第6話 誘う女



 状況が不利になってきたと知って、ならず者たちが後ずさる。

 それでも、ひとりだけ口の達者なものがいた。


「ふん、威勢だけがいい、若造どもが。今日のところはこれで勘弁してやる。次があると思うなよ」


 そう吐き捨てると、くるりと背中を見せて脱兎のごとく野次馬たちの中に飛び込んだ。あとのもの達もその後ろに続く。期せずして、野次馬たちから歓声が上がり手拍子が鳴り響いた。そして、斬り合いが始まらなかったことに胸を撫でおろしたもの、血が見られなくて残念に思ったものも、それぞれに三々五々にと散り始めた。


 通りがいつもの人の流れに戻ると、子どものような顔をした婢女はしために助けられて、女主人が馬車から降りて来た。


「危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」


 婢女はしために手をあずけたまま顔を伏せ、足を折って腰を落とした女が言う。康記を男として意識した物言いとしなを作ったしぐさだ。もしかするとこの女、ならずものたちに囲まれたことを、見かけほどには困っていなかったのではないか――と、ふと康記は思った。それでも女を救ったことには間違いない。


「いや、当然のことをなしたまでのこと。それにしても、このように少ない供で夜に出歩かれるのは、今後、やめられたほうがよいぞ」


「ご忠告、痛み入ります。よんどころない用事があったとはいえ、わたくしの落ち度にございました」


 豊かな黒い髪を結い上げて簪で飾った頭を、ゆっくりと持ち上げた女が答える。その美しさはあたかも、闇の中であでやかな大輪の花が咲いたようだ。


 しかし当然ながら、その黒々とした髪の色からして、彼女は白麗ではない。白麗の髪は雪のように真白かった。白麗ではないことに、康記は自分でも驚くほどにがっかりした。心に空いた穴に冷たい風が吹き渡る。気ままな泗水での暮らしに満足していたと思っていたが、望郷の念は彼が思っている以上に大きかったようだ。


 康記の心の中を読んだように、女が薄く微笑んだ。男を誘うような妖艶な笑みだ。年のころは二十二、三か。このいやもう少し……。いずれにせよ、彼よりは年上だ。


「お急ぎの用事があったのではございませんか? わたくしのためにお引止めしてしまい申し訳ございません」

「あっ、いや……」


 見とれていたことを見透かされたようで、康記はうろたえた。


「いずれ、このお礼をいたしたく思いますれば、ぜひに、あなたさまのお名前をお教えくださいませ」

「これしきのことで、名乗るほどのことも……」


 悪友の一人が笑いながら、話のなかに割り込んできた。


「こいつは、荘康記そう・こうきだ。いまは交易商の園家にやっかいになっている。そしてこいつの父上は、慶央の荘本家の宗主だ。といっても、屋敷暮しの女にはわからぬかも知れぬが」


「まあ、存じておりますとも。慶央の荘本家のお噂は、この泗水まで伝わっております。道理で、荘康記さまの剛毅は、お父上譲りでございましたのですね」


 苦手な父ではあるが、美人に褒められて悪い気はしない。再び女は足を軽く折り腰を沈めて、上目遣いに康記を見ると言葉を続けた。白い顔に赤い唇、そして黒く長いまつ毛に縁どられた薄茶色く輝く形のよい目が美しい。


「あら、わたくしから名乗るべきでございましたのに、失礼なことをいたしました。わたくしの名は逞華嬢てい・かじょうと申します。以後、どうかお見知りおきを」

 そして康記の周りに立つ三人を、あからさまな流し目で見回した。

「皆さまも、我が屋敷にお越しくださいませ。ささやかながら一献差し上げたく思います」


「おお、それは願ったり叶ったりの申し出だ」

「おいおい、これしきのことで屋敷まで押しかけるとは、迷惑だぞ」


 康記の遠慮を、別の悪友が否定する。

「おい、康記。いまさら、なにを言っているんだ。せっかくの美女のお誘いを理由もなく断るほうが、失礼というものだろう」


 その言葉に、意味ありげに女が笑い返した。


「いずれそのうちに、皆さまのお屋敷に使いのものを差し向けますので、万障お繰り合わせのうえ、ぜひに。お待ち申し上げております。では、ここで失礼いたします」


 女と別れ難く思った康記は思わず一歩踏み進んでいた。

「屋敷まで送ろうか? また、何ごとかが起きるかも知れん」


「あっ、いえ。ご心配には及びません。この通りを抜ければ、通い慣れた道にございます。それよりも皆さまも、お出かけの途中でございましょう。お美しい方々を待たせては、野暮というものでございます」


――何もかも、承知いたしておりますよ、康記さま――

 長い袂で口元を隠した逞華嬢が目だけで笑う。

 

 




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