀谷ひかりという女。彼女のとても嬉しそうな微笑み。そこに顕現するハッキリした二重まぶたは、私にはない可愛らしいものだ。

「まだ履いていてくれたのね、白銀の上靴。」

「だって、普通の上履きを捨てられたから。上級生のいじめに合って。」

 ちょっと、悪い冗談はやめてよね。加賀谷ひかりはそう笑った。彼女が言うには、この銀の上靴が私を助けるかもしれないらしい。

「脱ぎ捨てないでね。」

 今あなたの身は危うい均衡の上にあるわ、と加賀谷ひかりが言う。この人の透き通るような声でそう言われると、少なからず身構えてしまう。私の身が置かれるその均衡は、まるで突風にあおられるクレーンの先のようらしい。この銀の上靴でないと落っこちてしまうかも。彼女は私の眼をじっと見つめた。

「西の魔女・赤出ミーコと辰野正一門、それともう一人の脇役みたいな男の関係は少しずつ見えてきている。」

 加賀谷ひかりの眼は、小さく揺れる橙色の灯火のようだった。

「赤出ミーコたちは、敵同士を演出しながら、その実、裏で何か通じている。先月、その三人が一緒くたになって、とある県の山奥に潜り込んで行ったと聞いたわ。何をしていたかまでは分からない。でも、敵同士がわざわざ集まって遠出して、何もありませんって言う方がおかしいと思わない?」

 私は、否定も肯定もせず、脱いだ銀の上靴を手に取った。指の先には、わずかに汗がにじんでいた。

「あの三人の真のねらいは、小津野碧でもなければ、ドロシーちゃんでもない。写真部なんてもってのほか。必ず、映画部にとって利巧となるものが裏に潜んでいるのよ。」

 視線を銀の上靴から上げると、昇降口の先を一陣の乾いた風が吹き流れた。気が付けば加賀谷ひかりは、私に詰め寄っていた。

「あの三人は、あなたの背後を見ていると、私は睨んでいるの。」

「私の背後、ですか。」ふと、一人の男の顔が浮かんだ。

「彼らがドロシーちゃんを裏切るようなら、私もあなたを助けに出向くわ。どこへだって。」

 加賀谷ひかりの微笑みは、ガラス扉から差し込む茜空の光に当てられ、過ぎ行く人々を恍惚とさせた。私も、その一人になりかけていた。

 私は少し背をのけ反らすと、靴箱からローファーを取り出して、足元に落とした。

「加賀谷ひかりさんは、どうして私にそんなに良くしてくれようと言うのですか。」

 え、何故って、わからないの? 加賀谷ひかりはやや不服そうに眉を寄せる。

「だって私、あなたの音楽のファンだもん。」

 荒井環を降した音楽室での演奏を聴いたあの日から、そうなのよ。

あなたのファンがあなたを守りたいって思うこと、それって普通のことでしょう?

 加賀谷ひかりは、当然の疑問を掲げるように首を少し傾けると、透き通る風のような声でそう言って、真っ直ぐな瞳を私に向けた。

 ファン。ファンかあ。久しぶりにイイ響キの言葉。

 駅前のロータリーで歌う私を見る碧君の姿も、改札を通り過ぎていくサラリーマンには私のファンに見えているのかな。

「映画撮影の続きがあるので、私はこれで」

 そう言って、ぺこりと軽く会釈をして、私は加賀谷ひかりの前を通り過ぎて行った。ふう、と息をつく音が後ろで聞こえた。行っちゃうのね、小さくそう聴こえた。

「くれぐれも用心してね。」

 加賀谷ひかりは、別れ際の最後まで私を心配して見ていた。瞳の中にはずっと、橙色の灯火がゆらゆらと揺らいでいた。



○先輩の見聞 十四


 もう二十時になるとしている。ロータリーでは街灯が、駅から出て来たサラリーマンたちの影を作り、また消してゆく。疲れた顔をして下を向くスーツ姿の人々、その人波を逆行して白い制服のドロシーが駅の中へと入っていった。

「夏入さん、完全に怪しんでいるけど、いいのか?」

 照明を片す脇屋が罪悪感に苛まれたような顔つきをした。

「別に騙しているわけじゃない。」

 彼女の前では写真部を名乗っているが、それは文化祭のステージ演目申請による副産物であり、本筋とは関係ない。しかし、あえて関係ないことで悩ませているのは事実だ。

「俺たちが映画部なんてこと、すぐに知れるだろう。」脇屋がそう言った。

 すぐに知れると言うよりか、すでに知れているだろう。脇屋は不安で仕方がないようだ。嫌われた経験が少なければ、そうやって臆病にもなるだろうが、俺には関係ないね。

「素性を知られるからこそ、こちらの裏を読もうとして悩む。不安に襲われる。その悩み、不安が演技にも出る。終始、頭の中がゴチャゴチャになるかもしれない。」

 それでいいのだ。

 悩みを抱えて悶えている空気が、立ち振る舞いから伝わって来る。彼女の演じる役は、将来に悩む十九の乙女だ。ドロシーの台詞は極力なくしているから、話し方の違和感もほとんどないと言っていい。言っちゃ悪いが、演技に関しては素人なドロシーが悩める乙女の繊細さを表現できるとは思っていない。下手にキレ者な役を与えてしまい、棒読みの台詞回しが連続されるのは避けたい。ならば、悩んだままのドロシーを撮ればよいというわけだ。

「でも、肝心のライヴシーンでナヨナヨされたら映画の軸がぐらぐらだ。彼女の成長した姿が、想いのこもった歌詞とメロディと共に観客に届くラスト。お前の言う疾走感を感じさせる演技がなければ、駄作になるじゃないか。」それでは、赤出先輩は小津野碧の夢から覚めない、僕に振り向いてくれないじゃないか! と心の声が聞こえた気がした。

「お前の方こそ、そう考えている時点で小心者が見え隠れしているぞ。俺達はあいつを信じて演奏していればいいんだ。」

「信じてって、お前な」

そんなピュアな言葉がお前のような人間の口から出てきても、こっちはイマイチ気乗りしない。そう言いたげな脇屋の表情だった。その俺への見解、否定しない。

「だが、安心しろ。ドロシーはお前と違って、ああ見えて六度も告白しているのだ。そのどれもが真っ当なものでなく、意味不明なものだったがな。」

 ダサくとも、決して、あやふやな意思ではない。惰性でもない。俺にはそう見えたし、小津野碧にもおそらくそう見えていただろう。だから、このラストシーンについて、小津野碧は何も口を出さない。

 日常での葛藤と、ライヴでの振り切り具合の差、そこに、苦難を乗り越えようとする者の心が形となって現れるに違いない。俺はそう踏んでいる。

 ドロシーを乗せた電車はとっくに発車ベルを流し、次の駅へ走っているところだろう。俺達もおしゃべりはやめ、急いで残りの片づけを済ませて帰路に向かう。遅くなりすぎると母が怖い。この歳になっても、母とは偉大で畏れ多いものだ。どれだけ叱られようが、母のヘソが俺と繋がっていたことを考えると、母の背後から光が差し、俺を照らす。

 その母の偉大なる後光を超える存在に出会えた時、俺は新たな生を受け、可能性の輪を広げることだろう。

 見せてくれ、赤出ミーコ。その背に宿す光はエメラルドグリーンなんかじゃなくていい。ただの光であっていい。後光ならぬ後碧光なんて、聞いたことが無いだろう?



○赤出ミーコの見聞 十四


 十五時過ぎ、三年の教室でパチパチと拍手が起こった。クランクアップ、私の映画の全てのシーンを撮り終えたのだ。同学年の友達から「お疲れ様」とねぎらいの言葉をもらい、私も笑って返事をした。

 その中で、ほお、と小津野碧も息をついた。椅子ではなく机に腰を掛け、文字通り一息ついていた。私は、友達と話す時と同じ笑顔で小津野碧に近づいた。

「碧、どう? 少しは映画好きになった?」

 んー、と答えに悩む小津野碧の表情は柔らかい。

「どうだろうね。」

 やっと口にした、そんな何でもない答えにも温かみを感じる。ようやく、くだけた雰囲気で話をしてくれるようになった。

「この一カ月、僕は存外、楽しんでいたと思う、たぶん。演技は自信ないし、あまり完成品を見たいとも思っていないけど。」

 野球も文化祭の劇の練習もあって、体力的にきつい日もあった。でも、こんなにいろんなことを一度に取り組むことは初めてだったから。

 小津野碧はそう話して、思い返すように遠くを見つめた。

 私達の映画だけでなく、後輩君たちの映画にも参加したのだから、騒がしい毎日だったことだろう。本来の自分と、自分じゃない自分が二人、合計三つの人格がこの一カ月間ぐるぐる入れ替わりしていた、と言うのは過言かもしれないが、しかし、三つの人格が交差し合えば、小津野碧の内面に何かしら変化をもたらしそうなものだ。それが、この温かみのある表情なのかもしれない。ただ単に、私達に慣れたというのが有力な原因であるが。

「それにしても、二つの撮影を同時進行するのはなんだか、二つの方向から光を浴びせられているような心地だったよ。」

 小津野碧は遠くを見たまま、そうぼやいた。感情を感じさせないような声で言った。

「二重に照らされて、影が二つ出来たんだ。」

 影が二つか。

より強い方の光がより濃く地面に影を落とす。私と後輩君、どちらのスポットライトを強く感じたのか。それは、観客の声となって私たちの眼に映るのだろう。

 後輩君と出会って一年半。ハズレくじを引いたねと言われてから、もうそんな時が経ったのだ。今までの出来事が不意に思い出され、私の眼がわずかに熱くなった。何故熱いのかは、分からない。映画の完成の喜びを実感したからだろうか。高校生活もあと半年しかないと気付いたからだろうか。小津野碧や後輩君、映画部の皆と会わなくなるのが辛いからだろうか。

 この不意に訪れた得体の知れない瞳の熱を、私は忘れないでいたい。

そう強く思った午後であった。
















 Act.8 フレームアウト



○加賀谷ひかりの見聞 四


 二十二歳を迎えようというのに、人生の花は咲いたように見えるのに、思い出すのは芽吹く前の土の中の茶色。高校時代、今思えばあの頃の私は、私の人生で一番、泥臭い生き方をしていた。外の世界へもがき出ようとした私の腕が、どこまでも遠くへ、遠くへ、伸びていく感覚。何でも掴もうという気概。今もまだ私の腕が、掴むべきものを探して伸び続けている気がする。

「いいじゃん、理想が高いんだね。」

 プロデューサーのその言葉に、私は静かに首を振った。高いのではない、ないのだ。目の前にないのだ。



○若樹クルミの見聞 四


 とてもとても、もどかしい朝だった。暑苦しいのもかまわずに、ぼくはかけ布団で頭まですっぽりと覆っていた。だって、そうでもしないと、ベッドの上で飛び跳ねてしまいそうなんだもん。

目を覚まして、アザミ先輩は驚くかな。驚くよね。

ぼくはケータイでメールの画面を開いては閉じ、また開いては閉じていた。

《今日の文化祭、一緒に回りませんか?》

何度も何度も確認して、迷って、放り投げて、拾って、また迷って、送った文字列。その総字数、十七。この十七文字で、人生が変わるって、信じられないような本当の話。

「たった一言で、他人の人生を狂わせることもあるんだぞ。」

 これは、中学校の先生が誰かを叱る時によく言っていた言葉で、ぼくは今まであんまりピンとこなかったけど、今、はっきりとピンときた。どうやらこれは事実みたいだよ。だって、もうすごいんだ。心臓は、この小さな身体には収まらないくらい膨れ上がっている。頬は、出来立ての焼き芋みたいにほっくほく。

 ブブッ、とケータイの震動音がして、画面上部に現れる新着メッセージのアイコン。びくびくしながら、アイコンを押す。

《午後からなら、いいよ( ^^) _~~⚽》

 顔からね、火が出て来たの。本当だよ。ウーウーって消防車のサイレンが鳴ったのかなって思ったらね、自分の声だったんだ。笑っちゃうよね、ほんと、にやけちゃって仕方ないよね。



○三黒紗伊子の見聞 五


今朝、校門で私を見た先輩は、言っては失礼ですが、阿呆面でした。しかし、非は私にもあります。キャスター付きの三脚にビデオカメラを取り付けて、仁王立ちしながら先輩を待っていたのですから、想像していた普通の朝とは違っていた事でしょう。

「それは映画部の道具に見受けられるのだが。」

 どうしてそれを、と先輩はまぶたと口を半開きにして聞きました。朝の眠気が消えないうちに謎の展開に出くわすと、みなさん同じような顔をするのでしょうか。一応、カメラにもこの陳腐な先輩のお顔を残しておきます。

「赤出ミーコ先輩が、貸してくれたのです。」

 私がそう言うと、ピクリと先輩の眉が動きました。

「ミーコ先輩は、何か言っていたか?」

「後輩君の変な行動、変な言動、全て撮っておいてくれ。にこにこ笑顔でそうおっしゃりましたけど。」

 それで、手振れを防ぐキャスター付きの三脚を部室から引っ張り出して来てくださったのです。まだ知り合って間もないような私のために一肌脱いでくださるんなんて、とても親切な方です。

