はたらけアンドロイド

チェシャ猫亭

なんのために何を求めて

 月曜の朝。

 バス停で待っていた客が次々とバスに乗り込む。

 各停留所で降りた彼らは職場や学校に向かう。遅刻しそうになり、慌てて走っていく者もいる。

 大学病院では相変わらず待合室に患者があふれ、廊下を車いすで移動する患者、松葉杖をつく患者、忙しく病室を出入りする看護士、診察にいそしむ医師たちと、いつもの光景が繰り広げられている。

 学校でも商店街でも各家庭でも、それぞれの営みが繰り返され、休日にはまた、ルーティンのように行動する彼ら。


 次の月曜の朝。

 走行中のバス。運転手の右腕が突然、肩から外れ、バスはふらふらっとコンビニに突っ込んだ。

 たちまち救急車とパトカーがやってきて、乗客を降ろしたり運転手を詰問したり。整備士も駆け付け、外れた腕を運転手につけてやる。

 耐用年数を大幅に超えた彼らは、一様に顔の一部の皮膚が剥がれ落ち、あるいは顔全体がむき出しの機械になっている。手足や胴体も似たようなものだろう。特殊プラスチックによる人間の皮をはかぶってはいるが、彼らは皆、古臭いタイプのアンドロイドなのだ。


 はるか昔。

 老化、ガンや感染症などで人々はどんどん命を落としていった。残された家族は、彼らの思い出になれば、と、死者にそっくりのアンドロイドを求めた。需要に応えて安価な「思い出アンドロイド」が創られ、亡き人の性格や癖などがインプットされ。家族の心を慰めた。

 やがて、人は家族が死ぬ前に、あらかじめアンドロイドを用意するようになった。たとえ子供であっても突然死はある、いきなり愛児を失った親たちは立ち直れない。そっくりのアンドロイドがいてくれれば安心だ。

 こうして思い出アンドロイドは、数を増やしていった。彼らを発注した家族が亡くなっても動き続け、せっせと通勤通学、患者は患者のままだった。

 月日は流れ、安物の悲しさで、記憶装置が劣化していき、彼らは自分が誰かの「そっくりさん」であることを忘れてしまった。

 最後に残ったのは、自分が何に属するか、つまり、仕事面での記憶だけ。

 だからバスの運転手はひたすらバスを運転し続け、会社員はバスで通勤し、会社だったボロボロのビルの中で動かないPCに向かう。

 子供アンドロイドは学校だった建物に通い、教師アンドロイドの指導で勉強のまねごとをする。倒壊した校舎も多く、その場合は野外授業。主婦アンドロイドは、商品が全く並ばないスーパーに赴き、カラのかごを手にレジに並ぶ。

 壊れた個体が出ると整備士アンドロイドが引き取っていく。そして使えそうな部品でもって、他の個体を修理するのだ。


 なんのために働くのか、全く考えもしない、考えられない。ただ昔の習慣で仕事らしきものを延々と続けるアンドロイドたち。

 それにしても人間の姿は全く見当たらない。一体どこに行ってしまったのだろうか。

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はたらけアンドロイド チェシャ猫亭 @bianco3

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