第4話 落ち葉屋敷



 街中の屋敷の庭とはおもえぬ巨木の立ち並ぶあいだを、やかたに通じる細い道は縫うように続いていた。


 下僕げぼく手燭てしょくの薄灯りを頼りに康記たちが一歩を踏み出せば、彼らの足はくるぶしまで落ち葉に埋まり、生い繁った夏草の葉が着物の裾をなでた。かさかさがさがさと、落ち葉が踏みしだかれる音が暗闇に木霊こだまする。苔むした湿った匂いが立ち上って鼻をくすぐり、まるで山奥の獣道を歩いているようだ。


 逞華嬢てい・かじょうの屋敷は使用人の数には困っていないようだが、それでも広い庭の掃除までは手が回りかねているのか。毎年、秋になれば枝より葉を落としているであろう木々を見上げると、切り削いだような夏の初めの半月が見えた。




 逞華嬢てい・かじょうの屋敷に通い始めたころ、叔父の店先に停めた荷車に積まれている麻袋の数をかぞえていた番頭の一人にいた。


「おまえは泗水しすいで生まれ育ったそうだな」

「へい、さようでございます。お坊ちゃま」


 番頭は帳面に数字を書き込んでから、康記こうきを見やって答えた。屋号の丸に園の字を染め抜いた前垂れをつけている。十歳になる前に店に奉公に来てより、半白髪になるまで働き続けている、叔父の信頼も厚い実直な男だ。


「泗水の街の西のはずれにある、逞華嬢てい・かじょうさんという女の人が住む広い屋敷のことを知っているか?」


「逞家さまのお屋敷でございますか? さあて、泗水の西のはずれと申せば寺の建ち並ぶところでございましたが、数年前の大火事で……。ああ、お坊ちゃまが慶央けいおうからこちらにいらっしゃる少し前のことです。その大火事であらたか燃えてしまい、いまだに再建できておりません。はて、あのあたりに焼失を免れた広いお屋敷があったかどうか……」


 かしげていた頭を、番頭は横に振った。


「申し訳ございません。思い出しかねます。なんなら、店のものに調べさせましょうか? ええと、てい……、どなたさまと言われました?」


「いや、いい。別段、懇意にしているわけではない。そういう名前を噂に聞いただけのことだ」


「さようでございますか。あのあたりに、逞さま……。……。あっ、お坊ちゃま、お出かけでございましたか」


 番頭の分際で、主人筋にあたるものの動向をいちいち詮索するな――、それをわからせるために、康記はまだ肉のついていない薄い肩をせいいっぱいいからせた。


「ああ、ちょっとしたやぶ用だ」

「これは足止めいたしましたようで、申し訳ございません。お気をつけて」


 しかしながら、穏やかな物言いとは裏腹に、くるりと向けた自分の背中に番頭の鋭い視線が突き刺さるのが、康記にはわかる。




 慶央で白麗を凌辱りょうじょくしようとして、前歯が欠けるほどに、次兄の英卓えいたくに顔面を殴られた。それだけではない、配下のものたちが見守る中、父の荘興そう・こうには足蹴にされた上に斬り殺されかけた。それも当然ではある。白麗の凌辱未遂もあるが、叔父の園剋えん・こくの片棒を担ぐ形で、妓楼の紅天楼に火を放ち慶央の街を火の海にするところだったのだ。


 それを、病弱だった母の李香りこうと長兄の健敬けんけいに助けられた。

 自分の余命いくばくもないことを理由に、母は可愛い末子の助命を夫に懇願した。長兄の健敬けんけいは、常に自分の傍らに弟を置き、その腐った根性を叩き直して一人前の男にすると父に約束してくれた。


 だが、彼がしおらしく荘本家の家業を手伝ったのも、一年ほど。自分が行くはずだった都・安陽あんように英卓と白麗が旅立って、優しかった母も死んでしまうと、長兄の監視の下での厳しい修行にほとほと嫌気がさしてきた。


 荘本家そうほんけの刀を振るって人を殺すこともいとわぬ厳しい生業なりわいは、自分の性に合わない。母の実家のある泗水に行き、そこで交易の商売を覚えたい――と、康記は願い出た。


 あれほど厳しかった父は、「好きにせよ」と言っただけだ。妻の死とともに隠居して健敬に家督かとくを譲ると、情けない末子の行く末に父は興味を失なったようだった。また、泗水の実家も園剋えん・こくへの負い目があって、康記をしぶしぶながら引き受けた。それで、慶央から逃げるような形で、彼は泗水に来たのだ。


 しかし案の定というか、叔父の交易の仕事を彼がまじめに手伝ったのは半年ほど。豪商のお坊ちゃまとしてわがままに振舞えることを知ると、銭を湯水のように使って、悪友たちとともに歓楽街で遊び呆けるようになった。


 出来の悪いおいを引き取ったものの、店を切り盛りする叔父は忙しさもあって、康記の放蕩三昧ほうとうざんまいを見て見ぬふりをしている。しかし、店で働くものたちの目は厳しい。表立って康記に意見をするものはいないが、こうして背中を見せると、彼らの鋭い視線が背中に刺さる。


 肩をいからせたまま、「どいつもこいつも、死ね!」と、康記は動く唇の形だけでつぶやいた。





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