「校門で止まっていても邪魔になる。行こう。」

 先輩はそう言うと、私の横まで歩いてきます。私も会わせるようにキャスターを動かし、カメラを先輩の方へ向けます。ビデオの中に映る先輩は画面の左側に上半身だけ映り、空の青さや木々の枝の緑を背景として背負います、時おり先輩の後ろを他の生徒がぼやけた姿で通り、登校風景であることが映像を見る人にも十分わかります。

「ついに新作を披露する日になりましたね。なんだか、私まで緊張してきました。」

 私が映るわけでもないのに、先輩の映画を見るというのは妙にドキドキします。面白くて、でも虚しさに心を揺さぶられてしまって、見たいけど見るのが辛い。しかし、気が付けばまた見ている。先輩の映画の一作品目は、そんな印象です。

「今回もやはり、人間の葛藤がテーマになるのですか?」

 カラカラと小さな音を立てながら、私はカメラと三脚を載せたキャスターを引いて歩きます。先輩はカメラを直接見ないようにしながら、私に歩幅を合わせて歩いてくれました。いきなりの撮影開始にもほとんど動揺しない先輩は、流石映画部といった様子で、カメラを前にしても、そこにカメラがあることを見る人に意識させないような、自然な姿がありました。

「人生に正解がないのが不条理に思えて、でもだからこそ見つけられるものがある。見つけてからも大変で、正しいと思う姿を体現できる者など若干名しかいない。それぞれが別々の理想をもって、別々の正義と悪を想い、さらに、体現するための能力にも優劣が存在する。」

うむ、人間とは良い意味でも悪い意味でも無限大の可能性をもっているのだろう、先輩はそう思考します。

「でも、比べられ方は一緒って、何か不自然だと思わないか。」努力しない者が淘汰されるのは当然のことにしても、努力する者が排他されてはいけない。

 先輩はそう、施行したいのです。

「つまり俺は、夏入ドロシーに未来を託したのさ。彼女は棒切れのような女だが、糸を張り、矢を添えれば、海に浮かぶ扇を貫くことも出来よう。泥船に乗って海へ漕ぎ出し、溺れる様な俺とは違う。」

 私の頭の中に、四月の出来事がパッと浮かびました。あの時の先輩の行動は確かに、傍から見れば褒められたものではないのかもしれません。あの頃、アスガム高校の上空に雨雲のような色濃い灰色のうねりががウナウナととぐろを巻いていたのでした。

「でも、先輩は、排他などされていません。あれは、この場が、まだ若い、高校生という時分だったからなのです。他の誰かに託さなくたって、先輩は、先輩のまま、表現したいものを表現して良いのです。証明したいものを証明して良いのです。」

 私は、先輩を信頼しているのです。



○先輩の見聞 十五


三黒さんは、ビデオカメラから少しだけ目を離し、俺の顔を見た。俺も彼女を見た。嘘偽りのない目元だった。

 俺が回りくどく映像にし、どうにかして伝えようという信念を、三黒さんはさらっと言ってのけてしまうのかもしれない。わははは、それならば、表現者とは何と阿呆なのだろう。考えるな。考えるな。この思考に行き着く果てはない。

「では、映画楽しみにしていますね。」

三黒さんはエビのように腰を曲げて、ひょこひょこひょこと後ずさりしながら、遠退きながら俺を撮っていた。カメラを回したまま昇降口の扉をくぐり、自分の下駄箱に着くまでそうしていた。それは、それは、ホホエマシイ。我がとなりに立つ木はマテバシイ。

「本当は、君のそんな愉快な姿を撮りたかったのだって、今さら気が付いたなんてな。」

 そんな愉快な姿に見とれる男の心模様を描きたい。彼女を撮りたいと願ったその瞬間の高望んだ過ちにも似た我が心を、他人に知らしめるような映画を作りたい。それには、とてつもないほど赤面たるメンタルを要する。だが、俺は高望む。不格好にボチボチな心持ち、つき立ての豆大福の如き心モチを、そこら中の人間の口に放り込んで回りたい。屈強な男も、レイコクガールも、お祭り騒ぎのあんちゃんも、そんな心モチを受け取ってしまって、モチモチでボチボチな、不格好な心にさせてやりたい。全人類を腑抜けた恋心の持ち主と化したい。

これが後に大衆を騒がせる『全人類ボチモチ大福計画』の原点である。

 表現者の本分を見失っていたのは、俺もミーコ先輩も一緒だ。今日、映画が終わって、それに気が付けたらいい。まだ緑のドングリが足元に落ちていて、俺はそれを拾って、何となくズボンに入れた。

 文化祭二日目は、少年少女をその意志に関わらず、怒濤の勢いで高校生活の佳境へと迫らせていくことになるだろう。連鎖型青春大爆発の勃発である。



○ドロシー・ゲイルの見聞 十二


 日曜日の昼下がり、昼食時を過ぎた体育館にはガヤガヤとした賑わいがある。賑わいの様子は昨日もさほど変わらなかった。誰かを目当てに来た人もいれば、青春のひと時を感じたい人もいるだろう。ただ時間を潰すために来た人もいるかもしれない。身長差の激しい男女や、カンガルーの首を垂らしたバッグを手に持つ女など、集まる人間も様々だった。とにかく大勢の人が、一カ所に集まっていた。人口密度は普段の三倍はあり、窓は開いているものの、体育館内の二酸化炭素濃度は跳ね上がっている気がする。

「続いて、映画部の上映が始まります。」文化祭運営委員会の司会役がマイクを通してそう伝えた。

 体育館の照明が落ちる。少しそわそわとした雰囲気の中、ステージにセットされたスクリーンに光が当たる。

 映し出された映像に観客が湧いた。

木漏れ日が碧君を照らし、キラキラと髪が光る。風にざわめく青々しい葉の影が碧君の白い肌の上で揺れ動く。ふと誰かに呼ばれ、彼が視線を上げると、エメラルドグリーンの瞳が画面中央に浮かび上がる。まるで童話の世界に入ったかのような感覚。

 そうだ、これぞ、みんなが惚れ入る小津野碧の姿。

 少女の抱える痛みを、それよりも大きな痛みを隠しながら、優しく見守る青年。その設定が小津野碧の美しさを際立たせた。普段の臆病さは見せず、しかし決して尊大な態度でもない。ホワイトチョコレートに少し苦いココアパウダーをかけ、ダージリンティーを添えたような人柄が、映画の中で描かれる。

 終始ふて腐れた態度をとる少女を演じる赤出ミーコの演技も上手い。普段見せる姿とは打って変わって儚げな少女を演じる。灰色の雲があればそのままそこに溶け込んでしまうようだ。そして、少女が言葉にはしない、「私を見ていてほしい」という気持ちを、あざとさを感じさせずに観客と共有している。だからこそ、我々は小津野碧の優しい言葉を待ち望むように、映像に魅入ってしまうのだ。

 あーあ、かっこいいんだからなあ。

 みんな気が付いていた小津野碧のカッコ良さを、大衆の面前で堂々と披露してしまったのだ。これでますます、手の出しようがなくなるよ。

 三つ編みのおさげを指でくるんとねじる。

 私たちの映画に出て来る小津野碧には、ここまでの輝きはない。そもそもの話、辰野正一門君、君の映画のホコリっぽい雰囲気に、彼のエメラルドの煌めきは似合わない。脚本を立てた段階ですでに、この勝負は不利に動いていたのだ。

 大丈夫かな、私達の映画。

そう案じたって、後悔先に立たず。

「ふんむー」

私は鼻から大きく息を吹きだすと、前にいる辰野正一門君の背を押し、後ろでスクリーンに映る自分を物珍しげに見る小津野碧の手を引きずるようにして連れて歩いた。



○赤出ミーコの見聞 十五


 まず何事も問題なく私の映画が流れ出して、一息つくことができた。じっくり上映を見守っているが、どこかのシーンがカットされている様子もない。

「何も問題ないよね?」「大丈夫そうだよね?」同期の友達が、横でひそひそと顔を寄せ合っている。「流石のあいつも、ミーコには何もしてこないか。」「いや、負け意地の悪そうだからな、むしろ上映後の方が気を抜けないかも。」と、安堵と不安の混じる会話がなされる。一年経っても、後輩君が信頼を得ることはなさそうだ。後輩君の後輩となる一年生部員にも、彼の悪行の数々は笑い話として周知されているため、私たち三年生と一緒にそわそわしていた。すでに友達が恋愛検察官の餌食になったと言う一年生部員もいる。後輩君が仕事を教える担当になった植草君という男の子は、半ば放置され、脇屋や他の二年生が同情するように仕事を教えてあげていた。

「小津野碧先輩、今度あたしの映画にも出てくれないかなあ。」

一年生の女の子がとろけるような目をしてスクリーンに魅入っていた。

それにしても、自分の作る映画に小津野碧が似合わないことくらい、後輩君はわかっていたはずだ。それでも勝負を挑んで来たということは、何か考えがあるのだろうか。

「まあ、楽しみにしていよう。」

 数十分後、私の映画は誰も邪魔も入らずエンドロールを迎えた。最後、キャスト、スタッフ一同がステージに登りお辞儀をすると、座って映画を見ていた大勢の客が立ち上がり、手を頭上に掲げて拍手を送って来た。静かだった夜に一斉に花火が打ち上がったかのような快感。「アンコール!」という、女生徒たちの声も響いて来た。私はそれを聞き、もう一度深くお辞儀をする。

 ラストシーンの私の笑みは、実は、見るたびに照れくさい。見るほどに恥ずかしい。

 小津野碧の瞳に覗かれて、くしゃっと顔に笑みを浮かべる。いつもの私には、お世辞にも似つかわしくない。

映画の内容自体は完璧で、愛情込めて作った自慢の一品だ。でも、こんな気恥ずかしい演技、私の中でプチ黒歴史になってしまうかもしれない。


「続いて、写真部よりスライドショー」ステージで司会が、手元の台本に目を落す。「『人間の生き方』をテーマに、これまで撮った写真を披露します。」

 後輩君、写真部という体裁を最後まで破らなかったのだね。

アスガム高校校内における後輩君の評判は、知っての通りだ。今年になって、一部の人から見れば一段と悪目立ちしてしまった。映像だって突き詰めれば画像の連続、スライドショーと似たようなものだ。そう言ってくれる生徒は何人いるのか。事情を聞かされていない多くの生徒に、君は受け入れてもらえるか。



○君野木実の見聞 二


 銀のフレームに収まったレトロなカラー写真がスクリーンに映し出された。しかし次の瞬間、ザラザラとブレたビデオテープのように画面が白黒に揺れ動くと、かすれた映像とかすれた音声が会場に流れ出す。スクリーンの中では先ほどレトロな写真の中に収まっていた一人の少女が、アコースティックギターを手に歌っている。リズムを取る身体の揺れに合わせ、三つ編みが揺れているのが印象深い。

冒頭に、写真が動き出したのだから、観客は大いに混乱しただろう。私だってそうだ。ただ、「ははん。」と思わず肯いていた。映画部の映画を見て、エンドロールまで見届けて、後輩君が全く関わっていないことにずっと疑問を持っていた。赤出ミーコの奴が後輩君を気に入っていたのは何となく知っていたし、後輩君自身、こういった大勢の目に留まる場を素通りするような奴ではないと思っていたのだ。別枠でお出ましというわけだったのね。

隣に座る加賀谷ひかりは、ふん、と鼻を鳴らしてスクリーンを眺める。

しかし、これは、写真部を乗っ取って、映画部で足りない時間枠を無理矢理に広げたという事なのか?

 ステージ脇に下がった司会の男は、見て取れて困惑し、文化祭運営本部の人間とあたふたとやり取りしている。そこに、スピーカーから、あいつの声が聞こえだした。

「ド阿呆め。お前の脳内、シナプス切れか?その眼はボルボックスにでも乗っ取られたのか?」

 登場して直後、彼は粗悪な言葉と共に濡れたボロ雑巾を次から次へと金髪の男に投げつける。「エメラルドシティ?笑わせるな、こんなのただ苔の生えただけの元都市にすぎないだろう。」

「あん?」金髪の男はグラサンを上げると、緑色の眼で彼を睨んだ。やけにくすんだ様に見える小津野碧の瞳だった。「君こそ、早く自分がミトコンドリア以下の人間であることを認めたらどうだ。」中指を突き立てる姿は、普段は決して見られない品の悪さを大衆に晒した。

「え?」「え?」「何ごと?」

 体育館内の混乱に、彼と小津野碧の登場が拍車をかけた。写真部など、全く関係ないことがこの時点で知れたようだった。文化祭の締めとなる吹奏楽部の連中が、場を乱してくれるなよ、と不安な表情を浮かべてそれぞれの楽器をさする。普段通りなのは居眠りをこいている荒井環くらいだ。

しかし、いくら観客が混乱に陥ろうが、彼のセリフは止まらない。だって、これは映画だから。

 そんな二人を眺めるドロシーのバストショットで、タイトルコール。

『リザーブ・オブ・オズ』

 直訳すると、オズの予約か、オズの予備?



