第7話 夏虫たちの饗宴



 かさかさ、がさがさ、ごそごそ……。


 荘康記そう・こうきたちは、逞華嬢てい・かじょうの広い屋敷内を、落ち葉を踏みしだいて歩みを進めていた。彼らが近づくと、足元の夏虫の音が途絶え、離れると再び始まる。下僕の持つ手燭の灯りは薄ぼんやりとして、木々の生い繁る葉の間から漏れる半月の輝きもまた心もとない。


 突然、ほんとうにその言葉とおりに突然に、目の前に荘厳なやかたが姿を現した。


 それはまるで、夜の暗闇の中、地の底から音もなく湧いて出たような唐突さだ。地が割れたのか、それとも音もなく木々がなぎ倒されたのか。覆いかぶさってくる館の黒い影に気圧される。


 目の前にそびえたつやかたの反り返った大屋根は、まるで夜空を背景に巨人が両腕を広げているように見えた。闇に吸い込まれて屋根瓦の色はうかがえないが、釉薬ゆうやくが半月の輝きを受けて濡れたように輝いている。大屋根を転がり落ちた月の光が黒真珠となり、ぱらぱらと音を立ててこぼれ落ちてきそうだ。


 大屋根の軒端には、橙色の灯りをともしたいくつもの吊り灯籠がぶら下がっていた。


 毎晩毎晩、あのような高所に灯を入れるのは大変な苦労だろうと思いながら見上げると、康記の思いを察したのか、風もないのに吊り灯籠が揺れた。


 そのさまは、逆さにぶらさがったコウモリが、黄色い目を瞬かせていっせいに騒ぎ出したように見える。コウモリたちは高見より来客を値踏みしているのか、それとも来客をやかたの中にいる女主人に知らせているのか。


 黒い影となってそびえたつ館の正面には、これもまた固く閉ざされた黒い扉があった。なにやらうつつではない世界が大きな口を開けるのを待っているようだ。


 ならず者に囲まれた逞華嬢てい・かじょうを助けてよりこの屋敷には何度も訪れているが、人の気配なく開く門と同じく、この妖しい雰囲気にいまだ慣れることが出来ない。

 康記の足の動きがにぶる。


 前を行く小男の家令が振り向いた。の羽のような着物をまとう男は、後ろを歩く康記の胸の内が読めるのか、それとも背中に闇を見透かす目を持っているのか。


華嬢かじょう様がお待ちでございますよ、荘さま」

 そして彼は言葉を続けた。

きざはしでございますれば、足元にご注意くださいませ」


 その言葉にうながされて、康記は扉に続く玉石ぎょくせきを積み重ねた階に足をかけた。


 磨き込まれた玉石は女の肌のようにすべすべと滑らかで、下僕がかかげ持つ手燭の灯りを受けて、曇った鏡のように淡く輝いている。そしてよほどの歳月が過ぎる間、ここにあったのだろう。多くの人に踏まれて出来たくぼみみをくつの下に感じる。


 と同時に、それが合図であったかのように、音もなく目の前の黒い扉が開いた。下僕が手燭を持ち上げると、開いた扉の向こうに、奥へ奥へと誘う廊下が浮かびあがった。




 その長い長い廊下の突き当りに、逞華嬢てい・かじょうの待つ部屋はあった。


「華嬢さま、皆さまが到着されました」

「いまかいまかと待ちかねておりました」


 家令の言葉にぱっと部屋の扉が開いて、部屋からおびただしい蝋燭ろうそくの光が溢れ出た。光輪を背にした華嬢の後ろから、酌婦しゃくふや踊り子たちの華やいだ嬌声があがる。


「さあさあ、皆もそろって、お客さまを粗相なくお迎えをするのですよ」


 華嬢に言われて、駆けよってきた女たちはそれぞれに手を差し出して康記たちを部屋に引き込んだ。部屋に煙る香の匂いと、女たちの甘い白粉の匂いが、鼻孔をくすぐり頭をしびれさせる。


 のような家令も落ち葉に埋もれた庭も黒い影のようなやかたも、すべてがどうでもよくなる。たとえここが、大火で焼け残った寺の伽藍がらんに住みついた、逞華嬢が営む私娼の館であったとしても。




 楽団の奏でる音色は、単調でがちゃがちゃとうるさい。その繰り返しを聴いていると、ここまで来る時に聴いた夏虫の音を思い出す。


 そして踊り子たちも皆が皆、あどけない顔をした美人ぞろいではあるが、その踊りはお世辞にも垢ぬけているとは言いがたかった。楽団の単調な合奏に合わせて、体をくねらせ手足をふり回しているだけにしか見えない。


 ただ、彼女たちの体の柔らかさは信じられぬほどで、関節がいくつあるかと思うほどに腕と足が自在に曲がる。その人ならざるもののような動きが面白い。どうすれば人の体がそのようになるのかと思う不思議な動きに体をくねらせば、薄物の着物から踊り子たちの豊かな乳房がこぼれてあらわとなる。


 それを手をたたいてはやせば、踊り子たちはますます応えて、足を高く上げて宙を舞う。そうすると白い肌の股の間が惜しげもなく開かれるのだった。


 酒の入ったかめを持つ酌婦しゃくふたちもまた、妖艶な笑みを浮かべ体をすり寄せてくる。彼女たちがすすめる甘露な美酒の酔いは、半刻もせぬうちに康記たちの体に廻った。すでに男たちの楽しみは、別のものにへと移っている。


 全裸となった酌婦を膝に抱き上げて、すでにことに及ぼうとしているものもいる。自ら踊りの輪に加わりこれからのお楽しみの相手を物色中のものもいる。


 時を見計らったように、女主人が言った。


「さあさあ、夏の夜は短いのですよ。女たち、お客さまたちをそれぞれのお部屋にお連れ申し上げなさい」





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