○先輩の見聞 十六


『リザーブ・オブ・オズ』

 この物語は言わば、オズの魔法使いのパロディである。パロディと言っても、名前を少し借りた程度のものであり、上映時間も二十分ほどのショートムービーだ。

舞台はエメラルドシティ。そうは言っても、エメラルドシティなど名前だけの存在であり、見てくれはただ苔が生えただけの市街、中身も他の市と大して変わらない。地域に音楽事業を立ち上げ発展を遂げた小津野家が唯一、名の知れた家柄であるが、外国で起きた経済崩壊を機にその名門の面影も薄れ始めた。今は楽器店を二店と、小さなライブハウスを経営するのがやっとといったところである。

 その小津野家の跡取り息子である小津野碧は、己の人生を憂いている。大人になればいずれ楽器店の後を継ぎ、世の中の経済の流れをぼんやりと眺めるだけの日々が待っている。物心がついた当初は希望だったそれが、今では行く手を阻む蟻地獄のように感じられたのだった。決められた将来にじわじわと身体が吸い込まれていくが、脱する術も気力も無く、もがくことすらしようとしないでいる。

「小津野碧は情けない奴」「小津野碧は品がない」

 アスガム高校の女子どもにそれを理解させてやろうと言うのも、この作品のテーマなのだ。わはは、美男子の顔に泥を塗るのは楽しくてたまらん。

 顔面に泥を塗られる小津野碧の前に現れたのが、ドロシー・ゲイルである。彼女は半ば迷い込むようにこの街を訪れ、訪れたその日から駅前で路上ライヴを始めたのだ。

観客がいようがいまいが、路上ライヴは毎日欠かさず行われた。

 嬉しいことがあった日も、悲しいことがあった日も、何にもなかった一日も、その日の夜、十八時になると駅の近くでギターを鳴らす音が聞こえる。

いつの間にか、ふと足を止めて一曲聞いていくのが小津野碧の習慣となった。彼女の歌は彼の心をどこか逆なでるようだった。まるで俺は青いままの果実、白いストロベリーに緑のトマト、そんなことを思わせたのだった。

 一方、ドロシーは内心ずっと怒っていた。そして、その怒りの影にはいつも不安がはびこっていたのだ。彼女はもともとバンドマンだったのだが、一月前、バンドメンバーの一人であったブリキの木こりが無断でバンドを抜けた。ボサボサ頭で脳内には藁しか詰まっていない案山子はドラムを叩く以外に役に立たないし、臆病な獅子は木こりに毒され我が身を案じて肩がすくんでいる。かく言うドロシーも、ブリキの木こりのスマホに連絡を入れてみるくらいのことしか出来なかった。そして、返信はない。何しろブリキの木こりは雲の上のような存在になってしまった。

二週間前、彼がポップシンガーと組んでメジャーデビューしたことがわかったのだ。世界的ロックバンド、かのドラマー「ゲイル・ズィーガー」もその一人であった『Winter Revers』に憧れ結成されたドロシーたちのバンドだったが、日の目を浴びない生活に、木こりは真にロックな心を手に入れる前に、ポップで勢いのある歌い手の誘いに乗せられて行ってしまった。『Winter Revers』に憧れてどっしりとした重低音を響かせていたベース演奏を捨て、ブリキの木こりは似つかわしくない、花と蜜蜂のようなメロディを響かせて別の街へと旅立った。

「ブリキ野郎め、ハチミツじゃあ、お前の錆びは取れないぞ。」ドロシーは風呂場でシャワーをバシャバシャと浴びながら、よくそう嘆く。浴槽殴る。

 ブリキに必要なのは、一度手に着けば石鹸でも取れないような、真っ黒でギトギトな油っこいハートなのだ。

 しかし、音楽雑誌に載ったブリキの木こりの顔は、金の斧を得たかのような満ち満ちた笑顔であった。

 案山子が藁でできた脳みそをどうにか駆使して、やっと探り出したブリキのバンドの公式SNS。案山子は、そのホーム画面を真正面に見据える。「いつか錆び付いて動けなくなる日が来るぞ」涙ながら、消えたブリキの木こりにそう呼びかける。

 ブリキの木こりとはあなたのことだ、赤出ミーコ。

 その後光が消えゆく様を、俺は見届けねばならぬというのか。



○若樹クルミの見聞 五


時刻はさかのぼり十三時四十五分。午前中からこの時間まで働き通したおかげで、ぼくのリスになる仕事はこれでおしまいだ。解放感と、ウキウキした気持ちと、恋のドキドキが相まって、不整脈を起こしそうだ。

「やだー、やめないで!」「もう少しでいいからさ!」「胡桃食べる?」「まだいっぱいあるよ?」

 クラスの友達がそう引き留めてくるけど、今回ばかりは答えてあげることが出来ないんだ。十四時には、クラスの仕事を抜け、アザミ先輩と落ち合う約束になっている。《楽しみにしてる⚽》とアザミ先輩はメールで言ってくれた。だからどうにかして、友達が羽交い絞めにしてクラスから出させてくれないこの状況を、打破しなくちゃいけないんだ!

「では、すみません。お先に失礼します。」

 ほんわりとした声でみんなに呼びかけたのは三黒さんだった。彼女は記念に持って帰ると言うカンガルーの衣装を詰め込んだカバンを手に、扉の前でお辞儀をした。カンガルーの首だけ入り切らず、チャックの隙間から顔が飛び出ている。車の窓から顔を出す犬みたいな構図と言えば伝わりやすいかもしれない。みんながドアの方をふり返って「お疲れさま~」と返事を返す。福島百恵さんに関しては、「置いていくなあ!」とチーター姿ですがり付くようにしていた。ボンレスハムの肉よりも必死に噛みついていた。

 その隙を見て、ぼくは友達の腕を振り払い教室の外へと逃げた。「ああ~」と落胆する友達の声が聞こえたが、振り返っていられない。目指すは、グラウンドの入り口。お昼ご飯を済ませていないアザミ先輩と模擬店を回る予定だ。アザミ先輩が気になっているお店全部回って、精一杯楽しんでもらえたらいいな!


「リス役、お疲れ様。」

 十四時になる五分前にグラウンド入り口に着くと、アザミ先輩はすでにぼくのことをまっていた。十四時ちょうどにシフトが交代すると聞いていたから、少し驚いた。もう少し心の準備をする時間があっても良かったのに、と胸を抑えながら思う。

「遅れたら申し訳ないと思って、早めに抜けさせてもらったんだ。」アザミ先輩は真顔でブイッと右手でピースした。アザミ先輩は指がスラリと長いので、それは可愛いと言うより美しいと言った方が正しい、とぼくは誰にともなく心の解説を入れる。

「まずは、何か食べますか?」とぼくが聞くと、アザミ先輩はこくりと頷いた。

「クルミは何が食べたい?」

「くるみ以外なら何でもいいです。」そう言うとアザミ先輩がくすっと笑ってくれたので嬉しかった。

「そうだなあ」

アザミ先輩がグラウンドの模擬店を見渡した。様々な部活が看板を出し、主食になるようなものからデザート、お菓子まで、本当にたくさんの種類の食べ物が売られている。部活動の種類が多いアスガム高校ゆえ、出店数も多いのだろう。改めてぼくもグラウンドを見渡し、何が食べたいか考えた。目に留まったのはバスケ部の熱血バーストピザトースト、動物愛好会の猫耳ちゅーるちゅーるところてん、千手観音菩薩部の参拾弐種スパイスカレー。でも、今の気分だったら、陸上部の回鍋肉弁当かもしれない。陸上部の模擬店では、さっきまでカンガルーだった三黒さんが、頭に白いタオルをまいて中華鍋を振っていた。

 豚肉とピーマン、キャベツがタレを絡ませながら空中で弧を描いている。ふと、アザミ先輩も同じ方向を見ていることに気が付いて、横を向くと自然と目があった。

「私、回鍋肉に決めた。」

「ぼくもです。」

 選んだものが同じってだけで嬉しくなるなんて、子供じゃないんだからやめなきゃね。表情はクールに、女性のリードはカジュアルに。それが男らしさってやつだと、昔見たアニメで言っていた。

「じゃ、行こうか。」模擬店とぼくとを結ぶ直線上から一歩引いた所に身を置いて、アザミ先輩はぼくが歩き出すのを待ってくれていた。歴戦のディフェンダーが敵をマークする時みたいな、洗練され、かつ、自然な身の置き方だった。カッコ良さで好きな女性に勝てない。次にリードする時は、ぼくがそうしてみたいな。


 イートインみたいに設置された木製の腰かけに座って回鍋肉弁当を食べながら、ぼくたちは普通の話をした。アザミ先輩の好きな選手は、『ピーター・シュマイケル』というデンマークのキーパー。好きな漫画は福岡鉄平という人の『サプライうさぎ』。好きな模様は水玉模様。好きな動物は、小さい哺乳類なら何でも、だそうだ。

「さっきから、私の話ばっかり。クルミは?クルミは誰が好きなの?サッカー選手で」

「そうですね。ハーフナー・マイクですかね。」

 アザミ先輩が、少し驚いたように肩を上げた。「ザッケローニ監督のもとで、活躍していた選手よね。高身長のフォワードだった。」彼女は不思議そうな顔をしていた。

「変ですよね、ぼくは身体が小さいのに」急に恥ずかしくなってぼくは下を向いた。

「変じゃないよ、意外だっただけ。クルミはきっと、小柄ですばしっこくて、テクニックもあるような選手に憧れているのかと、勝手に思ってしまっていたのよ。」

でも、そうようね、自分に足りない物って惹かれるわよね。

アザミ先輩がぼくから視線を外した。「私も、背が高すぎて、可愛いなんて言われるような人じゃなくてさ。その分、自分の周りを可愛いもので飾っちゃうもの。部屋の棚とか、ぬいぐるみでいっぱい。」僕から外れた彼女の視線が行き場を失ったように揺れ動いていた。

「意外です。もっと大人っぽいものが好きなんだろうと思っていました。『七人の侍』とか。」

「それは渋すぎない?」

 そう言いつつ、その古き良き映画を知っているアザミ先輩だった。



○三黒紗伊子の見聞 六


タタタタタタッとまな板に包丁が当たる音と、スシャーッという切られた野菜がボールに入れられる音がリズミカルに繰り返されます。料理屋の息子だという黒部先輩の包丁さばきは、まるで楽器を演奏しているかのような軽やかさでした。私はその横で、必死に中華鍋を振るいます。油の引かれた鍋底に豚肉を滑り込ませじうじうと焼く間に、キャベツ六〇グラムとピーマン三〇グラムを計り取ります。豚肉の片面に色が付いた辺りで計り取ったキャベツとピーマンを放り込み、炒め塩をふりかけると、あとは具材に火が通るまで炙ります。中華鍋を振る意味、それを私は詳しく存じません。黒部先輩に言わせると、油や調味料と具材の絡み方がうんぬんかんぬんだそうですが、私にとって中華鍋を振る理由とは見た目の良さに限ります。如何にも料理人になった気分が楽しいのです。鍋を振るうコツは、無理に腕を振り上げるのではなく、前に出した鍋を素直に後ろに引っ張り戻すことです。そうすると、油で滑りの良い中華鍋の曲線部に沿って豚肉とキャベツとピーマンが滑走し、弧を描いて空中へと振り出されます。その様子はまるで小さな宇宙。重力のうねりが具材という星々を絡め落とすその時、シューティングスターが極まるのです。

「紗伊子、また変な想像しているでしょ。」模擬店の脇から声がしたかと思うと「全く阿呆なんだから」と、銀子先輩が笑い交じりの溜め息をつきます。「でも、悪いね。本当はシフトなかったのに、一時間だけ入ってもらって。」銀子先輩が片手をピンと立てて謝りました。

「構いませんたら構いませんよ。それより銀子先輩、急用は済んだのですか?」豚肉とにらめっこしながら私は聞きます。

「うん、もう大丈夫!ありがとね!」

ささっと銀子先輩はエプロンに着替え、私と替わります。「よろしくうっす。」パシンッと銀子先輩が平手で軽く黒部先輩の肩を叩くと、リズミカルな包丁の音が一旦途切れ、「おう」という返事と共に、俺は包丁を使っている最中だぞ考えろよ、という冷たい視線が銀子先輩を捉えました。そんな黒部先輩は、銀子先輩のことが好きだと言います。

 私は二人を残してそっとその場から消えるように、陸上部の模擬店を去りました。少し急ぎ足で体育館に向かいます。もう少ししたら、映画部の上演時間です。

「銀子先輩がシフトに遅れた理由、三年生の劇の上演開始が遅れたから何だってさ。」

百恵がそう言ったのを聞いたのは、文化祭が終わった二日後のことでした。「元部長がいる三年三組、スケジュールがずれちゃっていたでしょう?」

粒だっていた雨が、霧雨になった気分でした。



○加賀谷ひかりの見聞 五


 あの男、あんなカッコよかったのね。

 赤出ミーコの作った映画を見て私は素直にそう思った。それは私としても好都合、時間を共にする者に華があれば華があるほど、私は喜ばしい。薄汚れた高校時代より煌めく高校生活の方が望ましいのは女の子に取って普通のことだもの。

「しかし、お前の心は薄汚れているわけだがな」

 隣に座る君野木実は私を見透かすように言った。

「酷い言われよう。私は、あらゆる諸事情の波に振り回され、いずれ難破船のように放り出されてしまうドロシーちゃんを救うつもりで来たのよ。」

 しかし、赤出ミーコの映画は、言ってしまえば何の変哲もない恋愛映画であって、あの辰野正一門という後輩や悪魔人間仲睦正志が絡んだ様子もない。

 そして始まった写真部の発表。そこでようやく、それこそ薄汚れた人間像を背負うドロシーと、辰野正一門と、小津野碧たちの姿が映ったのだった。ここから、辰野正一門らの裏切りが始まるのだろうか。写真部を偽ったその真意が、今更ながらどうも底の浅い単純なものに感じる。私は何か勘違いしていたのだろうか。



○若樹クルミの見聞 六


 回鍋肉弁当を食べ終えた後は、グラウンド内をぐるぐる回った。アザミ先輩は本当に可愛いものに目がないらしく、手芸部の模擬店内を隈なく捜索し、キーホルダーになるような小さなリスのぬいぐるみと、置物になりそうな少し大きなパンダのぬいぐるみの二つを手に取って真顔で見比べていた。やがてアザミ先輩は僕を見ると、決心したようにパンダを手に取った。

「せっかくだからリスにしようかと思ったけど、クルミは大きな人になりたいんだもんね。」会計を済ませて模擬店の外に出て来たアザミ先輩はそう言うと、勝ったばかりのパンダのぬいぐるみをぼくの頭の上にボフリと乗せた。

「あげる。」

素っ気ない、アザミ先輩の声だった。

 ぼくは、頭に乗せられたパンダを落ちないように手で抑えながら模擬店の中に入り直した。そして、ちっちゃなリスのぬいぐるみを買った。

「あげます。」

 素っ気ないとは言い切れない、ぼくの声だったと思う。

その後、ステージ演目を見に体育館へ向かうことにした。体育館はグラウンドと比べ狭い分、その賑わいは一段と大きく感じられた。眼の隅にカンガルーの頭が飛び出たバッグを持つ三黒さんの姿が映った。アザミ先輩といた時間がとても短く感じられたからか、三黒さんがあらゆる箇所で目にする神出鬼没のオバケに思えた。


「何だか、プロが撮った恋愛映画を見ていたような心地だった。素敵な人間たちが描かれていたわ。」アザミ先輩は、ステージ中央で拍手を浴びる映画部部長をぼんやりした目で見ていた。その表情は、彼女の口から出た言葉とは不釣り合いで、無表情に近い感じだった。

「イマイチ、でしたか?」僕は横目でアザミ先輩の顔を覗いた。

「プロが撮ったみたいって、今さっき言ったのだけど、クルミは、それ褒め言葉として受け止めなかったってことね。」くすっと笑って、アザミ先輩は長い脚をふわりと組みなおした。ぼくは少し焦った。いや、アザミ先輩の話を聞いていなかったわけじゃないですよ。そう言おうとするが、何だか無意味にあわててしまって、緊張して声が詰まっちゃう。そんなぼくを見て、アザミ先輩は微笑み、そして、指先を彼女のすっとした顔の輪郭に添えるように当てた。

「クルミは、赤出先輩の他の作品見たことある?」

 ぼくは、小さく首を振った。彼女が他にも作品を撮っていたこと自体、今のアザミ先輩の質問で知った。

「彼女の前の映画を見たのも去年の文化祭のステージだったの。題名も、彼女以外誰が出ていたかも忘れちゃったけど、今でも、あるシーンだけは覚えているわ。」

「今年の映画も役者がかっこよくて、話の内容も良くて、面白かったと思います。きっと、小津野碧さんのあのイケメンぶりは、しばらく頭に残ってしまいそうです。」と、ぼくは話した。

「そうね」とアザミ先輩も頷いた。「でも、去年のように、思わず映画の中にのめり込んでしまうようなシーンがあったら、君に触れられた指先に、気を取られることもなかったかな。」

 うう、やっぱり、気づいていたんですね。でも、触れようだなんて思っていなかったんです。たまたま、椅子の傾きを直そうと思ったら、そこにアザミ先輩の手があっただけなんです。でも、こう言ってもきっと言い訳にしか聞こえない。ウーウーって、また消防車のサイレンが鳴るのです。触れちゃ、駄目だったのかな。

 フレームアウトでフレーチャアウト。いや、何言ってんだろ、ぼく。そもそもフレームの中にいやしないってのにね!








Act.9 心ここにあらイず



○先輩の見聞 十七


 エメラルドの瞳、それは宝石だ。間違いない。アスガム高校で今を生きる女子高生にとっては、人類の宝であるかもしれない。人気のあるキャストを際立たせれば、それはそれは、話題になることだろう。だがそこに、人々への遺産はあるのか。あなたの生み出した黄色い声援は、未来永劫残り続けるものなのか。

 ミーコ先輩、あなたは言っていた。見落としちゃいけない心の生き様があることを示すと誓ったと、そう言っていた。俺は今でも、あの日あなたが言ったことを思い出せる。

「私は誰よりも存在感なくレッドカーペットを歩き、誰よりも存在感なく賞を受け取りたい。一年後には話題にも出ない。それでも、何年経っても観た人の心の中で『報われるから大丈夫』って優しくささやくような、そんな心を残す作品を作りたい。」プリンセスタイムが静かに発動し、背後から穏やかな光を放ったミーコ先輩の姿が目に浮かぶ。しかし、それから数カ月して、あなたは俺の目にあの光を届けてくれたことはない。

『割れたガラスの欠片の中で、今もまだ光り続けているんだぜ』

 スクリーンは、日が沈んだ宵闇、暗がりの部屋を映す。橙色の小さな明かりを灯した机の前で、ベースギターを抱えた小津野碧が、駅前の彼女が歌っていた詩を口ずさむ。

『夢を一杯に注がれたグラスに、消えていく衝動、自尊の酒瓶』

 小津野碧の脳裏に、ひしゃげた祖父の顔が浮かぶ。

『砕け散るその努力に、誰も目を当てられなかったんだ』

幼い頃に目にした風景、祖父が経営したライブハウスの一つがショベルカーに解体されていく風景が思い出させる。「音楽なんてやめておきなさい。」そう言った祖母が脳梗塞で倒れたのは、ライブハウスが解体された翌月の末だった。苦労が祟ったのかもしれない。

『それでも、それでも、オーケイ、オーケイ、捨て置けい』

小津野碧の指が糸で操られたかのようにカタリカタリと動き出すと、ベースギターが低く重い音を奏で出した。

『それでも、それでも、オーケイ、オーケイ、捨て置けい』

 ぷつんと、糸が切れた様に小津野碧の指が走り出した。

 翌日の午後十八時、駅前には二人の音楽家が、背を預け合うように曲を奏でていた。

 しかし、肝心なことをこの映画は伝え忘れている。この映画に、ライヴシーンなどないのだ。



○ドロシー・ゲイルの見聞 十一


 獅子のような風貌ながらオロオロとした様子の脇屋空太郎君が、これまたおろおろした手つきでスマホの画面にメッセージを上げた。

《今週末、地元のライブハウスにブリキの木こりが組んだユニットが来るって》

《よっしゃ》

ポンと弾かれるように案山子のメッセージが続けて上がる。

《嬉しいの?やっぱり、昔の仲間だから?》

《阿呆め、嬉しいわけがないだろう。そうじゃない、乗っ取るんだよ、そのライヴを》

《え?》

《脳みその藁の割には、妙案だな。》

《そうね、妙案ね》

 小津野碧と、私が立て続けにメッセージを送る。二人はそれぞれの部屋で、画面を見てにやけた。映画の中で私たちは通じ合っている。見えないけれど、同じ五線譜を読んでいくような感覚がした。

《本気なの?本気で乗っ取るの?》

 その獅子・脇屋空太郎君の弱気な問いに、応えは帰って来ない。しかし、この無言もまた答えである。そう言えば、ただの既読スルーも聞こえが良いかな。

 その夜、案山子・辰野正一門君から木こりのスマホにボイスメッセージが送られる。

「あんたは、目覚めることになる。」星が綺麗な夜だった。「あんたが蜜でとろけさせてしまったものを、宝石で霞ませてしまったものを、俺は形にするつもりだぜ。」満天の夜空を映したような黒く曇りのない、案山子の眼だった。


 ここからの物語の展開は早い。木こりたちがライヴを行う予定のライブハウスは、小津野碧が演じる主人公の父親、つまり廃れた名家『小津野家』が経営するライブハウスだ。小津野碧は父の机から印鑑といつも使っている万年筆を拝借すると、さらさらと適当な書類を作り、当日の夕方過ぎに到着した木こりたちを問答無用につき返した。見れば看板には「来館不可」という赤字の書かれた紙が、木こりたちのユニット名が記された広告の上に乱雑に張られている。足を運んできた客はやや肩を落としたが、ドリンク無料の言葉に袖を掴まれ、そろそろとライブハウスの中へ足を運んだのだった。

「おい、ふざけるな、考え直せ!」

スマホの画面に映し出される木こりからのメッセージを無視し、ドロシー、小津野碧、辰野正一門、脇屋空太郎の四人が、ステージの上へ続く階段を上り出す。

 私はこのあと真二つに破けるらしい黄色のドレスに身を包み、我が身の行く末を「どうとでもなりやがれ」と案じた。

やがて、体育館の全照明が落とされた。映像もまた真っ黒に落とされる。

「ライヴの始まり始まり」

 辰野正一門が静かにそう言うと、体育館の袖にあるスポットライトがひとつだけ点灯する。観客の目に止められたのは、私の履く銀色の上靴。



○三黒紗伊子の見聞 七


 これは最早、写真部とはほど遠い存在です。映像とは写真の連続である、という唯一の砦を、先輩は自ら捨てた模様であります。

「全国の写真部が聞いて呆れてしまいますよ。」

 しかし、否が応でも、会場にいる観客の目線はステージに向けられます。スポットライトが照らした銀色の上靴はやがてステージの真ん中に運ばれ、暗転した場内で一つだけ存在する確かなものとして、その銀の輝きを放ちます。スクリーンは知らぬ間に引き上げられ、背後に現れるは、ベースギターに電子ピアノ、ドラムセットとアコースティックギター&マイクスタンド。同時に、漏れ出す淡い橙色の明かりが黄色い服を着た彼女らを照らします。

「あ、あー。今日は集まってくれてありがとう。ボーカルのドロシー・ゲイルです」

 体育館中がざわざわと揺れます。

「阿呆な3D化だ」「初めて見る奇怪作」「スライドショーでもなければ、映画でもないのか」「もう何でもありではないか」「私的にはあり」「下手だったら笑い者だぞ」「いや、笑えたらまだマシというもの」

 そんな場内の騒めきの中を、重厚なベースのヴェン・ヴェン・ヴェン・ヴェンという響きが人の合間を縫うように床を這い始めます。小津野碧さんの指が、細かくしなやかに、それでいて己の内側から不条理を弾き出すかのような音を奏でます。

「重たい音だ。重た過ぎる。」

 すぐ隣で待機している吹奏楽部の団員が言います。彼女はバイオリンの弓をステージにもたげると、指揮棒のように振りました。同時に、軽快なドラムとアコースティックギターの脈打つような音が鳴ります。電子ピアノの高音も添えられ、会場に音と音が混じり合いました。

「素人交じりにしては、聴ける音だな」吹奏楽部の彼女は、いつの間にか閉じていた瞳を開き、ステージ上のドロシー・ゲイルと名乗る少女を見据えます。よき戦友を見るかのような、闘志をたぎらせた瞳でした。

「聴いてください。」

 と、その瞳を受け止めるドロシー・ゲイルがスタンドマイクに唇を寄せ、呼吸のように自然な声で歌います。


 一年前、ブリーフの男が街に出歩いて

 警察に捕まって、何かわめいて消えたっけ

 

二年前、ブリーフになる前の男がブランコで

 うつむいて足揺らし、涙こらえて帰ったっけ

 

三年前、ブリーフになる前の男が会社で

 社長に直談判、頭を下げて言ったっけ

「このままじゃだめだ」って

「新しいことを始めよう」って

 聞き入れてもらえず、肩を落として帰ったっけ


 一年前、ブリーフの男が街に出歩いて

 警察に捕まって、何かわめいて消えたっけ

誰か聞いてたかい?

彼の本当の言葉を



一年前、赤髪の娘が街に出歩いて

泥酔の男に、社会なめるなって言われたっけ


二年前、黒髪の娘が街に出歩いて

燃え上がる炎になりたい、普通じゃ駄目だって

 笑って髪を染めたっけ


 三年前、黒髪の娘に衝撃が走って

 わかった、わかった、成すべきことがわかったんだ

 目が眩む現実に、打ち勝つようなストーリー

 素朴で愛のある、夢のこもった人情を


 一年前、赤髪の娘が街を出歩いて

 泥酔の男に、社会なめるなって言われたっけ

 少しもなめてないぜ

 娘は言って笑ったって


 一月前、赤髪の娘が街を見渡して

 宝石の煌めきに、我を忘れてとんでった

 ストーリーはあってるかい?

 本当にそんな結末かい?


「なんと、薄汚れた歌でしょう。」

観客は気付きました。これはライヴではなく、映画の一部なのだと。

会場の盛り上がりなど一切求めない、渾身のエンドロールなのだと。



○赤出ミーコの見聞 十六


「あれ、植草君がいないよ?」「トイレじゃないですかね。」「それにしても、流石、変なことを思いつくもんだ。」部員たちがそんな会話をする横で、私はムズカシイ顔でステージを見ていた。

 物語が進むにつれて、私は心がきゅうきゅうと音を立てていることに気が付いた。

 彼が映画の中で小津野碧の美しさをくすませたのは、私という外部の存在を引き立たせるためなのだろう。私の映画とは対照的な小津野碧、彼は粗悪な人間像を見え隠れさせながら映像の中を生きていた。小津野碧は少しだけ品のない、いたって普通の少年だった。

 ゆえに、後輩君は私に言い放つように、木こりに向かって言葉は放る。

「あんたが蜜でとろけさせてしまったものを、宝石で霞ませてしまったものを、俺は形にするつもりだぜ。」

 私が、心を溶かしてしまったと、霞ませてしまったと、後輩君は言うのだ。表現者の端くれですら、なくなっているぞ、と。

映像の端の野犬、人ごみを漂うたばこの煙、言葉の切れ目、薄汚い詩の中、重たいとベース音と小刻みなドラム、目の前に写し、描き出されたそれぞれの片鱗が度重なる見えない言葉となって私を問いただすようだった。

「おいたわしいぜ、赤出ミーコ」

 そんな後輩君の声が聞こえてくるようだった。

「あなたは小津野碧という原石を磨いていたつもりだろうが、その実、削り落としたのは己の想いなのだ。表現者が持つ歪さや鋭さを全てそぎ落とし、後に残ったものは純粋な恋心のみ。ロミオとジュリエットも赤らむような、ピュアな心が表に出ただけだ。それはメロンソーダのようにメロンメロンでパチパチ悶えるような味だったことであろう。透き通った碧色がその身を癒し、そして焦がしていることだろう。

で、そのメロンメロンミーコが気づかぬ間に映し出した己の恋の実像を見て、我々が心に何を残せと言うのです?

 魅せたいものは己の赤面する笑みですか。憧れた人の微笑みですか。」

 深々と後輩君が私に想いを向けるのが分かった。

 目覚めろ、プリンセス。

 目覚めろよ、目覚めてくれよって、そう聞こえた。

 誓いのキスもなければ、救いの手も差し伸べない。

 ただ、映画を見せただけ。

 ただただ、想いを見せただけ。

それは、私以外の誰に理解されなくたって構わない、そんな意志を感じる想いの映画だった。

そうだ、彼は言っていた。これは戦いだと言っていた。誰かを殴り飛ばすとき、一遍にみんなは殴れない。一人に狙いを定めないと、当たらない。不器用な彼がそう言って、私に殴りかかってくる様子が浮かんだ。

 でも、私はその拳を正面から受け止められない。だって彼の映画より、私の映画の方が上だもの。観客の顔を見ればわかるもの。


 一月前、赤髪の娘が街を見渡して

 宝石の煌めきに、我を忘れてとんでった

 ストーリーはあってるかい?

 本当にそんな結末かい?


 またそんな、きゅうきゅうと胸を絞めるような言葉を使う。君は本当に恐ろしい。たった今もドラムを叩き、身体全てを揺り動かして、私に「目覚めろプリンセス」って、呼びかける。けれど、本当にそう言うためだけに、この映画を終わらせようというの?

 悪いけど、それじゃあ全然へこたれない。観客の評価があってこそ、映画は初めて言葉を語り、想いを伝えるのだもの。



○先輩の見聞 十八


心を形にするには、演出、物語の構成、台詞、ほかにも様々な要素を組み合わせ、脳内のイタキモチイところを一転狙いする大規模な爆発、すなわち青春大爆発を誘発する必要があろう。

青春とは、様々な心模様が浮かんでは消える時の流れのこと。喜びや憂いが一体となって身体を廻る。恋だってその一部に過ぎない。恋が青春なのではない。青春の中に入り混じる劇物の一つ、それこそが恋なのだ。したがって、若者がたたずむ、その「青い春」と名付けられた時代は、桃源郷の如き時分、安土桃山文化のような荘厳でいて残忍な心の時代、行き過ぎたら決して戻れない時空なのである。

しかし、高校生である我々はともかく、目じりに皴のできた大人であっても時折、その青春の心を思い出すことがある。その際、古ぼけてホコリをかぶり始めた彼あるいは彼女らの心内に起こっているのが、何者かによって誘発された青春大爆発なのである。大爆発により地殻変動が起こり地球の磁力が反転し、相対性理論が精神の僅かな変異を示唆し始める。示唆された時空のゆがみの隙間から風が吹き抜け、まるでホコリを払われるかのような心境に達することだろう。

青春は爆発だ。青春大爆発した後に残った風景が心に残る遺跡となる。

 ではいかにして、青春大爆発を誘発させるかであるが、そこで重要なのが、心を形にすることなのである。詳しく言えば、青春の心を形にすることである。心を形にし、人の目に映す、それが、本来ミーコ先輩が作り上げるべき映画の本質であり、俺が追い求める理想の彼方である。

 赤出ミーコ、あなたに私の心を見せるべく、私は今回、堂々とあなたの前に立つことにしたのだ。身体中に導火線を巻き付けて青春大爆発を起こす人間を直接、あなたに見せることにしたのだ。その解こそが、ドロシーと小津野碧をひっさげたこのライヴシーンである。映像にしてしまえば、公民館のそっけなさと無観客の虚しさがどうしたって拭えない。そんな金欠映画の救いの一手であるこのライヴが、逆転の一手となってあなたの目に映ることだろう。恋やら何やら全部ひっくるめ、それでいてどれも色あせない青春の煌めき、決して薄れない熱量を、その目にしかと焼き付けようではないか。

 現在進行形で青春大爆発していく人間は、青春クラスターそのもの。その姿を堂々と見せるだけで人々は己の中の導火線に火を付けられる。青春大爆発を誘発させられる。自然と上がる体温が栄光と堕落の過去を消し去り、ただ、目の前に煌めく現実だけを切り取って、心の形を成していく。ドロシー・ゲイル、こいつは俺が選び抜いたアーティストだ。俺の代わりに、こいつが心を作っていくのだ。

諦めろ赤出ミーコ!

貴様の脳内は爆発し、今、この時をもって造形を変幻せしめる!!

最後の一曲、エンドロールを超えて待つ、ドロシー・ゲイルにひれ伏せろ!

今こそ、ドロシー・ゲイルの黄色いドレスが破け散り、その身に秘めたる慟哭が溢れ出し、全人類の頭上に降り注ぐ雨粒となろう。雨粒は乾いた地を癒し、やがて花となる草木を芽吹かすことだろう。コンクリートの割れ目から、やっと顔出すタンポポに、お前らはならなくちゃいけないのだ。逆境を超えたその先に、エンドロールのその先に、見える未来こそ己が人生。六度ふられたってなお、立って歌う女がいるぞ。タンポポよりも壮大に、太陽を向く向日葵がいるぞ。それをしかと、見届けろ!

 カッカッカッと打ち鳴らすドラムスティックが三拍目を響かせた。

しかし同時に、透き通る声が会場を覆った。

「あなたたちは、何かを隠している。」

 司会を務める文化祭運営委員が使っていたマイクを持って、加賀谷ひかりがそう言って俺たちを睨んだのだった。

 それは冷たい水のように、向日葵から熱を奪った。でも決して、心地よくはないだろうという悪寒が、俺の額に走ったのである。



○君野木実の見聞 三


 時間の方を少し戻させてもらおうかな。

「この演出いる?」「よいかな?」「よい」「よいね」「比喩が一周回って直接的な表現となったな」「ともあれ、我々の眼から霞を拭ったのは確か」

 周りの観客は、そのようなことを話してライヴを聞いていた。しかし、後輩君は人を感心させるために映画を作ったのではないだろう。

 突然始まったライヴに、これぞ、後輩君らしい悪あがきだなと、私は思った。人望もなく金もない彼が考え付いた打開策は、決して悪い方へは転ばないと思う。あくまで、大した音楽の才もない私の耳に響いてきた感覚だけを言えばのことだけど。

 だけどやはり、素人であっても、ドロシー・ゲイルと名乗る彼女の歌声がそれなりであることはわかる。彼女の感情の入れ様は、熱く溶けたガラスに息を吹き込むように、情熱的でいて繊細だった。

「ねえ、これがどんな映画か、わかる?」加賀谷ひかりが、むすっとした顔をしてそう聞いた。胸をあたりで組まれた腕の上で、彼女の細い指先にわずかに力が入って、これまた細い二の腕を押す。

「音楽と映像を混ぜ合わせた、エンターテインメント?」と私は言葉を返した。

「そうね、でも、それだけじゃないわ。」

「二次元から三次元へのシフトチェンジするドッキリビックリ映画?」

「そうかも、でも、それが狙いでもないわ。」

「ラブロマンス?」

「何故そうなるのよ。」はあ、とひかりの口からため息が漏れた。「この映画は、赤出ミーコに向けた、怒りの長文ラインのような映画よ。裏切りも企みもへったくれもないの。あったのはただの内輪揉め。」

「そうかな、私はやはりラブロマンスの線も消しきれないけどな。」

 はあ、とまた、ひかりがため息をついた。私の戯言にはついていけないといったご様子だ。しかし、その瞳は下など向かず、じっとステージ上で歌うドロシー・ゲイルを見つめたままだ。

「何か、悪いことが起きるのかと思ったの。」

 ひかり、己の心内に影を落とすように言う。

「たとえば、ドロシーちゃんが小津野碧への想いを暴露されて恋愛裁判とかいうのが始まって、立ち上がれないくらいとても傷付けられるとか。そしてあの辰野正一門という男が、赤出ミーコに小津野碧を献上するとか。」

「裏切りなんて、後輩君はしないと私は思っていたよ。」

 切るなら、裏を突く前にとっくに切っているだろう。初めから、正面を向いて切りかかっていく。後輩君は、意外とそういうスタンスなのだ。

「それか、」とひかりが続けた。

「それか、映画部が一丸となってドロシーちゃんの立場を利用して、もっと大きなことに繋がる糸をたぐり寄せるとか。」

 私は、ひかりの顔をじっと見つめた。むすっとした表情を変えず、ひかりが一度だけ私を見返した。

「そんな目で見ないでよ。わかっているわ、後者は私がしようとしていることよ。」

 私は、それを聞いて、少し笑った。つられて、ひかりのむすっとした表情が少し和らいだ。

「あーあ。ドロシーちゃんを助ける予定で登場するつもりだったのだけど、だめね。見当外れだわ。仲睦君、知っていたでしょうに、私に隠していたわね。これでは彼女にとって、私の方が悪者になってしまうわ。」

「でも、行くわけ?」

「ええ、背に腹はかえられないもの。私はここで自分の人生を決める。芸能界に嫁入りするのよ。」

 私の中にくつくつと笑いが込み上げてきた。ひかりの、こういった姿勢は好きだ。自己中心的な姿勢だが、それは己の信念に基づいている。そういう自己中心的な考えは、好感が持てた。

「木実にも、迷惑かけるわね。」

 そう言ってひかりは私を置いて、ステージ脇の机に向かって歩み寄っていく。そこでは、「写真部のステージ? もうどうにでもなれ」と言いたげな顔の文化祭運営委員達が、肩を落として座っていた。

「失礼するね。」

 ひかりはそう言って、机の上に置いてあった文化祭運営委員の司会進行用マイクを手にした。後輩君たちのライヴの一曲目が終わったのを見計らって、彼女はマイク越しにその透き通る声を体育館中に響かせたのだった。

「あなたたちは、何かを隠している。」

 彼女の透き通った声は何故だか、他の人を黙らせた。誰も皆、小津野碧やドロシー・ゲイル、後輩君までもが、ひかりの次の言葉を待つかのように、押し黙っていた。

「辰野正一門、あなたは特に、大きな秘密を握っているそうね。君野木実との二人だけの秘密。私は、とても心配なの、君野木実の友人だもの。このライヴが終わるとき、何か、悪いこと、企んでいるんでしょう?」

 よくもまあ、とんちんかんなことを平然と言ってのけるものだ。しかし、会場を混沌とさせるには、十分な嘘だった。



○先輩の見聞 二十


 強いデジャブを感じた。何を突然言い出すのか。阿呆も阿呆な言動だということは説明不要である。しかし、私の脳裏に、ありありと、夏祭りでの騒動が思い出される。

 おいおい、おいおい、追いキムチ。

 加賀谷ひかり、歩く一富士二鷹三茄子と言われたあなたが、ずいぶんと思い切って人を混沌の渦に落とすではないか。

「秘密って?」「君野木実の秘密って」「まさか、噂は本当だったのか。」「夏のプール事変」「あんな見るからに阿呆で」「小汚い男に限って」「そんな話、あるわけ」「ない。」「ない。」「ないだろ。」「ない?」「ないよな?」「ない、のか?」

 勘づいた男どもの視線が、俺に集中し始めた。馬鹿な男どもめ、すぐに流される。

 俺は、体育館脇で座る仲睦を見やり目で訴えるが、仲睦は両手を上げて首を横に振る。「私、関係ありませんからね」そう言いたげな表情である。

 混乱が最大級に達する前に弁解の余地をいただかねば。

「お前ら、俺に秘密などない。とうに全て消し去ったのだ。なんならスマホでもパソコンでも、覗いて見てみるがいい!」

 俺はそう叫んだ。

「言ったな?」

 男どもの眼がギラリと桃色に光った。突如、押し寄せるように会場のあちらこちらに散らばっていた男達が、ステージ上目掛けて人混みをかき分けてくる。大半がコノミファンクラブの腕章を付けていた。こいつらは揃って、言葉のあやというものを知らぬ愚か者たちらしい。

 しかし、とんだ大事になってしまった。小さいステージに阿呆という数の男達が詰めかけては、ライヴになるはずがない。

「ファンクラブに身を落とし、己の恋路に蓋をした愚か者どもめ!」俺はドラムセットから身を乗り出してそう言った。

「写像に囚われさまよう前に、現実の女を追いかけろ。今一度鏡で己の顔をまじまじと見つめ直し、現実的な女を追いかけろ!」

するとステージ下に集まり出した男達が「なんだとボンクラ!」「馬鹿にしやがって!」と言葉を返す。「裁判をけしかけ、人を餌にするお前が何を言うか!」

「ふわはは。告白し砕け散る心もないお前らは、俺の膝元に伏し、餌となったその男ども以下だ。」

「ぐぬぬ、その傲慢たる眼鏡、叩き割ってやる!」

 かかれ!という一人の男の合図をきっかけに、男どもがステージ上へよじ登り出す。

「いくら登って来ようが、貴様らには辿り着けん。高嶺に咲く君野木実という花を、摘み取ることなど出来はせん!」

「まだ言うか!」

「高嶺の花を手にするそいつは、絶壁をも身一つでよじ登る、孤高の登山家のみである。群れて想いをぼやかし、傷をなめ合い、いずれは足を引っ張り合う、そんなお前らなどでは、決してない!」

「お前こそ、あの女体に目がくらんだエロガッパのくせに大層な口をききやがる。」

「そうだ、その通りだ。だから何だ。何だって言うのだ。」

 俺だって、何者でもない。

 だからずっと君野先輩は、その峰の天辺で、虚しさから逃げられずにいるのだ。何故、気が付いてやれない。何故、彼女の心を見ようとしない。完全美麗なる容姿の殻を、被って燻ぶって灰と化す彼女の心に、誰も風を吹かせてやれないのか。

 すでに消え去ったSUKEBE写真を求めて、一人の男を追いかける。

得られるものなど無いっていうのに、我先にと手を伸ばし、欲の赴くままにひた走る。

 男とは、なんて、底の浅い生き物であることか。

会場の女子どもは、この光景をどう見ている。

君野木実は、どれほどの虚しさに襲われる。自分の方へは誰も来ず、写真の方へ引き寄せられる男ども。桃色しか見ぬ男ども。その男どもに計画を崩され、烏合の衆の一部と化して逃げる小物。まだ、突然告白された方がマシかもしれない。

「流石にやばくない?」

 脇屋空太郎が我慢しきれず漏らした声を最後に、ステージ上は桃色の眼をした男どもで溢れた。もみくちゃに挟まれたドロシーの黄色い衣装が破れた。ワイヤー替わりに括り付けた釣り糸が誰かの体に引っ張られ、音もなく黄色の衣装を破いて地面に落ちた。演出も見せられぬまま、その衣装は男どもに踏まれる。初めから破られる予定であったとは言え、これでは、布も報われない。

「すまない、ドロシー。」

 途方にくれた彼女の瞳を、私はそれ以上見れなくなった。しかし、必ず、お前の詩は届かせる。

ボムプキャッ!

体育館中に、爆音が響いた。仲睦がアンプの音量を上げたまま、電源を入れ直したのだ。

会場全体が時を止めたように、動かなくなった。アンプに近い、ステージ周辺にいた者ほど、その爆音は心臓を止めたようだった。そんな中、己が体を次の行動に移したのは、音など聞こえぬ土の底まで心を落としていた俺と、ちゃっかり耳栓する仲睦。そして、三黒紗伊子の三人だった。



○三黒紗伊子の見聞 八


 加賀谷ひかりさんという方が突然声を上げた数分後、男子生徒の方々がステージへ向かうのに紛れて仲睦さんがにょろりと私の前を通りました。その蛇のような顔が一度過ぎ去った私の前へ戻って来て言うのです。

「ちょいとしばらく耳を塞いでおくとよいですよ。」

 彼がヘルプ&アンプを求めていますのでね、と壇上の先輩を見やってにやりと笑いました。

「それにしても良い物をお持ちのようですね、ここは一つ、彼に貸してやってはくれないですか? 僕とあなたの仲でしょう?ねえ?」

 私と仲睦さんの仲とは、いったいどんなものでしょうか。まさか、有刺鉄線で結ばれているなんてことありませんよね? しかし、考えても想像に付きません。しかし、この手荷物が役立つというのなら、先輩のため、一肌脱ぎましょう。いえ、すでに脱いでいるって? 察しがイイ人はミステリをお読みください。桃色思想が浮かんだハレンチさんには、カンガルー式上段蹴りのお見舞いです。

「カバン渡したら、すぐ戻って来てくださいよ。まだまだしなきゃいけない準備があるのです。あの人は本当、手がかかるんだから。」仲睦さんがそう言って、再び人ごみに紛れて前方へ向かいました。

 数十秒後、アンプから爆音が響きました。直後、静止する会場の中、壇上にいた先輩が群がる男子生徒の肩を踏み台に、ピョンピョンと跳ねました。先輩が体育館からの脱出を試みているのです。私の手に力が入りカバンが強く握られますと、体育館後方の出口へと向かいます。一方先輩は入り込んだ男子生徒の群れを跳び抜け、体育館側面のグランド側に繋がる扉に向かって走るのです。

 私は出口を飛び出ますとグランド側に走ります。そこへ丁度、扉を開けた先輩がこちらに向かって走ってきます。驚いたように先輩はこちらを見ました。

「三黒さん、どうしてここに?」

「詳細は後ほど、今はこれをもってどこか隠れられる場所へ!」

カバンを受け取った先輩が感心したように言いました。

「君は私が窮地に立った時、いつも現れる。」まるで、関ケ原の戦いの時分、豊臣家に加担した真田幸村だな。

 先輩がそんな妙なことを言います。

「その戦いって、その後どうなるのでしたっけ?」

 私がそう聞きますと、数秒の間がありました。

「今の発言は気にするな、とにかくサンキュー冬の陣。これは利用させていただく。」

 そしてすぐ、夏の陣だ。先輩はそう言い捨てるようにして、校舎内へ向かって走ります。体育館の扉を見てみると、男子生徒たちが慌てて外へ飛び出してくる姿がありました。私は校舎の中へ消える先輩目掛け、バキュンと銀色の弾丸を撃ちました。その後、大勢の男子生徒に囲まれて先輩についてあれこれ聞かれてしまいました。

「あの男とどんな関係かですか? いえ、今そこでただ、ぶつかっただけでして」「何か言っていたかですか? 夏の陣、とか何とか言っておられました。」「はて、あの方はどこの誰なのでしょう。」「彼が何かやましいことを? あなたがたは彼のお仲間で? ああ、僕らには関係ないですか。」と何とかごまかすのに大変でした。



○ドロシー・ゲイルの見聞 十二


 なになに、なになに、なにぬねの。

 さっきまでの高揚が、ラストスパートへの激情が、急に消えてしまった。アイスクリームが溶けた、手元にぬるいバニラが付いた。べたっとして嫌な感じ。

 まだ終わっていないっていうのに、会場はもう誰も映画の結末を見ようとしていない。私の詩を聞こうとしない。そもそもドラムがもういない。

『ウィザード・オブ・オズ』改め、『リザーブ・オブ・オズ』。それはオズの予約だか、オズの予備だか、オズの補欠だか、最後まで私には理解できなかったけれど、悪くない映画だと思った。ホコリっぽくて、碧君には似合わないと思ったけれど、フラれ過ぎた私には似合っていた。自分で作った料理が少し焦げていても、ちょっとおいしく思える。その感覚と似ていたかもしれない。でも、悪くないと思ったんだ。燻ぶっていた情熱を最後にドバッと開放する展開が好きだった。辰野正一門君は終始怪しいし、碧君への恋路は迷路の中、脇屋君はそこにいるだけ。

それでも、完成させたかったのにな。

まだあと一曲、残っているのにな。

アイスクリームが溶けたって、溶けない気持ちもあるのにな。

花は枯れたって、種を残すのにな。

「あきらめちゃダメ。私が手伝うわ。」

 呆然と立ち尽くしていた私の横から、突然そう声がかかった。秋風のように透き通る声だった。

「加賀谷ひかり、さん」

 彼女は微笑んで手を差し伸べた。

「私が最後の一曲を手伝うから、そんな淀んだ眼をしちゃだめよ。」

 Do my best. And, do your best. お互い、全力を尽くしましょう。

 加賀谷ひかりの秋風のような声が私の心の中を行き交い、やがて馴染むように、木の葉をそっと地面へ落とすように、その言葉は私の心に受け入れられた。

 すると、自分でも不思議なのだけど、私はマイクとギターを加賀谷ひかりに預け、誰もいなくなったドラムの方へ足を向けていた。かくある楽器の中でも一番得意なドラムの演奏なら、私を救ってくれる気がした。一瞬、ほんの一瞬だけ、そう強く思った。

 あれ? そう思った時には何もかも遅いような気がした。私はドラムスティックを握って座っていた。ドラムへ向かう途中、普段よりわずかに目を開かせた碧君と目が合った。

「そっちへ行ってしまうのかい?」

 彼の瞳が、そう問うていたのが分かった。

 私は今、自分がどんな顔をして碧君を見ているか、まるでわからなかった。

「みんな、こっちを見て。」

加賀谷ひかりが言ったその言葉は、頭を優しくなでるような声だった。

「最後までこの作品を見て欲しい。」

 透き通る声がマイクを通して会場の人々の意識を戻した。みんなの瞳に、期待の光が宿ったように、自然とステージを見上げていた。

碧君がふと、手元に目を落とした。この場を収めるには、こうするしかない。そんな意図が見て取れた。碧君の指が小刻みに動き出し、弦を弾く。重厚なベース音を会場に響かせ始める。

 次いで脇屋君が電子ピアノを鳴らしだし、加賀谷ひかりが「待っていました」というようにギターから音を紡ぎ出す。

それは、丁寧な音だった。

とても即興とは思えない音だ。何故、このメロディーを知っているのかわからない。けれど、この歌の全てを理解しているようだった。どこかの悪魔と繋がっているのだと思った。しかし、加賀谷ひかりは悪魔とは対照的で、落ち着いていて、見ていると心が安らぐような表情だった。

「割れたガラスの欠片の中で 今もまだ光り続けているんだぜ」

 その声、その言葉は、澄んだ空気をまとった夕空を人々の目前に描かせ、一番星を掲げるように、その瞳の中に光を灯したのだった。



○加賀谷ひかりの見聞 六


 ごめんなさい。私はそう心でドロシーちゃんに呼びかけた。

私の銀の靴は、私の呼びかけによって、履いた本人が最も得意とする物へ足を向けさせる。拒否すればもちろん、身体は自由だ。銀の靴それ自体の拘束力は薄い。しかし、得意とする物を拒否するなんて、わざわざしない。だから、全自動的に人々を動かすように見える。

 初めてこの超能力に気が付いたのは、小学五年生の時だった。六年生を送る会の劇の発表で、私はお姫様用の銀の靴を作った。銀の靴と言っても、当時作ったのはドロシーちゃんに渡したようなしっかりした物ではない。上履きにアルミホイルを張り付けただけの、簡素なものだった。その上履きを履く女の子は、本来は大人しい人だった。決してみんなの前に立つような子ではない、隣のクラスの、普通の、可愛らしい女の子だった。その子と私が、お姫様役を前後半に分けて演じるはずだった。

「お互い、頑張ろうね」

 劇が始まる直前に、そう私が呼びかけた。すると、突然彼女はピアノの方へ歩み寄っていった。そして彼女は、とても軽やかで素敵なメロディーを奏でた。私の方を見て申し訳なさそうに、それでも、憂いの無い顔でにこりと微笑んだ。「お姫様は、一人でもいいよね?」と言っているように聞こえた。緊張のほぐれた、いい音だった。


「割れたガラスの欠片の中で 今もまだ光り続けているんだぜ」

 私がそう歌うと、背後からドラムの音が響き出した。リズミカルで、才能が溢れ出るのが聞いてわかるような演奏だった。楽譜にはないだろうという音が詰め込まれ、アレンジがすごい。それでいて決して外さず、私と観客の心を高ぶらせた。先ほどまで演奏していた辰野正一門の音が、当然のように霞んで消えた。

 流石だわ。血って、すごいのね。

 私の眼の片隅に、一人の男の姿が目に入った。黒いジャケットを羽織り、黒いジーンズを履いたスラリとした立ち姿の中年の男だ。顎髭が肥えているがそれは綺麗に整えられ不快感はまるでない。黒い帽子を深く目元まで被り、静かに曲に耳を傾ける。

 かつて絶大な人気を誇ったバンド『Winter revers』のドラマー、「ゲイル・ズィーガー」、本名を「夏入 静火」。夏入ドロシーの父親だ。今年の春、ずっと別居していた妻とようやく一緒に住み始めることになり、妻とその娘であるドロシーちゃんがこちらに来たという話を、仲睦君が調べてくれた。

 夏入静火は今、自らの音楽からは少し身を引き、音楽業界でプロデューサーとして、様々なアーティストやアイドルを生み出している。

 本来いくつもの障壁を超えねば会うことさえ許されないそのビックネームに、高校の文化祭で出会えると知ったら、芸能界を目指す私が、このチャンスを見逃すのは厳禁でしょう。最大限のアピールをして、彼に目を止めてもらう。そして、白鳥が羽ばたくように私は社会に飛び立つのだ。

 ドロシーちゃんを一目見に、必ず彼が現れる。私はそのチャンスを掴む。これは決定事項なの。

 ごめんね。ドロシーちゃん。でも必ず、最高のショーにして見せるから。今日はお願い、手伝ってほしい。



○ドロシー・ゲイルの見聞 十三


「 夢を一杯に注がれたグラスに

  消えていく衝動、自尊の酒瓶

  砕け散るその努力に

  誰も目を当てられなかったんだ 」


 加賀谷ひかりが、歌を紡いでいく、すると観客の瞳に熱がこもる。けれど違う、これはただのライヴではない。この歌はただの詩ではない。

これは阿呆な彼の想いが籠る、大事な映画のエンドロールのその先であり、私の恋路の結末なのだ。

碧君への、七度目の告白なのだ。七度目であり、最後の告白なのだ。もう、三度目の正直の三週目なんて、していられない。それはつまるところ、この恋情からの、別れの歌でもある。

 私が歌わなければならなかったのに、どうして、私は自らその身を後ろに引いてしまったんだ。バカバカ馬鹿め、ウマシカめ。

 私は歌った。マイクも通さず、歌った。声をからして歌った。

「夢を一杯に注がれたグラスに」私の想いを掻き混ぜて

「消えていく衝動、自尊の酒瓶」それで過去をぼやけさせ

「砕け散るその努力に」

消え去るこの感情に

「誰も目を当てられなかったんだ」

 私は歌った。けれど誰にも、私の声は届かなかいんだ。ひたすら鳴らすドラムだけが、私をかたどって、中身のない、曲を生む。

 そんなんじゃ、駄目だってのにな。

悔しくてたまらない。

なんて私は、意気地なしなのだろうな。

「それでも、それでも」

「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」

「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」

 諦念交じりの最後の恋の詩が、ただただ皮肉な詩に聞こえたのだった。



○先輩の見聞 二十一


 終わらせない、このままじゃ、終わらせないぜ。ドロシーの恋路の幕を引くのは、加賀谷ひかりであってはならない。夏入ドロシーでなければならない。そうでなければ、俺がこの映画にかけた思いが薄れてしまう。

「あ、カンガルーさんだあ!」

 あどけない男児の声がした。四歳児と見た。「そうだねえ」と微笑む母親がこちらを向いた。

俺は片手をあげ、手を振ると「すまんが、急ぎの用があってな」と言う。

カンガルーがしゃべった・・・・・。そう途方に暮れる男児を尻目に、俺は体育館後方の扉を開ける。

誰もが一度は俺を見るが、誰も俺を止めない。それは、コノミファンクラブの連中も然りだ。誰もこのカンガルーの中身が辰野正一門であることに気が付かない。感謝する、三黒紗伊子。文化祭という大衆の場において、これは絶好の隠れ蓑である。しかし、この姿身を完全にカンガルーに変える衣装で文化祭に参加したとは、彼女の本気度に恐れ入る。リスの男だって尻尾や耳はあれど、顔面全てを隠すことはしていなかった。

 しかし、そんなこと、今はどうでもいいんだ。

 ステージから加賀谷ひかりの透き通る声が心地よい風のように、頬を撫でる。ナイーブな歌詞が折り畳まれ、紙飛行機にされて飛んでいく。そんな情景を想像させる、良い歌だった。

 加賀谷ひかりがこの詩を知っていることに、俺は何の疑問も浮かばない。代わりに仲睦の顔をだけが浮かぶ。奴め、妙に協力的だと思ったらすでに俺たちを売っていたわけだ。

 会場の観客は夕空に光る星のもとに立ち、涼やかな風を浴びて和む。透明な四つ葉のクロバーを宙にぷかぷかと漂わせながら、曲に聴き入っている。未来のアイドルが、今ここで誕生しようというのだ。

 その奥、影を落としたようなドラムセットの席で、夏入ドロシーは歌っていた。悔しさを滲ませて、己を責め立てて、歌っている。ドロシーは諦めていない。

諦め切れていないだけだろうが。

砕け散ってしまっただろうが。

それでも、砕けてなお、あいつはまだ歌うことに執着する。

それでいいんだ。

リザーブ・オブ・オズ

オズのとっておき。

ドロシー、お前は俺のとっておきの秘密兵器ならぬ、秘密楽器なのだ。

その喉を鳴らすことを止めてはならない。

引き上げられたスクリーンが再び下げられ始め、ライヴを行う彼女らの頭上で止められる。その白い画面に、パッと映像が映される。小津野碧の瞳を切り取るような映像だ。エメラルドグリーンの瞳を中央に置き、スクリーン一面を小津野碧の顔で埋めた。小津野碧は瞳を下にやり、黙々とベースの弦を弾く。黙々と、脳内に浮かぶドロシー作の譜面通りに音を奏でている。

仲睦が放送室の窓から俺に向かって手で丸を作る。

「あなた、ナイスタイミングですねえ。」

「いろいろ邪魔が入ったが、約束通りの進行ありがとう、裏切り者くん」

「あら、いやですねえ。私ってできる女だから、いろんな人から頼られるの」

「女じゃねえ。」

以上、以心伝心終わり。

やや前方を見やれば、三黒さんがプロジェクターの横でグッドラック、と親指を上に向ける。彼女も協力してくれるらしい。プロジェクターをセットしたのは、我が子弟、植草君である。彼は悲しいことに俺が指南役となってしまった挙句、このような面倒ごとに首を突っ込まされる羽目になったのだ。彼も断れないタチらしい。憐みの情がわく。しかし、逃がしてはやれない。

俺と目を合わせていた三黒さんが、視線を彼女の手前に設置したビデオカメラに戻す。そして、ベースを弾く生の小津野碧の視線のみを捉える。その映像が観客の視界の隅にひっそりと忍び込む。小津野碧が激しく体を動かして演奏するタイプでなくて良かった。

 さてさてサテライト。

 差し込まれたエメラルドグリーンの瞳の下、最後の曲は間奏に入る。加賀谷ひかりがその声を一度静める。彼女は首から下げたギターに視線を集中し、小津野碧の重厚なベース音に朗らかに寄り添うようにギターを鳴らした。会場から、湧き出るような歓声が上がった。

 その歓声にも屈することなくドラムを叩き続けるドロシー。

 スネアドラムは小刻みに縦揺れし、バスドラムがダムダムと猛り狂う。

 まぶたの裏が熱を帯びるようだった。

 俺は、ステージに向かって駆けだした。

歓声を上げる観客をかき分けて、身体を前へと運んだ。

がむしゃらだった。俺は今まで滅茶苦茶だった自覚はあるが、がむしゃらは初めてであるような気がした。人々を押しのけて、一心不乱にステージに迫る。

しかし、ステージに近づけば近づくほど、加賀谷ひかりに沸く人々の群れは波のように揺れ、上手く体が進まない。

 ドロシーの叩いたシンバルの連続音。派手な演奏が再び加賀谷ひかりの歌声のアクセルを踏む。二番が始まってしまう。

゛うらあっ。

 俺は、力の限り、カンガルーの着ぐるみ頭部を投げた。ボサボサの髪が周囲にさらされると同時に、着ぐるみを脱いだ勢いで眼鏡が床へ落ちる。着ぐるみが向かう先は、ステージ中央のスタンドマイクである。

勝手に事を始められて、勝手に終わらせられてたまるものか。

カンガルーの頭が観客の掲げる腕の隙間を一直線に伸びていく。

当たれ、当たれ、と俺はぼやける視界の中でひたすらに願った。

 夏入ドロシーの感情に、これ以上、影を落とさせてたまるか。

「当たれ!」

 当たってくれ。

 しかし、一直線に思えた着ぐるみの軌道がスタンドマイクわずか手前で重力に負ける。軌道が徐々に降下していく。

「当たってくれ!」

 当たってくれよ、当たれよ、くそ。

 着ぐるみが無慈悲にも、弧を描き出す。ステージ下の壁面の方へ下っていく。視界が滲んでいく。想いが砂のように、風で消されていく。その刹那のことだった。

 パパンッ。

 透明で乾いた音が、俺の耳に届いた。

匂わない焼香が、鼻先に触った。

 俺の後方から、黒髪の乙女が右腕をぐっと前に差し出していた。

片眼を瞑り、華麗に構えた銀の二口拳銃。その銃口から硝煙が流れ、銀の弾丸が放たれ、今、着ぐるみの首を撃ち抜いたのだった。

三黒さん。

俺はぐっと、腹に力が入った。

 ポンと弾けるように、着ぐるみの軌道が変わる。銀の弾丸はその着ぐるみの飛距離をかすかに伸ばした。かすかに、けれど確かに伸ばしたのだ。

 次の瞬間には、スタンドマイクが後方へ吹っ飛んでいた。その衝撃でマイクがスタンドから外れる。乱れた音を発しながら、マイクは宙に浮いて弧を描いた。そして導かれるようにドロシーのもとへ向かい、彼女の手のひらに、そっと投じられるのである。

 見開かれるドロシーの瞳に、陽光が差した。彼女がドラムスティックを落とし、マイクを手にする。

向日葵が上を向くように、彼女は視線を観客へ向けた。ドラムの音が止まった。

その瞬間、荒井環のバイオリンの弓が指揮棒の如く振られた。ドロシーのドラムを引き継ぐように吹奏楽部から音が溢れ出す。荒井環はこの時を待っていたかのように渾身の力で腕を振り、友へ熱い激励を送る。自身もバイオリンに弓を据え、高らかに音を鳴らすのである。オーケストラさながらの盛大な音楽が会場に響き出す。

「割れたガラスの欠片のなかで 今もまだ光り続けているんだぜ」

 ドロシーのその詩が、盛大な音楽に讃えられながら、観客の耳を突き抜け心の底へ辿り着くのだった。

「 フルスイング 手が滑って

  砕け散る窓ガラス 切れ切れの素肌

  思い上がった一瞬の

  夢物語に似ていたんだ       」



○小津野碧の見聞 四


 まばたきをした次の瞬間、マイクが後方へ飛んだ。

目を見開く僕と加賀谷ひかりの背後から、真夏の青空を連れて来たかのような、歌唱のうねりが会場を包んだ。

「割れたガラスの欠片の中で」彼女はそう口ずさみながら、背後から加賀谷ひかりの隣へ並び、僕との間に割って入って立つのだ。後ろへ下がった時のような虚ろな瞳はもうそこにない。彼女の瞳は「今もまだ光り続けているんだぜ」と、そう言っていた。

 会場の歓声は沈み返り、反対に盛大な音楽と広大な青空が僕らを包んだ。

 気が付くと青空の下、僕は校庭のマウンドに立っている。雲一つない、青く澄んだ空だった。辺りには黄色い向日葵が幾つも、眩しく光る様に咲いていた。バッターボックスには、下手くそな構えでバットを振り上げる、夏入ドロシーの姿があった。他には誰の姿もなかった。

 彼女は、野球未経験だろうに、やけに自信にあふれた顔つきで、僕のことを見る。雰囲気だけは、甲子園球児にも劣らないように思えた。

 僕は、その意気込む立ち姿に応えるように、ボールを強く握って構えた。一呼吸おいて、僕は足を大きく振りかぶり、ボールを投げ放った。青い空気に穴を空けるように、僕のボールが彼女のストライクゾーンど真ん中に飛んでいく。

 そのボールを、彼女は思いっ切り空振った。

 次の拍子、彼女の手からバットが滑るように飛んでいき、校舎の窓ガラスに直撃した。

 真夏に降った雪のように、細かなガラス片が飛び散った。

 しばらく僕らは呆然と立ち尽くした。だが次第に、夏入ドロシーが笑いだした。僕も、少しだけ微笑んだ。彼女はひたすら笑って、笑いつかれて、最後、「楽しかった。」と、そう言った。

「楽しかった!」

 そう、もう一度叫んだ。すると、空には一機のプロペラ機が飛び出し、青い空に白線を引いて飛んでいくのだった。

 白線が、一直線に伸びていく。青い空を切り取る様に、まっすぐ、遠くへ飛んでいく。

 きっとその時も、向日葵はすぐそばで、凛として咲いていたんだろう。

 咲き誇る向日葵と、伸びていく白煙を見るべく、観客が視線を上げた。

 サビに差し掛かる時だ。ドロシーは加賀谷ひかりに歩み寄り、目を合わせた。共に歌え、そう言ったのだ。加賀谷ひかりの眼が潤んだのがわかった。

 そこからの詩は、僕の耳と口では、説明できない。ただ、浮かんできた情景は、幻のようだった。

「それでも」「それでも」 

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

 加賀谷ひかりの透き通る声が、再び夕空と煌めく星々を連れてくる。涼しげな風が夕闇に一つ、また一つと星明かりを灯すのだ。だけれど、真夏の青空が消えることはなく、向日葵は太陽を見上げる。その夕空と青空の交じり合った世界を、ドロシーのプロペラ機が白線を伸ばしながら、遠くへ、遠くへと飛んでいく。

 なんというデュエットだろう。しなやかに伸びる声を透明な優しい声で包み込む。清涼と熱気、相反する温度が生み出すこの音色は、これまで誰も耳にしたことがない。だが、誰もが思い浮かべるのは、あの暑かった夏の日の記憶。過ぎ去った一夏の焦燥にも似た、青春の一場面であった。

「「割れたガラスの欠片の中で 今もまだ光り続けているんだぜ」」

「だから」「だから」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

 観客が、知らぬ間に指を鳴らす。リズムに合わせ指を鳴らす。加賀谷ひかりも、ギターから手を放し、指を鳴らす。脇屋空太郎も、電子ピアノを止めて指を鳴らす。吹奏楽部も楽器を置き、指を鳴らす。

 会場に響くのは、僕のベースと、彼女らの歌と、観客全員が鳴らす指の音だけである。



○加賀谷ひかりの見聞 七


 私が、私欲のためにこの映画を滅茶苦茶にしたこと、ドロシーちゃんは薄っすらと気が付いたはず。それなのに、ドロシーちゃんは、ただ立つしかなかった私にマイクを向けた。

 私は生きとし生ける後悔と、死ぬほどの感謝を心の水面に浮かべた。

「それでも」「それでも」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

 ふと、ギターから指が離れた。どうしてなのか、初めは私にもわからなかった。気が付くと手を放し、指を鳴らしていた。

 異様なライヴだ、バンドメンバーだけでなく、観客全員が一斉に指を鳴らし出したのだ。しかし、楽器の音が鳴りやんでも、高揚感は高まるばかりだった。感情は震えるばかりだった。私たちの歌に観客の指の音が重なり、会場全体が一体となるのがわかった。

隣を見て、ドロシーちゃんが歌っているのを見た。瞳を閉じて、喉を震えさせていた。そのまぶたの奥には今、何が浮かんでいるのだろう、私にはわからない。でも、これがただの恋の詩ではないことは、理解できた。これは、最高傑作になる。彼女史上、最高の曲になる。この世の物とは思えない、幻のような力が、この詩にはある。超能力のような力がある。

そこではたと、私は自分の指を見た。私は、もう一つ理解した。みんなが指を鳴らしている。歌声に夢中になりながら、一拍の間違いもなく指を鳴らしている。そう気が付いた時、私の指は止まった。彼女が瞳を閉じて歌う時、それを聞くみんな、無意識に指を鳴らしていたことに気付いた。

ふと、私は小津野碧を見た。

彼だけは、ずっとベースを弾いて彼女を支えたのだ。

知っていたんだ、ドロシーちゃんのこの力。

いや、知っていたというより、気づいていたんだ、ずっと前から。

唐突に、映画で流れた駅前のライヴシーンが脳裏に浮かんだ。何度も何度も、同じ場面で歌うドロシーちゃんの曲を聴く小津野碧は、初め指を鳴らしていたのに、いつしか指を鳴らさなくなった。

曲に飽きたのではなかった。

彼女のことをより深く理解していた、その表れだったのか。

「だから」「だから」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

「「オーケイ、オーケイ、捨て置けい」」

 私は再び、ギターを手にして、音を鳴らした。短い映画と長い想いの結末に、立ち会えたことに、私は生涯感謝し続けたい。


「 君が見落とす 光の中で

  あなたが踏んだ 影の隙間で

  私はずっと光ってる

  I like you, and I light you


  Well then, well then,

 OK, OK, stay on ray

 OK, OK, stay on ray       」


 ドロシーちゃんがそう歌い終えたとき、万雷の拍手が会場を包んだのは、想像に難くないことでしょう。

「それにしたって、ねえ。」

 それにしたって、ここに来て「I like」なのね。「love」ではもう、なくなっているわけね。



○赤出ミーコの見聞 十七


 私は、歌に耳を傾けながら、スクリーンを食い入る様に見ていた。小津野碧の瞳を映し続けるだけのその映像から、目を離せなかった。

 小津野碧は、ずっと、夏入ドロシーを見ていた。彼女が歌い出した時から、ずっと、エメラルドグリーンの瞳が右を向いているのだ。

 その瞳は、映画の中で見せたような、くすんだ色ではなかった。

 彼女の歌声を聴くにつれ、彼女の姿に魅入るにつれ、輝きが増していった。陽光を浴びて輝くように、瞳の中が透き通っていく。溢れ出るエメラルドの輝きは、もうその瞳には収まらない。そのエメラルドの光が、映像を通して、観客の心にもエメラルドの光を差し込む。

 観客にもありありとわかる。彼が、彼女に惹かれていくのが、ありありとわかるのだ。見せつけられるのだ。小津野碧が夏入ドロシーのものになっていく。それは異様な切なさだった。止められるなら、止めたかった。しかし、そんな二人を私は、ただただ、見つめる事しかできない。諦める事しかできない。遠ざかることしかできない。

 後輩君の勝ちだ。

 この切なさは、ずっと消えることはないだろう。

この切なさから、逃げることも出来ないだろう。

負けたよ。私には残せなかったものを、君は残した。

君は、表現者の端くれだ。

 私はそう思ってからようやく、自分の瞳を閉じた。ずいぶんと長い間、瞳を開けていたようで、熱いまぶたが乾いた目に沁みた。もう一度、目を開いた時、小津野碧のエメラルドグリーンの瞳が、ぼやけて見えた。

 それにしても後輩君、君は信じていたんだね。

夏入ドロシー自身、もう諦めてしまったのに、君は頑なに信じていたんだ。

小津野碧の想いが変わっていくって。



○先輩の見聞 二十二


 ミーコ先輩が俺の映画を見て、どう受け取ったかは聞いていない。それはいずれ、彼女の作る映画に現れるはずだからだ。加賀谷ひかりには、「どんなもんだい。」と言ってやりたい気持ちもあるが、言ってしまうときまりが悪いので言わないことにする。俺だって空気を読むこともある。

 ミーコ先輩が小津野碧と関わって唯一、良かったことがある。それは、彼女の映画を通して小津野碧が無意識下で恋愛への関心を高めたことだ。

「君は信じていたんだね。」

 後に、ミーコ先輩が俺にそう言った。俺は「そうだ。」と答えた。

 今一度語るが、『リザーブ・オブ・オズ』の和訳は、オズのとっておき。小津野碧の心に火を灯し、赤出ミーコの無様な恋情に止めを刺す、この映画のとっておきの置き土産が夏入ドロシーという青春爆弾である。

 俺が見たかったのは、ドロシーの恋の行方ではない。言ったはずだ、俺はドロシーの恋には飽き飽きしていると。狙っていたのは、赤出ミーコに勝つこと。そして、小津野碧の失恋だ。自分の想いが変わっていったことに気が付いた瞬間の甘酸っぱい希望が、ぼろぼろと崩れ落ちていく様が見たかったのだ。ドロシーとの恋心のすれ違いを俺は予想していた。いずれまた、運命が二人を交じり合わせる時が来ようとも、今はただ目の前の御馳走を得ようと思ったのだ。一生のうちに何度できるかわからない、恋愛裁判以外の方法で失恋への導き。俺は小さくない感動と愉悦を得て、この映画の幕を閉じた。ただし、満足かと言われるとそうではない。俺の撮るべき映画は別にある。

しかしまさか、もう二度と夏入ドロシーに会えなくなるとは、この時は誰も、思わなかっただろう。



○小津野碧の見聞 五


 アナウンサーの質問で、蘇る、日本シリーズの第五戦。

 一死満塁を迎えた窮地に、降り注ぐ雨粒。周囲の不安が最大限まで達していたあの瞬間、僕の脳裏に流れ出したのが、文化祭で聞いたあの曲だった。

 ドロシーの歌声が脳裏に流れ出した時、僕の世界では雨が止んだ。ひたすらベースをかき鳴らした感覚を指がまだ記憶していた。指先が奮い立つようだった。青天だった。横に見たドロシーの、瞳を閉じたその表情が、とても美しかったのを覚えている。ただただそれが、霹靂だった。

 そこから僕は、その回、残り二人のバッターを三振に沈めた。投げた球は全てカーブだった。

 また会いたいなんて、決して言わないけれど、言ったところで会えないけれど、憧れた事実は、否定できるものではない。

 取材を終えてタクシーに乗り込んだ時、ラジオから、夏入ドロシーの声が聞こえた。ラジオパーソナリティの男性が、ドロシー・ゲイルのセカンドアルバム発売を喜びながら宣伝した。

「このドロシー・ゲイルっていう人、日本人なんだってね。」

 タクシードライバーが僕にそう話しかけた。

「そうらしいですね。」

「すごいよねえ、高校二年生の時に、単身ドイツに向かったんだってさ。おじさんだったら、きっとケルン大聖堂の外壁に背もたれて、いつの間にか野垂れ死んでるよ。」

 わははは、と陽気に笑っていた。

「僕だってきっと、同じようになりますよ。彼女はすごい。」

 僕はタクシーの車窓から街を眺めながら、そう言った。

 今日の空は、とても澄んだ、あの日のような青色をしていた。



○ドロシー・ゲイルの見聞 十四


 割れたガラスの欠片の中で

今もまだ光り続けているんだぜ


 夢を一杯に注がれたグラスに

  消えていく衝動、自尊の酒瓶

  砕け散るその努力に

  誰も目を当てられなかったんだ


 それでも、それでも、

  オーケイ、オーケイ、捨て置けい

 オーケイ、オーケイ、捨て置けい



  割れたガラスの欠片の中で

今もまだ光り続けているんだぜ

  

フルスイング 手が滑って

  砕け散る窓ガラス、切れ切れの素肌

  思い上がった一瞬の

  夢物語に似ていたんだ

  

それでも、それでも、

  オーケイ、オーケイ、捨て置けい

  オーケイ、オーケイ、捨て置けい



  割れたガラスの欠片の中で

 今もまだ光り続けているんだぜ


 だから、だから、

  オーケイ、オーケイ、捨て置けい

  オーケイ、オーケイ、捨て置けい


  君が見落とす光の中で

  あなたが踏んだ影の隙間で

  私はずっと光ってる

  I like you, and I light you


  Well then, well then

OK, OK, stay on ray

OK, OK, stay on ray



 この歌の歌詞が浮かび上がってきたとき、私の恋は完結した。感激もなければ、感涙もない完結。感情がぷつんと切れたような完結。

 しかし、あの情熱的に恋した時分を忘れることはない。かき乱された心は消えない。あれほどの恋を私は知らない。

 しかし、失った恋心はどうしてか、私のもとには帰ってこない。それがまた、私の心を乱し、新たな詩を生む。

好きだったあの人が、どこかで輝いていられますように。

ドイツのある都市の駅でそんなことを想いながらこの曲を歌ったものだ。日本語のまま、ゲルマン人には到底理解しえないとわかりつつも歌ったのだ。すると不思議にも拍手があがったので私はずいぶん戸惑った。でも、笑顔でお辞儀をしたことを覚えている。

それでも文化祭の、高揚と虚しさの入り混じるあの瞬間には届かない。

いつか、あのライブを超える高揚を得たい。虚しさも栄光も飲み込んで、歌を歌いたい。

だから、この世に巣くう全ての憂いに太陽の光が降り注がんことを願って、私は今日も、作曲をする。










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ミクロサイキック 弾丸編 赤橋三乃璃 @akahashiminori

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